4-2:最高のものを用意した
「なん……だと?」
円藤の眉がぴくりと動く。
「あれだけ大見得を切っておきながら、敵前逃亡だと?」
「いやいや、おにーさん、ちゃんと人の話は聞いてよー。美織ちゃんは昨夜から」
「どっかに出かけてて戻ってこねぇんだろ? 夜逃げじゃねぇかっ!」
円藤が吠えた。
最悪の事態だった。
正直、司たちもこの件は全くの予想外だった。
昨夜遅く、奈保がトイレに部屋を出ると、ちょうど美織と久乃が出かけるところだった。
「どっか行くの?」と話しかけると、美織が「ちょっと用事が出来たんで、久乃と出かけてくるわ。明日の勝負には戻ってくるから安心するよーに」と答えたそうだ。
今朝になってそのことを聞かされた司たちも最初は「きっと最後の秘密の特訓をしに行ったんだよ」と笑っていた。
が、開店作業を進めても戻らず、携帯電話にも出なくて、ついには開店しても帰って来ない非常事態に至って「まさか」という想いとともに顔が引き攣った。
あの美織が敵前逃亡?
ありえないとは思うのだけれど、その可能性も示唆する状況に困惑するばかり。
一体対戦はどうなってしまうのか?
そもそもぱらいそはどうなってしまうのか?
泣きたいのをぐっと堪えて、司はどうすればいいのか考えていた。
ぱらいその今後はともかくとして、今は自分たちの誰かが対戦するしかないだろう。
当然負ける。
美織を除いて、あのレンという女の子に勝てそうなスタッフなんて誰もいない。
だけど不戦敗よりかはいいだろう。
美織は急病ということにすれば、敵前逃亡なんて不名誉を晒さずにすむ。
と思いつつも、司はなかなか行動に移せずにいた。
敗北必至、ぱらいその状況を悪化させる判断を自分が勝手に下していいものか迷っていたのだ。
しかしその結果、事態はまさに最悪となってしまった。
「え、店長、いないの?」
「まさか逃げたとか?」
黛が発した「敵前逃亡」の言葉は、あっという間に店内に広まった。
「ち、違うの! 美織ちゃんはちょっと用事があって遅れてるだけだから!」
慌てて葵が声を張り上げる。
「用事って、大切な対戦を放り出すほどのものかよっ?」
「だ、だと思います」
冷ややかな円藤の質問に、司はこんな返事しか出来ない自分を情けなく思った。
「えっ、あの子、逃げちゃったのか?」
そこへ店内を適当に見て回っていたレンも、話を聞きつけて司たちの元へ駆け寄ってくる。
「じゃあ対決は?」
「もちろん、俺たちの不戦勝に決まってるだろう」
円藤が即答した。
おまけにレンを置いて、一人でさっさと帰ろうとする。
「ちょ、待てよ」
円藤を止めたのは司たち……ではなくレンだった。
円藤を追い越すと、眼前に立ちふさがる。
「俺のバイト料はどうなるんだよ?」
「勝負そのものが無くなったんだ。払う義務なんざねぇ」
「おいおい、そりゃねぇだろう?」
こっちだって今日の対戦に向けて調整してきたんだ、過程はどうであれ結果は目標通りなんだからちゃんと支払ってくれよと凄むレン。
さすがに一理あると思ったのか、円藤は苛立ちながらも懐に手を伸ばした。
「仕方ねぇな、ほれ」
財布から取り出した一万円札をレンに握らせようとする。
ゲーム対決一試合としては充分すぎる額だ。
が。
「おい、なんだ、コレ? ふざけるんじゃねぇぞ!」
レンの怒気が膨れ上がった。
「今日勝てば三十万って約束だったよなっ!」
レンの言葉に周囲がさらにざわついた。
「三十万?」
「今日の対戦で勝てば三十万貰う予定だったのかよ?」
「ってか、あの男って確か……」
美織が負けた、だから今回はそのリベンジ戦である。
世間一般に公表しているのはここまで。買取キャンペーンの継続を賭けた戦い云々はさすがに伏せてある。
「んー、単なるゲーム対戦にそんな大金が動くなんておかしくないか?」
美織のリベンジを見ようと朝早くから駆けつけていた九尾が呟いた。
「しかも相手はライバル店が雇った腕利き……もしかしてこの試合、リベンジ戦なんかじゃなくて実はトンデモナイ裏があるんじゃねーか?」
九尾の呟きがますます大きなざわめきを生んだ。
「そうか、例のキャンペーンを利用して不良在庫を大量に持ち込んだんだ!」
「いや、いくら倍で売れるからって三十万もバイト料出さないだろ、普通?」
「勝てば三十万も出すってことは、勝利にそれだけの価値があるってこと。競合店にそれだけの価値があるものと言えば……」
憶測が憶測を呼ぶ。そして皆が辿り着いたのは――
「もしかして買取キャンペーンの継続がこの試合に賭けられている……?」
という紛れもない真実だった。
「あーあ、バレちまったか」
そんな憶測を、しかし、当時者である円藤はあっさりと認めた。
「そうさ。今回の対戦にはぱらいそさんのキャンペーンが賭けられていた。店長さんが勝てば継続、負ければ廃止、ってな」
ふてぶてしく言ってのける円藤。
「ふざけんな! そんなの営業妨害じゃねーかっ!?」
もちろんブーイングが飛ぶ。
それでも円藤は不敵に笑うと、
「おいおい、勘違いすんなよ。これはな、ぱらいそさんから言ってきた話なんだぜ?」
事態を覆す切り札を切ってきた。
「俺はな、ただ普通にソフトを売るつもりだった。でも、勝てば金額が倍になるって言うじゃねぇか。だったらゲームが上手い代理を立てても問題はあるまい? お前たちも金の為ならレンに頼む奴がいるんじゃねーか?」
円藤の言葉に「そんなことするかっ!」と九尾たちが強く反発する。
「ま、それはともかく実際に一度勝った。だからまた持ってくるわって話を振ったら、あちらさんから『こんなことを繰り返されてはたまらない。勝負を続けて負けが込んでも困るから、キャンペーンの存続を賭けて一度きりの勝負をしよう』って言ってきたのさ」
「そ、それは違いますよっ!」
あまりの言い草に、司が反論の声を張り上げた。
「ほう、何が違うんだい、嬢ちゃん? あんたも知ってるよなぁ、そちらさんの店長がキャンペーンを賭けて対決しようって提案してきたのを」
「たしかに店長はそう言いましたけど」
「ほらな! みんな、聞いたか? ぱらいその店員も自分たちからの提案だったと認めている。俺はキャンペーンの邪魔をする気なんて無かった。全てはぱらいそさんの自滅、ってヤツさ」
「え、いや、でも、そうじゃなくて……」
司が主張したかったのは、美織がそんな負け腰で勝負を提案したんじゃないって事だった。
が、今大切なのは美織自身からキャンペーンの存続を賭けた戦いを提案してきた事実。それを円藤の口車に乗って認めさせられてしまった。
司は必死に弁解しようと口を開こうとする。
でも、この場を逆転させる言葉が見当たらない。
葵も「ちょっと聞いてよ」「違うの、違うんだから!」と皆に訴えてはいる。
が、
「確かにぱらいそさんの買取キャンペーンは、うちからすれば厄介なシロモノさ。かと言ってどうすることも出来ねぇ。だったら逆に利用させてもらおうかと考えた矢先に、この展開だ。千載一遇のチャンスに可能な限りベットするのは当たり前だろ?」
円藤のここぞとばかりに回る舌の前では葵の呼びかけもまるで力を持たず、ふたりは両手をぎゅっと握り締めて泣きそうになるのをぐっと堪えるしかなかった。
「しかし、まさか夜逃げとはね。同じ負けでも、これは酷い」
円藤はここでひとつ溜息をつき、首を横に振る。
そして同情するように司たちを見やると
「こんなザマを晒したんだ。あの子はもう二度と戻ってこないだろう。ぱらいそはおしまいさ。どうするんだい、嬢ちゃんたち。良かったらうちの店で働かないか?」
柄にも無く真面目な表情を浮かべて、そんな殊勝な申し出をしてくる。
「ヤだよ、あんたのところなんて誰が行くもんかっ!」
もっともあんな仕打ちの後だ。今さら心変わりなんかするはずもない。
葵がべーと舌を出して即答した。
「そうですよ! それにぱらいそは終わらないです!」
舌こそ出さないものの、司も葵と同じ気持ちだ。
もっとも円藤自身、司たちが誘いに乗ってくるなんて鼻から思っちゃいない。
これはポーズだ。全てはぱらいその自滅だと周りに理解させた後に、手を差し伸べるという姿を見せることで客への心象を良くする。長年客商売をやってきた。こういうのはお手の物だ。
「…………」
「おっ、そっちのねぇちゃんは興味あるようだな?」
だが何も言わずじっと見つめてくる奈保の姿を見て、円藤は堪らず破顔した。
口からのでまかせだったが、それでエロい体つきをした女子大学生を釣れるとは。
笑いが止まらないとはまさにこのことだ。
「なっちゃん先輩!?」
「ちょ、先輩、何考えてんのさー!?」
反して司たちは慌てた。
ここまでコケにされながら、まさか奈保が円藤の誘いに乗ってしまうなんて思ってもいなかった。
「なっちゃん先輩っ!」
司たちは奈保の名前を呼びながら身体を揺する。
しかし、奈保はじっと円藤を見つめるばかりだ。
「ふふ、よせよ、そんなに見つめられたら恥ずかしいじゃねぇか」
その熱視線に、円藤の妄想が膨らむ。
「分かったよ、ねぇちゃん。あんたの気持ち、俺が全身で受け止めて」
「だーかーらー、なっちゃんの話をちゃんと聞いてって言ってるでしょー!」
そっと抱きしめようとした円藤に、奈保のえぐり込むような右フックが炸裂した。
ガタイのいい円藤があっさり吹き飛ばされる!
「美織ちゃんはただ遅れているだけだってば。それに」
吹き飛ばされた円藤の体をレンが受け止めた。
「最初から開始時間は決めてないって美織ちゃんが言ってたよ!」
……はい?
奈保の必死な主張に、みんなの目が点になった。
「あ、そう言えばあたし、ポスターに時間、書いてない!」
思い出したかのように、葵がポンと手を打つ。
「そうだよ、書いてないから開店時間に来たんだよ、俺たち」
九尾が今さら気付いたのかと葵を責め、皆も一様に頭を縦に振った。
「違うんだよ。あれ、あたしが書き忘れたんじゃなくて」
葵があたしは悪くないとぶんぶん頭を左右に振る中、
「……時間、決めてなかったですよね、そう言えば」
司があははと照れ笑いしながら、ぽつりと呟いた。
記憶を遡ってみると、確かに時間を決めた覚えがない。
キャンペーンの継続を賭けた勝負になり、『スト4』での対戦となり、一週間後という日付が決まった。が、そこで終了。時間に関しては何も決めていない。
だからてっきり開店時にと思い込んでいたのだが。
「美織ちゃん、お昼までには戻るから対戦はその後だって!」
「なっちゃん先輩、どうしてそれを早く言わないんだよー」
「だって人の話はちゃんと聞かなきゃダメだヨって言ったのに、このおにーさんが!」
「んなっ、ちょっと待て。今さらそんな言い訳をぶはっ!」
皆から非難の眼差しを浴びて円藤が反論を試みるも、一度狂い出した歯車は止まらない。
「それ、本当か!?」
レンが円藤の後ろ襟を掴んで今度こそぶっ飛ばすと、奈保に詰め寄った。
「うん」
「じゃあ逃げた訳じゃねーんだな?」
「そうだよ。最初からそう言おうとしたのに、あのおにーさん、全然話を聞いてくれないんだもん!」
「おー!」
レンが諸手を挙げて喜んだ。
レンとてこの一週間、勝利を確実にすべく色々なゲーセンで力を磨いてきたのだ。
不戦勝なんて欲求不満な結末な上、当てにしていたバイト料までチャラになってはたまらない。バンザイしたくなるのも道理だ。
「げほっげほっげほっ。お、おい、ちょっと待てやゴラァ、オレはそんなの認めうぼがぼえっ!」
レンに吹っ飛ばされ、店の入り口前で強かに後頭部を床に打ちつけた円藤は、それでもこのふざけた展開を止めようと必死に上体を持ち上げる。
それがマズかった。
「あら、今、なんか蹴り飛ばしたわよ?」
両手で椅子を抱えて入ってきた美織が、足元がよく見えないのをいいことに、思い切り円藤の頭を蹴り飛ばしたのだ。
「店長!」
「美織ちゃん!」
待ちに待った美織の登場に、司と葵が駆け寄る。
「どこ行ってたんですかっ!? あやうく不戦敗になるところでしたよ!」
「もうなんで電話に出ないのさっ!?」
そして矢継ぎ早に文句の嵐。二人とも泣きそうだったんだから仕方がない。
だが事情を全く知らない美織は「なんで怒ってんの?」と首をかしげ「急いでたから携帯持ってくの忘れてたわ」と苦笑いすると、店内に役立ちそうな人間が大勢集まっているのを見て、にんまりと表情を崩した。
「おー、男の子がいっぱい集まってるやん。みんな、ちょっと手伝ってくれへんかなぁ」
美織の表情とリンクするように、今度は外から久乃の声が聞こえてくる。
司が外に出ると、幌がついたトラックから丁度久乃が降りてくるところだった。
「久乃さん、どこ行ってたんですか?」
「んー、美織ちゃんがな、頼んでいた物の配送が遅れることになったから取りに行くゆーて、トラック借りて運転させられててん」
そして久乃は軽トラの荷台後部の幌を外し、運んできたものを公開した。
「おおっ!」
現れたモノを前に言葉を失った司の後ろで、続いて店から出てきたレンが思わず感嘆の声をあげる。
「どう、新品よ?」
運んできた椅子に腰掛けた美織が、偉そうに足を組みながら、平らな胸を目いっぱい剃り返した。
「私たちのこれからを決める勝負だもん。相応しい舞台を用意しないとね」
さぁみんなで運ぶわよ、傷一つでも付けたら容赦しないからねっ、と美織が指差す先には、アーケード用の対戦台がふたつトラックの荷台に鎮座していた。
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