5-8:司と葵のシークレットサマー
お盆に入った。
ぱらいそスタッフはテーマソング発表のライブに向けて、猛特訓の日々を送っている。
が、今回はその裏にあった、もうひとつの話。
決して表に語られることのない、秘密の話をしよう。
この夏、ぱらいその実績はあまり芳しくなかった。
例のアイドルを担ぎ上げたライバル店の影響もある。
が、ライブを未だ秘密にしている現状、ここまで魅力的な夏イベントを打ち出せていないのが大きかった。
なんせここまで派手なことをやってきたぱらいそだ。
自然とお客さんの期待値も高まってしまい、いまやちょっとしたイベントでは満足してもらえなくなった感がある。
今もお盆の割引セールをしているが、お客さんの反応はイマイチだった。
「なぁ、なんで日曜日なのにつかさちゃんお休みなんだよぉ」
おまけにお目当てのつかさちゃんが急な休みを取っているとあって、さすがの九尾もテンションが低い。
「んー、まぁつかさちゃんもああ見えてお年頃だからねぇ」
「なに!? おい、ちょっと待て、それはどういう意味だ?」
思わぬ返事に、九尾はカウンター越しに葵の両肩に手を伸ばして激しく揺らす。
「うわん。やめれー。ただでさえここんとこ筋肉痛で身体が辛いんだからー」
「そんなことより、つかさちゃんがお年頃って一体どういう……まさか誰かとデートじゃないだろうなっ!?」
魂の咆哮をあげる九尾に「こいつ、つかさちゃんがどこへ何しに行ったのか知ったらどんな顔をするんだろうなぁ」と思いながら、とりあえず揺れを止めるべく拳を握り締めた。
同じ頃。
司はとある場所で、とあるイベントに参加していた。
司が親元を離れて一人暮らしを始めたのは勿論、ぱらいそで働くためだ。
でも、上京したら行ってみたいと思っていたイベントがあった。
年に二回、お盆と年末に開催される同人誌の即売会・コミックライブ、通称コミラである。
本来ならそのふたつの時期はぱらいそも書き入れ時。休みは取りにくい。
が、ライバル店のイベントによる不調が司に味方した。
さらに今日の休みを取る代わりに二日出勤日数を増やしますと申し出たところ、美織は「そこまでして何で?」って顔をしたが、深く追求せず休みを認めてくれた。
もっとも売り手でコミラに参加する葵は鋭く事情を察し、しかも司の申請した日を見てニヤニヤしていたが、司はあえて無視を決め込んだ。
司だってゲームやアニメが大好きな年頃の男の子だ。その手のものに興味がないわけがない。
かくして司はいつものぱらいそとは正反対な、実に男らしい顔付きで会場へと赴き、真夏の炎天下に数時間並んでお目当てのお宝・ぷるぷる堂の夏コミラ新刊を見事手に入れたのであった。
念願の新刊を手に入れた司は、初めてのコミラということもあって、その後もイベントを心から堪能した。
軍資金の許す限り気になった薄い本を買い漁り、コスプレヤーの姿をスマホに収め、とても充実した心持ちで帰路に就いた。
ボロアパートの一室に帰り、すぐにでも戦利品の鑑賞に浸りたいところ。
が、来たるぱらいそのライブの為に、レッスンを疎かにするわけにもいかない。
ここは気持ちを切り替え、夜のレッスンに挑んだ司だったが……。
「司、おまえ、今日はもう帰れ」
開始わずか十分でレッスンを中断したレンが、司に厳しく言いつけた。
「……え?」
「え、じゃねぇよ。めちゃくちゃ疲れてるじゃねーか。そういう時に無理すると、怪我しやすいんだぞ。悪いことは言わねぇから今日はやめとけ」
口は悪いものの、友達思いのレンらしい気遣いに、司もしばし考え込む。
「そうよ、司。疲れと怪我発生のバランスを甘く見たら痛い目に遭うわよ」
悩む司の背中を後押ししたのは、珍しいことに美織だった。
日頃はスパルタンなくせに、ここぞという時に優しさを見せるとは、美織もようやく店長らしく
「疲労度が二十パーなのに怪我する事もあるんだからね!」
うん、全然違った。
レンのは空手をやって来た経験からのアドバイスだが、美織のそれはただのゲームの話だ。
「えーと、じゃあ、すみません……」
それでも実際辛かったのだろう。
生真面目さゆえに頑固なところがある司も、ここは素直に従った。
と言っても、すぐには帰らない。
ジャージ姿ではあるものの、本番を想定して付けた鬘はそのままに、リビングのソファに腰掛けてみんなが踊る様子を見学することにする。
やはり司はどこまでも真面目君だ。
司を抜いてダンスレッスンが再開される。
フロアに流れる曲は、久乃が苦しんだ末に作り上げた、ぱらいそのテーマソングだ。
ポップでノリのいい曲は、とても素人が作ったとは思えない。
さすがは久乃、美織にして完璧超人と言わしめるのは伊達じゃない。
音楽に合わせて、奈保が考えた振り付けをみんなが踊り出す。
司から見て振り付け考案者の奈保はもちろんのこと、レンも持ち前の運動能力で見事にこなしている。
久乃も、この中では一番の年上にも関わらず、誰よりも余裕を持って踊っていた。さすがは完璧超人だ。
彼女たちに対して、美織は少し見劣りする。それでも美織が一番アイドルっぽく見えるのは、誰よりも楽しそうに踊っているからだろう。見ているだけでこちらも踊りたくなるほどだ。
そして。
「葵! 間違ってもいいから、とにかく元気と笑顔を忘れないようにっ!」
「分かってるって! てか、話しかけないで。間違えちゃうじゃん!」
美織のアドバイスに答えつつ必死になって踊る葵は、もはやヤケクソになっていた。
でも、その必死さが故に応援したくなる。
どうしてもみんなと比べて見劣りする葵に「一所懸命さと笑顔をアピール!」としつこく叩き込んだ美織の、したたかな戦略の成果であった。
「夏イベントだから、ライブは夏休み中にやるわよ!」
美織の宣言に最初はそんなの無理だと思っていたが、ここにきて出来る実感が沸いてくる。
「……ふぁ」
すると安心して気が抜けたのか、睡魔が襲ってきた。
みんなが頑張っているのに眠っちゃダメだと司は懸命に瞼を擦るも、昼間の疲れによる睡魔は最強だ。
そんな強敵に勝てるはずもなく、やがて司はソファで深い眠りの世界へと旅立っていった。
「……あ」
目を覚ますと、辺りは柔らかい闇に包まれていた。
かすかに聞こえてくる冷蔵庫やエアコンの静かな稼動音。
ぎりぎりにまで光量を絞られた間接照明がぼんやり床と天上を照らしている。
「いつのまにか寝ちゃってたんだ……」
いつも寝起きしているボロアパートと違う景色に司は一瞬困惑したものの、すぐに状況を把握できた。
身体を起こすと、タオルケットがはらりと床に落ちる。エアコンで快適な温度になっているとは言え、そのまま寝ては風邪をひくと誰かが掛けてくれたのだろう。
頭に手をやれば、鬘も取り外されていた。変に寝癖がつかないよう、これまた誰かが気をかけてくれたに違いない。
今はみんな寝静まっている時間、司はお礼を言うのは明日にして、今日のところは帰ることにした。
タオルケットを丁寧に畳んでソファに置くと、間接照明に照らされたリビングの扉へと向かう。
扉を開けるとエレベーターに繋がる廊下、その両側にはぱらいそスタッフたちの部屋がある。本来ならばどれも施錠されているはず……が、そのうちのひとつから中の光が廊下に漏れ出ていた。
葵の部屋だ。
今が何時かは分からないが、辺りの静けさから深夜なのは間違いないだろう。
連日のレッスンで疲れが溜まっているんだから早く寝た方がいいのにと思いながら、司は一声かけようとそっと扉の前で葵の名前を静かに呼んだ。
「…………」
返事がない。
「葵さん?」
もう一度呼びかける。
「…………」
状況は変わらない。
いないのだろうか?
それとも司と同じように、寝落ちしてしまったのだろうか?
司は先ほど畳んだタオルケットのことを思い出した。
今度は自分が葵に優しさをお裾分けする番。
が、そうなると勝手に葵の部屋に入ることとなる。いくら仲良くても、女の子の部屋に黙って入るのは気が引けた。
はたしてどうするべきか……。
「もうじれったいわね。襲うの? 襲わないの?」
「え? うわもぐぐぐぐ」
突然声を掛けられ、驚いて振り返ろうとしたら口を押さえられてしまった。
「馬鹿、大声を出したらみんな起きちゃうでしょ。静かになさい」
分かった? と問い掛ける美織に、司はこくりと首を縦にふる。
「ぷはぁ。店長、いつの間に?」
「ん、トイレから戻ろうとしたら、あんたが葵の部屋の前でエロそうな顔して立ってるのを見かけてね」
「そんな顔はしてませんよっ! てか、薄暗くて表情なんて分からないでしょう!?」
「ちょ、だから静かにしろっての。はいはい、冗談よジョーダン」
で、なにしてんの、と続ける美織に、司は状況を簡単に説明した。
「は? そんなことで悩んでたの?」
「でも女の子の部屋に黙って入るってマズいじゃないですか」
「んなの、相手によるでしょ。私の部屋に黙って入ったら即殺すけど、相手はあの葵よ? 問題ないわ」
そもそもあんたとはパンツを見たり見られたりする間柄じゃないと言うが、さすがにそれは違うんじゃないだろうか。
しかし、そんな戸惑う司をよそに、美織は部屋の扉をバーンと開いてしまった。
「あら? 葵にしてはちゃんと片付いているわね」
意外と呟く美織の言葉通り、葵の部屋は整理整頓が行き届いていた。
葵の性格からして、てっきり漫画やゲームが部屋の中に散乱していて、服や下着も脱ぎ散らかされているかもと司は思っていたのだが……。
「まぁ、そういうのを期待してたあんたには残念かもね?」
「な、何を言ってるんですか?」
心のうちを見透かされた言葉に、思わずキョどる司。相変わらず分かりやすい。
「で、葵はやっぱり寝落ちしてる、と」
PCの電源を入れたまま机に突っ伏して眠る葵を確認した美織は、今度こそ想像通りの結果に軽く溜息をついた。
「まったく、疲れているんだから、ちゃんとベッドで寝なさいよね」
「ほら起きなさい」と葵の肩に手を伸ばそうとする美織。
そこでふと、あるものに気付いた。
たちまち悪戯っ子な笑みを浮かべると、部屋の外にいる司を手招きする。
「どうしたんですか?」
恐る恐る部屋に入ってきた司に、美織は机の上に置かれている大型の郵便封筒を指差した。
封筒には大きく葵の名前、そして「見本誌在中」とスタンプが押されてある。
「あれ、葵が描いてる同人誌じゃない?」
「だと思いますけど」
「あんた、この子がどんなの描いてるか知ってる?」
「いえ」
「実は私も知らないのよ。見せてって言ってもなんだかんだ誤魔化すしさぁ」
美織はますます面白くなってきたと破顔し、ひょいと封筒を持ち上げた。
「ちょ、店長、中を見るつもりですか?」
「大丈夫だって、開封されてるし、黙ってれば私たちが見たなんて気付かないわよ」
司の制止をも気にせず、美織は封筒の中へ手を突っ込む。
正直なところ、葵がどんな漫画を描いているのか司も興味がある。
でも言いたくないなら、無理矢理聞く必要もないだろう。
誰だって秘密にしたいことはあるものだ。
しかし美織が言うように、今は葵に気付かれずその内容を知るチャンス……罪悪感はあるがそれ以上に好奇心が勝って、美織が封筒から同人誌を取り出すのを司は黙って見ていた。
そう、黙っているつもりだった。
「え? ええっ!?」
しかし次の瞬間、司は驚きのあまり大声をあげてしまった。
「バカっ! なんて声をあげるのよ! 葵が起きちゃうでしょ!?」
美織が慌てて注意するも後の祭り。
「ふぇ? あたしが……なんだって?」
寝惚け眼をごしごしと手の甲で拭いながら、葵がむくりと上体を起き上げる。
「あれ、司クン、どうして……? それに、美織ちゃんまで……って!」
葵の目が大きく見開かれた。
「ちょっ、それ、あたしの同人誌! なに勝手に見てんのさっ!」
ひったくるように葵は美織の手から同人誌を奪い取ると、隠すように胸の前で両手で抱え込む。
「あたしの同人誌って……じゃあ、葵さんって、まさか」
だけど司はばっちり見てしまっていた。
美織が封筒から取り出した、肌色がやたらと多い薄い本の表紙……それは昨日、炎天下に数時間並んで手に入れたものとまったく一緒。
「ぷるぷる堂の、ぷるぷるさんなんですかっ!?」
深夜にも関わらずまた叫んでしまう司に、葵は「あはは」と引き攣った笑いを浮かべる。
「もーらいっ!」
そこへ美織がすかさずアタック。
同人誌を葵から奪い返すと一気にご開帳!
「あ」
ページを開いたまま、美織が固まった。
「ああっ!」
葵の顔から血の気が引く。
「……あ、買ってよかった」
そして司は見開かれたページに思わず素直な感想を零していた。
「んー、なんなん、こんな時間に大声あげて?」
するとそこへ軽く欠伸をした久乃がやってきて、固まったままの美織からひょいと葵の同人誌を取り上げ、
「ふーん」
「鼻で笑った!?」
「そんなぁ、今回のはかなり過激なのにっ!」
未成年者たちを前に大人の余裕を見せつけたのだった。
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