第3話
「――おい。結局、この」
セーラは畳の上にうずくまり、荒い呼吸の合間に、どうにか声を発した。
「これ。なんなんだよ。あんた、卑怯な手ばっかり」
そこで、セーラは軽く咳き込む。さっき投げ飛ばしたのが効いているのだろう。
「こんなの、試合じゃあ、使えねえよ」
セーラ以外の二人も似たような状態だ。城ヶ峰は手足を投げ出して豪快に横になっているし、印堂はかろうじて立ってはいるものの、壁に寄りかかっている。これが、だいたいの彼女らの実力の程度を表しているといえた。
「まあ、そうだな」
俺はセーラの言い分を肯定した。こんなの試合じゃ使えない。確かに。
「ぜんぜん試合の参考にならないな、いまの組手は」
「おい……ふざけてるのかよ」
「いや別に。いいザマだとは思ったが、そのためにわざわざ労力使わねえよ」
師匠という存在は、弟子に負けるようではいけない。どんな卑怯な手を使ってでも、常に一枚上手だと感じてもらわなければ困る。自分よりダメそうなやつの指導に耳を傾けるやつがいるか?
と、いうのが俺の師匠の言い分だったし、そこまで間違ったことは言っていないと思う。特に俺はスポーツのコーチのように、理論を勉強したわけでも、実績があるわけでもないからだ。
「さっきも言ったと思うが、一朝一夕で強くなる必殺技とか、そんなものはない。だから、自分の問題点を把握して、対策した方がいいだろ。たぶん。恐らく。まず、そうだな」
俺はたったいまの組手で感じたことを、どうにか言葉にしようと努力した。
「お前ら三人、まあそこそこのレベルはあると思う。基本はできてるって言えばいいのか? 微妙に違うか。戦い方が……身に付いてる……この説明も変だな。まあいいか」
すぐに諦めた。どうせ俺はそういうことを説明する専門家ではない。
「だから、問題点さえ解決すれば、学生同士ならすぐに勝てるようになるだろ。たぶん。お前らが落ちこぼれてるわけも、だいたいわかった」
「『たぶん』、ってのが多すぎるだろ、あんた」
「いえ――さすが、師匠」
ようやく城ヶ峰は起き上がり、声を発するだけの体力を回復したようだった。それでもまだ、呼吸は荒い。
「我らが落ちこぼれている原因が、さっそく判明しようとは。ぜひお願いいたします!」
「まずセーラはビビりすぎ」
「ああ?」
セーラは獣のような目で俺を睨んだ。
「なに言ってんだよ。誰がビビってるって?」
唸り声をあげ、いまにも飛びかかってきそうな気配すらある。しかし、それは虚勢以外の何者でもない。殺したいのならば、何も言わず、顔にも出さずにそうするべきだ。つまり、セーラのこの態度は、威圧することで争いを回避させたいという願望を意味している。
「打ち込むとき、お前は必ず三番目に来るだろ。そして、いつも全力の打ち下ろしで来た」
「そりゃ、あんたをぶっ殺そうと思ってたから」
「つまり一撃で終わらせたいってことだ。相手から攻撃されたくないから、自分からの初手の一撃でケリをつけたがる。外したらもう消極的で、どうにか相手の攻撃を凌ぐことだけ考えてる」
そういう戦い方が身に染み付いているというべきか。打ち合うと、あまりにも極端にその癖が顔を出す。絶対に勝てる相手としか戦わない――勇者としては、その戦い方には一理あるが、なるほど同級生との剣術の試合では勝ちにくいはずだ。
俺が首筋に剣をつきつけたときも、やろうと思えばひと暴れできただろう。それ以上攻撃されないように、戦いを切り上げようとしてしまうのがまずい。
「ガキの頃から、そういう戦い方を習ってたんじゃないか?」
セーラは何も答えなかった。が、ただひたすら不機嫌そうに俺を睨んでいた。とてつもなく我慢できないことがある、という顔だ。その原因は、おそらく、ただ一つ。父親であるアーサー王にあるのだろう。
「とにかく、それを改善した方がいい。基本的に相打ちに持ち込む、くらいの考え方で戦う必要があるな」
セーラからは、やはり何も返事がなかった。とりあえず反論はない。勝手にしろ、と俺は思った。最低限の説明責任は果たしたはずだ。次だ。
「それから印堂」
「うん」
印堂雪音は、すでにそこそこ回復したらしい。俺の足元あたりで体育座りをしていた。むっつりとした無表情だが、その目はなんとなく期待しているようにも見える。
「教官、私には、なにを?」
「いや、特にない」
それが正直なところだ。印堂雪音はじゅうぶんに強い。同級生が相手なら、まず負けないだろう。俺も何度か打ち込まれそうになったし、《E3》なしでは危ないかもしれない。
「というか、お前の場合、こういう試験だと成績悪くないだろ?」
「うん」
「――雪音は、実技だったら学年トップクラスなんだよ」
セーラは唸るように言った。
「座学はさっぱりだけどな。算数の九九も怪しいレベル」
「そのくらい、できる」
「嘘つけ! 私がこの前に勉強みてやったとき、変な暗号みたいな解き方してただろ。九九できるやつはあんなことしないんだって」
「あれは偶然」
「算数の解き方には、偶然とかないの! だからさあ、まず――」
「どっちでもいいから、黙って聞いてくれ。時間がもったいない。次から喋るときは手をあげて喋れ」
不毛な議論に発展しそうだったので、俺は素早く判断して割り込んだ。印堂雪音はすぐに口を閉ざして俺を見上げた。
「とにかく印堂には特に問題ない。真面目に勉強しろって話だが、それは俺の仕事じゃないな」
俺が見たところ、印堂雪音は、明らかになんらかの戦闘訓練を受けていた形跡がある。それもおそらく、軍隊の。こいつにもまた、変な過去でもあるのかもしれない。
「でも、教官」
印堂雪音は、律儀にも発言の前に挙手をした。
「私はもっと強くなりたい。教官はいま私より強いので、指導してほしい」
「『いま』って言ったな? 生意気なんだよ。そのうちな」
「そのうち? いつ? 約束してほしい」
「そのうちな」
俺はその手には乗らなかった。こいつらは際限なく譲歩させようとしてくる。まだ何か言いたそうな印堂を放っておいて、問題の三人目を指差す。
「で、最後は城ヶ峰」
「はい!」
城ヶ峰は大きく挙手をした。どうやら回復したようで、印堂の隣で体育座りをしている。
「私にもお手柔らかに、かつ有意義にお願いします!」
「じゃあ、お前はぜんぜんダメ。話にならない」
「そんなことは――」
「いや、マジで」
城ヶ峰の反論めいた台詞をすぐに黙らせた。喋らせると面倒だからだ。
「相手を殺したり、壊したりする気で戦ってない」
少し考えたが、城ヶ峰のダメなところは、それに尽きる。
「お前がこの四回の組手で、一度でも攻撃に回れたか? 防御一辺倒じゃねえかよ。カウンター狙いってのは、それは別にいいよ。攻撃を捌いたあとで、相手の体ををぶっ壊せるカウンターを打てるならな」
それができないから、ただずるずると防戦一方になる。この問題は大きい。セーラは臆病な部分が彼女を極端な攻撃傾向に走らせているが、城ヶ峰はその逆だ。
「つまり、お前は相手を舐めてる。この前も思ったが、お前、人を殺したくないとでも思ってるのか? だったら勇者なんてやめちまえよ、才能以前の問題だろ。そんなの」
「ですが、師匠!」
城ヶ峰は挙手もせずに発言した。
「私は、勇者とは希望だと教わりました」
「あ?」
俺は軽い頭痛を感じた。
「誰も傷つけずに平和を築けるのであれば、それが最善ではないでしょうか? そして、我々が最善を目指さない理由とはなんでしょうか? もとより勇者とは茨の道、ならば我々は、常に最善を尽くし続ける必要があるのではないでしょうか?」
「――あのさあ」
はっきりと自覚できるほど、頭が痛かった。俺は城ヶ峰を指さしながら、彼女ではなくセーラを振り返る。
「こいつ、いつもこんな感じ、っていうかアカデミーはこういうのが基本なのかよ」
「いや、亜希は」
セーラは少し口ごもった。
「少し変わってる。悪いやつじゃないんだけど」
「だったら、お前、城ヶ峰――」
少し厳しく『教育』するべきか。いや、そもそも、そんな義理はあるか? そこまでやるだけの金を貰っているか? 頭が痛い。俺はその原因がわかっている。だから少し逡巡した。そして、その数秒の沈黙で気づいた。
「お」
かすかな音。硬質で、一定の繰り返し――かすかにくぐもったような。《E3》がなくても、このくらいは判別できる。人間の足音に間違いない。近づいてくる。
しかも、その数は複数。少なくとも二人以上。
足音の主は学園の関係者か、そうでない不法侵入者か。どっちにしても、遭遇したら困るのは同じだ。その瞬間には、もうセーラも印堂も、城ヶ峰ですら気づいた。セーラは不安そうに、印堂は無表情に、そして城ヶ峰は不満そうに、互いに顔を見合わせる。
俺はうなずいた。
「ちょうどいいな」
「師匠?」
城ヶ峰は挙手をした。
「何かお考えが?」
「まあ、こんなところを見られたらマズいよな」
俺は壁際に近づき、照明を落とした。一瞬にして、体育館が暗闇に包まれる。
「しかし、向こうは近づいてくる。どうする? はい、セーラ・ペンドラゴン」
「逃げる、だろ。ふつう」
セーラの声。俺は首を振った。
「お前、やっぱりビビってるな?」
「なんだって? おい、さっきからあんた――」
「挙手してから喋れって。一石二鳥の計画がある。これから近づいてくるやつが警備員でも、居残ってた教師でも」
足元に転がしておいた、バスタード・ソードを模した剣を手に取る。
「ぶっ飛ばして黙らせよう。お前らも実戦を経験できるし、言うことナシだろ? しくじったら退学。緊張感があるな」
三人からの返事は沈黙だった。
「セーラも城ヶ峰も、自分の課題を解決すること。俺は基本的に手を出さない――名案だ。俺ってもしかして教師に向いてるんじゃないか?」
依然として返事は沈黙。俺はその沈黙を、肯定されているものと考えることにした。
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