scene 10
随分と酷くなった雨は、滝のような激しさで一紗を濡らす。
「はあ……はあっ!」
一紗の走りついた先、それはある校舎の屋上。
奏を狙い撃った場所と断定された、あの屋上。
人工衛星を載せた台座は、今では地上の高さまで上昇していた。まるで運動場に設置されているみたいだ。
ここからだと、それがよく見える。
『何をする気だ。』
校内放送で、鐘ヶ江が問いかける。
「あいつを、止める。」
一紗の頭は、混乱と興奮で狂いそうになりながら、どこか冴えわたっていた。
『なに寝ぼけたことを言っているんだ。君がどうやって私を止めるというのだ。』
「お前自身を止めるんじゃない。それはお前を殺さない限り無理だ。俺は、そんなことはしたくない。」
雷の轟音が鳴り響く中、こちらの声はやはり聞こえているらしい。
「だから、あのふざけたロケットを、止める。」
『戯言を。『Anakasico』のボディは銃弾すら貫通させない強固なものだ。たとえ君のその玩具が使えたとしても、何の影響もない。そもそも君の玩具は既に動力も弾もない。いったいそれでどうやって…』
「なあ、鐘ヶ江先生。」
一紗の言動には、一切の迷いがなくなっていた。
「先生はさ、あの人工衛星でさ、人に催眠用の夢を見せて、世界征服する……それが「夢」だって言ったよな。」
そう言いながら、コンクリートで作られた台座によじ登る。その台座に設置されているのは、避雷針。
「先生、本当にそれでいいのかよ。」
背中のリュックサックを押し付けるように、避雷針にもたれかかる。
「先生の「夢」は、テロリストによってみさせられているものだ。それは先生がやろうとしていること、つまり人に夢を見させて支配しようとしていることと、同じこと。」
次に、制服のポケットから、あるものを取り出す。
それは、奏を撃ちぬいた弾丸の空薬莢。この屋上で拾ったものだ。
「先生、そのテロリストと同じことやっていいのかよ。」
その小さな金属の筒を、レールガンの中に銃口から突っ込む。
「いや、それ以前に、テロリストなんかにみせられた「夢」を叶えて満足なのかよ。」
静かにライフル型レールガンを構える。狙う先は、あの人工衛星。
「「夢」はみせられるものじゃない。自分でみるものだ。」
静寂。動きを止めた一紗には、もう雨の音すら意識の外にある。
しかし、とうとうロケットのエンジンが点火した。
飛び立つエネルギーを貯めるため、その爆音が徐々に高い音へと移り変わる。
「みせられた夢で満足してるんじゃねえよ! 自分で、自分自身で心から望んだ「夢」をみろよ! 「「夢」は誰だってみることができる。」って言ったのは、他ならない先生だろうが!!」
叫んだ直後、エンジン音を掻き消す爆音が耳を刺す。
それは、一紗の真後ろにある避雷針に落ちた、一筋の雷。
その暴力的な電流は、リュックサックの中にある金属端子から、銃身へと流れていく。
引ききった引き金は、その流れを止めることは無く、電力は磁力へと変換される。
その磁力をまとう空薬莢が、超高速で放たれる。
その弾筋は、一直線に衛星の頂点へ。
本体に着弾した空薬莢は、その形を大きく変えながらも、先端部分へ喰い込んだ。
この間、時間にしてまばたきほど。
異物を先端に受け、その磁力から、電子のもつれが内部基盤に生じる。
それは小さなものだった。しかし、精密極まりないこの技術の結晶を狂わすには、それで十分だった。
狂いは拡散し、側面のデザインである鈍色の光の線が、天頂から消滅していく。
そしてついに、エンジンの爆音までもがかすみ始める。
――――やった、のか?
一紗の、雷の暴力にさらされた意識が、わずかに思考する。
――――爆発とか、しないものなんだな……
そんなことを考えながら、一紗の意識は闇に呑まれていった。
◆◇◆◇◆◇◆
「馬鹿なッ!?」
管制塔最上部、ガラスのドームの中。二台のモニターを使い一紗と人工衛星の監視をしていた鐘ヶ江は、声を張り上げる。
「私の最高傑作が、あんな金属片一つによって機能停止だと!?」
焦りを隠そうともしない鐘ヶ江が、拳銃をおろし、キーボードとモニターに向かう。
その隙をついて、夢華が真後ろまで踏み込み、ガラクタとなった銃で思いっきり鐘ヶ江を殴りつける。
「がハッ!?」
力なく倒れ込む鐘ヶ江。どうやら気絶したみたいだ。
そう確認すると、夢華は一目散に走り始めた。
「一紗…っ!」
彼がいる、あの屋上へ向かって。
◆◇◆◇◆◇◆
身体が揺さぶられる。そのことを感じ取り、一紗は意識を取り戻す。
目を開けると、夕暮れの空が眩しく感じられた。どうやらあの激しかった雨は止み、雲は去っていったらしい。
背中に、冷たい感触がある。一紗は屋上の床に仰向けで寝そべっていた。避雷針の土台からはいつのまにか落下していた。
顔だけを、身体を揺さぶる手の方へ向ける。
そこには、一紗の隣にしゃがみ込んで、必死な顔で身体を揺さぶってくる、夢華がいた。
一紗が目を開けたことに気が付き、安堵の表情を浮かべる夢華。
しかし、寝そべっている一紗は、しゃがんでいる夢華の方を見て、すぐに目を逸らすことになる。
――――だから、スカートの中身が見えてるって。
そう、口にしたつもりだった。
しかし、違和感がある。
自分の声が、聞こえなかった。
ぺしぺしと叩いてくる夢華の反応から、声を出せていないわけではないと判断する。
そして、気が付く。
この世界の、ありとあらゆる音が聴こえなくなっていることに。
身体を起こし、避雷針を見上げる。
おそらく、あの雷の爆音のショックで一時的に聴覚が麻痺したのだろう。
一紗は、そのように判断した。
急に、横から抱き付かれる。
前触れを感じなかったため、少し驚いた一紗だったが、ゆっくりと夢華の方を向く。
夢華は、泣いていた。
その口からいろいろな言葉があふれ出ているが、残念ながら聴き取ることは叶わない。
だが、一紗のことを心配してくれていたこと。そして、無事でよかったことを安堵している。
そう、感じ取った。
――――大丈夫。もう、終わったんだから。
そう口にした。音が聞こえないのでちゃんと言えているのか不安だったが、それを聞いた夢華は、一紗をいっそう強く抱きしめる。
一紗は、無意識のうちに身体にすり寄るその頭を、優しく撫で始めていた。
世界は、静寂に包まれている。
おそらく、耳が聴こえる夢華でも、そう感じていることだろう。
だからこそ、余計にそう感じるのだろうか。
夕焼けの紅い光が、いつもより神々しく煌めいている。
ふたりの戦いの終焉を讃えているかのように。
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