scene 4

 朱色の記憶を追体験し、あの夢を見なくなって数日がたったある日。


「…………。」


 一紗は、長らく布団の上で呆けていた。


「…………?」


 そうさせたのは、強烈な違和感。


「夢、か? 今の……いや、だとしても、その…」


 鮮明すぎる。


「あれから、また夢を見なくなったはずなのにな…。夢って、こんなうるさいっけ……。」


 そこに込められたメッセージは、


「学校に、悪者がいる…?」

「お兄ちゃん? 起きてるー? 遅刻するよー?」

「あ……ああ、すぐ起きる!」


 リビングにいる妹から声をかけられ、応える。

 しかし、鮮やかすぎるイメージが頭から離れることはなかった。まだ日常が流れていたそのときでも。



     ◆◇◆◇◆◇◆



 そのまま、いつも通りに朝食を済ませ、いつも通りに登校する。今日は、いや、今日も、奏と一緒だ。

 何気無い日常が、ふとかけがえなく思えたのは、なぜだろうか。

 そんなことを考えていると、校門が見えてきた。そして、普段なら絶対聞こえないであろう、朝の挨拶の声が聞こえてきた。


「そういえば今日から挨拶週間だったね。やだなぁ…。」


 奏にぼやかれ、一紗は学校の予定を思い出す。そういえば確か、この前配られた月間予定表にそんなことが書かれていた気がする。

 校門を過ぎると、どこか熱心な体育教師や、巻き込まれた先生たち、なんとなくいる学級委員の生徒たちが不自然に整列していた。

 気だるげな挨拶の中、無意識に鐘ヶ江先生を探していたが、どうやらいないようだ。

 ここで、なぜ自分が先生を探したのか気にかかった。おそらく、今朝変な夢を見たせいだろう。


 鐘ヶ江とはあれ以来、特に話をすることもなかった。あの時の一紗の様子に、申し訳無さを感じたのだろうか。


「でも、一応、報告しておこうかな…。」


 ぼんやり考えていると、ふと、ある人物と目が合った。


「お兄ちゃん?」


 異変に気がついた奏に声をかけられる。しかし、一紗の視線は、その人物から逸らせなかった。

 その人物は、最近前髪が後退しだして、すでに生徒間でハゲと言われ始めている、この学校の校長。

 そう、別に特別でもなんでもない人物。目を引きつける魅力なんてない。むしろ逸らしたくなるほどだ。


 それでも、目を逸らせない理由は――――強烈な既視感デジャヴ


 そして、なぜか湧いてくる不信感。


 どこかで、なにかで、見たことがある…?


「おはよう。」

「おはよう、ございます…。」

「先生の顔になにか付いているかね?」

「あ、いえ、なんでもないです…。」


 声をかけられ、足早にその場を去る。

 奏に心配されたが、そんなことはお構いなしだった。



     ◆◇◆◇◆◇◆



 その日の放課後。


「……行くか。」


 決心して、一紗は職員室の扉を開ける。


「鐘ヶ江先生、おられますか?」

「どうしたー、辻君。こっちだ。」


 鐘ヶ江は、いつもの机で珈琲を嗜んでいる。


「また、夢を見ました。」


 その言葉で、鐘ヶ江の表情は少し真剣になる。


「場所を移そうか。前と同じ場所で。いいかい?」


 一紗は、静かに頷いた。



     ◆◇◆◇◆◇◆



「しばらく話を聞いていなかったが、どんな感じだ?」

「あの日以来、また夢を見なくなったんですけど、今朝、また急に夢を見ました。」

「で、どんな夢? また同じ夢か?」

「いや、前に見た夢とは違うんですけど、あれ…どんな夢だっけ…?」


 視聴覚準備室の椅子の上、鐘ヶ江から渡されたペットボトルのお茶を飲みながら、一紗は頭を抱える。


「あれ、朝は覚えていたのに……あれ? あんなにうるさい夢だった……のに?」

「夢なんだから、仕方がない。」

「でも、前の夢は、覚えているのに……今も、ずっと。」


 そのまま、一紗が一人、思い出そうと必死に考えこむ時間が流れる。

 考えこんでいるのは、一紗だけではなかったのかもしれないが。

 しばらくして、鐘ヶ江が口を開く。


「まあ、無理に思い出そうとしても仕方がない。気分転換に一つ、私の知っている、とっておきの話をしてやろう。」


 そんな前置きして、鐘ヶ江は話しだす。


「この学校には、悪者がいる。」

「はあ…?」

「具体的な内容を言うと、この学校で罪を犯している奴がいる。誰なのかは分からんが、とんでもない悪者がいる。」

「なんですかそれ。冗談にしても笑えないですよ。」

「冗談とは失敬な。これは私の信頼できる情報網からのネタなんだぞ?」

「悪者って……ふざけているようにしか聞こえ……ん?」

「どうした?」

「いや、確か、今朝の夢も、そんな感じだったような…。」

「そんなって、どんなだ?」

「この学校に、悪者がいる………とうるさくしつこく言ってきた…そんな夢でした。はい。」

「それは、本当か?」

「はい。」


 鐘ヶ江は、驚きの表情をしながら、一紗を見据える。

 一瞬たじろぐ一紗だったが、すぐにある疑問がわいた。


「ていうか、信頼できる情報網って何なんですか。」

「そこは秘密だ。大切な生徒を巻き込みたくない。勘弁してくれ。それより君が見た夢の内容のほうが大切だ。その夢は、この学校に悪者がいる、と言っていたんだね。」

「はい。」

「そうか…。」


 鐘ヶ江は、しばらく何かを考えこんだ後、口を開く。


「なあ、今日も、その、測定をしてみていいか?」

「脳波の、ですか?」

「そうだ。私の情報と、時期や内容が似ている。これが、私の情報網からの漏洩だとしたら、色々と大変なことになる。だから、もしその夢が人為的なものならば、突き止めておきたいんだ。」


 何か悪者の情報が分かるかもしれないからな、と付け加える鐘ヶ江。


「それはいいんですけど…そういえば、この前の測定では何かわかったんですか?」

「断片的なことはなんとなく。だが、より確実なものにするためにも、さらなる測定が必要だ。この前の辻君の様子を見ていると、なかなか頼みにくかったんだが…いいか?」

「わかりました。いいですよ。」

「助かる。じゃあまずそこの椅子に座って…」


 こうして、鐘ヶ江による脳波の測定は再開された。

 しかし、朱色の記憶が再び追体験されることはなかった。


 その日以来、たびたび、あの「学校に悪者がいる」と訴えかけてくる夢を見るようになった。

 そのたびに、一紗は鐘ヶ江に報告し、視聴覚準備室で脳波を測定してもらう、という習慣が身につき始めた。

 そして、これは一紗自身も気がついていないことだったが、夢を見る間隔は日に日に短くなっていった。


 その日も一紗は、朝にあの夢を見て、放課後、鐘ヶ江に測定をしてもらっていた。

 しかし、その日は教室にプリントを忘れてしまった事に気が付き、人影の少ない校舎の中、一人で教室に向かっていた。



 静まり返った教室に入ると、そこに彼女はいた。



「あら、珍しいわね。」

「なんでこんな時間にこんなところにいるんだ。」


 黒い長髪を手で撫でながら、教卓に腰掛けているのは、夢華だった。


「こんな時間にこんなところにいたら、だめなの?」

「だめとは言ってない。なんでいるんだって聞いているだけだ、ゆ、夢華。」


 多少ためらいながらも、名前を呼ぶ。


「あら、名前覚えてくれたんだ。うれしいわ、辻くん。」


 そう言いながら、教卓から飛び降りる。髪がなびき、スカートがめくれる。ちらっと見えてしまったのだが、あいかわらず夢華は気にしないようだ。


「日直だったのよ。だから、その責務を全うしていただけ。辻くんは?」


 日直とはいえこんな時間まで残っているのは、いささか不自然だったが、あまり追求する気になれなかった。

 この教室に入った瞬間の彼女の目が、少し、淋しげだったから。

 それがどうって訳ではないが、彼女は昼間、誰とも話していないという状況が思い出されると、なぜか、問い詰めることはできなかった。

 代わりに、一紗は答える。


「プリントを忘れたんだ。それを取りに来ただけ。」

「それは学校に遅くまで残っている理由にはならないと思うけど?」


 妙に鋭い、と思ったが、測定のことを言うわけにもいかず、一紗は適当にはぐらかした。

 そのまま、お目当てのプリントを手に取り、教室を去ろうとする。


「待って。」


 おもむろに、夢華に呼び止められる。


「途中まで一緒に帰らない?」



     ◆◇◆◇◆◇◆



 日が傾き、空が真っ赤に染まる頃。

 一紗と夢華は、並んで歩道を歩いていた。


「けっこう、同じ方向なんだな。」

「そうみたいね。」

「………。」

「………。」


 並んで歩いているといっても、これといった会話はない。一言二言の往来があるだけだ。


「そういえば、こないだ言っていた夢の意味がなんとかって、どういうことだよ。」

「さあ。自分で考えて。」

「………。」

「………。」


 沈黙が痛く感じられ、一紗は話題探しに周りを見渡す。

 ふと、あるものが視界に入った。

 それは、小高い山の中腹にある、どこにでもあるような墓地。

 気が付くと、夢華も同じ方向を見ていた。


「……誰か、あそこに眠っているの?」

「父さんと母さん。」

「そう。」

「変なこと聞いてごめんなさい、とかないのかよ。」

「ないわ。辻くんの気持ち、よくわかるから。」

「わかってたまるか。」


 そうだ。わかってたまるか。


「わかるわ。」

「なんでさ。」

「私も、両親がいないから。」


 また、痛い沈黙が二人を支配する。


 そして、墓地の前を過ぎ、とある分かれ道で、一紗は左に曲がろうとした。


「あ、そっちなのね。私はこっち。」

「そっか。」

「じゃあ、さよなら。」


 そのまま、二人は別々の道を帰っていった。


 まだその時は憂鬱そうでも綺麗に見えた、真っ赤な夕日に見守られながら。

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