scene 6

 奏が、死んだ。


 もう、一週間も経つ。


 いや、まだ、一週間しか経っていない。


 なのに。


 ここは、校舎の屋上。入るための階段と、無駄に高い避雷針以外、この空間には何もない。

 そして、この場所は警察によって、奏を貫いた銃弾の発砲地点と特定された場所。

 確かにここからは、奏が撃たれた渡り廊下がよく見える。

 でも、今ここから見えるのは、何事もなかったかのように談笑する生徒たち。

 放課後になってまもなくの時間。帰宅するか、部活の準備をする生徒が目立つ。日は傾き始め、ほんの少しだけ赤みを帯びている。それがなぜか、少し濁って見える。




 あの後、一通り大騒ぎになった。生徒が白昼堂々銃で撃たれたという事例に、十分見合うような騒ぎが起きた。

 警察のサイレンがこだまして、町は封鎖され、厳戒態勢がとられた。


 だが、それは長くは続かなかった。


 犯人が捕まっていないのに、急に日常に戻っていったのだ。


 学校封鎖は三日で解除され、テレビのニュースは四日で報道しなくなった。

 あまりにも早く忘れ去っていくので、これが大衆心理か、とも考えた。周りに流される形で、一紗の心も不思議と短時間で落ち着いていた。


 だが、それにしてもやはりおかしい。

 どうしても引っかかるのが、犯人逮捕の知らせもないのに、保護者が子どもを現場となった学校に通わせていること。

 心配、しないのだろうか。


 しかし、そんなことを考えたところで、一紗にはどうすることもできない。

 一紗は、妹が殺されたとはいえ、ただの一般市民なのだから。


「……ちくしょう。」


 この事件のことを考えだすと、感情の渦が襲いかかってきて、当時のことが嫌でも思い出される。




 あのまま救急車に乗せられ、病院まで付いて行った。

 しかし、数時間立って集中治療室から出てきた医者の表情は暗かった。


「残念ですが……。最善の処置は尽くしました。ただ、まさか妹さんが血友病だとは――」




「なんだよ! 何が最善の処置だよ…! わけわかんねえこと言いやがって…っ!」


 屋上の手すりを殴りつける。

 しかし、そんなことでは消え去らない怒りが、悲しみが、確実に一紗を蝕んでいった。


 ふと、足元に何か光るものがあった。

 感情に震えながらも、それを手に取る。


 それは、円柱状の金属で、中がくり抜かれており、筒のようになっていた。

 この屋上に不自然に放置されたそれは、まさしく銃の空薬莢。

 写真でしか見たことがなかった一紗でも、直感で理解していた。

 そして、気づく。


「まさか、これって……っ!」

「辻君。」

「っ!?」


 不意に後ろから声をかけられ、その空薬莢をポケットに突っ込む。

 振り返ると、そこには風でたなびく白衣姿が。


「ちょっと、話をしないか?」


 鐘ヶ江は、いつもより少し暗い顔で、そう話しかけてきた。



     ◆◇◆◇◆◇◆



 場所はまたしても、視聴覚準備室。

 今日はいつものお茶と、袋に入ったスナック菓子が机の上に置かれていた。自由に食べていいとのことらしい。

 学校内でのお菓子は、多少問題になるのではないかと思ったが、指摘する気力もない。


「先生、これ開け口がありません。」

「おお、そうか。すまない、これ、ハサミだ。」


 手渡されたハサミで袋を開ける。

 しばらく、お菓子を噛み砕く音だけが鳴る。

 お菓子が半分ほどになったとき、鐘ヶ江が言いにくそうに声を出す。


「妹さんのことは、本当に、残念だったな。」

「ええ、残念です。」

「なんだ、えらく冷たいな。」

「そりゃあ、周りが忘れ去っていくんですから。いつまでも引きずれません。」

「だが、もう少しくらい湿っぽくてもいいんじゃないか? お前だって、そう簡単に割り切れるとは…」

「俺の気持ちなんてわからないだろうが!」


 思わず大声を出してしまう。しまったと思い、顔を伏せる。

 しばらくして、鐘ヶ江が語り始める。


「少しは、わかってやれる。」

「……どうして。」

「私も、実は娘と妻に先立たれてな。」

「え、いや、先生は独身じゃあ…。」

「この学校に来る前の話だ。生徒はおろか、同僚の先生だって知っている人は少ない。」

「そう、だったんですか…。」


 じっと鐘ヶ江を見る。先ほどとは、見る目が変わった。


「どうして、ですか?」


 その質問を待っていたかのように、鐘ヶ江は薄く、自嘲的に笑う。


「少し長い話になるが、聞いてくれるか?」


 静かにうなずく。


「私は、もともと研究者になるつもりだった。私が優秀だったってことは、噂かなんかで聞いているだろう? あれは生徒にナメられないために意図的に流したんだが、嘘ではない。で、だ。研究者になるため、海外の大学で教授の手伝いをしていたこともあった。妻と娘を連れて、海外に住んでいたんだ。」


 お茶を一口飲む。


「そんなある日、妻と娘が偶然いたビルがとある過激派のテロに遭った。確か、九月十一日のことだったな。」


 一紗、息を呑む。

 しかし、鐘ヶ江は眉一つ動かしていなかった。


「妻と娘を一度に失った私は、とても研究を続けられるような状態ではなかった。そんなとき、知り合いから教職に就かないかって誘われてな。最初は気が乗らなかったが、食っていくためだと思って教員になった。教職免許は持っていたから、問題はなかった。」


 一紗は、何も言うことができなかった。しかし、その顔は、もしかしたら悲しそうだったのかもしれない。

 鐘ヶ江が、一紗の表情を見て、苦笑する。


「はは、変な顔をするな。大丈夫、今ではこの仕事が気に入っている。自分の娘や息子がたくさん出来たみたいでな。」


 そう言う鐘ヶ江は、どこか遠くを見ているようで、でもしっかりと前を見据えていた。

 その姿に、どこか圧巻されながら、同時に、強い共感を得た一紗。

 しかし、鐘ヶ江は急にしどろもどろになり、言葉を濁す。


「ああ……本当に言いたかったのは、これじゃない。これじゃないんだ。」


 そして、喉まで出てきた言葉を何度も呑み込んで、やっとのことで伝える。


「………巻き込んで、本当にすまない。」

「え?」

「君が、私に協力しなければ、こんな事にはならなかったかもしれない。」


 言葉が終わるよりも早く、一紗は机を叩きつけ、立ち上がる。


「どういうことですか!?」

「まて、落ち着いてくれ、頼むから。ちゃんと、説明するから。」


 懇願する鐘ヶ江の言葉と眼差しに、いくらか落ち着きを取り戻した一紗は、静かに椅子に座る。


「…どういうことですか。」

「確証はない。だが、君が私に協力していることで、妹さんが狙われた。おそらく、君の関係者という理由で。何かを知ってしまったとでも思われたんだろう。」

「じゃあ、なんで、俺を直接狙わなかった…!」

「君は実験体として生かしておきたかったからだろうな。」

「は?」


 突拍子もない発言に、思考が止まる。


「おそらく襲ってきたのは、前に話した、夢を操る技術を悪用しようとしている奴らだ。どうやら奴らも、君に興味があるらしい。」

「そんな、俺は、俺はただの…」

「そうだ。ただの生徒だ。だが、それは身分の話だ。君からの観測で得た情報には、実は興味深いものが多い。」

「それ、初耳なんですけど。」

「すまない。中々伝える機会がなかった。」


 少し苛立ちを覚えたが、なんとか抑える。


「……で、どんな情報なんですか。」

「夢を操る、という技術を、君は持ち合わせている。」

「それって、明晰夢とかいうやつですか?」


 明晰夢とは、夢を夢だと認知することによって、夢の中で好きな行動ができるようになる、という夢のこと。


「いや、より高次的な技術だ。君は、ある時期から夢を見なくなった、と言っていたね?」

「ええ。ですがそれは、ただ覚えていないだけなのでしょう?」

「ああ、普通はそうだ。だが君は違う。君は、本当に夢を見ていなかったんだ。」


 力説してくるが、すんなりとは理解できない。


「つまり、どういうことですか?」

「君は、「夢を見ない」という選択を行えるほど、夢という対象を操作することができるんだ。」

「それは、すごいことなんですか?」

「もちろんだ。この技術があれば、夢を操るどころか、意図的に自分から夢を作り上げることもできる。普通なら、睡眠時の脳がこんな緊張状態にあると、精神的な意味において価値のない睡眠になる。それでも君は、特別心を病むことなく生活している。それこそ普通の生徒としてだ。」


 すらすらと伝えられる事実は、すらすらと信じられるものではなくて、


「つまり君は、おそらく夢を見なくなった頃から、一度も精神的に睡眠をとっていない。そして、君の脳はそれに耐えうるほどの処理能力を兼ね備えている。これが、君の凄さだ。」


 だが、力説する鐘ヶ江を見て、なんとなく、その超越性を、感じ取ることができた。

 ふと、我に返った鐘ヶ江が、咳払いをする。


「話がそれてしまったな。とにかく、そんな可能性を秘めた君を、妹さんを襲った奴らも狙っている、というわけだ。」

「そう、ですか…。」


 一度に色々なことが伝えられ、頭が痛くなる。

 こんな頭が、本当に高い処理能力を持ち合わせているのだろうか。

 鐘ヶ江は淡々と話を続ける。


「そして、君に報いるべく、私個人で、色々と調べてみたんだ。」


 内容は、またしても驚くべきものだった。



「その結果、私は犯人を特定した。柏牙はくが夢華、君のクラスメイトだ。つまり私の担任のクラスでもあるのだが。」



 いきなり告げられた名前に、言葉を見失う。


「……お、おかしい、です。あの時は、奏が撃たれた時は、たしか授業中で…。」


 出てきたのは、無意識に示した言葉。発した理由は自分でも分からない。


「たしかにそうだ。あの時あいつは授業を受けていた。だが、それは問題ではない。妹さんを撃った実行犯は別にいる。この場合は校長だ。屋上の防犯カメラに映っていた。おっと、校長を糾弾するなどとはまだ言うなよ。あいつの手下といえども、この学校のトップだ。事実を揉み消しにされてしまうかもしれない。だから、慎重に物事を進めなければいけない。」

「ちょ、ちょっと待って下さい。校長が、実行犯? 奏を撃った、犯人?」

「ああ。だがさっきも言った通り、いきなり校長を捕まえようとするのは危険だ。ただの捨て駒かもしれないし、下手に手を出して警戒されるのも厄介だ。だから、主犯を、柏牙夢華を、叩く。」

「だ、だから、ちょっと待って下さい!」


 こんがらがる頭のなか。必死に整理しようと話を止める。


「校長が、実行犯で、手先? 真犯人が、あの、夢華?」

「そうだ。」


 有無を言わせぬ鐘ヶ江に、圧倒される。


「な」

「ん?」

「なんで、ですか? なんで、夢華がこんなことを、その、指示するのですか?」

「指示、というか、私達の調査を横取りする理由はある。彼女の苗字でもある柏牙の家は、前の大戦中に会社を起こし、国のための兵器を作り出していた。この近辺が大きな兵器工場だったことは何かの授業で習っただろう?」

「は、はい…たしか、歴史の授業で。」

「そうだ。だが、戦争が終わるやいなや、柏牙家の会社は潰れた。挙句の果てに戦争責任を追求され、一気に社会の最底辺に陥った。彼女がその境遇を恨んで、私達が今調べている「夢を操る技術」を悪用し、新たな兵器開発をしているという情報を手に入れたんだ。」

「兵器、開発…?」

「誰にでも、効率よく、強い催眠術をかける兵器だ。夢を見る、つまり眠っている状態の人は、ひどく催眠にかかりやすいんだ。ほら、テレビで催眠術をかける時、まず対象をリラックスさせるだろ? その最たるものが睡眠時だ。しかし睡眠時は対象に暗示がかけられない。そこで、脳内の夢という現象に直接介入して、強い暗示をかけるのだ。これによって、大抵の人は思い通りに動く操り人形にできる。人を殺せ、と暗示をかければ、次の日には無差別殺人鬼になるほどにな。それも、ホームレスから国のトップまで、人は選ばない。」

「そんな、ことって…いや、なら、そもそも夢を操られなければいい話でしょう? そんなあやしくて大掛かりそうなこと…」

「君は自宅にいながら特定の夢を見せられたのだろう?」

「あっ…。」

「君が体験したことが、どれだけ深刻なことか、やっと理解できたかな?」


 言われてみれば、一紗自身が、一番分かっていたことだった。夢の暗示は、いつ、どこでもやって来ることに。また、その仕組みがわからないことに。


 思い出す。今までに押し付けられた夢を。最初に見た銀の指環シルバーリングの夢、そして悪者告発の夢も…


 そこまで思い返して、ふと気がついた。


「いや、やっぱりおかしいです。あの、前にこの学校の悪者はこいつだって夢を見たって話をしたじゃないですか。」

「ああ、したな。」

「そのとき示されたイメージは、どうしても、夢華とは、違うんです。なんか、もっとこう…」

「そのイメージって言うのは、これか?」


 取り出されたノートパソコンに映し出された映像。その映像は、まさしく最近見始めたあの夢そのもの。いや、それ以上に鮮明に映っている。


「あの、これって…」

「君の脳波から得られたデータを処理して映像化したものだ。純粋なデータだから、記憶の薄れの影響もない。だから覚えているものより鮮明だろう。ただ、音声は再現できなかった。」


 映像が流れる。そして、あの人物像が出現する。その姿は、


「――校長、先生?」

「おそらくな。さっきも言った通り、校長は今回の事件の実行犯。十分に悪者だ。」

「でも、じゃあ、誰が、何のために、こんな夢を俺に?」

「おそらく、こういう暗示をかけることによって、校長が悪者だ、と無意識に刷り込もうとしたんだ。心当たりはないか?」


 挨拶週間の時、校長の視線に背筋が震えたのを思い出す。

 あれが、そういうことだったのだろうか。


「心当たり、あるみたいだな。で、そのことによって疑惑の目を……いや、襲撃の罪そのものを校長になすりつけようとしたのだろう。主犯格である自分に目がいかないようにするために。私は騙されなかったが。」


 すべてが、納得のいく説明だった。


 だが、どこか確実ではない。


 いや、決定打に欠ける。


 そんな気がする。


「でも、あいつは、夢華は、そんなやつじゃない、気がするんです。なんか、あいつは、こう、悪者じゃないというか親近感がわくというか……声も、なんか心地いいというか、助けたくなるというか。」


 そこまで言って、一紗は、自分自身の発言に疑問を持った。


 なんで、そんなことを思ったのだろう…?


「声がどうとかと言うのはよく分からんが、親近感がわくというのは、別に不思議ではない。いや、それこそが、あいつが真犯人だという確証へ繋がる鍵なんだ。」

「はい?」

「お前は、確か隣の小学校出身だったよな?」


 この高校の隣には、とくに関係があるわけではないが、小学校が隣接している。公立で、目立った特徴もないごく普通の小学校だ。


「は、はい。」

「だったら、この顔に見覚えはないか?」


 そう言って見せてきたのは、その小学校の卒業アルバム。ちょうど一紗が卒業した年のもの。そして、開かれたページのクラスは、まさしく一紗が六年生の時のクラスだった。

 そして、クラスの一人ひとりの写真を見て、気づく。

 いや、気づいてしまった。


 夢華をそのまま幼くしたような風貌の少女を。

 しかし、そこに書かれていたのは、「柏牙夢華」とは一字も被っていない名前。


 そして、記憶がフラッシュバックする。




――――――あの、わ、わたし、かずさくんのこと―――。




「………この子、卒業式の日、俺に告白してきた子です。」

「そうか。そういう繋がりだったんだな。」


 あの時は、ろくに恋愛感情なんて持ち合わせておらず、女子と仲良くしていると奏がうるさかったという理由で断ったのだが。

 その後、別々の中学校になった彼女のことは、引きこもりがちになっているという噂を一度だけ聞いたが、それっきりだ。


「ど、ど、どういう、こと、ですか…?」

「柏牙夢華は、本人じゃない。少なくとも、あの身体はな。」


 そう告げられた瞬間、思考が可笑しいほどに回り始めた。

 いや、ある結論へと突き進み始めた。


「怪しいとは思わないか? 本名とは違う名前を名乗っているんだぞ?」


 動機がある夢華。

 校長を使って奏を殺させた夢華。

 そして名前を偽っている夢華。

 夢華に対するはかない信頼が全て裏返る。奏を奪われた復讐心も蘇る。

 一紗の、夢華に対する感情は、渦巻く憎しみへと変換されていった。


「そういえばあいつは、日直の仕事で今日も遅くまで教室に残っているらしい……って、おい!」


 言葉を最後まで聞き終わる前に、一紗は部屋を飛び出していた。


 ずっと手に持っていたハサミを強く握りしめて。

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