5-3:あいどるますたー
「うわぁ……」
目の前に広がる光景は司の想像を遥かに超えていた。
土曜日のお昼三時。本来ならぱらいそでバイトしている時間帯。
が、九尾が持って来た情報と、店の状況から、司と奈保は美織から別の仕事を受けていた。
敵状視察である。
「ひやぁ、すごい人だかり」
「うん。オープンの時よりも多い……」
ふたりがやって来たのは、自転車で十分のところにある巨大複合店。
そう、円藤が店長を勤める店だ。
司がここを訪れたのは、開店の日以来となる。だから店内のレイアウト等ほとんど覚えていない。
覚えているのは、多くの客が列をなして並んでいる光景だけだった。
だが今、目の前に広がる光景は記憶をはるかに上回っている。
見渡す限り、人、人、人……。まるで通勤ラッシュの電車のように、店内をお客が埋め尽くしていた。
「うーん、こんなに人が多いとレジ様子が見えないねー」
「人混みを掻き分けて前に行きましょうか?」
「そうだ! 何か買おうよ。そうすれば自然とレジに行けるし!」
「でも、それだとどれだけ並ばされるか……」
司たちが視察したいのはレジカウンターの中にあった。
が、ただでさえ混み合っている中、会計を待つ列はつづら折りとなって延々と続いている。今から並んでも一時間は待たされそうだ。
「それもそうだねぇ」
司は早く戻りたかった。
そもそも美織に視察を命じられたものの、司自身はあまり乗り気ではなかった。
まぁ、土曜日の午後という稼ぎ時にぱらいそはがらがらで、ライバル店はこの盛況ぶり。無視は出来ない。
だけど、その理由を司は知っているし、所詮は一過性のもの。
しばらく猛威を振るうが、過ぎ去ればまたぱらいそにお客さんたちは戻ってくると司は信じていた。
「じゃあ仕方ない!」
そんなわけで珍しくやる気がない司の側で、奈保がぽんと手を打つと
「つかさちゃん、合体しよう!」
突然、その場にしゃがみこんだ。
「え? あ、あの?」
「あ、合体と言ってもえっちぃことじゃないよ?」
「それは分かってますよっ! って、そうじゃなくて、なっちゃん先輩がしゃがみ込むってことは?」
「うん。なっちゃんがつかさちゃんを肩車してあげよう!」
年上だから当然だよーとしゃがみながらニコニコする奈保に、司はそれでもやはり困惑せずにはいられない。
奈保は司よりも年上だが、それ以前に女装しているとは言え司は間違いなく男の子。肩車するなら、司が奈保を持ち上げるのが道理だろう。
「ダメですよ。なっちゃん先輩こそボクの上に乗ってください」
「うーん、でもなっちゃん、絶対つかさちゃんより重いよ?」
ちょいちょいと奈保が手招きする。
意味を察した司は中腰になりながら、奈保の耳に自分の体重を囁いた。
普段なら別に隠しもしないが、格好が格好なだけになんだか人前で話してはいけない気がしての行動だ。
「ほら! やっぱりなっちゃんが下だぁ!」
「ウソ!?」
秘密の囁きを聞いて何故か嬉しそうに破顔する奈保に、司は目を丸くした。
身長は……司のほうがちょっと低い。
身体つきは……司は細身だ。
それでも司は男の子。ちゃんと筋肉はある……つもり。
筋肉は重い。だから体重では司の方が……。
「なんせなっちゃんにはこれがあるからね!」
奈保がどうだとばかりに胸を持ち上げた。
……忘れていた。
「てことで、ほら早く乗りなぁ、おぜうせん」
奈保が自分の肩をぽんぽんと叩き「それになっちゃんよりつかさちゃんが見るべきだと思うんだ」なんて言われたらどうしようもない。
司は恐る恐る奈保の肩に跨った。
「じゃあ行くよー」
奈保が勢いよく立ち上がる。
司の目の前の視界が一気にぱあぁと広がり、数メートル離れたレジの様子がよく見えた。
「……凄い」
思わず司の口から感嘆の言葉が零れた。
店内は大混雑なのに、レジカウンター前はとても整然としていた。
普通これだけの大行列になると、店側は早く捌こうとして対応が雑になる。
なのに視察対象の女の子は店内で一番忙しいにもかかわらず、満面の笑顔を浮かべてひとりひとり丁寧に接客していた。
小柄な女の子だった。
腰なんかちょっとした拍子に折れそうなぐらい細い。
だけどその華奢な身体は、光り輝くほどバイタリティに溢れている。
お辞儀をする度、軽やかに背で躍動するポニーテール。。
にこやかに微笑む大きな瞳と、その魅力をさらに引き立てるえくぼ。
こんな可愛い店員に迎え入れられては、どんなに待たされても一瞬でその苦労が報われるだろう。
「これが、アイドル……」
今朝、九尾が慌てて持ち込んだ情報、それは今大人気のトップアイドル・
大手とは言え、大胆な戦略だ。
それだけメイドゲームショップに生まれ変わり、その魅力でリピーターを増やし続けているぱらいそを意識している、ということだろうか。
思わぬ対抗策に最初は驚きもした。
それでも所詮はひと夏限りのことと司は楽観視していた。
しかし、実際に見て考えががらりと変わった。
「アイドルって凄いんだ……」
懸命に働いている女の子の姿に、司は思わず呟いていた。
仲間内の贔屓目かもしれないが、ぱらいそスタッフだって外見ではアイドルにも引けは取らないと思っていた。
だけど輝く笑顔も、丁寧な接客も、親しみのある挨拶も。
全て彼女の方が遥かに上だった。
数ヶ月の実務を経て、司も接客には自信を持っていた。
でも彼女ほど全力で笑顔を振る舞い、お客様ひとりひとりに心からの感謝を伝えられているとは到底思えない。
アイドルなんて、ただ可愛いだけだと思っていた。
が、違った。
可愛い上に、全力で相手を魅了する……まさに接客のプロだった。
「おーい、そこの可愛い女の子!」
想像を遥かに超えられた衝撃と自信喪失でぼんやりとしていた司に、その当の本人がにこやかに手を振って呼びかけてくる。
「りさりんを見にきてくれたのは嬉しいけど、肩車は危ないよー?」
目の前のお客様にしっかり対応しながら、周りもよく見えている。
完敗だった。
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