3-5:最強少女とコロッケ!

「おーい、みんな席につけー」


 しばらくすると若い男の先生が教室に入ってきた。

 知り合い同士で話していた連中が、慌てて自分たちの席へと着いていく。

 その中でひとつだけ、いつまで経っても埋まらない席があった。


「せんせー、あたしの後ろの人がいないんですけどー」


「ああ、その席……いや、霧島はちょっと事情があって五月からの登校となるんだ」


 葵の質問に先生はさらりと答えるも、その素っ気無さがかえって「この話題には触れるな」と言っているようだった。

 家庭の事情だろうか。だとしたらこれ以上の詮索は野暮――。


「せんせーい、こいちゃんは何も悪くないと思いまーす!」


 と、不意に司の後ろに座る九尾が声をあげた。


「俺が聞いた話では、恋ちゃんをいじめようとした先輩たちが逆に叩きのめされただけでしょう? なのに恋ちゃんが停学ってのはおかしくありませんかー?」


 九尾の言及にクラスがざわついた。


「停学? ここ進学校だよね?」


「しかもイジメって」


「でも、あいつの話が本当なら停学はおかしくね?」


 ざわめきがどんどん大きくなっていく。


「み、みんな、ちょっと静かに」


 思わぬ展開に、先生が狼狽した声を張り上げた。


「実は僕も今朝知らされたんだ。昨日起きたことだし、正直に言うと事件そのものもまだ詳しくは分からない。だが、霧島も今回のことを反省し、処分を素直に受け入れたと聞いた」


 知らなかった、~と聞いた、では、あまりに無責任すぎやしないか。

 そう思った生徒たちが、矢継ぎ早に詳しい説明を求める。

 でも、実際に先生は詳細を知らされていないようで、代わりに九尾が知る限りの情報をみんなに話し始めた。


 どうやら霧島恋きりしま・こいという女生徒は、空手部の特待生らしい。

 歴史ある道場の一人娘ではあるが、表立った大会に出たことがない。そんな彼女の実力を試そうと先輩たちが無理矢理試合を組み、結果、ボロボロにされてしまったのだそうだ。


「しかもよ、試合前に『我が霧島格闘術は実戦を想定したものです』って冷静に言い放ったらしいぜ」


 おおおおっ。


「それでも最初は先輩たちも鼻で笑っていたそうだ。が、ひとり、またひとりとやられていくにつれて、先輩たちは焦り始めた。そしてとうとうみんなで一斉に襲い掛かったんだ」


 お?


「ところが流石は霧島最強流。むしろ一対多こそ本領発揮とばかりに、恋ちゃんのギアが上がった。結果、先輩たちがボロ雑巾へ変わり果てるのに一分とかからなかったそうだ」


 おおおおおっ!


 九尾の話にクラスがおおいに沸いた。

 葵も「スゴイ、すごーい!」と大はしゃぎだが、司はどうにも九尾が話を盛りすぎてるように思えて仕方がない。

 そもそも『霧島格闘術』だの『霧島最強流』だの、用語の揺らぎが激しすぎないか?


「もちろん喧嘩両成敗ってことで、上級生たちも停学の処分が下されている」


 九尾の話が終わるのを受けて、先生が付け加えた。


「こんなことを言っては立場上よくないんだけど、僕も霧島の停学はどうかと思う。だけど彼女自身も罪を認めているんだ。それに……実は霧島のヤツ、今朝から姿を消したらしい」


 クラスがまたどよめく。


「姿を消したってどういう意味ですか!?」


 皆を代表するように九尾が声を張り上げた。


「寮の部屋に『修行に行ってきます。停学明けには戻ります』と一言だけ書かれた置手紙があったそうだ。行き先は……現在捜索中だ」


 おおおおおおっっっ!!


 教室がこの日一番の盛り上がりをみせた。


 かくして霧島恋という女生徒はまだ姿を見せぬうちから『伝説の格闘術伝承者』だの『私より強いヤツに会いに行く』だのと噂されるのだった。




 いきなり格闘少女の伝説が生まれてしまったとは言え、それ以降はごく普通の高校生活一日目だった。


 体育館で入学式。

 教室に戻って自己紹介。

 明日からの予定通達。そして解散。

 親睦を深める為にカラオケでも行こうぜーって声が上がったものの、だったら霧島さんの停学が空けてからで良くねってことで今日はそのままお開きとなった。


「んー、司クンも今日はお休みだよね?」


「はい。高校の入学式って大切な日なんだから今日はいい、って」


「じゃあさ、一緒に買い物に行こうよ」


 葵はにんまり笑うと、誰にも聞かれないよう司の耳元に囁きかける。


「そろそろ上の方も欲しくなってきたんじゃない?」


 司は一瞬何のことか分からなかった。

 上? Tシャツかなにか? と思いを巡らせるも、それでは葵の様子に説明がつかない。

 こんな表情の時は決まって何か悪企みを……あっ!


「いらないいらない、ブラジあわわわ」


 思わず大声でブラジャーと言いそうになって、司は慌てて口を噤んだ。

 突然の大声にクラスメイトの何人かが司に振り返ったものの、すぐ興味をなくしたように視線を外した。


「いきなり何を言うんですかっ! いらないですよ、そんなのっ」


「あはは、冗談だよ、ジョーダン。でも一緒にお休みなんてあまりないだろうし、せっかくだからどこか行こうよ!」


「ちょっと待ちな、おふたりさん。誰か大切な人を忘れちゃいないかい?」


 そこへ後ろから声をかけられた。


「大切な人って誰のことさ、クラスメイトA君?」


「クラスメイトAじゃねーよ! 九尾健太だよ! 勝手にオレをモブキャラにするな!」


 相変わらずうるさい九尾である。


「てか、なになに、どこか行くの? 俺も行きたい!」


「なんであんたと?」


「冷たいなぁ。同じクラスメイトじゃねーか。それにお前、俺のことをよく知らないだろ?」


「ぱらいその常連で、美織ちゃんに連戦連敗。情報通でおしゃべり。これだけ知れば充分じゃん」


「くっくっく、やはりな、お前は俺の裏の顔を知らないらしい」


「裏の顔?」


「そうだ!」


 怪訝そうな表情の葵に、九尾は拳を握り締めて高々と頭上へ突き上げた。


「俺は何を隠そう『あなたの街のお肉屋さん・肉の九尾』の一人息子なのだ!」


 ……だからどうした?

 葵はますます眉をへの字に変えた。


「いいか、よく考えてみろ。この辺りで遊びに行くと言えば、当然駅前まで出ることになる。まず飯を食べ、次に買い物やらゲーセンやら楽しんでいると、あら不思議、昼飯で膨れたはずのお腹がまたぐーぐー鳴り出すじゃないか。

 するとそこへ偶然前を通りかかった『肉の九尾』から、うちのかあちゃんが『あら健太の友達かい? よし、お近づきの印だ、これを持っていきな!』と揚げたてほやほやのコロッケを差し出してきて……って、ちょっと! 俺を置いて帰るなよっ!」


 いつのまにか葵たちは九尾を放置して、教室から出ようとしていた。

 急いで九尾も鞄を手にして追いかける。


「ご、ごめんね。だって九尾君、話が長いから」


 どうして付いて来るかなーってジト目の葵に代わって、司がごめんごめんと謝りながら代弁した。


「だからって黙って帰られたら悲しくなるじゃねーか。それから香住、俺のことは健太って呼んでいいぞ。なんせ俺たち、友達だからな!」


「あ、うん。じゃあ僕のことも司って」


「それはダメだ。お前のことを司と呼ぶのは、マイエンジェルつかさちゃんへの冒涜に他ならない」


 だから俺はお前のことを香住って呼ぶと、九尾は決して譲らない。

 だったらその『マイエンジェル』ってのもやめてくれないかなと司は抗議したいところだ。


「てか、お前ら付き合ってんの? だったら俺も空気を読むけど」


「えっと、別にそういうわけじゃ……」


 九尾の質問に司は語尾を濁ませて、葵のほうをちらりと見た。

 葵はなんだか不機嫌そうだ。


「だったら俺も一緒に飯を食って、ちょっと遊ぶぐらいいいじゃん?」


 司は別にそれでもよかった。

 でも、葵はどうも九尾の同行を快く思っていないらしい。

 どうしたものかと司が考えていると、意外なところから助けが入った。


「あ、肉屋の健太君じゃん」


 見れば背の高い女の人が「来たれ! バスケット部!」と書かれたプラカードを片手に声をかけてきた。


「あ、どもチース!」


 九尾が頭を下げる。


「あんたの頭でもここに入れたんだ? 大丈夫かな、うちの学校」


「先輩、俺をナメちゃダメですぜ? 俺、こう見えて昔から一発勝負には強いんスよ」


「は? あんたが一発勝負に強い? 中学時代、緊張してフリースローを外しまくってたあんたが?」


 こりゃあ傑作だわと女の先輩は笑った。


「あんたはやっぱりお店でコロッケ作ってる方が似合ってるわよ」


 先輩の顔が突然ふにゃんと柔らかくなる。


「ああ、思い出すだけでもたまらない。あの絶妙な揚げ具合、噛むと染み出す肉汁のジューシーさ、ほくほくとしたジャガイモの触感も心地よく、たかが普通のコロッケなのに、あんたの店のは全然違うのよねぇ」


 先輩の喉からごくんと音がした。


「今日も帰りに寄っちゃおうかな。じゃあね、健太君」


「うっす、毎度。先輩も勧誘頑張ってください」


 そう言って立ち去っていく女の先輩。

 その背中を司は恨めしそうに見つめた。

 せっかくなら九尾を勧誘して無理矢理連行していってくれないかなと思っていたのだが、どうやら期待はずれだったようだ。

 

「じゃあ行こうぜ」


 おまけに九尾は同行するのが決定事項とばかりに開き直る。

 ああ、もう一体どうすれば……。


「うん、行こう!」


 葵がいきなり元気よく宣言した。

 さっきまで九尾と一緒するのを嫌がっていたのに、一体どういう心変わりなんだろう?

 司は驚いて葵に振り返り――そして見た。


「よし、その絶品コロッケを堪能するぞー!」


 葵の口元から涎が垂れ落ちそうになっていた。

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