scene 5
「今日も一緒に帰れないの?」
「ああ、ごめん。今日もちょっと学校に残るんだ。」
「なんで? なんでなの? まさかまたクラスメイトとかいうあの女?」
「違う。違うから。担任の鐘ヶ江先生とお話があるんだ。」
いつもの様にざわめいている学食。でも、今日はわたしの心もざわめき始めている。
「ねえ、最近いつもそうだけど、なんで? 何を話しているの?」
「それは、言えない。」
またこれ。お兄ちゃんは、結局、肝心なことは教えてくれない。
いつも。いつも。
「悪いと思っている。最近、奏のためにしてやれることが少なくて。いつも美味しいお弁当貰っているのに…。今度、奏が好きなお菓子を買ってやるから、な?」
いつものわたしなら、こんな無自覚で素直な言葉で丸め込まれちゃうけど、もう、今日という今日は!
「お兄ちゃん!」
テーブルを思いっきり叩きつけながら立ち上がる。周りの視線なんてどうでもいい。お兄ちゃんの困った顔は、顔、は、きょ、今日はどうでもいいの!
「わたしもう、堪えられないよ。お兄ちゃんが忙しくて忙しくて忙しくて一緒に帰れないのはまだいいの。本当は嫌だけどいいの! わたしが、一番、嫌なのは、わたしが放ったらかしにされている理由をお兄ちゃんがちゃんと教えてくれないことなの!」
言っちゃった……いや、言ってやった。
そのまま、お兄ちゃんを置き去りにしてここから立ち去る。
「奏、どこ行くんだ!」
「わたしにだって秘密のひとつやふたつあってもいいでしょーが!」
今度こそ本当に立ち去る。絶対に振り返ったりしないんだから。
そのまま、廊下を歩いて行く。教室に帰ろう。
本当はお兄ちゃんに秘密なんかないし、作りたくもない。
でも、だからこそ、お兄ちゃんにはすべてを教えて欲しかった。
たったひとりの身内なんだから。
教室の前まで来て、無意識に来た道を振り返る。
「お兄ちゃん、後を追ってこないのかな…。」
一瞬よぎってしまった思考を、頭を振って振り払う。
「だめ、絶対。今回ばかりはお兄ちゃんに反省してもらうんだから!」
より強く頭を振る。少しくらくらしてきた。
気持ち悪さを抑えるため、しばらく静かにたたずむ。
すると、やはり想ってしまうのが悪い癖。
「でも…。」
次の瞬間には、教室から離れて歩き出していた。
◆◇◆◇◆◇◆
「こ、これは違うんだから! お兄ちゃんがちゃんと反省しているかどうかを見極めるためなんだから!」
そう自分に言い聞かせ、歩き続ける。
わざわざ見つからないように、職員棟を経由して。
「遠回りだけど、この時間は人も少ないし、こそこそするにはもってこいだよね。」
そう、自分に、言い聞かせながら。
不審者のごとくこそこそしていると、ふと、声が聞こえてきた。
「で、なんなんだ。このふざけた数字は。」
「申し訳ありません。」
「誰…?」
廊下の陰からこっそり覗いてみる。そこは、校長室の前だった。
「こんなんじゃあすぐに資金が底をついてしまうだろ!」
「いやしかし、最近は不景気で…」
「戯言を。この学校が何のために建設されたのか、まさか知らないわけでもないだろう?」
どうやら、二人の人が話をしている、みたい。一人は校長先生。もう一人は、誰だろう。知らない人だった。
「いや、しかし、この状況はどうしても…このままでは北の奴らがどんなことをしてくるか…。」
「なあ、もしかして、この学校のトップが誰だか、ちゃんと理解していないのか?」
「は、はい? それは、もう重々承知の上で…。」
「だったら、どんな手を使ってでも資金を集めろ。私が直々に手を汚す前に、な。意味分かるか?」
「は、はい…。」
でも、この学校の人ではあるんだろう。だって、左手に持っているあれは…
「だったら、さっさとこの状況を改善しろ。全ては、私の計画のため。わかったか!?」
「はいッ!」
「まったく。」
右手に持っていた資料を叩きつけ、踵を返してくる。
「わ、わわっ、こっちくる!?」
しかし、わたしに気づかないまま、学食の方へ歩いて行った。
一連の流れを盗み見て、わたしは思った。
「なんで、どうして…?」
小さくなるその背中をしばらく眺め、
「………怪しい。」
そして、追いかけていく。
◆◇◆◇◆◇◆
「奏……どこ行ったんだ。」
「ちょうどいいところに。辻君。」
「あ、鐘ヶ江先生。なんですか?」
「これを先に教室へ持っていってくれないか?」
「出席簿ですか?」
「ああ。」
「………すみません。すぐには教室に戻れそうにないので。」
「どうしたんだ?」
「その、奏……妹に、怒られちゃって。」
「怒られた? どうしてそれが校舎を歩きまわる理由になるんだ?」
「……逃げられちゃって。で、謝りたいから探しているんですけど…。」
「ああ、なるほどな。」
「先生は見かけていませんか?」
「残念だが、辻君の妹さんとは面識がないんだ。力になれそうにない。」
「そうですか…。」
「まあ、何か小耳に挟んだら伝えるよ。」
「わかりました。ありがとうございます。」
◆◇◆◇◆◇◆
「やっぱり怪しい…。」
ずっと追いかけて、追いかけ続けて、学食の裏まで辿り着く。まだバレていない。
そして、学食の勝手口のような簡素な扉の前で、なにかカードのようなものをかざしている。
ロックが解除された音が鳴り、扉を開けて中に入っていく。
その扉が閉まりきらないように、そっと手をかけて半開きにして、向こうの気配がなくなってから侵入する。
扉の先は、地下へ続く階段になっていた。
息を殺して、足音を立てないように、ゆっくりと降りていく。
そして、その階段が終わるやいなや、急に開けた空間に出た。
「なに、ここ…?」
そこは、学校の地下にあるとは到底信じられないような、なんというか、研究所みたいなものだった。
天井は高く、向こう側の壁はかなり遠い。学校の敷地全体の地下みたいだ。
階段を下りてすぐのこの場所は、地下空間の中ごろの高さにある、廊下のような場所で、この空間を一望できる。
よく見ると、ところどころで何か作業をしている人たちがいる。
みんな、いろんなところに設置されたパネルやモニターを見ながら、何かを、作っている?
そして、空間の奥、地上では運動場があるだろう方向には、なにか、バカでかいロケットのようなものが鎮座している。
つくづく、ここが学校の地下であることを忘れてしまいそうな場所だった。
「あ、あれって…っ!?」
目についたのは、空間の中央にある塔。この空間のどこからでも見えるだろう場所に設置されていたのは、複数のモニター群。
そのモニターには、この学校のいたるところが、鮮明に表示されていた。
記憶の限りでは、防犯カメラなどなかったはずなのに、教室の中の映像まで存在している。
そして、おそらくリアルタイムの映像なのだろう。どの教室も午後の授業が行われていた。
ここで初めて、わたしは午後の授業をさぼっていることに気がついた。
でも、そんなことを気に留める余裕などなかった。
そして、一際大きなモニターに映し出されている光景に、息を呑む。
「お、お兄ちゃん!?」
兄のクラスが、なぜか一番大きなモニターに映し出されている。どうやら兄は教室の外から呼び出されたらしい。今、廊下に出て行った。
「誰だ!?」
「ひゃ!?」
突然、声をかけられ、飛び上がる。声の主は、今まで追いかけていた相手。
目が合った。
そして、一目散に来た道を駆け戻る。
「―――先生、どうかしましたか?」
「ネズミが一匹、迷い込んでしまったみたいだ。」
「え、ど、どうすれば!?」
「大丈夫。何とかする。」
◆◇◆◇◆◇◆
息を切れ切れにしながら、地上へ続く階段を駆け上がる。
「なに、なんなの? 今のって!? それに、さっき、絶対…」
地上への扉も勢い良く開け、廊下を駆け抜ける。
どこかへ向かおうとか、そんなことは考えている余裕はなかった。
ただ、がむしゃらに、探し求めていた。
そして、その相手は、運良くすぐに見つかることになる。
「お兄ちゃん!!」
廊下の向こう側から現れた人に、大きく安堵しつつも、焦りを隠そうとせずに駆け寄る。
「奏! 一体どうしたんだ! 授業に出ていないって先生から聞いて、かなり心配したんだぞ!?」
そっか。お兄ちゃん、わたしを探しに来てくれたんだ。授業中だったのに。
そう喜んだのもつかの間。すぐに、伝えるべきことを伝える。
「そんなことよりもお兄ちゃん!」
「そんなことって…」
「いいから聞いて! お兄ちゃんが最近学校に残っているのって、たしかお兄ちゃんのクラスのがッ!?」
突然、胸が熱くなる。
その衝撃に堪えきれず、手で胸元を押さえつけると、そこには生暖かい感覚が。
「なんだよ奏、俺のクラスがどうかし……って、奏、それ…。」
その手を浸していたのは、紛れも無く、わたしの、血…?
「奏っ!?」
意識が朦朧としてくる。
「おい! 奏! しっかりしろ!?」
騒ぎを聞きつけたのか、誰かが近づく足音が聞こえた。
「どうした、辻君……って、これは…!?」
「鐘ヶ江先生! 奏が、奏が…!」
「とにかく出血を止めよう。保健室に連れて行くぞ!」
誰かに抱え上げられる。霞む視界でとらえたのは、あの白衣。
「辻君は、一度職員室に行って、救急車と警察を呼んでもらいなさい!」
「は、はい!」
「まっ……て!」
だめ。だめなの。ちゃんと、伝えないと…。
「にげ、て……お、お兄ちゃん……クラ、ス…は…」
「無理するな奏! いいか、しっかりするんだ!」
「だめ……だよ、学校………の、地下…………に……」
「それ以上喋るな。お兄さんの言うとおり、今は安静にするんだ。すぐに保健室へ……って、おい!」
急激に離れていく意識。
力なく崩れていく身体。
「かなでえっ!!!」
お兄ちゃんの叫び声。
それが、わたしの聞いた最後の音。
そう、つまり、わたしは、
それから二度と、目覚めることがなかった。
「チッ…。」
そのとき、別の校舎の屋上から、消音器付きのライフルを構える人影があった。
「やりそこねた、か?」
その上部に装備されたスコープを覗いている頭は、前髪が後退し、日光を肌で反射している。
「…戻るか。」
人影は、この学校の校長その人だった。
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