5-11:ゲーム天国

「一体何なんですか、これは……」


 黛は車のクラクションを何度も鳴らしつつ、忌々しく言葉を吐き捨てた。


 黛は複数の店舗を担当するエリアマネージャーである。本来ならひとつの店ばかりに注力することはない。

 が、常識外れのぱらいその、これまた非常識な行動を無視することも出来なかった。


 もしも。

 万が一。

 そんなことはまずありえないが。

 それでもぱらいそのライブとやらがこちらを脅かす客数を動員することがあるのか、確かめなければならない。


 その為に今日も円藤の店へと出向き、時間を見計らってぱらいそへと車を走らせたのだが、近付くにつれて目の前に広がる光景に唖然とさせられた。

 人、人、人……まるでお祭のような賑わいだが、今日、そのような催しがあるとは聞いていない。

 唯一耳にして事と言えば……。


 クラクションを鳴らして人混みを無理矢理掻き分け、近くのコインパーキングへと車を滑り込ませる。

 そして外へ出たその時だった。


「お集まりの皆様、大変お待たせしましたーっ!」


 拡声器を通した若い女の子の声が聞こえたかと思うと、


「おおおおおおっーーーーーー!」


 まるで地鳴りのような歓声が辺り一面から一斉に湧き上がり、黛は自分の不安が的中したことに軽い頭痛を感じた。




「すごい……」


 轟く歓声に、司は再び身体が震えそうになった。

 美織に喝を入れられて克服したはずも、いざ観客の前に立つと身体中の毛が逆立つような、ぞわりとした緊張感がこみ上げてくる。

 観客の視線、声、熱気……それら全てが自分たちに向けられているという重圧。

 司は今すぐ逃げ出したい気持ちに襲われた。


「おー、よくもまぁこんなに集まっちゃってくれたわねぇ。おかげでこっちも少し焦ったわよ」


 そんな弱気な司とは対照的に、美織はどこまでも強気だ。

 二時間ほど前、続々と集結する観客にさすがの美織も動揺していた。焦りも少しどころではなかったはずだ。

 しかし今の美織はそれらを微塵とも感じさせずに堂々と、軽口まで言ってのける。


「ぶっちゃけ、こんなに集まるとは思ってなかったわ。だから悪いけど今日販売できるCDはそんなに用意してないの」


 ただ、この発言はさすがにやりすぎだった。

 八月下旬の暑い日差しの中、集まった彼らのお目当てはライブではない。

 CDだ。

 正確に言えば、そのCDに付いてくる人気同人絵師ぶるぶるが描いた小冊子だ。

 それが欲しくてやって来たのに、いきなりこんなことを言われては不満が爆発するのも仕方がない。


 たちまち周囲が怒声に包まれる。


「あー、はいはい。分かってるから、ちょっと静かにしなさいって」


 それでも美織は動じないどころか、不敵に笑ってすらみせる。 


「十分な数のCDを用意出来なかったのは謝るわ。だからお詫びにちょっと変更するわよ」


 美織が目で合図する。

 司たちは頷くと足元に置いておいたダンボールを開いて、中の小冊子を取り出した。


「あんたたちが欲しがってるコレ、CDのおまけじゃなくて、今日集まってくれた全員に無料配布するわ!」


「うおおおおおーーーーーっ!」


 うねりのような大歓声に、美織は「だから静かにしろっつーの」と苦笑いをしてみせた。




 ぱらいそは個人経営のゲームショップにしてはかなり大きい店だ。

 とは言え什器を脇に移動させてスペースを作っても、一度のライブに入れることが出来る人数は限られている。

 だから本当なら一回限りの予定であったライブを複数回行うことにした。

 小冊子の件といい、予想外の大人数にあたふたしているのは否めない。

 それでも精一杯の対応をした。

 後はライブを成功させるだけだ!


「おい、ちょっと待てよ、お前ら!」


 しかし、想定外なことはまだ起きるのだった。


 入り口で小冊子を入場者に配っていた九尾が突然声を荒げた。

 声を掛けられたのは、九尾よりも年上の二十代前半の男たち。小冊子を手にして、今まさにぱらいそから出て行こうとしていた。


「あ? なに? 何の用?」


「お前ら、ライブ見ていかないのかよ!?」


「ライブねぇ」


 男の一人が振り返りながら、口元を卑しく歪ませた。


「ライブっつーても素人なんだろ? 見る価値なんてないんじゃね?」


「それよりも近くの店に、アイドルのりさりんが来てるらしいじゃん? だったらそっち観に行くのが賢いっしょ」


「そうそう。貰うもん貰ったらこんなとこさっさとサヨナラだよ」


 男たちが小冊子を振り、小馬鹿にした言葉を並べて出て行こうとする。


「おい、ふざけんな! つかさちゃんたちがこの日の為にどれだけ練習したと思ってるんだ!」


「そんなの知らねぇよ。てか、お客様をお前呼ばわりとか、ふざけてんの?」


「俺は店員じゃねーよ。ボランティアでやってるんだ」


「んなの知るか。とりあえずどけよ」


 押しのけられそうになるのを、九尾は意地になって堪えた。


「どけ!」


「どかない!」


 入り口で繰り広げられる小競り合いに、やがて周りもざわめき始める。


「ちょっとー、なにやってんのよ!?」


 この事態に美織がステージの上からマイクで話しかけた。


「こらー、九尾、そんなところでゴチャゴチャやってたら、お客様が入ってこれないでしょーが!」


「んなこと言っても、こいつらがライブを見ずに帰ろうとしやがるから!」


「帰りたいって言うなら帰らせなさい! 見たくもない人にこっちも見せたくはないわ!」


「え?」


 意外な美織の返答に思わず言葉を失う九尾。

 その肩を男たちの一人が力強く押した。


「へっ! ほら見ろ、お店の人もそう言ってんじゃねーか」


 先ほどまでと違って踏ん張りが利かずによろける九尾の脇を、男たちが嘲りの感情を顕わにして通り過ぎる。

 男たちが意気揚々と外へ出て行くのを、九尾は悔しそうに見つめるしか出来なかった。


「おい、お前らも律儀にライブなんか見なくてもいいんだぜ? なんせお店の人がそう言ってるんだからさ!」


「なっ!?」


 それでも男たちが最後に店内へ言い放った言葉には、さすがに頭にきた。

 ぎゃはははと笑う男たちの後ろ襟を掴まえて、地面に押し倒してやろうかと九尾は右手を伸ばそうとする。


「んー、見なくてもいいんならオレも」


「欲しいものは貰ったしなぁ」


「正直、ライブの方はあんまり……」


 しかし、周りの反応が九尾を思い止まらせた。


「え? ちょ、ちょっと……」


「悪いけど、オレたちも出るわ」


 戸惑う九尾をよそに、ぞろぞろと数名の客が外へと出て行く。

 それが引き金になって、店内全体に動揺が走った。

 きょろきょろと周りの様子を見回す者。

 ヒソヒソと話し合う二人組。

 ステージの一番前に陣取っていた男も、バツが悪そうにステージ上の司たちから顔を背け、いそいそと帰り支度を始める。


「……店長」


 その光景に堪らず司は、隣に立つ美織の横顔を伺った。


「…………」


 一見すると美織の表情はいつもと変わらない。

 不義理な客たちに呆れたような表情で、冷静に状況を見守っているように見えた。


「……あ」


 ただ、マイクを持つ右手がかすかに震えているのに、司は気付いてしまった。


「美織! いいのかよ、このままじゃみんな帰っちまうぞ!」


「……いいのよ、好きにさせておけば」


「でも、あたしたちあんなに頑張ったのに……」


「そんなのお客さんには関係ないでしょ。見たくないものを、無理矢理見せるわけにはいかないわ」


「なっちゃん、あんまりこういうのは楽しくないかな」


「…………」


 奈保の呟きに、強気な美織も返答につまる。


「美織ちゃん……」


「……だって、仕方ないじゃない」


 慰めるような久乃の呼びかけに、美織らしくない言葉がとうとう零れた。


 その時だった。



『ゲームを始めよう~♪』



 ざわめく店内に、突如ソプラノの歌声が流れ始めた。

 ライブが始まったわけでもない。事実、演奏は流れていなかった。

 つまりはただのアカペラ。


 

『僕らはいつだって♪』



 それでも思わず誰もが動きを止める。

 帰ろうかどうか悩んでいた者も。

 今まさに店を出て行こうとしていた者も。

 悔しさに小冊子を配る手を震わせていた九尾も。

 そしてステージ上の美織たちも。

 声を出すどころか、息をするのも忘れて、突然聞こえてきた歌声に一瞬にして魅了された。



『共に旅し、時に競って♪』



 ライトスポットで眩く照らされた急造のステージ。

 そのステージに立ち並ぶ、今日の為に作られた衣装を身に纏ったぱらいそスタッフ。

 彼女たちも呆然と注視する中で。

 ひとりの女の子が、マイクを胸の前でぎゅっと握り締め。

 目を瞑り、頬を緩ませ、気持ち良さそうに。

 歌っていた。



『今日も楽しめる~♪』



 司だった。



「……久乃! これ、外のスピーカーで流せる!?」


「ええっ!? 外のスピーカーって、あの自治体から頼まれたヤツかいなぁ。そりゃあ出来るけど」


「よし、今すぐ流して! 早く!」


 美織に急かされて、久乃が慌ててステージからはけていく。


 司の独唱は続いていた。

 さっきまでは騒がしかった店内に、今や司の歌声だけが鳴り響き、誰もがこの突然の歌姫に釘付けになっていた。



『ゲームを楽しもう~♪』



 そしてその歌声は店内だけでなく、屋上に設置されたスピーカーから外にも流れ始める。

 ぱらいそのライブにやってきた者たちならともかく、多くの人は一体何事だと驚いたことだろう。


 だけど、嫌な気分にはならなかった。

 むしろ奇麗なソプラノなのにどこか力強さも感じる不思議な声に、誰もが耳を、心を奪われた。


「これは……」


 それは黛とて同じだ。

 ぱらいその様子を少し離れたところから観察し、必ずしも大成功とは行かなかったようだと結論付けて帰ろうとしていたところだった。



『僕らの天国はここにあるよ~♪』



 ひとしきりサビの部分を独唱すると、司はふぅと軽く息を吐き出し、かすかに高揚感で赤味かかった頬を緩ませ、閉じていた瞳を開けた。

 その場にいる全ての人の視線を受けて、緊張しないと言えばウソになる。

 でも、それ以上に今はずっと心が高まっていて、自然と零れる笑顔で高々と宣言した。

 

「お待たせしました。ぱらいそライブ、もうすぐ開幕です! みなさんどうか楽しんでいってくださいね!」

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