第5章

「暗いですね。」

「ああ。だけど今日は満月。明かり無しでもちゃんと見える。」


 日が落ちてかなりの時間が立ち、クラシキのそれより大きく見える月の灯りの下、カナたちは森の中を進んでいた。


「だけど、本当に付いてきてくれてありがとう。」

「仕方なく、よ。この子たちを危ない目に合わせたら絶対に許さないから。」


 緋と蒼の視線が鋭く射抜く。


「あ、あの、先生…。」

「いいんだよ、カナくん。」

「でも…。」

「カルチェがそう言うほど、危ないことであることは確かなんだから。」

「…はい。」






―――――夜の森を歩く数時間前、襲撃された議会の映像が流れた後、サックスはカナ、ルナ、カルチェの三人と、別室で話をした。

 その話の概要は、襲撃の犯人のところへ乗り込んで話をつける、という内容だった。


「で、そもそもなんでそんなことをするのよ。」


 初めてこのログハウスに来たときに話をした客間で、カルチェはサックスを睨みつけていた。


「単刀直入に言うよ。あの襲撃、レルフによる可能性が高い。」

「どうしてそんなことが分かるのよ。」

「実はこの《島》では、前々から不自然な放火事件があってね、それらを調べてみたことがあるのだけど、どれも魔法で火をつけたとしか思えない手口だったんだ。そして、この《島》の人たちは魔法を行使できない。」

「つまり、犯人は別の《島》から来たレルフの可能性が高い、という訳ね。」

「そういうこと。だからこそ、一刻も早く取り押さえなければいけない。」

「あ、あの。」


 申し訳無さそうにカナが挙手をする。


「犯人がレルフだと、その、どうなんですか?」


 質問の意図が掴めなかったサックスに代わり、カルチェが答える。


「レルフによる他の《島》への過度な干渉は重罪なの。その《島》の秩序を大きく揺るがしかねないからね。特にスピルカのように魔法が使えない人たちの《島》だったら、それこそ一人で完全征服ができるからね。」

「へぇ、なるほど…。」

「そんな罪を、見逃すわけにはいけないんだよ。」


 怒りに震えるサックス。何故そこまでレルフによる襲撃を憎むのか、疑問に思っていると、カルチェが小声で耳打ちしてきた。


「サックスはね、昔調査で長いこと住んでいた《島》を別のレルフに滅茶苦茶にされたのよ。」


 それを聞いて、カナは触れてはいけないことだろうと思い、サックス本人に直接聞くことを控えた。


「で、敵の場所の目星は付いているの?」

「ああ。襲撃に使用した火球の軌道から、大体の位置は特定できた。今までの犯行で精霊の森の中からの魔法だということはわかっていたから、ほとんど確実だろう。」

「精霊、は?」

「精霊の仕業じゃないのか、ってこと?」


 質問内容を確認され、こくと頷くルナ。


「それはないよ。この《島》の精霊は人間に手を出したりはしないから。その理由はまだわかってはいないけど。」

「だ、だったら、犯人がレルフだとして、その動機は?」

「それもわからない。だけど、さっきも言った通り、罪を見逃すわけにはいけないんだよ。」


 先ほどと同じ言葉を繰り返したサックスは、ソファーから立ち上がった。


「話はこれぐらいで。さっきも言ったように乗り込むのは今夜。それまでゆっくり身体を休めておいて欲しい。」


 それからログハウスで身体を休めた。とても穏やかに休める精神状態ではなかったが、静かに落ち着いているルナを見ていると、ソファーで少しだけゆったりすることができた。

 その後、もし全てがうまくいき、クラシキに戻ることができたら、もう会えないであろうキークと子どもたちにお礼と別れの挨拶をした。「また会える?」と聞いてきたイルクとメルクにははっきりと答えることはできなかった。一緒にいたのは一日と少しだったが、それでもさみしいものがある。

 夜に出ていくことに、子どもたちはおろかキークも特に疑問を唱えたりはしなかった。「サックスさんのすることなら、正しくはあるでしょうから。」とのこと。

 ちなみに、あの白いお守りは、お土産ということでルナに渡された。






 そして、今に至る。

 薄暗い森を歩いていると、時折遠くの方に淡い光がちらつくのがみえた。サックスによると、あれは精霊の光らしい。その数から、多くの精霊が存在していることがわかる。その光を見るたびに、リノのことを心配せずにはいられないカナだった。


「ねえ、ちょっと思ったんだけど、敵が森の中にいるなら、森の精霊たちに聞けば場所ぐらい分かるんじゃないの? そのレルフだって余所者なわけだし、目立つと思うんだけど。」

「それが、誰も教えてくれないんだ。知っている精霊がいてもおかしくはないのに……あ、ちょっと寄り道させてね。」


 そう言って、少し開けた場所に出ると、そこにはあの、カナが介抱されたサックスの小屋があった。

 小屋に入っていき、しばらくして出てきたサックスの手には、小さくて透明な宝石が埋め込まれた指環が握られていた。


「っ! それって…まさか、確かめたいことって。」

「そうだよ、カルチェ。ねえ、カナくん、この指環を、ちょっとはめてみてくれないかな?」

「え? あ、はい。」


 先生の反応は少し気になったが、止めてくるわけでもなかったので、指環を受け取り右手の中指にはめる。

 すると、驚くことが起きた。透明だった中央の宝石が、内側から澄んだ黒色に変化したのだ。その色を何かに例えるなら、『夜色』といったところか。


「なに、これ…?」


 一人驚いていると、サックスとカルチェが、神妙な顔をしてカナの顔と闇に染まった指環を眺めていた。


「カルチェ…どうだ、言った通りだろ?」

「ええ……驚いたわ。」

「あの…。」

「カナくん。ちょっと、手の甲をこっちに向けてみて。」

「は、はい。」


 言われたとおりに手の甲を向ける。


「それで、その、そうだな。なにか、手の前に壁ができるイメージをしてみて。小さくていいから。あ、でも黒色でね。」

「……イメージ?」

「妄想とか、そんな感じでいいわ。」


 カルチェの助言にしたがって、カナは自分の顔ぐらいを覆うほどの半透明で黒い四角の板が、手の甲の前に存在するかのように想像してみた。


「わわっ!?」


 すると、指環の宝石が少し煌めき、想像したものがそのまま想像した場所に現れた。

 驚きに右手がぶれるが、その動きに合わせて板も動く。

 それを確認したサックスは、指でその板を弾いた。甲高い音が響く。


「あの、これって…。」


 その問いかけには、サックスもカルチェも、黙ったままだった。

 しかし、しばらくしてサックスが口を開く。


「それは、あらかじめ魔力が込められた、護身用の指環で」

「もう嘘はやめない?」


 カルチェがサックスの言葉を中断させる。

 そのときカルチェは、この《島》に来た初日、カナたちに説明した後で、サックスと二人きりで交わした会話を思い出していた。



―――――なによ?思い当たる節でもあるの?

………少し、ね。これもまた仮説なのだけど………カナくんは、魔力を所持している。

…………なんでそう思うの。

 あんな華奢な身体で大型のヴォルガを退ける力、そして驚異的な回復力………魔力の加護があるとしか思えないんだ―――――



 カルチェは、慎重に言葉を選んで、カナに伝えた。


「その指環は、体内の魔力を物質に変換しやすくするための補助道具なの。」

「と、言うことは…?」

「そう、あなたには魔法を行使する力、魔力が宿っているの。」

「ぼくに……? でも、ぼくはただの人間です、よ?」


 すると、カルチェは非常に苦々しい顔で答える。


「それは、私たちにもわからないの。その魔力が何なのか、なぜ影南に宿っているのかも。もしかしたらレルフの魔力かもしれない。そんな色は見たことがないけどね。」


 手の甲をこちらに向け、半透明の黒い壁越しに宝石を見る。ルナも横から覗き込んでいるその宝石の色は、依然として闇色。

 正直、カナは言葉を失っていた。

 今までの人生を振り返る。出生が特別な訳でも過去に何かあった訳でも………過去………むかし………幼いころ…………


 そんなことを考えていると、突然カナの息が荒くなった。

 その様子にいち早く気がついたのは、ルナだった。

 真正面に立ち、カナの肩を掴む。


「カナ、こっちむいて!」


 カルチェとサックスもその異常に気がつく。


「カナくん…?」

「ねえ、大丈夫!?」


 ルナに大きく肩を揺さぶられ、虚ろな瞳がゆっくりとルナを映す。


「めを、みて。」


 金と黒の視線が交差する。


「だいじょうぶ、だから。」


 凛とした瞳に諭され、呼吸が落ち着いてくる。


「…………ありがとう、ルナ。」

「うん。」


 うなずき合うふたり。蚊帳の外となったカルチェが話しかける。


「えっと、大丈夫?」

「…はい。もう大丈夫です。」

「一体どうしたの?」

「いえ、ちょっと昔を思い出そうとして。」

「思い出しただけで? 何かあったの? あ、無理に言えとかじゃないからね。」

「いえ、違うんです。何も思い出せないんです。思い出そうとすると苦しくなって、そこから先に進めなくて。幼いころの記憶に、靄がかかっているみたいで。」

「そう、なんだ。」

「あ、でも、もう大丈夫です。ルナのお陰で落ち着けました。話の続きをお願いします。」


 サックスに続きを促す。心配そうな眼差しをしているが、サックスが深く追求することはなかった。

 そして、まだそこに存在する半透明の壁を指でコツコツ鳴らしながら言った。


「この壁はなかなか強い盾になるから、危なくなったらうまく活用してね。」

「…はい!」






 その後、カナたちはまた森の中を歩いていった。

 その道中、後ろでカナとルナが指環を一緒に観察しているとき、サックスとカルチェが、ふたりに気づかれないように小声で話をした。


「カナくんの魔力のこと、実は心あたりがあるんだろ?」

「さて、何のことかしら?」

「………カルチェが命をかけてあいつと一緒に調べていたこと、その延長線上にあった実験が、実は切羽詰まった状況になって無理やり行われたんだよ。」

「っ!?」

「状況から察するに、カナくんは例の実験の被験た」

「やめて! 今考えるべきはそんなことじゃないでしょう!」

「先生…?」


 いつの間にか大きくなっていた声に、カナが心配そうに声をかける。


「あ、ああ、大丈夫よ。だから、気にしないで?」

「はい…わかりました。」

「そうそう。いいこいいこ。」


 わしゃわしゃとカナの頭を撫でる先生。隣のルナの視線がなんとなく険しくなった気がする。


「静かに! ……見えたぞ。」


 サックスが言葉を発し、足を止める。

 そこには、円状に木々がなぎ倒された、異様な空間が展開されている。その中央には高さが三メートルほどの灰色の立方体が鎮座している。

 警戒しながら近くまで進む四人。反対側の壁には縦長い長方形の穴が空いていて、そこから地下へと続く階段が延びている。


「ここかしら?」

「ああ、火球の軌道から計算した場所とも一致する。」

「そう、ですか…。」

「じゃあ、いくぞ。」

「あ、ちょっと…。」


 引き留めようとするカルチェの声を無視し、サックスは階段を降りていく。


「仕方がないわ。私たちも行きましょう。」


 同時にうなずくふたりの生徒を見て、カルチェも階段を降りていった。ふたりもそれに続く。


 階段を降りた先は、細長いまっすぐな廊下になっていた。その壁や天井や床には、赤レンガが敷き詰められている。

 そして、廊下には小さな燭台が壁に並んで設置されていた。そのため、視界は少し薄暗い程度で、特に困ることはない。

 その廊下をしばらく進んでいると、右手に金属製の扉が現れた。


「……開けるぞ。」


 サックスがドアノブを掴み、ゆっくりと回す。だが、その扉が開くことは叶わなかった。


「鍵がかかってる……。」


 鍵穴もないため、内側から鍵がかけられているのだろう。

 無理やり突破するより、奥へ進む方がいいというカルチェの判断から、四人はまた廊下を歩き出した。


 次に左手に見えた扉には、鍵がかかっていなかった。


「入るぞ。」


 その扉の中は、四角い部屋になっていて、その中央に丸いプレートのような機械が置かれている。その前には小さなモニターが設置してある。

 カナとルナがその近未来感たっぷりな装置に見とれていると、カルチェが声をあげた。


「これって………《転送装置アルテライト》!?」

「静かに! 敵の本拠地だぞ!」

「あ、ご、ごめん。」


 サックスに諫められ、声を落とすカルチェ。

 恐る恐るカナが尋ねる。


「あの、そのあるて…なんとかって、何ですか?」


 カルチェが小さな声で答える。


「《転送装置アルテライト》。これはね、《転位アルージュ》をどんな色の魔力でも機械的に引き起こす装置なの。」

「え、それって……。」

「そう。うまく使えれば、これでクラシキに帰ることができるわ。」

「ほんとですがっ!?」


 ルナに口をふさがれた。いつの間にか大声になっていたらしい。


「ええ、そうよ。でも…。」


 浮かんでいるモニターに、先ほどから何かを入力しているサックス。カルチェはその隣に移動して、モニターを覗き込んだ。


「どう?」

「だめだ。ロックがかかっている。パスワードが分からないと使用できない。」

「そう…。」


 その言葉に、重くなる空気。しかし、そんな中、ルナが口を開いた。


「本人に、きけばいい。」


 その言葉に、カルチェとサックスが反応する。


「…そ、そうね。本人に聞けばいいわよね。でも、そんなにうまくいくかしら。」

「どうせ攻め込むんだ。尋ねる内容が一つ増えただけ。なんとかなるさ。」

「そう、かもね。」

「だから、とりあえず先に進もう。」


 そして、カナたち一行は、さらに廊下を進むことにした。

 しばらくして、また右手に扉が現れたが、その部屋は明かりが一つもない真っ暗な部屋だった。このまま中に入るのは危険だと判断し、そのまま先へ進む。


「そういえば、例の犯人ってどんな奴ですかね。」

「分からないわ。火の玉を操っていたから、赤色術士だとは思うけどね。」

「あれ? でもぼくたちをスピルカに飛ばしたのは空色術士なんですよね?」

「同じレルフだから、一緒に行動しているのではないかと思ったんだ。それでなくとも、情報ぐらいは持っている可能性は高い。だから君たちも連れてきた。もっとも、《転送装置アルテライト》が見つかった以上、もしここに空色術士がいなくても、君たちが帰る方法は見つかった訳だけど。」


 そんな会話をしていると、廊下の突き当たりに辿り着いた。ここから後ろを向くと、降りてきた階段がかなり遠くに見える。そして、正面の壁には、いままでとは違う、木製で両開きの扉が存在していた。


「入る、ぞ。」


 全員がうなずいたのを確認して、中に入る。

 そこは、先ほどの廊下をそのまま広くしたような空間が拡がっており、突き当たりの壁には、四色の球体を携え、小奇麗な民族衣装のようなものを着た、神秘的な青年を描いた大きな絵が飾られていて、祭壇のようになっている。

 そして、その前には、こちらに背を向けてひざまずく人影があった。薄暗いこの空間では、容姿までは分からない。


「誰だ。」


 男性と思われる低い声が祭壇に響く。


「僕はサックス。崇高なるレルフの掟に従い、《島》への過干渉という蛮行を止めさせるためここに来た。」


 サックスは、そう言いながら少しずつ祭壇へと歩き出す。その足音すらよく響く。


「そうか。」


 祭壇前の男は立ち上がり、こちらへと振り返った。


「残念だが、それはできない相談だ。」

「なら、力ずくでも止めるまで。」


 さらに前へと進むサックス。


「ほう。」


 突然、男が両手を振り上げた。直後、この空間に配置された全ての燭台が勢いよく燃え上がる。

 普通の燭台ではあり得ない豪快な炎。その灯りに照らされ、空間の隅から隅までが視認できるようになった。

 そして、そこにはっきりと現れた男の姿を見て、サックスとカルチェは目を見開いて動きを止めた。

 男の髪は眩いほどの真紅で、瞳は燃え上がる炎の如く輝いていた。


「なっ…!?」

「『原色モデル』だと…?」

「俺の名前はブレイド・M・マゼンタ。止められるものなら止めてみろ。」


 男の足元に、赤い、赤い輪の紋章が展開される。


「っ!!」


 対峙するサックスも足元に紋章を展開する。こちらは水色。男のそれより少し輪が小さい。


 そして、同時に弾け飛ぶ輪の紋章。

 先に仕掛けたのはサックスだった。


「やるしかない!」


 突き出した両手から何十発もの氷の槍が飛ばされる。

 祭壇前に佇みながら、真紅の髪をなびかせる男性、マゼンタは、左手を突き出して生じさせた、自身の身長ほどの炎の壁によって、その槍たちを一つ残らず霧散させた。

 サックスは、攻撃の手を休めることはない。だがしかし、さらにスピードが上がった槍でさえ、マゼンタの前では無力だった。

 おもむろに、マゼンタは右手を天井へと掲げる。


「そんな薄い「色」でこの俺を止められるとでも思ったか!!」


 右手が降り下ろされる。それに呼応するように、目の前の炎の壁から、その大炎ですら狭いと言わんばかりの大きさの、炎の龍が飛び出してきた。


 その暴力的とも言える塊に、氷愴を撃ち込み続けた水色のレルフは、実に呆気なく呑み込まれた。


 その一部始終を、後ろにいた子どもたちは、ただただ為す術もなく、その瞳に焼き付けることしかできなかった。


 動けなくなっていた子どもたち。その眼前にまで迫る龍。


 焼けるような暴力が、温度となって感じられる。その瞬間ですら、何も考えることはできなかった。


 だが、


「させない!」


 急に、子どもたちの手首が何かに掴まれた。


 瞬間、視界に入るもの全ての流れが遅くなった。それはまるで絶望を目に焼き付けさせるための如く。

 死ぬ間際に時間が極端に遅く感じるというのは、こういうことだろうか。


 ただ、掴まれた手首が、勢いよく引かれたとき、意識が現実に引き戻された。


「せ………先生…?」

「逃げるよ! 絶対に手を離したらダメだからね!!」

「で、でも、サックスさんは!?」

「もう間に合わないわ! 私達だけでも逃げるのよ!!」


 右手にカナ、左手にルナの手首を掴み、来た道を全速力で引き返すカルチェ。その瞳には、決意の光が宿っていた。そしてその足元では、紋が刻まれた、透き通る光の輪がはじけ飛んでいた。


―――――もう、躊躇わない。


 その瞳と髪は、普段とは異なり、この空間の空気と同じように、炎に照らされて煌めいている。

 これこそが、その場の色を透き通す――――通称『空色』。


「こっちよ!」


 ふたりの手を引きながら、入ってきた扉を蹴破る。そして、進んできた真っ直ぐな廊下を走り抜ける。後ろから追ってくる炎の龍の速度は、変わらず遅く、どんどん引き離していく。よく見ると、廊下にある燭台の炎のゆらめきも、自然の速度とは思えないほどゆっくりと振れていた。


「先生、これ…は?」


 走りながら先生に尋ねる。


「私は、空色術士なの。」


 燭台の炎に照らされた薄暗い髪をなびかせる。


「私の魔力は、時を操る力。それで、今、私と、私と繋がっているあなた達以外の時を、遅くしている。」

「それって」

「もう話しかけないで! 自分以外の時を、操るのは、すっごく、疲れるのよ。」


 走る速度を緩めず、それでも少し息を荒らげて、言い放つ。


「今はただ、目の前のことだけ考えなさい!」


 その言葉に、黙って前を向く。出口へと繋がる階段がかなり近くになってきた。

 しかし、ふと、周囲の壁が明るくなっていることに気がついた。

 振り向くと、振り切っていたはずだった炎の龍が、かなり近くまで迫っていた。

 それどころか、だんだん加速しているようにも見える。

 そして、それに比例するかのように、カルチェの息が荒くなっていく。

 これは龍が加速しているのではない。カルチェの魔法が弱くなっていっているのだ。そうカナは理解した。


「せ、せんせ」

「大丈夫! もう少しよ!」


 とうとう、階段まで辿り着き、一気に駆け上がる。

 迫る龍もまた、這うように上ってくる。


 出口から、外に広がる夜空が見えるようになり、そして、最後の一段を上り切る。

 だが、その一段に、ルナがつまずいてしまった。


「あっ」

「ルナ!?」


 ルナの姿が、スローに見えた。転んだ勢いで先生の手から離れ、時を操る加護から外れたせいだろう。

 ルナの後ろから、階段を上る龍が迫る。

 ルナもその方向をみて、少し目を見開く。

 その肌が、赤く照らされる。


 そのまま、龍に呑み込まれるかと思われた。


「ルナっ!!」


 次の瞬間、ルナの胸元で、白い閃光が走る。

 それは、おみやげに貰ったお守りからの光だった。

 その閃光に射抜かれた龍の頭は、ただただその場から霧散した。


「え、え?」

「…っ!」


 その様子を見て、カルチェの行動は早かった。

 即座にルナの元へ駆け寄り、その腕をつかむ。

 そして、建物の入り口の正面から離れる。

 その場所を、頭を失い、ただの波となった火炎が一瞬遅れて通り過ぎる。

 全員、放たれた熱風に包まれたが、誰一人火傷を負うことはなかった。


「このまま森に入るわよ!」


 正面に広がる木々の間へ飛び込む。

 これで、完全に敵を振りきったと思われた。

 しかし、夜の森が生み出す静寂の中、逃げ出した建物の屋上から、空気を掻き乱す高めの音が聞こえた。

 それは、四つのプロペラが四隅に配置された、四角で薄い、機械的な飛行物体だった。

 それは、耳障りなプロペラの音をかき鳴らしながら、木々の間を飛行して、カナたちを追ってくる。

 そして、その一辺から人工的な光が放たれ、照らされる。


「追跡ドローンか…っ!?」


 そう呟いたカルチェを筆頭に、光に捕まりながら逃げ続ける。カルチェの魔法は、すでに効果が切れてしまっている。


 ふと、前方から生き物の気配がした。


「何か、いる…?」

「そうなの?」

「え? は、はい。前に…。」


 どうやら気がついたのはカナだけらしい。

 しばらくして、カルチェもその存在に気がつく。


「あれがヴォルガ、か……こんなときに!」


 空飛ぶ追っ手が放つ強すぎる光のお陰で、その姿が一瞬視認できた。

 それはたしかに、狼に似た風貌であるヴォルガだった。

 そのヴォルガが、こちらに向かって走ってくる。

 その様子を見て、カルチェは掴んでいた両手を離し、走りながら腕を前にして構えをとる。

 カナたちを照らす光によって、ヴォルガの全貌が明らかになった。

 そして、カルチェが手を振り上げる。


「まって!」


 腕が振り下ろされる前に、ルナが叫ぶ。その声で、カルチェの腕が掲げられたまま止まる。

 そしてヴォルガは、カナたちに当たる直前、大きく飛びあがった。

 その軌道は高く、三人の頭上を飛び越えていくほどだった。


「あの痣は…?」


 その様子を目で追い、カナはヴォルガを真下から見る形になった。

 その時、腹部の毛が薄い場所に、小さいが濃い痣があるのを見つけた。

 それは、他ならない自分が蹴り飛ばした場所だと、直感した。

 つまり、このヴォルガは、カナたちを襲い、そして撃退されたあのヴォルガ。

 ルナは、そのことをなぜか痣を見る前に分かっていたらしい。


 そのまま頭を飛び越えたヴォルガは、カナたちを追尾していた飛行物体に突撃した。

 全長二メートルもあろうかというその巨体に覆い被され、空飛ぶ機械はあっけなく墜落した。


「今よ! 今度こそ振り切るわよ!」


 再び森の奥へと走りだしたカルチェ。

 カナとルナは、墜ちた機械とまだ格闘しているヴォルガを横目で見ながら、その後を付いて行く。

 今度は腕を掴まれることもなく、自分の力で。


「主従関係…。」


 走りだしてしばらく後、そんな言葉を思い出しながら。



     §     §     ★     §     §



「やはり、旧型では逃げられたか…。」


 ここは、少し焦げた匂いがするあの建物の入口。

 真紅の髪を持つマゼンタは、左腕に装着された小さなデバイスの画面が映し出す「映像未受信」の文字に、そう呟いた。

 その画面をそっと閉じ、目の前に広がる精霊の森を仰ぎ見る。


 しばらくして、黒ローブをまとったクラルテが、階段を駆け上がってきた。


「す、すみません。扉が熱くて、なかなか出てこられなくて…。」

「別に構わない。」

「何があったのですか?」

「侵入者だ。一人は仕留めたが、残り三人を逃してしまった。」

「そう、ですか。」


 沈黙が、森の静寂と共に通り過ぎる。


「そういえば、侵入者の気配とかはなかったのか?」

「いや、ドアノブが回る気配はあったのですが、マゼンタ様が夜這いにでも来られたのかなとふとんの中で悶えて…。」


 だんだん小さくなる声を、マゼンタはうまく聞き取れなかった。


「…何を言っている?」

「な、何でもねえ! …です。」

「そうか。」

「は、はい!」


 クラルテはマゼンタから顔を背け、小声で呟く。


「あぶねえ……何を言っているんだおれ…。」

「……どうしたのだ、本当に。」

「は、はい!?」


 いきなり肩に手を置かれるという不意を突かれ、思わず裏声になってしまうクラルテ。


「そんなに驚かなくてもいいだろ。…それと、どうしてそんなきつく腕組みをしているんだ?」


 確かに、クラルテは身体の前で不自然にきつく腕組みをしており、巻き込まれているローブはしわくちゃだ。


「あ、あの、これは、いま、下着しかつけていなくて、恥ずかしくて…。」

「お前、下着で寝るんだな。」

「あ、暑いですからね。はい。そうです。はい。」

「男同士、気にすることもないだろうに。」

「で、でもまあ、その、ね、はい。」


 どうも歯切れの悪い応答をするクラルテだった。


「…まあいい。とにかく、明るくなったら奴らを探しに行くからな。それまで休んでいろ。」

「は、はい!」


 そのまま、マゼンタは階段を降りていった。

 その場にひとり、ぽつんとたたずむクラルテ。腕組みを解き、ローブの中を見る。

 そこには、鮮やかな赤色をしたパジャマが身を包んでいた。その胸元は、少し膨らんでいる。


「サラシを巻いていないから、なんて言えねえよなあ…。」


 そう呟きながら、ため息を吐く。


「にしても、男同士、かぁ……てめえで選んだ方法だが、やっぱ少しつらいな…。」


 そんな捨て台詞を残し、クラルテもまた階段を降りていった。



     §     §     ★     §     §



 カナとルナは、ふたりっきりで、夜の森を走り続けた。

 カルチェとは、先ほどルナが落ちていた木の枝につまずいてしまったのをカナが介抱しているうちにはぐれてしまった。

 いつどこに敵がいるのかわからない今、大声で捜すわけにもいかず、ただふたりで、はぐれないように手を繋いで走り続けている。

 生き物の気配も、プロペラの音も、なにもかもを感じず、ただ森の静寂に包まれ、自分たちの荒くなっている息の音と足音だけが大きく聞こえる。

 しばらく走ったあと、さすがに疲れたふたりは、足の早さを緩めた。


「休憩、したいね…。」

「…うん。」


 そう思った矢先、急に風が吹き込んで、あたりの葉を揺らす。

 その音に驚いたふたりは、急に走りだした。

 しかし、焦りのせいで、一瞬足元に隙が生まれて、木の根につまずいた。

 その勢いで、背の低い木の葉を掻き分け、急に開けた場所に出た。


「つぅ………ルナ、大丈夫?」


 とっさに庇ってルナの下敷きになったカナは、下からルナに問いかける。

 しかし、返事であるうなずきは、どこか上の空。

 なぜなら、ルナは目の前の風景に目を奪われていたから。

 疑問に思ったカナは、ルナを降ろし、身体を起こす。

 そして、その風景を見た。


「ここは…。」


 そこは、見覚えのある場所。円形の広場のような草原で、その周囲は木々に囲まれている。

 そして草原の中央には、見上げる程大きな一本の樹が、あの時と変わらずまっすぐ天に向かって延びている。

 あの時と違うのは、夜の帳が下りているということ。

 空高く輝く月と中央の大樹が、あの時とはまた違った神秘をそこに示していた。


 ここは、この《島》に来て、はぐれたルナを見つけた場所。

 あの時のことは、時間的には昨日か、または一昨日のはずなのに、かなり昔の出来事に思える。


 その風景に目を奪われていると、いきなりルナがカナの腕を掴んで、歩き出した。


「え、ルナ?」

「きて。」


 引かれるまま、大樹の根本までやってくる。


「ここ。」


 ルナが指差すその場所には、大樹の幹に空いた小さな空間が存在した。張り巡らされた大樹の根によって、周りから見えにくくなっている。どうやら、あの時にルナが見つけておいたらしい。


「確かに、いい場所……ここで休む?」


 うなずくルナ。その意志を尊重することにした。

 その空間は、見つけにくい代わりにかなり狭く、カナとルナがやっと入ることができるほどの広さしかない。

 森に吹く風は、少し肌寒くなっていたが、木の根によって風が遮られ、かつお互いの体温が感じられるこの状況では、その空間は過ごしやすい温度だった。


 周囲への警戒を怠らず、身体を休めるカナ。

 ふと、根の隙間から月がよく見えることに気がついた。


 その月は、見える大きさは違えど自分たちの《島》、クラシキの月と似ている。この世界には数多くの月があることが知られていたが、この世界の果てしない広大さを考えると、そのことには納得できる。だがもしかしたら、この月はクラシキで見たことのある月なのかもしれない。

 そのことを考えると、いままで忘れかけていた、クラシキへの想いが、また蘇ってきた。

 その感覚に溺れそうなった時、隣で密着していたルナが腕に抱きついてきた。

 だが、小刻みに震えているその身体をみて、下心は持てなかった。


「ルナも、こわい?」


 やさしく問いかけられた声に、静かにうなずくルナ。


「でも、だいじょうぶ。カナが、いるから。」


 自分と、同じことを考え、思っているひとが隣にいること。

 それがどれだけ心強いことであるかということ。

 そして、支えあうことができるということ。

 それが、とてもしあわせであること。


 そんなことを思ったカナは、いつの間にか静かに落ち着くことができていた。

 そして、真夜中の逃走劇による疲れを感じながらも、ささやいた。


「うん。ぼくも、ルナがいるから、大丈夫だよ。」


 すると、ルナの震えが収まっていった。そしてそのまま、呼吸が規則的になっていく。

 ルナもまた、走り続けた疲れが溜まっていたのだろう。次の瞬間には、呼吸はそのまま寝息となり、不安そうな表情も安らかな寝顔へと変わっていった。


「安心したのかな。よかった……。」


 そう呟いたカナもまた、抱きしめられたままの腕にあたたかい体温を感じながら、まぶたをゆっくりと閉じていく。


 月の光は、最後までふたりをやさしく包んでいた。

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