5-10:震える身体

 ぱらいそが店のテーマソングを発表するミニライブをやるらしい。


 ぱらいそに偵察へ行かせたバイトの知らせに、ライバル店の店長である円藤は爆笑した。

 だが。


「……また訳の分からないことを」


 口ではそう言いながらも、エリアマネージャーの黛は円藤のように笑う気にはなれなかった。


 この夏、人気の現役アイドルを借り受けれたのは、まさに幸運としか言いようがない。

 もともとは芸能プロダクションとこちら側が協力しての、単なる話題作りだった。

 が、配属先を引き当てた円藤の店にとってはまさに起死回生、抱えている問題点を払拭する最高のてこ入れとなった。


 おかげでメイドゲームショップなるふざけた戦略を展開するぱらいそに、この夏は逆襲することが出来たのだが……。


(ライブ? どうしてそんなことを?)


 黛はオープン時のあの一件以降、ずっとぱらいそを相手にしないようにしてきた。

 何故なら黛たちにとってゲームは所詮副商材、それよりも力を入れるべきところがあるからだ。


 しかし、無視しているわけではない。

 なんせ相手はやれメイドゲームショップだ、ゲームに勝ったら買取金額倍増だと一見無茶苦茶ながらも、理に適った戦略をやってくる輩である。


 だからライブをやると聞いても、単純にこちらへの対抗心以外の何かがあるのではと疑ってしまう。


(なにか集客以外の狙いがあるのですか?)


 馬鹿馬鹿しい故に不気味。黛は不安を覚えずにはいられなかった。

 



 黛の頭を悩ませる、ぱらいそライブ。

 正直に言えば、さすがの美織とてプロのアイドルに勝てるほどの集客力が自分たちにあるとは思っていない。

 いくらメンバーの素材が良く、どれほど練習を重ねて良いライブをしたとしても、集まるのはせいぜい常連ぐらいなものだろう。


 でも、それでも良かった。


 黛の推測通り、ライブの狙いは別にある。

 それさえ達成出来ればお客さんがさほど集まらなくても、ぱらいその今後に繋がっていく。

 それで十分だった。

 

 だからその光景は、美織にしても予想外の何ものでもなかった。


「す、すごい……」


「な、なに、ビビってんのよ、司。こ、これぐらい当たり前じゃないの」


「おい、美織。そんなどもりまくりで言っても説得力ねーぞ」


 ぱらいそスタッフが住むビルの最上階、そのリビングの窓から見える眼下の光景に司たちは圧倒されていた。


 時刻は十時。本来なら開店の時間だが、今日は十二時にライブ開演、営業はその後になっている。

 にもかかわらず、店の前には既に多くの人だかりが出来ていた。

 しかもその集団は今この時もどんどん大きくなっている。最終的にどれだけの人が集まるのか、全く想像がつかない。


「ふ……ふふ、あははは! そうかぁ、私たちってこんなに人気があったのねっ!」


 思わぬ光景にがらにもなく動揺していた美織だが、しかし、すぐいつもの自信満々天上天下唯我独尊な性格に戻った。

 顔を愉悦に歪ませ、「見ろ! まるで人がアリのようだ」と高笑いをする。

 が。


「美織ちゃん、それはちょっと違うみたいやでー。みんなミニライブよりCDがお目当てみたいやもん」


 スピーカー設定のスマホから聞こえてきた久乃の声が、美織の早とちりを訂正する。

 現状の確認と整理をするために、久乃と奈保は階下に降りていた。


「CD……」


「ってゆーか、CDに付いてくる葵ちゃんの漫画が欲しくて集まってきたみたいー」


 続く奈保のレポートを裏付けるかのように、後方で「ひとり何冊まで買えるんだ?」と尋ねている声が聞こえてくる。

 単位が「枚」ではなく「冊」……何を求めているのかは明白だった。


「これはちょっとマズいでぇ。早く手を打たんとー」


 久乃の「こっちは九尾君らが何とかしてくれるらしいから、今からそっちに戻るわ」という言葉を最後に、スマホの通話が終了した。


「小冊子……」


 後に残るは、美織の茫然自失なつぶやきだけ。

 そこへ。


「ふわぁぁ、おはよー、みんな。ライブまでまだ二時間もあるのに早起きだねぇ」


 のん気なことを言って、葵が眠そうにしながらリビングに入ってきた。


「葵、あんた、とんでもないことをしてくれたわね」


「へ?」


「そうだぞ、葵。どうするつもりだよ?」


「え、いや、ちょっと待ってよ。一体何のこと?」


「葵さん……」


 いきなりの叱責に疑問符を浮かべる葵を、司は手招きする。

 誘われるがまま窓際へと近寄った葵は、眼下に広がる光景にぎょっと目を見開いた。


「なにこれ、こんなに集まってきたのー!?」


「しかもみんな、葵さんの小冊子目当てらしいんですよ」


「ヴえぇぇ?」


 驚きのあまり思わず変な声をあげてしまう葵だった。




 葵のエロ同人作家としての知名度を利用した戦略、それ自体は良かった。

 しかし、その人気のほどを大きく計り間違えた。

 ミニライブの告知をしたのはたった五日前。それがネットで広まり、まさに日本中からぶるぶるファンが集まってきてしまったのだ。


 この予想外の事態に果たしてどう対応するのか。

 一歩間違えれば炎上間違いなしの大ピンチに、美織の判断は素早かった!




「ちょっと! なんで僕のシャワーシーンなんてあるんですかっ!?」


 刷り上ってきた紙を折ろうと手を伸ばした司だったが、その内容を見るなり抗議の声をあげた。


「いやー、だって、つかさちゃんなら裸を描いてもいいって美織ちゃんが言ったからさぁ」


「ええっ!? いや、確かに言ってましたけど、だからって本当に描かなくても……久乃さんも内容をチェックしたんなら止めてくださいよぅ」


「んー、そやけど葵ちゃんが『これは絶対に必要なシーンなんだよー』って言うからなー」


「僕のシャワーシーンがどうして重要なんですかっ!?」


「ちっちっち、分かってないなぁ、司クン。あたし、これまでエロ同人作家だったんだよ。なのに裸のひとつもない漫画を出したら、どうなると思う? あたしだったら暴動を起こすね」


「でも……」


「あー、もううるさいわね! 司、男だったらケツを晒されたぐらいでぴーぴー騒ぐなってーの! それよりも今は時間がないんだから、とっとと手を動かす!」


 小冊子の内容を巡ってやりあうふたりを怒鳴りつけながら、美織はすごい勢いで紙を折り畳んでいった。


 ミニライブ後に販売予定のテーマソングCDは434枚用意した。

 えらく中途半端で、しかも何の実績もないぱらいそにしては多く感じる数だが、美織が「この数字から伝説が始まるのよ」とワケワカンナイ主張をして押し切った。


 しかし、まさかそれが全然足りなくなるとは……。

 さすがに今からCDの増産は不可能だ。もし集まった人たちのおめあてがCDならば、今頃は全員で土下座をしていたことだろう。


 が、目的がぶるぶるさんこと葵の描いた小冊子、しかも白黒のコピー本ならば話が別だ。

 これなら今から大急ぎで刷って、みんなで手分けすればライブが始まる前に十分な数を用意することが出来る。

 本来ならCDのおまけだったが、こうなっては小冊子だけ無料配布もやむなしだ。


「ああ、僕もチェックすればよかった……」


「しつこいなぁ。そもそも司クンはいいの? あたしがつかさちゃんの裸を描かなくても」


「もちろん、いいですよ」


「そう? でもさー、司クン、あたしのエロ同人誌買ったんだよねぇ? 買いに行ったんだよねぇ、コミラまで。暑いのに。何時間も並んで」


「そ、それとこれとは話が」


「あたしさー、高校生の間はつかさちゃん以外の裸を描いちゃダメって言われたんだよねぇ。いいのかなぁ? つかさちゃんを裸にしないと、あたしのエロ描写はしばらく見れないよぅ?」


「…………いやいや。だってつかさちゃんって僕がモデルじゃ」


「あ、一瞬考えた」


「司君の男の子らしい葛藤を見てもうたなぁ」


「ちょ、ちょっとやめてくださいよ、そんなんじゃ」


「変態だな!」


「あうっ!」


「だーかーら、手を止めるなって言ってんでしょ!」


 美織が司の止まった手をピシリと打った。


「だってレンさんが変態なんて言うから」


「あんたは自分の女体化した裸の絵に興奮するんでしょ? 立派な変態じゃない」


「いや、別にそういうわけじゃ」


「てか、そう考えるとなんか凄いわね。自分の女体化に興奮する変態をモデルにした漫画を見て、集まってきた変態連中もまた興奮するんだから、もうなにがなんだか……」


「…………」


 美織の感想に、今日は多弁な司も言葉に詰まった。


「…………」


「…………」


 それを機に他のみんなも口を噤む。

 しばらく誰も話さない無言の時間が続いた。

 そう、とにかく今は小冊子を作ることが大事。それが終われば次は……。


「……あんな大勢の中で僕たち歌うんですよね」


 ポツリと司が呟いた。


「やめてよー、司クン。忘れようとしてたのに!」


「司くーん、さすがに今のはうちもどうかと思うわぁ」


 非難轟々である。


「ご、ごめんなさい」


「うわー、手が! 意識したら手が震えてきたぁー」


 葵がほら見てと震える両手を広げてみせた。


「ホントだ……」


 実は司もさっきから手が震えるのを必死に押し留めていた。

 葵のように告白しなかったのは、男の子としての意地だ。


「そうだ。レンちゃんならこういう時の対処法を知ってるんじゃない?」


 なるほど。武道家であり、肉体だけでなく精神も鍛えているレンは、多くのギャラリーを集めて『スト4』をプレイしても常に冷静沈着で緊張とは無縁のように思える。


「え? お、おう。も、もちろん、知ってるぞ」


 そのレンの声が震えていた。


「こういう時はだなぁ、手のひらに『人』の字を書いて……」


 しかもアドバイスもひどくベタだった。


「へぇ、レンちゃんも緊張したりするんやなぁ」


「だあぁ! そりゃーオレだって緊張ぐらいしますよっ!」


「でも、いつもは人がいっぱい見てても『スト4』でエゲつないコンボを決めたりするじゃん」


「アレとコレとは別! 格ゲーや空手の試合はいくら観客がいようと気にならないけど、これからあんなフリフリの衣装を着て、大勢の前で歌って踊るのかと思えば……おおう!?」


 レンが驚きの声をあげる。

 どうやら鳥肌が立っている自分に驚いたらしい。


「レンちゃんも意外と凡人だったか。となると、なっちゃん先輩!」


 葵は次の標的を奈保に定めた。


「なっちゃん先輩は緊張とか無縁そうですよねぇ。どうかひとつ憐れな子羊にアドバイスを!」


 頭を深々と下げるも、微妙に相手を馬鹿にしたような言い様である。


「んー、なっちゃんはどんな事でも楽しいって考えればいいんじゃないかなって思うよ?」


「お、なんか意外やなぁ」


 奈保の答えに久乃が感嘆する。しかし、一体なにが意外なのか。揃いも揃ってみんな奈保を小馬鹿にしてはいないだろうか。


「例えば今日のライブも、終わった後に『素晴らしいステージでした。どうか僕と結婚してください』ってセレブな人から求婚されるかもって考えたら楽しいよ?」


「あー」


 奈保はやっぱり奈保だった。

 言っていることは間違っちゃいないが、アレンジが実に奈保らしい。


「まぁでも、楽しいって感じるのは大切やねぇ。人間、楽しいから頑張れるって所はあるからなぁ」


「それは分かる気がする。あたしも漫画描くのは大変だけど楽しいもん」


「そやろ? それに楽しんで作り上げたもんを他の人に喜んでもらえるのもまた嬉しいやん?」


 葵は素直に頷いた。


「今回もそれと一緒やと思えばええんやない? 大変やったけどみんなで歌ったり、踊ったりしたのは楽しかった。そうやって楽しかったことの成果を、これだけ多くの人に見てもらえるのは緊張もするけど、同時に嬉しくもあるやんなぁ?」


 だから最後まで楽しもうって久乃の言葉は、みんなの心を勇気付けた。


「…………」


 しかし、ただひとりだけ、まだ身体の震えを止めようと必死な者がいる。


「あ、私からもひとつだけ」


 そして美織だけが、その事に気付いてた。


「歌って踊るのは楽しい、それは認めるわ。でも、私たちは自分たちが楽しいからライブをするわけじゃない。お客さんと一緒に楽しみたいから、ライブをやるわけよ。それはいつものぱらいその営業だって同じ。私たちはお金儲けでも、自分たちの楽しみでもなく、みんなで楽しめることをしたくてやってるの」


 一息入れると美織はみんなを見渡す。

 その視線が未だ緊張を押し隠そうとしている人物の前で止まった。


「言うならば私たちの仕事は、一緒に楽しんでくれる仲間をひとりでも多く作ること。そしてお客さんが仲間になってくれるかどうかは、すべて私たちにかかっている。その私たちからお客さんと距離を取っていたら、本当の仲間になんてなってくれない。もちろん色々と不安もあるけれど、それを乗り越えてこちらから一歩を踏み出す。今日はそんなライブにしましょう」


 言葉は意思を他者に伝える力を持っているが、決して万能ではない。

 いくら言葉の限りを尽くしても、伝わらないこともままある。

 だけどこの時の美織は、自分の言いたいことが相手に伝わったと確信した。

 だから微笑んで


「はい、てことで今は作業に集中! ライブまでに今日集まってくれた人全員に行き渡る量を作るわよっ!」


 話をすぱっと切り上げると、自らすごいスピードでコピー本作りに専念しはじめた。

 そんな美織に続けと、みんなも作業を再開する。


 もう誰一人、震えている者はいなかった。

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