3-9:はじぼく
「人違い、かな」
円藤の存在を気にしつつ、ふたりの対決をカウンターから眺めていた司が残念そうに呟いた。
対戦ゲームが『スト3』で、さらにマリアを選んだ時は「おおっ!」と思ったが、それ以外は昨日ゲーセンで見た達人とまるで違っていた。
「これは期待外れだったにゃあ」
葵は「ダメだこりゃ」とカウンターにぐてーと上体を投げ出す。
いい勝負をしているように見えるが、これは美織の常套手段。上手く接戦を演出しているに過ぎない。
もし彼女がゲーセンの達人ならば、いくら美織でもこんな余裕はないはずだ。
「似てると思ったんだけどなー」
つかさちゃんもそう思うでしょとの言葉に、司は曖昧な表情を浮かべる。
正直なところ、昨日も黒い長髪の後姿しか見ていない。それだけなら確かに似ていた。
でも、キャラの動き、そして何よりゲームに対する姿勢が違いすぎる。
昨日見た人はまるで切れ味鋭い刀のように背筋をピンと伸ばしてプレイしていた。
その姿が纏う緊張感が、今の女性からは微塵も感じられない。
「さて、それじゃあつかさちゃんの言うライバル店の怖い人でも誘惑してこようかなー」
壇上の対戦に興味を失った葵が、上体をゆっくり起こした。
司が知る限り、円藤がぱらいそにやってきたのはこれが初めてだ(実際はリニューアル前にも来ているのだが)。
だから円藤のことを知っているのは司だけで、葵には先ほどのやりとりを含めて軽く説明してみた。
すると「ふーん、つかさちゃんに発情したのかな? よーし、だったらあたしもチラリと太腿でも見せて対抗してみよう」と葵が怖いもの知らずなことを言う。
その時は冗談だと思ったが、どうやら本気だったらしい。
「やめておいた方がいいよ、葵さん」
「なんで? もしその人が欲情に負けて襲い掛かってきたら、ライバル店の信頼を挫くチャンスじゃん!」
「それはないですよ」
円藤は全国展開しているチェーン店の店長だ。いくらなんでも葵の誘惑で我を忘れるなんて考えられなかった。
だから司はすぐに「それはない」と答えたのだけれど。
「なんだとー? つかさちゃん、自分がカワイイからって調子に乗ってるよね?」
葵がつっかかってきた。
「よし、決めた。あたしのお色気でその人を発情させてやろうじゃないのさ。穿いてないモドキ、舐めんな!」
どうやら「それはない」を「葵には絶対無理」と勘違いしたらしい。
いやいやそうじゃなくて、てか葵さん、いくらぱんつが見えない構造になってるからってスリットを持ち上げるのやめてくださいよと司が赤面して視線を逸らしつつ、お願いした時のことだった。
あははははははは。
突然、店内に美織の笑い声が響き渡った。
驚いて壇上に視線を向けると、美織が相手の女性の肩を叩きながら爆笑している。
「なにがあったんでしょう?」
「さぁ?」
ワライタケでも食べさせられたんじゃないと葵が無茶苦茶なことを言う。
「ちょっとー、葵―!」
笑っていた美織がカウンターの葵に呼びかけてきた。
「げっ!」
葵がすかさず司の後ろに隠れて「あたしにも食べさせるつもりだ。お願い、つかさちゃん、あたしは急病で早退したって答えて」とか言ってくる。
「葵、あんた、この人の買取査定やってるでしょー? いくらになったか教えてー」
だが、葵の予想に反して美織の要求は至極まともなものだった。
葵はぽかんとしつつ、買取伝票を手に取る。
三本で千二百円。どれもあまり売れ線商品じゃなかったから妥当な金額だ。
本来ならお客様の買取金額なんて大声で言うものではない。
が、ぱらいそでは美織が法律。
葵は乞われたまま、金額を大声で言い返した。
「ふーん、千二百円か。正直、そんな値段の商品なら別に欲しくもないんだけど」
美織がリサイクルショップにはあるまじき発言をする。
「まぁ、でも、くれると言うのならありがたく貰っておくわ」
そう言いつつ美織が感謝の気持ちの欠片もない、強欲な笑みを浮かべた。
「いいわ。その勝負、受けてやろうじゃないの。私が勝ったら、あんたが持って来たソフトはタダでいただく」
「けど、オレが勝ったら五倍の金額で買い取ってもらうぜ?」
美織の返答を受けて対戦者の女性が、椅子に深々と腰掛ける。
ぴんと伸びた背に、司は思わず「あっ」と驚きの声をあげた。
買取金額五倍か、あるいはゼロか。
もはや買取キャンペーンでもなんでもないギャンブルが始まった。
運命の第三ラウンド。
ファイトの声が轟くと同時に、画面にも異変が起きていた。
「……やっぱり。あんた、実力を隠してたわね?」
「そっちこそ、まだ全然本気出してないだろ?」
すっと女性の目が細まる。
「こっちは本気のあんたを倒さなきゃいけない事情があってね。悪いけど
それまでのファイトスタイルとは違い、まるでプレイヤーと一体化したかのように女子プロレスラーがスタート位置から微動だにせず静かに構えていた。
その姿は、目の前でちょこちょこ動き回るJK格闘家をどうやって料理してやろうかと見定めしているかのようだ。
(やっぱりこいつが葵たちの言ってた奴ね)
聞いていた容姿と使用キャラから、美織は最初からなんとなくそんな気がしていた。
実際に戦ってみても、何か隠しているのを感じる。そこへ突然「勝てば五倍、負ければタダ」なんてよほど自信がないと口にしないギャンブルを持ちかけてきた。
決まりだ。
(で、司の話だと見切りがスゴイんだっけ?)
試しにぎりぎり届かない距離から弱パンチを放ってみる。
相手はピクリとも動かなかった。
(誘いには乗ってこない、か)
こちらの弱パンチでは相手に届かない。が、相手の中キックならば、こちらに届くはずだ。
だからパンチの出終わりに中キックを出してきたら、すかさずカウンターを喰らわせようと狙っていたのだが、そうはいかないらしい。
(んじゃ、これは?)
美織は自キャラを一歩後退させ、すかさずコマンドを入力する。
かすかに引いた拳から光のエフェクトが零れ出す。烈気弾という名の、放出系コマンド技だ。
(ふむ。当然こいつへの対応もばっちり、と)
相手が操るマリアが、体を回転させて裏拳を出してくる。
マリアの裏拳は技の出がかりに一瞬の無敵状態が存在する。放出攻撃で無駄なダメージを受けないために、マリア使いなら絶対身につけなければならないスキルだった。
(でも、これはどうよ?)
体を一回転させて二歩ほど前進する性質を持つマリアの裏拳。
今回の場合だと烈気弾をかわしつつ、裏拳を美織のサナカにぎりぎり当てることができるのだ。
しかし、それは美織も計算済み。だからこそ一歩だけの後退である。
(よし、ここだ!)
迫り来る裏拳に対し、美織がコンマ数秒で反応した。
画面に稲妻のようなエフェクトが走る。
相手の攻撃が当たる瞬間にコマンドを入力することで成立する
その名の通りブロックしつつ、相手にカウンター攻撃を繰り出すことができる。
「いただき!」
すかさず美織は弱パンチを放つ。これは楔。コンボ技の始まりであり、相手の絶対的な自信を打ち崩す第一歩である……はずだった。
「なっ!?」
次の瞬間、思わず美織は驚きの声を上げていた。
それは美織だけでない。
美織の弱パンチに、再び稲妻エフェクトが画面をフラッシュさせたことに観客も驚愕した。
(あのタイミングでこちらの弱パンチにCB? こいつ、やるじゃない!)
攻守逆転で今度はマリアの弱パンチが、美織のサナカを襲う。
ヒット!
重量キャラの攻撃に一歩後退し、ぐらついたサナカにマリアがコンボを狙ってくる。
(やらせるかっ!)
最初の弱パンチには反応が間に合わなかった。
だから狙っていたのはコンボに来る二度目の攻撃。ここでCBを決めて状況をひっくり返してやる。
三度走る稲妻。今度は先ほどよりももっと早く弱パンチを入力する。
ヒット!
軽量キャラゆえに相手を後ずさりさせることはないが、のけぞらせることは出来た。
(面白い。とことん付き合ってもらうわよ!)
美織がチロリと舌を出して、上唇を舐めた。
長い戦いだった。
幾度となくフラッシュする画面。
めまぐるしく交代する攻守。
お互いに小さな攻撃は許しても勝敗を決める大技は封じ込め、勝負の行く末に誰もが固唾を飲んで見守っている。
しかし、戦っているふたりにはすでに結末が見えていた。
「たいしたもんね。あんたほどの奴がこの町にいるとは思ってなかったわ」
「…………」
「最初のCBには驚かされたしね」
「…………」
「そしてCB対決に持っていきつつ、体格差を生かして相手をステージ端へと追い込む戦略も見事だわ」
「…………」
「……なによ、人がせっかく褒めてあげてるんだからちっとは喜びなさいよ?」
「……くそったれ」
美織の横で、女性が忌々しそうに言葉を吐き出した。
「あんたこそ何様のつもりだ? このオレをここまでコケにするヤツなんて初めてだぜ」
「あら?」
美織は一瞬呆けた顔をするも、すぐにクスっと笑い出した。
「分かるんだ?」
「分からないはずがないだろ? だってあんたさっきから」
「おっと、そろそろ終わるわよ。最後ぐらい派手にやりなさい。だって」
美織が画面を一切見ることなく、女性の言葉を遮った。
そう、美織は途中から画面ではなく、隣に座る女性を観察していた。
なのに画面上ではそれまでと変わらない激戦を繰り広げている……。
「裏事情はともかく、あんたが私を打ち負かせた第一号になるんだから」
美織の言葉に刺激されたのかは誰にも分からない。
ただ、サナカをステージの端に追い詰めたマリアは超必殺技を発動させた。
ステージ端という逃げ場のない状況での、しかもCBからの投げ技である。美織にはどうしようもない。
画面に映し出される『2 PLAYER WIN』の表示に、店内が歓声ともどよめきともつかない騒ぎに包まれたのは数秒後のことだった。
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