5-9:復活の呪文が間違っています

「葵、あんたねぇ、なんでこんなのを描いてんのよ?」


 深夜のリビング、ソファーに座った美織は同人誌をひらひらさせながら、床に正座させた葵を見下ろした。


「いやぁ、まぁ、いろいろ事情があってね」


 気まずそうに視線を避け、誤魔化す言葉を並べる葵に美織は小さく溜息をつくと、今度はその横、やはり正座で小さくなっている司に軽蔑の眼差しを向ける。


「で、司、あんたは休みを取ってまでこんなのを買いに行ってたんだ?」


「えーと、その……はい、すみません」


 司は素直に謝るしかなかった。恨むべきは自分の軽率すぎた言葉だ。


「ったく男ってのはどうしてこうも下半身で行動する生き物なのかしらねー」


 美織は同人誌の内容を思い出し顔を顰めてみせる。そして


「とにかくこの本は私が」


「あかんて。うちが没収する」


 美織が懐に収めようとした同人誌を、後ろに立っていた久乃がひょいと取り上げた。


「ああっ!? ちょっと久乃、返しなさいよ」


「美織ちゃんも未成年やん。こんなの見たらあかんでぇ」


 ただでさえエロ親父っぽいんやから、とぐうの音も出ない一言で美織を黙らせる久乃。


「それから葵ちゃんも、こんなのを描いたらあかんやん」


「えー、でもー」


「高校生が描くもんやないやろ」


「それなら大丈夫。あたし、中学の頃から描いているし」


「なにが大丈夫やのん!?」


 丸めた同人誌で、久乃は葵の頭をぺちこんと叩いた。


「中学からって、一体なんでそんなことになったんや」


「いやー、ネットに描いた絵を公開してたらスカウトされちゃってさー。で、『エロ同人誌を描いたら有名人になれる』って言われたんだよ」


「言われたんだよ、じゃないやん。そこはちゃんと断わらんと」


 久乃は呆れて頭を振る。

 その横で美織がぴかーんと目を光らせた。


「そう言えば有名同人作家はイベントで凄い売上げをあげると聞いたことがあるわ。葵、あんたはどうなの? 儲かってんの?」


 さすが商売人、儲け話にはガツガツいく。


「んー、あたしは描くだけでコミラには行かないからよく知んないけど、そんなに売れてないと思うよ。発行部数も少ないし」

 

「え!? そんなわけないですよ。だってぷるぷる堂って正面シャッターサークルですよ?」


 葵の言葉に反応したのは、唯一葵が所属しているサークルの規模を知っている司だ。


「シャッターサークル? なによそれ?」


「シャッターサークルってのは、その名前の通り会場の正面シャッター前にスペースを配置されるサークルのことで……つまり簡単に言えば一日に数千冊も捌くような超大手ですよっ!」


 シャッター前の重要性を話してもピンと来ていない様子を見て、司は具体的な数字を出して説明した。


「数千冊!? マジで!?」


 その数字に驚いた美織は、久乃から同人誌を奪い取ると「これ一冊幾らなの?」と葵を問い詰める。


「え? あはは……知らないデス」


「あんた、自分の同人誌のくせに何も知らないわねっ!」


 ばちこーんと今度は美織が葵の頭めがけて丸めた同人誌を叩き込んだ。


「えっと、確か五百円です」


 あいたーと蹲る葵に代わって、司が答える。


「たっか! こんな薄いのに!? てか、なんであんたが知ってるのよ?」


「その、僕も買ったので……」


「ああ、そう言えばあんた、わざわざ現地に行ってまでエロ本を買ってくる変態だったわね」


「変態って……」


「まぁ、いいわ。それよりこの本は実際どれくらい売れてそうなの? さっき葵は少ないって言ってたけど」


「んー、さすがに詳しくは……葵さん、具体的な数字は聞いてないんですか?」


「え? えーと、どうだったかなぁ。ちょっと待ってくれる?」


 一度部屋に戻ってスマホを持って来た葵は、チャットアプリを立ち上げると履歴を調べ始める。

 そして見つけ出した販売冊数のやり取りに、一同は思わず絶句した。


「百冊!? さっきの司の話と全然違うじゃない!」


「僕も何時間も並んで買ったぐらいですから、さすがに百冊ってことは……」


 確実に桁がひとつは違う。


「なぁ葵ちゃん、これまで執筆料はどうなってたん?」


「……ほとんど利益が出なくて、出てもコミラの後の打ち上げで消えるぐらいだって言うから……」


「つまり貰ってなかったんか」


 溜息をつく久乃に続き、美織も「アホねー」と追い討ちをかける。


「てか、ぷるぷる堂の『ぷるぷるさん』って超人気絵師ですよ? ネットでも検索すればすぐ出てくるのに、知らなかったんですか?」


「ぷるぷるじゃないよ……ぶるぶる、なんだけど」


「はい?」


「だーかーらー『ぷるぷる』じゃなくて『ぶるぶる』なんだってば」


 なんでも葵→あおい→青い→ブルー→ぶるぶるらしい。

 そう言われてみれば、と同人誌を見るとなるほど描かれたロゴは『ぶるぶる堂』とも読める。

 が、同時に『ぷるぷる堂』とも見える紛らわしいロゴで、巻末の作者サインも同じだった。


「だけど会場でも『ぷるぷる堂の新刊はこちらでーす』って言ってましたし、世間一般にも『ぷるぷる』って認識されてますよ?」


「葵、あんたさぁ、そのロゴやサインもサークル連中からこれを使えって指定されたんじゃない?」


 美織に言われて、はっとした表情を浮かべた葵は文字通りぷるぷると震えてコクンと頷いた。


 ウソの発行部数を教えられ、巧妙に作者名由来のサークル名まで変えて、葵がネット検索してもその人気ぶりが分からないようにされていたりと、これは……。


「葵、あんた騙されてるわよ!」


 司と久乃が言い辛そうなのをよそ目に、美織は葵の額を「ほわたぁ!」と指先でつついて言った。


 口撃力は最強だが、小柄ゆえに物理攻撃力はほとんどない美織。

 それでも葵はバンザイして仰向けに倒れた。


 慌てて司が寄り添うも、ショックのあまり葵は乾いた笑い声さえあげられない。


「くっくっく」


 が、美織は笑いを堪えきれないようだ。


「店長、さすがに笑っちゃ葵さんが可哀想」


「馬鹿ね、司。これが笑わずにはいられないってーの!」


 司の非難を一蹴すると、美織は突然がばっと床にしゃがみこんだ。

 そしてショックで呆けている葵の上体を無理矢理引き起こすと、その両手を握り締める。


「葵! あんたを見い出した私の目はやはり間違ってなかったわ!」


 ぶっちゃけその健康的な太腿から元気一番娘を期待していたら、とんだ運動オンチでサギられたと思ったこともあったけど、やはり私はあんたの才能をしっかり見抜いていたのね、ああ怖い、私のホンモノを見抜く力はもはや異能の一種かも、とかなんとか自画自賛を並べる美織。

 そして。


「面白いじゃない、葵。あっちがそう来るなら『ぷるぷる』とやらの看板はあげようじゃないの。その代わり」


 美織が再度葵の額をつつく。


「こっちはあんた本来の『ぶるぶる』って看板で天下を取るわよ!」


「……どういうこと?」


「あんた、私たちの漫画を描きなさい!」


「へ?」


 また美織が突拍子もないことを言い始めた。


「そうね、第一話は潰れかけのゲームショップを救う為、店員の女の子たちがアイドル活動を始めるって展開はどう?」


 うん、それは色々とマズい。


「いいわねいいわね、ただでさえ話題沸騰しそうな題材な上に、それを人気絵師の『ぶるぶる』が描くのよ? これは売れるでしょ!」


「えっと……エロは?」


 ぎろり。


「描いちゃダメだよね、やっぱり。あははは」


 久乃に睨まれて、葵が力なく笑う。

 なんだかんだでそういう内容に興味津々なお年頃だった。


「まぁ、どうしてもと言うのなら、こいつを脱がしてもかまわないわ」


 そんな葵に、美織はくいっと首を振ってみせる。

 美織の指し示すところにいたのは、言うまでもなく司だ。


「え、ちょっと、店長、それは……」


「もちろん男の娘であることは隠さなきゃダメだけどね。で、どう葵、描いてみる?」


「描く! つかさちゃんのサービスショットが許されるなら、あたし、描くよ!」


「葵さん、なんでそんな鼻息荒く承諾するんですかっ!?」


「決まりね」


 例によって司の抗議を無視して、美織は満足そうに笑った。




 後日、人気サークル・ぷるぷる堂が突如として看板絵師・ぷるぷるの脱退と、『ぷるぷる』が今後『ぶるぶる』とペンネームを変えて活動をしていくことを発表した。


 ネットでは仲間割れだのなんだのと様々な憶測が流れたが、ぷるぷる堂はひたすら黙秘を貫く。

 その様子はまるで何か大きな力に固く口止めさせられているようだったが、世間の関心は凋落必至のサークルよりも、当代きっての人気絵師のこれからの動向に集まり、あまり深く追求されることはなかった。


 そして「ぷるぷる堂の変」と呼ばれる騒動がまだ収まりきらない中、話題の中心である『ぷるぷる』改め『ぶるぶる』が、東京郊外にあるゲームショップ・ぱらいそのテーマソングCDに付いてくる書き下ろし小冊子を手がけるという一報が発表される。


 まさに夏休みも終わりに差し掛かった、ライブ五日前のことであった。

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