第5話
エーテル知覚を活性化させる《E3》にも、欠点はある。
非殺傷性の攻撃が苦手だということだ。圧倒的な速度は、同じだけの破壊力をもたらす。無遠慮な攻撃を、魔王でもない相手に使えば、殺してしまう可能性が高い。
そして、レヴィ。
この顔色の悪い、いかにも安物っぽいパーカーを着た女は、少なくとも魔王ではないようだ。もしも恒常的にエーテルを増強させている魔王なら、セーラの一撃で腕を痛めたりはしない。それどころか、あの状況からでも不意打ちを回避しているだろう。
以上のことから、俺は結論づける。
こいつは魔王ではなく、単にエーテル依存症の勇者だ。違法な量のエーテルを使用している、ロクデナシということを意味する。犯罪者には違いないが、殺しても罪に問われないほどではない。
「――逃げるぞ。引き上げだ! 《E3》使ってよし!」
俺は怒鳴りながら、加速した。必要なのは、イメージだ。湧き上がる攻撃衝動を制御するには、善なるイメージを思い描くことだ。
クソみたいな友達とのゲーム、泡の抜けかけたビール、いい加減なジャンクフード。そうしたこの世の善なるモノのイメージで、俺は心を満たした。
瞬時にレヴィが近づいてくる。彼女はさすがに反応して、無事な左手を腰のあたりに伸ばした。そこに得物が吊られているのは、俺にも見えていた。片手使いの剣、やや湾曲している。形状からして鉈に似た武器だろう。
それとも、《E3》をそのあたりに隠し持っていたのか。どっちでもいい。
「死ぬ気で走れ、あとは自己責任で」
それだけ言って、俺は模造刀を振り上げた。
その軌道は、攻撃を兼ねている。腰のあたりに伸びたレヴィの手を痛烈に叩き、手応えはあった。指の骨くらいは砕けただろう。とりあえずの戦力として使い物にならなくするには、両腕を壊すぐらいで十分だ。
レヴィは顔をしかめ、とにかく距離をとろうとした。跳躍して、転がる。できれば足も粉砕したいところだったが、俺は追撃しなかった。できなかった、という方が正しい。
傍らで銃声が響いたからだ。
俺は思考を極度に加速させて、そちらを視認した。
「アキ。隙だらけすぎ」
ちょうど、印堂雪音が、城ヶ峰を突き飛ばして回避させるところだった。ぎりぎり、間に合ったといっていい。模造刀を手にしたスーツの男は、そいつで城ヶ峰を殴りつけ、さらにどこかに隠し持っていたらしい拳銃を発砲した。そういうことだ。
銃弾は外れたので、それ自体は問題ない。
しかし、この銃声はまずかった。
「よくやった」
レヴィがさらに転がって、距離をとりながら呟いた。
実際、そのとおりだろう。警備スタッフがこの銃声を聞き逃さないはずはない。レヴィが俺を見た。碧い眼――そこではじめて気がついた。パーカーの襟元の部分に、金色に光るバッヂがある。異様な形をしていた。顔を半分に割られたバケモノ、とでもいうべきか――妙にリアルな――
いや。
俺は思考を打ち切った。セーラの襟首を掴んで、引き起こす。その表情は硬直し、完全に認識を停止していたようなので、とりあえず激しく揺すった。ほかにどうすればいいかわからなかった。
「ビビってる場合か」
セーラは、そこではじめて自分の置かれた状況を把握したらしい。ありったけの文句を言いたそうな、あるいはもしかしたら、恥ずかしさのあまり死にたそうな、ひどい顔で俺を見た。
「ビビってるとか。誰が、そんな」
「覚えとけよ、ビビってる方が死にやすいんだ。そうだろ。わかったら行け」
そうして俺はセーラの腕を掴んで駆け出した。
「走れ」
遠くから、警報の音が聞こえる。あまり状況は良くない。駆け去る一瞬、レヴィが起き上がり、こっちを睨みつけているのが横目に見えた。城ヶ峰と印堂の方は、気にしている余裕もない。俺はほとんど力ずくで、セーラの腕を引っ張って体育館を脱出する。
「やめろよ、クソ!」
悪態をつくセーラの声は震えており、どう考えても怒り狂っていた――もちろん、嘘だ。
「私は走れる。離せ。やめろ――」
しかし彼女の名誉を考えるに、ここは怒っていたことにしてやろう、と思った。俺はそのまま廊下を走り抜ける。警報がうるさい。居眠りしていた警備員どもが慌てている頃だろう。
侵入したときに思ったが、アカデミーの警備は厳重とはいえない。このまま体育館玄関を突破すれば、チンケな中庭と、有刺鉄線すらない壁があるのみだ。
「――だから、やめろって言ってんだろ!」
セーラがもう一度、激しい抵抗を示したのは、玄関を抜けた直後だった。あまりに激しく暴れようとしたので、骨を粉砕してしまうリスクを考え、俺はチンケな中庭の雑木林で手を離すしかなかった。セーラはつんのめるようにして停止した。
「ふざけんなよ」
セーラの呼吸が荒い。暗いので彼女の表情がよく見えないし、よく見ないでおいてやるのが情けというものだ。普段ならおちょくってやってもいいが、状況が状況だし、それから――そう、こいつのパパは怖すぎる。
「――私は」
「手間をかけさせるなよ。イライラしてるから。いますぐ《E3》を使え。そうじゃなきゃ放り投げるからな」
俺はセーラの文句だか、弁解だか、なんだかよくわからない台詞を遮った。
「待てよ。違う! 違うからな。私は」
セーラはそれでも何か言おうとした。なので、俺は彼女の首根っこを掴むしかなかった。そうでもしなければ、殴ってしまいそうだった――攻撃衝動は、静かに神経を侵食しつつある。
「さっさと行け」
鋭く、かつ一方的に命令する。
セーラは唇を噛んだ。そして《E3》を自分の首筋に打ち込み、即座に跳躍した。俺はできるだけセーラの顔を見ないように気をつけた。
それから、おおよそ三秒。
ようやく背後で気配がしたので、俺は振り返る。警報は響き渡っていたが、俺が気にしていたのは、そこではない。体育館の方から、抜け出てくる人影がある。パーカーを翻し、碧い目をした小柄な女。レヴィだ。
姿を隠すのは意味がないと思えたため、俺は模造刀を片手にそれを待った。レヴィは雑木林に踏み込むと、さらに速度をあげた。すでにその右手は、ゆるやかに湾曲した幅広の剣を抜刀している。古い言い方をすると、ファルシオンと呼ばれる種類の武器だった。
つまり、右手はすでに治っている。左手の指も、おそらく。《E3》を使用しているのは明白だった。
「やっぱり、出てきたか」
できれば、俺の予想が外れていてくれると嬉しかった。
さっき、こいつは『辿ってみる』と言っていた。どんな原理かはわかるはずもないが、なんらかの追跡に向いたエーテル知覚を使える可能性が高い。事実、こうしてまっすぐ俺を追ってきた。スーツの男の方がいないのは幸運だ。
で、どうするか。
俺は高速で思考を滑らせた。こっちの武器は、模造刀がひと振り。長さはちょうどいいが、あまりにも頼りない。他にはスタンガンやら、手製の防犯スプレーやら――おそらく警戒心の強いプロの勇者を相手にするには、いまいちな道具ばかりだ。
いつものバスタード・ソードを持って来ればよかった――あれさえ手にしていれば、俺は自分でも驚くほど強い。
だが、こうも耳障りな警報が鳴り響く中では、会話で隙を作ったり、気をそらしたりする方法は使いにくい。
というより、俺にとっても、時間をかければその分だけ面倒なことになる。
ならば、普通の手段しかない。要するに、実力でどうにかする。
俺はそう決めて、一歩だけ後退した。まっすぐ駆け込んでくるレヴィを観察する。その速度は、人間の領域を超えていた。ばっ、と、足元で雑草が踏みにじられ、勢いよく散った。それは彼女が攻撃動作に移ったことを意味する。
俺は思わず苦笑いしただろう。
「ホントに殺す気かよ」
レヴィの右手の湾曲刀が、強烈な風切り音とともに振り出される。下段から、刀身が旋回するような独特の軌跡を描く。
湾曲した幅広の刀身を持つファルシオンにとって、最大の特徴のひとつは、その切断力の高さだ。間違っても、合成樹脂の模造刀などで受けてはいけない。そのため、俺は回避せざるを得なかった。上へ。
「おい」
俺は瞬時の跳躍で、壁の上に跳び乗っていた。眼下にレヴィを見下ろす形になる。
「やめとこうぜ。こんなところで戦っても、お互い一文の得にもならない」
レヴィは反応しなかった。ただ姿勢を低く、湾曲刀を頭上に掲げるような構えで、こちらを睨んでいる。碧い瞳からは、ほとんど感情が読み取れない。
「警備員も来たら面倒だろ?」
俺は説得を諦めなかった。
実際、この状態はレヴィにとっても面倒なはずだった。俺が『壁の上』という有利な地形をとっている。
こいつは争いごとの基本的な法則というやつで、下方から上方への攻撃は常に厄介なものだ。俺がこの模造刀以外の、強力な武器を持っている可能性も、相手にとっては考慮する必要があるだろう。
しかし、何事も平和な方向には流れない。
勇者稼業とは『そういうもの』かもしれないが、とにかく、このときはそうだった。
「なるほど」
と、レヴィのいびつにかすれた呟きが、はっきりと聞こえた。
「なかなか反応が速い。お前のエーテル知覚は、強化するタイプか」
図星だった。さすが。俺はちょっと困って、なにか適当なことを答えようとした。その瞬間、レヴィは跳躍した。やりやがる。
俺はまさか模造刀で受けるわけにもいかず、払いのける羽目になった。しかし、エーテルが引き出す力ってやつは、男よりも女の方が強い。
結果、俺は弾き飛ばされ、壁から路上に転落する。
「ふ」
レヴィのかすかに笑う声。
どうにか受身をとった俺を、今度はレヴィが壁の上から見下ろす形になった。
「今度は逆だな。しかし」
レヴィは壁の上から跳んだ。湾曲刀が、空気を捻りこむような独特の軌道を描く。
「私は交渉しない」
これは非常に困った。俺は思考をさらに加速させる。打開する方法はないわけではない。師匠から教わった剣の技がある。
しかし、無傷で、というのは難しい――腕のどちらかを失うリスクもある。それに『必殺』できるとは限らない。ならば道具を使うか。スタンガン。催涙スプレー。それらを取り出して準備するヒマはあるか?
そういうのは、あんまり現実的じゃない――仕方ない、覚悟を決めるか。俺は半ばそう思いかけた。ここまでは、我ながらまったく真面目な思考をしていたと思う。
――しかし困った状況というものは、往々にして増幅されるものだし、真面目な展開なんてそう長いこと続いてくれない。
俺の耳は、軽快すぎる足音を聞いた。俺のエーテル知覚は『知ること』がすべてだ。だから、足音の質を知り、速度を知り、そいつが近づいてくるのを知った。
総合すると、俺は非常に呆れることになった。
俺の頭上から迫るレヴィの小柄な体を、弾丸の速度で飛び込んできた人影――つまり少女――ジャージ姿の、常に呆れた行動をとる少女、城ヶ峰亜希が吹き飛ばした。
レヴィは声もなく吹き飛び、アスファルトの上を転がる羽目になる。
「師匠」
城ヶ峰は自信有りげに宣言した。
「美少女の弟子が助けに参りましたから、もう少し嬉しそうな顔をしてはいかがでしょうか?」
困ったことになった、と俺は思った。
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