第4話
照明を消すと、あたりを閉ざした暗闇は圧倒的で、物理的な圧迫感すら感じた。よく冷えた、粘土のように密度の高い暗闇だった。
窓を締切り、遮光カーテンまで引いているせいだ。
「奇襲のチャンスは一度きり」
俺は小声で三人の勇者見習いに向けて説明する。まずは用具入れを体育館の中央に配置して、これを囮とすることにした。適当に模造武器や、プロテクターの類をぶちまけ、散乱させておく。
「俺が合図したら出ろよ。城ヶ峰もセーラも、その一撃で終わらせた方がいい」
俺たちは用途のよくわからない跳び箱のような器具や、折り重なったマットをできるだけ自然に配置し、その影に身を隠すことにした。
「そうじゃないとお前ら弱いから、たぶん反撃食らって負ける」
「はい! 了解です、全力を尽くします」
「くそっ」
城ヶ峰は相変わらず返事だけは調子がよく、反対にセーラは唸るように悪態をついた。
セーラは明らかにナーバスになっており、身を隠すのにやたら集中していた。ほとんど這いつくばるような格好で、耳を畳に押し付け、近づいてくる足音の響きを聞いている。だが、あまり意味はないだろう。
そういう訓練を受けていなければ、実際にどれだけ距離があるかなんて、なんとなくしか分からない。
「教官、私は?」
印堂雪音は、俺のコートの裾を引っ張った。自分はどのタイミングで出て行くのか、と言いたいのらしい。
「お前は必要ないだろ。意味ないし」
「教官」
彼女はこれまでにないほど機嫌の悪そうな声をあげた。
「私だけ何もナシのは、納得いかない。私は強くなりたい。私も強くしてくれる?」
「そのうちな」
「約束して」
「俺の指示を守れたらな」
「じゃあ、なにをすればいい?」
「知るか。そこで体育座りでもしてろ」
「わかった」
言うが早いか、本当に印堂雪音は体育座りの姿勢をとり、そのまま微動だにしなくなった。俺とセーラは顔を見合わせ、城ヶ峰は何かに感心したようにうなずいた。
「さすが雪音だ。思わず私ですらドン引きするほどの――」
続く言葉は、俺が城ヶ峰の口を塞いだので聞き取れなかった。城ヶ峰はさすがに意図を察して、それ以上の無駄口をやめた。セーラが息を呑む。およそ、十秒。そこで入口の扉が開き、まずは懐中電灯の光が冷えきった闇を照らしだした。
そして、話し声。
「――失礼なことを聞くようですけど」
まずは、低い男の声だった。
「確かに、ここだったんですか?」
何かを尋ねるように振り返る。少なくとも俺よりは大柄であろう体を、窮屈そうなスーツで包んでいる。顔まではよくわからない。学園関係者か、教師か。
このときはそう思ったが、直後でその予想はまったく覆された。
「光が見えた。この場所から、だ」
こちらは、極端にしわがれた、女の声だった。いびつに成長して、そのまま枯れてしまった樹木を思わせる、独特の不快な響き。
エーテル焼けだ。
俺はそういう声になってしまう症状を知っている。エーテルの過剰投与、あるいは恒常的なエーテル増強者が、それを発症しやすい。喉がエーテルでやられているのだ。それはエーテル依存症の勇者か、そうでなければ――魔王か。どちらにしても、学校にいるのは、明らかにおかしい気がした。
「誰かが、いたんですか? それは、少しまずいですよ」
スーツの男の声には、明らかな不安があった。
「どうしますか、レヴィ。あなたのやり方で、見つけられますか?」
「さあな」
もうひとり、スーツの男の背後から、小さな人影が滑り込んでくる。パーカーのフードを深く被り、その顔はほとんど見えない。だが、わずかに覗いた横顔は、懐中電灯を浴びて異様なほど白く見えた。
「誰かいたのかもしれないが、すでに離れた可能性が高い」
「待ってください、レヴィ。あの、用具入れ」
スーツの男は、体育館の中央を指差す。懐中電灯を正面に据えて、慎重にそちらへ近づく。いい感じだ。足元で、セーラが唾を飲み込む気配があった。非常に緊張している。
「ふん」
そしてエーテルに焼けた声の女はスーツの男には続かず、その場にかがみ込んだ。こいつは面倒だ。かなり場馴れした気配がある。スーツの男とのやりとりからすると、名前を、レヴィと言うのだろう。
「そんなものを警戒しすぎるな。わざとらしい。私が辿ってみる」
その言い方に、俺は確信的な危険性を感じた。『辿ってみる』、と彼女――レヴィは言った。なんらかのエーテル知覚を使うと見て、間違いない。俺は即座に動くことにした。
ポケットの中のコインを掴んで、思い切り投げる。かなり離れた場所へコインが落下して、硬質な音が跳ねた――スーツの男は何かを低く呻いて、そちらに懐中電灯を向けた。一方でレヴィは、素早く立ち上がり左右に視線を走らせた。
しかし、こちらが仕掛ける方が速い。
なぜなら、俺がセーラと城ヶ峰の背中を蹴飛ばしたからだ。
「誰だ?」
と、さすがに少し手こずりそうなレヴィですら、それだけ問うのが精一杯だった。先に蹴飛ばしたのがセーラの方だったので、彼女が打ち下ろす模造刀を正面から受けることになった。かわす余地はない。もともとセーラの戦い方は、そういうやり方に特化している。
彼女が上段から振り下ろす初太刀は、速くて重い。
「くそっ! 野郎、マジに蹴飛ばしやがって!」
セーラの一撃は悪態を伴っていた。
レヴィは右の腕を掲げて、それを防ぐ。それでも、ごきりと鈍い音が響いた。異様なほど白い顔が強くしかめられ、距離をとろうとする――それを、セーラはさらに追撃した。それはまさしく、大きな成長だ。俺と組手していたときは、すぐにその場で構え直し、警戒を固めたものだ。
さすが、俺の助言だ。
ただ、レヴィとかいうエーテル焼けの女は、その程度の精神論的ごまかしでカタがつく手合いではなかった。なんとなく、そんな気がしていた。
「こいつ」
レヴィは短く呟いて、セーラの二撃目を受けた。今度はちゃんと、模擬刀の力をそらすように弾く。セーラはバランスを崩して、たたらを踏んだ。そしてもちろん、相手からの反撃を受ける。
「学生か? いったいなぜ?」
たぶん、回し蹴りだったのだろう。暗くて完全には視認できなかったが、とんでもない速さでレヴィの小さな体が旋回し、模擬刀で打ち込んだセーラの方が吹き飛んだ。くぐもった悲鳴とともに、畳の上を転がる。
「やられたか――不覚がすぎるな」
かすれた、苦々しい声。レヴィはセーラを蹴飛ばしたあと、追い打ちをかけることなく右腕を抑えた。だらりとぶら下がっている。セーラの初太刀が、骨ぐらいへし折ったのかもしれない。
「貴様ら!」
不意に、城ヶ峰の鋭い声が響いた。そちらの方は、セーラと対照的な展開を迎えていた。
「その顔! アカデミー職員でも教員でもないな。何者だ!」
ちょうど、城ヶ峰の右手に握られた訓練用の片手剣が、スーツの男のみぞおちを捉えるところだった。深い踏み込みと、タイミングのいい一撃。
だが、それだけだ。
スーツの男は内臓が潰されたような苦痛の声をあげ、その場に転がった。
「不法侵入者には罰則が適用される」
自分のことを完全に棚にあげ、城ヶ峰はスーツの男の額に片手剣をつきつけた。
「何が目的だ? アカデミーへの敵対行動か、悪党め!」
「……追い撃てよ、バカ」
俺は思わず小声で城ヶ峰の態度を罵倒してしまった。なぜなら、スーツの男は、転んだまま片手を畳に這わせていたからだ。彼が転んだ場所は用具入れに近い。そこには訓練用の剣が散乱していた。
「印堂」
俺は背後で体育座りしている少女の名を呼んだ。
「私、出番?」
「ああ。かなりヤバい」
スーツの男の手が、畳の上の剣を掴む。片手剣。ちょうど城ヶ峰が使っているものと同じ種類だった。
ついでに、レヴィとかいう女の方も、慎重にセーラに近づきつつあった。セーラの方は――あっちも、状況は良くない。蹴飛ばされたあと、さっさと起き上がればいいものを、なにを考えているのか四つん這いのままレヴィの接近を待っている。まるで人間を威嚇している犬だ。
相手は恐らくプロなのだろう。少なくとも、『レヴィ』の方はそうだ。だとすれば、やることはひとつしかない。どうやら、訓練どころでは無くなってきた。
「印堂はあのスーツの方な。《E3》使っていいぞ」
「殺せばいいの?」
「いや」
俺は首を振った。
相手は魔王じゃないし、その関係者かどうかもわからない。そんなやつを殺せば法的な問題が発生するだろう。なにより、俺は無関係な人間も面倒くさいから殺すような、そういうクズ以下の人間じゃない。
というか、もしかしたら――
「逃げるぞ。あいつら俺より強いかもしれない、死なないように気をつけろよ」
そうして俺は、ポケットから取り出した《E3》のインジェクターを、首筋に押し付けた。内容物を体内にぶちまけ、『変わる』のは一瞬だ。
世界が減速し、俺は即座に飛び出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます