4-4:余裕ッチ!
「うーん、やっぱり新品だけあって、ちょっとスティックが硬いわね」
新品の筐体を前にレバーをがちゃがちゃ動かしていた美織が、そんな感想をこぼす。
「でも私には関係ないかな。どう、そっちは?」
筐体の向こう側へと声をかけた。
「ああ、オレも大丈夫だ」
レンが筐体から身を乗り出して、ぐっと親指を突き立てた。
「んじゃ、そろそろ」
「やりますか!」
ふたり同時にスタートボタンを押す。
軽快な効果音と共にキャラクター選択画面が映し出された。
レンが選ぶのは、もちろん女性プロレスラー・マリア。対して美織は、
「あ、私、カスタムキャラを使わせてもらうわよ」
筐体に専用のカードを突っ込み、しばしダウンロード待ち。
やがて画面に現れたキャラを見て、レンがニヤリと笑った。
「へぇ、あんた、どこまでも挑発的だな」
「挑発? そんなんじゃないわ」
美織も顔を愉悦に歪ませた。
「これは指導よ。カスタマイズを怠るあんたに、この
ステージにふたりのマリアが対峙する。
外見上はコスチュームの色が異なることぐらいしか違いはない。
「え?」
だが、レンから笑みが消え、驚いた声が漏れた。
「えええええっ!?」
そして筐体を囲む全ての観客から、津波のような驚愕の声が押し寄せる。
「あんた……これ、
「
色違いのふたりのマリア。
ただし美織側の体力ゲージは、わずか一ドット分しかなかった。
「おいおい店長、なんて無茶なカスタマイズをやりやがるんだ。こんなの必殺技をガードしても削られて終わりじゃないかっ」
「いや、マリアには裏拳があるからそこは大丈夫だろ」
「それでも弱パンチ一発食らってもアウトだぞ。正気じゃねぇ」
美織の破天荒なカスタマイズに、外野のどよめきは一向に収まらない。
その中で一人、静かに落ち着きを取り戻していく者がいた。
レンだ。
確かにレンも最初は驚いた。
こんな無茶苦茶なカスタマイズ、最初から勝負を投げたようなものだ……普通の人間ならば。
でも、今、レンが対峙しているのは普通の人間ではない。
一度は『スト3』で勝ったとはいえ、あれは半ば勝ちを譲ってもらったようなもの。
もう一度戦っても勝てるかどうか分からない相手。
そんなヤツが「最凶モード」と称するカスタマイズを施してきたのだ。
(無謀、なんかじゃねぇ!)
レンはゴクリとツバを飲み込んだ。
(ましてや勝負を投げたわけでもない)
いつものように背筋が自然と伸びる。
(これがこいつの本気なんだ!)
一気に五感が研ぎ澄まされていく。
この前とは違い、今回は最初から本気モード全開だ。
とは言っても。
「あら、一撃で倒せる相手なのに、突っ込んでこないとは弱気じゃない」
美織が嘲るように、レンの立ち上がりは慎重だった。
「挑発に乗るかよ。オレはオレのやり方でやらせてもらうぜ」
レンは開始位置からダッシュで後退するとそこから一歩も動かず、相手がどう出るのかを観察する。
ラッシュをかけて一瞬で勝負を終わらせたくなるが、それはきっと相手の思う壺。ここはじっくり相手の戦力を見極めるべきだ。
「あらあら、閉じ篭るつもり?」
万全を期するレンに、美織が軽口を叩いて挑発を続ける。
「しょうがないわね。ほらほら、踊ってあげるから出てきなさいよ、天照」
じっと相手の出方を待つレンを大岩戸の神話になぞらえると、美織はキャラを動かし始めた。
右へ。左へ。ゆっくり。ダッシュ。
パンチ。キック。弱く。強く。
およそ基本的な動作には、特別変わったところは見られない。
(つまり体力を削って作ったポイントを機動力には使っていないわけか……)
レンは無表情に画面を見つめながら、心の中でかすかに安堵していた。
何故なら見切りによるカウンターが得意なレンにとって、通常とは異なるスピードを操る相手は一番厄介だったからだ。
ある程度なら一、二度攻撃を見れば対応できるが、ここまで極端なカスタマイズで、しかもその大半を機動力に振り当てられていたら、さすがのレンも未知の領域。対応に手こずることも予想された。
(とりあえず機動力への対応は問題なし。となると、次は……)
レンはするするとキャラを動かした。
「おっ、岩戸が開いたかな」
レンの変化に美織は歓喜しつつも、それでもデモンストレーションをやめようとはしなかった。
基本的な攻撃に加えて、裏拳の必殺技や、投げ技の予備動作なども披露し続ける。
そのどれもがレンには罠に思えた。
迂闊に手を出したら痛い目に遭う、狡猾な罠だ。
(まだだ。まだ確認しなきゃいけないことがある)
少しずつ近付きながらもレンは決して手を出さず、警戒を怠らない。
機動力を強化していないとなると、次に考えられるのは攻撃力や技の範囲設定だ。
特に範囲設定は油断ならない。ポイントを大量に消費するので強化する者は少ないが、有り得ない距離からの攻撃が当たったり、投げられたりする可能性がある。
「うーん、まだノリが悪いねぇ。だったらほら、大サービスしてあげるわよ」
警戒を強めながらじりじり近づいてくるレンに、美織が大胆にも無防備に距離を縮めてきた。
一発でも喰らったら敗北という状況なのに、必殺技や強キックといった攻撃の間合いに入ってくる。
「今なら私を倒せるわよ?」
挑発の言葉を投げかけながら、まだ歩みを止めない。
「何を警戒してるのかしら?」
さらに一歩前へ。中パンチも当たり、レスラーキャラのマリアなら投げ技すら有効なエリアへ。
「ほらほら、もうすぐサービス期間も終わっちゃうわよ?」
美織がついに弱パンチすら当たる距離まで間合いを詰めた。
しかし、それでもまだレンは動かず、美織の意図を探っていた。
美織の武器は機動力でもなく、間合いでもない。
となると、あとは攻撃力ぐらいしか残っていない。
例えば弱パンチひとつに凄まじい破壊力が籠められている可能性もある。
(だけど、そんな単純なことをやってくるヤツか?)
美織とは『スト3』で一度対戦しただけだが、その腕前と性格をレンは熟知していた。
だから体力がほとんどないカスタマイズをしてきた時は驚いたものの、同時に「こいつらしい」と心の中で笑ったものだ。
そんな美織と単純に攻撃力を強化しただけという芸の無さがどうにもしっくりこない。
何か大きな見落としがあるんじゃないかという思いが、レンに攻撃を躊躇わせていた。
「はい。サービス期間終了―」
突然、頭上から美織の声が降り注いだ。
レンが驚いて見上げると、あろうことか対戦台の向こうから美織が身を乗り出して、見下ろしていた。
美織の背は小さい。きっと椅子に乗って、立ち上がっているのだろう。
となると今、画面でキャラを動かしているのは一体誰なのか?
レンはすかさず筐体の向こう側を横から覗き込んだ。
はたしてそこにはレンの想像通り、美織が椅子の上に立っていた。
だが美織以外の誰かが操作しているという想像は覆された。
そこには美織だけがいて、器用にも右足でスティックを操っていたのだ。
もちろん体を支えなくてはならないから、左足は椅子の上にある。つまりそれはどういう事かと言うと……。
「ほーら、だからサービス期間って言ったでしょう? 何をされても私は反撃出来なかったわけだしねー」
右足一本ではせいぜいスティックしか操れない。美織の言う通り、攻撃ボタンにまで手が(正確には足だが)届く状況ではなかったのだ。
「てことで、悪いけど」
美織の頭がひょいと隠れた。
トスンという何かが落ちる音と、軽い衝動がレンにも伝わってくる。
「この勝負、私の勝ちよ」
瞬間、美織のキャラが鋭いパンチを繰り出してきた。
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