scene 2

『―――がして。』


 自意識の確立が保てない空間、誰かに語りかけられる。


『さがして、欲しい、の。』


 答えようにも声が出ない。いや、そもそも発声の方法が思い出せない。


『こんな、人、を。』


 唐突に突きつけられるイメージ。人の形をしているが、そのほとんどがぼやけていてよくわからない。

 一つだけはっきり見えるのが、胸元に下げられた銀の指環シルバーリング


『さがして、そして―――』


 そこから先の声は、




「……にいちゃん、お兄ちゃん!」


 自分を大きく揺さぶる手と声によって上書きされた。


「……かな、で…?」

「何寝ぼけているの、お兄ちゃん! 起きてってば!」


 眼をゆっくりと開く、そこにはすでに制服に着替えてある奏の姿があった。


「もうこんな時間だよ! また遅刻しちゃうよ!」

「ぇ…?」

「ほら、時計見て!」


 顔を無理やり動かされ、壁に掛けられた時計を見せられる。

 そして、現状を把握し、素早く布団から出る。


「ありがとう、奏。もう、起きるよ。夢を見ていただけ、だから。」

「また夢…? 今度はどんなの?」

「たぶん、同じ夢。」

「たぶんって…。」

「それより奏。朝ごはんを頼む。」


 そのまま、顔を洗うため部屋を出て行く一紗を、奏は静かに見守っていた。


「もう…なんでそんなに冷静なの…。」



     ◆◇◆◇◆◇◆



 奏の尽力により遅刻は免れた。

 しかし、一紗は授業中、昨日より酷く上の空だった。


「…夢は、脳内の記憶整理のために形成される無秩序なイメージ群、そこに神託のような外的な意味があるとは思えない、けど…。」


 静かに口だけを動かして思考するのは、昔から一紗の癖である。

 音にならないその声は、周囲に聞かれることはない。


 しかし、教壇の上からは、やはりどこか目立つらしい。


「辻、よもや担任である私の授業で上の空とは、大分強気だな。」

「…ぅえ? あ、すいません。」

「ペナルティだ。この問題を……というのは、君には無意味だったな。」


 一紗に注意してきたのは、数学教師の鐘ヶ江かねがえだ。自身が言った通り、一紗のクラスの担任も受け持つ。何故か常に身にまとう白衣がトレードマークだ。


「とりあえず、授業はまともに聞きなさい。辻はふりでもいいから。」


 ふりでいいのかよ、という突っ込みを受けながら授業を続ける鐘ヶ江先生。その掴み所のない性格によって、生徒からの人気はいい方だ。

 鐘ヶ江に指摘され、一紗は一応授業を聞く素振りを見せる。

 そのまま時が過ぎ、終了のチャイムがなると、各々筆記用具を片付け始める。


「おいおい、まだ授業が終わったなんて言ってないぞ……まあいいか。」


 あまり気にする様子もなく、白衣を翻して教室を後にする鐘ヶ江。

 しかし、唐突に戻ってきて、大声で伝える。


「辻、放課後ちょっと職員室に来てくれ。話があるからな。」


 とうとう呼び出しか、とクラスメイトに笑われる。一紗は、特に気にしないことにした。



     ◆◇◆◇◆◇◆



「鐘ヶ江先生、おられますかー?」

「こっちだ、辻君。」


 教室がある棟から、学食がある方向とは逆の方向にある職員棟二階の職員室。

 珈琲の匂いがする中、お目当ての先生の机にたどり着く。


「で、用件は何でしょうか。授業態度のことなら今後改めますから…」

「それも言いたいところだが、まあお前の頭なら大丈夫だろう。」

「だったら、何ですか?」

「辻、そんなに早く帰りたいのか。」

「はい。」

「お前なあ………まあいい。なら、手短にいこう。」


 観念した鐘ヶ江は、棚からファイルを取りだし、そこに挟まっていた一枚の紙を一紗に突きつけた。


「あ…。」

「心当たりは?」

「ないです。」

「ダウト。」

「………。」


 鐘ヶ江によってひらひらと見せつけられているのは、今朝提出した進路希望調査。

 ほとんどの欄にはそれらしいことを書いておいたが、やはりあの欄が空白のままだった。


「あのなあ…」

「お言葉ですが、先生。『将来の夢』なんてそんな小学生に聞くことを高校生にもなって…」

「だからこそ、だよ。」


 鐘ヶ江は、紙を机の上に置き、一紗を正面から視線で射抜く。


「いいか、高校生にもなると将来設計にある程度のリアリティを感じられる時期だ。かつ、荒唐無稽な望みを言うような年ではない。正義の味方、とかな。」


 鐘ヶ江は続ける。


「だが、夢を語るには十分に若い。現実的な無限の可能性がまだあり余るのだからな。」


 少し間をおいて、真剣な口調で言い放つ。


「だからこそ、問うのだ。」


 突き付けられた重い雰囲気に少し気圧される。それを察したのか、鐘ヶ江は背もたれに身体を預け、軽い口調で「そもそも夢を語ってはダメな年齢なんてないと思うがな。」とウインクしてきた。


しかし、一紗はしばらく黙り、ゆっくりと口を開く。


「先生は……。」

「ん?」

「先生は、どうだったんですか。俺たちぐらいの頃に、将来の夢とか、ちゃんとあったんですか?」

「ああ、あったとも。学校の先生ではなかったがな。」


 そういえば鐘ヶ江には、一流大学を首席で卒業したエリートだという噂もある。頭のよさは授業の端々から滲み出てくるし、教師であることに疑問をもつ他の先生もいるらしい。


「だが、今は別の夢を持っている。人生、わからないものだ。だから、とりあえずやるしかないのだよ。」


 これは、鐘ヶ江の口癖だった。授業中でも、日常でも、よく使う言葉だ。

 とにかく、と前置きして鐘ヶ江は続ける。


「素直になれよ。願望は誰だってある。一度きりの人生だ。やりたいことやって生きていたいだろ? 夢は誰だってみるものだ。いや、みることができるものだから。」

「夢、ですか…。」


 少し思案していると、あることに気がついた。

 それが見えたのは一瞬だった。白衣の下のシャツの隙間から、本当に一瞬覗いただけ。

 だが、脳の処理というのは、一度に幅広い処理を行っているという。

 故に、それを見つけてしまったのだろう。


「……先生、それ、なんですか?」

「どれだ。」

「その、首にかけているやつです。」

「これか?」

「はい。」


 鐘ヶ江がシャツの下から取り出したのは、細い鎖で繋がれた銀の指環シルバーリング

 改めて目の前に現れたそれを見て、一紗は確信する。


「一応隠しているつもりなんだ。言いふらすなよ?」

「あ、はい。それは、もう。」

「しっかし、よく見つけたな。」

「はい…。」

「…どうした?」

「いえ…。」

「歯切れが悪いな。どうしたんだ?」


 どうしても気になった一紗は、事情を説明することにする。

 鐘ヶ江が身に付けているその指環を、昨夜の夢でみたこと。

 そして、同じ夢を二日連続でみているということ。


「あるときから、俺は夢を見なくなったのに、ですよ。」


 最後にそう付け加えて、一紗は言葉を止める。

 そっちの夢かよ、と最初は話半分で聞いていた鐘ヶ江。しかし、話し終わるころには、これまでにない真剣な顔になっていた。


「なあ、一紗。お前今日このあと暇か?」

「いえ、一刻も早く帰りたいのですが。」

「その不可解な夢、少し心当たりがあるんだが。」


 まさかの言葉に、一紗は知らぬうちに息を飲む。


「どういうことですか…?」

「なあ、一紗。お前今日このあと暇か?」


 先ほどと同じ問い。しかし一紗にとって、先ほどとは質問の重みが違った。


「………空いています。」

「よし、じゃあ先に視聴覚準備室に向かっていてくれ。机を片付けたら私も行く。」


 変な場所を指定するものだと思いながら、一紗は一人で、職員室を後にした。

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