1-7:メイド・イン・ヘブン

 ライバル店に向かった時は自転車だった。

 なのに今、司は車に乗せられて、ぱらいそへ帰ろうとしている。

 ハンドルを握るのは、ライバル店のエリアマネージャー・黛。終始無言で目的地目指して車を走らせる。

 そして司はというと、すっかり顔を青ざめて


(どうしよう、どうしよう。とんでもないことになっちゃった)


 と後悔し続けているのだった。


 司は甘く考えていた。

 美織の考えたチラシを前に、相手は何も出来ないだろう、と。

 ところが。


(ああ、僕のバカ。捕まっちゃ絶対にダメだったんだ)


 司を人質にした黛の要求は、ぱらいその信頼をがた落ちにさせるに十分すぎるものだった。

 あんな張り紙をしては、もう今後ぱらいそが何をやってもお客様には信じてもらえなくなる。

 それこそ終わりだ。


 かと言って黛の要求を退ける妙案なんて、司はまるで思いつかなかった。




「……うわぁ」


 ものの数分で迷うことなくぱらいそに到着し、黛に促されて外へと出た司は思わず感嘆の声をあげた。

 いつもはがらんとしているぱらいその駐輪場に、埋め尽くさんばかりの自転車が山を成していたからだ。


 どうやらチラシ効果は既に絶大らしい。


「…………」


 先に外へ出ていた黛が無言のまま、逃がさないとばかりに司の手首を強く握り締めてくる。

 司が顔を顰めても無視し、ズンズンと入り口へ。

 あまりのスピードに司は転ばないよう、足元へ注意を向けるので精一杯だった。

 だから。


「……なんだ、これは?」


 窓越しに店内の様子を見た黛の絶句の理由を、司は咄嗟に理解出来なかった。

 分かったのは自動扉が開いた瞬間のこと。

 尋常ならざる賑わいの声が耳朶を打ち、驚いて顔を見上げるとそこには想像を遥かに超えるお客さんたちが群れを成していて、


「いらっしゃいませー、ぱらいそへようこそん♪」


 さらには両肩と胸元を大胆に露出したメイド服姿の女性から、満面の笑みで歓迎されてしまった。


「って、なんだ、つかさ君じゃない。やほー。約三日ぶりの再会だね。元気してたー?」


 しかもちょっと目のやり場に困る姿のメイドさんが、笑顔三割り増しで司に手を振ってくる。


 当然だが、司にメイドの知り合いなんていない。

 だけど外側にふわっと広がるショートカットを栗色に染め、人懐っこい目尻、笑顔をより一層際立たせる笑窪、白い歯も眩しい口元には見覚えがあった。


「な、なっちゃん先輩!?」


「はい! なっちゃん先輩ですよー!」


 服装こそいつもと違うものの、ぱらいその紅一点・女子大生バイトの波津野奈保なつの・なほだった。

 バイト暦はちょうど一年。ゲームにはあまり関心がなく、興味があるのは――


「おおっ、高級スーツを纏った、いかにも仕事できます系イケメン発見!」


 諸手を挙げて司に抱きつこうとした奈保は、しかし、隣に立つ黛を見て標的をすかさず変更。

 どうしてそんなところに入れているのか理解に苦しむが、胸の谷間から名刺を取り出すと


「どーも、私、波津野奈保って言いますー。なっちゃんって呼んでくださいねー」


「…………」


 眉間に皺を寄せる黛に物怖じすることなく、奈保はその手を取って名刺を握らせた。


「それからもし良かったら、これにちょこちょこっとサインしてくれるとなっちゃん嬉しいなー」


 そしてエプロンのポケットから取り出した一枚の紙切れ。既に奈保の名前と捺印がされたそれは……。


「いや、結構。間に合っている」


 まごうことなき婚姻届だった。


 そう、日頃から婚姻届を持ち歩く奈保の興味ごとは、いわゆる「玉の輿に乗る」こと。

 どうしてそんな奈保がぱらいそでバイトしているのかは、ぱらいそ七不思議のひとつとされている。

 噂ではぱらいそのオーナーである店長、すなわち美織の祖父で、司をバイトに誘ったマスターが目当てではないかと言われているが……。


 ま、それはともかく。


「まったくチラシといい、店員の格好といい、ぱらいそさんの店長は一体何を考えているのですか」


 残念そうに婚姻届をポケットにしまう奈保を尻目に、黛は店内をぐるりと見渡した。


 マンションの一階フロアをほぼ全部使用しているぱらいそは、個人経営の店にしてはかなり広い。

 が、子供でも出来るだけ商品に手が届くよう、陳列棚を低めに設定していることもあって、見晴らしは良かった。


 おかげで入り口からでも、黛は全体像を容易く把握できた。

 店員の格好はアレだが、見る限りは普通のゲームショップだ。


 ただし、ある一部分の狂乱を除いては……。


「ひとつとても気になるところがありますが……とにかく、店長はあちらの方ですね?」


 黛が敢えて気になるものを無視して視線を飛ばした先は、レジカウンターだった。

 そこにもひとり、奈保と違って大人しく清楚な感じのメイド服を身に纏った女性が、にこやかに接客をしている。


「あ、いえ、あの人は……」


「え? 店長ではないのですか?」


「……はい」


 司の返答に、黛は信じられないと今一度カウンターの女性を凝視した。

 つられて司も、店内で唯一まともに働いている彼女――久乃に視線を向ける。


 美織と違って、おっとりした性格の人。

 それが久乃に対する司の印象だった。

 だからレジを任せても


「いらっしゃませぇ。これ、うてくれるん? ありがとなー。さてレジは一体どうするんやったっけー」


 久乃には申し訳ないけれど、こんな感じだと思っていた。


 ところが今カウンターに立つ久乃は、まるでベテラン店員の如くてきぱきとお客様を捌いている。

 どこに何があるのか完璧に把握している無駄のない動き。

 機械の如く淀みのないレジ打ち。

 それでいて常に柔らかく自然な笑顔を浮かべ「ただ商品を売るだけの接客」になっていない。


「どう見ても彼女が店長だと思うのですが……」


 黛の所感はもっともだ。


「しかし、となると店長は……」


 まさかとばかりに黛は、奈保に疑わしい目を向ける。


 ……さすがにそれはない。


「美織ちゃん、あ、えーと、店長はあの子ですよー」


 しかし奈保はそんな黛の視線を気にする事なく、あっけらかんとして店内最大の混沌カオス、歓声と狂乱の発生場所を指差した。

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