第3章

 カナ、ルナ、リノ、サックスの四人が森の中を歩いている中、その姿を遠くから睨み付ける視線があった。


「………見つけた。」


 心なしか薄汚れているローブをまとい、双眼鏡を手にクラルテは呟いた。

 その黒いローブは、ぬくぬくと明るい森の中では、異様に目立っている。だが、クラルテはそんなことを考えている素振りはない。

 しかし、距離が遠かったため、カナたちに見つかることはなかった。


「マゼンタ様には、見つけ次第報告しろと言われたが、ここで引っ捕らえて砦に連れていけば、よりお褒めくださるに違いない……絶対逃がさねぇ。」


 そう自身を鼓舞し、集団との距離を詰めようとしたそのとき、


「………どうやって捕まえる…?」


 最大にして最初からある問題に気がついた。


「マゼンタ様には無理をするなって言われたから………でもあの黒髪に太刀打ちするには………でもマゼンタ様に………でも………でも………。」


 その場でひとり、悩んで、悩んで、悩みぬいて、その結果、


「………くそぅ……。」


 悔しそうな捨て台詞を残し、その場から離れていった。



     §     §     ★     §     §



「ん?」

「どしたの?」

「いや………なんか、なんだろう、えっと………視線、ってこんな感じなのかな?」

「ふえ?」


 太陽がかなり傾いて、森の木々が紅く染まっていく中、カナとリノがそんな会話をしていると、サックスが前方を指差して言った。


「ほら、もう出口だよ。」


 その示す先には、開けた空間が繋がっていた。

 今更だが、道らしい道もないこの森の中を、どうやったら迷わずに出口まで辿り着けるのかが不思議だった。来た道を戻れと言われても無理なほどなのに。


 森を出る。この森は高台にあるらしく、なだらかに下っていく平原が広がっていた。近くにはログハウスが一軒あり、そこから高台の麓へ向かって砂利道が一本延びている。

 霞んで見える丘の麓には、街らしきものが拡がっている。


「僕が案内できるのはここまで。ここからはこの家の人に案内してもらって。大丈夫、優しい人だから。」


 そう言って、ログハウスの玄関までやってきた。そして、扉をノックしながら、


「すみませーん! キークさん、おられますかー?」


 そう声を出すと、中からどたどたどたとこちらに走ってくる足音が聞こえた。

 そして、扉が開かれると、小学生ぐらいの男の子と女の子が、顔をのぞかせてきた。


「こんばんはー。」

「どちらさま?」

「やあ、イルク、メルク。キークおばあさんはいるかな?」

「うん、ちょっと待っててね。」

「おばあちゃーん! サックスさんがきたよー!」


 二人の子どもはまた、どたどたどたと家の奥に消えていった。

 しばらくして、二人の子どもに急かされるように、一人の女性がやってきた。

 白髪で、初老を感じさせるその女性は、それでも深い貫禄があるように感じられる。目は細く、瞳は見えない。

 そして目についたのは、左耳だけに付けられた耳飾り。透明な水晶のようなもので作られたそれは、小さいながらもどこか不思議な雰囲気を醸し出していた。


「あら、サックスさん、今晩は。今日はどうしたのですか?」

「こんばんは、キークさん。実は、また森で迷子が出たんだ。」

「後ろのおふたりですか?」

「そうなんだ。だから、またいろいろ手伝ってやってくれないかな?」

「ええ、お安いご用ですよ。とりあえず、お上がりなさい。」


 目は細いが、こちらの様子は分かるらしい。ちゃんと見えているみたいだ。

 そんなキークに促され、軽い挨拶の後、カナたちはログハウスに入っていった。玄関で靴を脱ぐ間、二人の子ども、男の子のイルクと女の子のメルクが物珍しそうに見てきた。特に、金髪のルナには強い関心があるらしい。

 しかし、それも長くは続かなかった。


「あ! リノちゃん!!」


 後から入ってきたリノを見つけて、はしゃぐ子どもたち。


「やっほー、イルメル! 元気にしてたかい?」


 そのテンションに、自身の檸檬色な髪のような明るさで答えるリノ。そのまま先に、子どもたちを引き連れ奥へと入っていった。

 その後を追うように、カナたちもキークの案内で奥へと進む。


「そうそう、今日は他にもお客さんがいるのです。」

「イルクたちだけじゃなくて?」

「ええ。悪い人ではないみたいですから、あまり気にしないでくださいね。」


 大人二人のそんな会話を聞きつつ、廊下の先のリビングダイニングに入った。


「ネコムラさん、こちら、友人のサックスさんとそのお連れさんです。」

「ネコムラさん?」


 カナは、キークの声の先を凝視した。

 その先の、木でできた椅子には、蒼い髪の、よく見慣れた女性が座っていた。

 それは、カナとルナのクラス担任、猫村先生。


「ね、猫村せんせ」

「影南!? ルナミカ!!?」


 椅子を豪快に倒しながら立ち上がり、こちらに駆け寄ってくる。そして、カナとルナの身体中を確かめるようにまさぐってきた。


「無事か!? 無事なんだな!? ふたりとも!!」

「せ、せんせ……くすぐったいです…。」

「くぅ。」


 一通り確かめたあと、先生は涙ぐんで大きく息を吐いた。


「よかった………本当に、よかったぁ………。」


 猫村先生の行動に呆気にとられ、知り合いに会えて嬉しいはずのカナたちは、あまりリアクションがとれなかった。


「あ、あの、先生。えっと、どういう状況なのか教え」

「カルチェ・クーラルハイト……?」


 一瞬、先生の身体が震えた。声の主は、先ほどから目を見開いて、先生を見ていたサックスだった。


「……その名前を知っている、か。あんたはやっぱり、あのサックスだったんだね。同姓同名他人の空似を最後まで期待していたのに。」

「僕は僕だ。それより、なんでここに? 《島》流しにされたのじゃなかったのか?」

「しりあい?」

「というか、状況を…。」


 どんどんややこしくなっていく中、困惑し続けるルナとカナのふたり。

 その様子に先生が気づいて、言う。


「………そうだね。影南、ルナミカ、ちゃんと説明、してほしいわよね。」


 大きくうなずくふたり。


「わかったわ。……すみません、キークさん。どこか一部屋、お貸ししていただけませんか?」

「いいですよ。サックスさんのお知り合いなら、悪い人ではないようですし。こちらへどうぞ。」

「ありがとうございます。」


 キークに案内され、二階へと案内される。リノは、子どもたちと一緒にリビングで遊んでいるようにとサックスに言われた。


「お話が終わったら、一声かけてくださいね。」


 察しのいいキークは、そう言って部屋から出ていった。

 案内された部屋は、ソファーと机とベッドがある、シンプルな客室だった。

 カナとルナはふたり掛けのソファーに隣り合って座り、テーブルを挟んで向こう側に先生が座る。

 部屋の窓枠にもたれてこちらを見ているサックスが声を出した。


「なあ、カルチェ。」

「その名前はやめて欲しいわ。この子たちの前では特に。いや、そもそも存在してはいけない名前でしょう。」

「だったら、クーラルハイト。」

「家名は捨てたわ。」

「じゃあなんて呼べばいいんだ?」

「猫村。」

「ネコムラ……? 変な名前だね。」

「………カルチェでいいわ。」

「カルチェ、どうしてわざわざ部屋を借りた?」

「ここの人達に聞かれるわけにもいかないでしょ?」

「ああ、そういうことか。」

「あの……。」

「ああ、ごめんね。さて、どこからお話をしましょうか……。」


 しばらく考え込んだあと、ぽんと手をたたいて、カルチェは言った。


「じゃあ、問答形式にしましょう。ふたりが質問して、私が答えられるだけ答える、ということで。」

「わかりました、先生。」


 ルナもうなずく。


「……さっきから気になっていたんだけどさ。」

「質問がある人は挙手してください。」

「…………はい。」

「どうぞ、サックスくん。」

「調子狂うな……で、何でカルチェが「先生」なんだ?」

「私はふたりが通う学校のクラス担任なの。」

「………そういうことか。ちゃんと生きようとしているんだな。」

「授業中は余計なことは言わないの。」

「授業なのかこれ?」

「先生と生徒が揃っているのよ。授業と言わないで何と言うのよ。」

「はいはい…。」

「で、ふたりは何か質問ある?」


 即座に手を挙げたのは、カナ。


「先生、質問です。」

「はい、影南さん。」

「ここはどこですか?」

「そうね。聞かれると思っていたわ。…サックス、この《島》の名前は?」

「やっぱり別の《島》から来たんだね。それならカルチェがここにいるのも説明が付く……ここは、『スピルカ』。精霊の《島》だよ。」

「別の、《島》…?」

「いい? 落ち着いて聞いてちょうだい。あなたたちが通う高校がある世界は、あの《島》は、なんて呼ばれている?」

「クラシキ。」

「ルナミカさん、正解。『クラシキ』よ。で、ざっくり言うと、この世界にはクラシキに似たような、生命が存在する《島》がたくさんあるの。あの果てしない水面の向こう側にね。たとえばこの『スピルカ』みたいな。」


 告げられた言葉に、理解が追いつけない。


「じゃ、じゃあ、ここは、クラシキとは、別の《島》…?」

「ええ。」

「あの果てしない水面の、向こう側…?」

「ええ。」

「ええええ!?」


 声を荒げるカナ。「無理もないわね。」とカルチェはサックスに視線を投げる。


「え、だって、現在の科学では、『クラシキ』以外に生命はおろか陸地すら存在しないって証明されているはず…。」

「それでも、他の《島》がある可能性だって提示されていたわよね。」

「それはファンタジーでしかありえないような話で……。」

「あなたたち、さっきまで精霊と一緒にいたじゃない。」

「あっ……。」

「人間が考え得る全ての出来事は、起こり得る現実なのよ。」


 断言されたカナは、しばらくはぐうの音も出せずにいた。

 しばらくして、隣でずっと黙っていたルナが手を挙げた。


「はい、ルナミカさん。」

「どうやってここに?」

「いい質問ね。」


 カナも気になる内容なので、耳を傾ける。


「おそらく、私たちはこの『スピルカ』に、魔法で飛ばされたのよ。それも無理矢理ね。」

「まほ、う?」

「そう、魔法。」


 いよいよファンタジーな話になってきた。もはやカナは驚かなくなっている。そして、変に冷静な頭で、ここへ来る直前のことを思い出した。


「あ、まさか、あの黒ローブが…?」

「察しがいいわね。そうよ、夏祭りの会場で襲ってきた、あの空色術士の魔法で私たちはここに飛ばされたの。」

「空色術士だって!?」


 いきなり、サックスが声を荒らげた。


「まさか、クーラルハイトの刺客か?」

「私はとっくに家名を捨てたってさっき言ったでしょう! それに、あの家はもう断絶して……って、そんな話じゃないわ!」


 乱れた蒼髪を手櫛で軽く直す。


「とにかく、あのローブの魔法でここに飛ばされたの。夏祭りの時、いきなり雨が降ってきたでしょう?」

「あ、はい。」

「あれは、《島》の移動だなんて大きなことを魔法でやっちゃったから、その魔力になびいて、大気が不安定になったから雨が降ったのよ。」


 そういえば、サックスさんの小屋で目覚めたときも雨が降っていたな、とカナは思い出していた。

 ふと、ひとつ気づいた。


「……先生、なんか、いろいろとご存じですね。」


 一介の公立高校の先生が、なぜこんなことまで知っているのか。

 その答えは、サックスが教えてくれた。


「そりゃあ、カルチェもレルフだからな。」

「れるふ?」

「サックス……それは、言わないで欲しかったわ。」

「…そうか、すまない。」

「え、え??」


 一気に暗くなった雰囲気に慌てるカナ。


「…仕方がないわ。レルフっていうのは種族の名前よ。魔法が使えて、《島》と《島》の間を移動する技術を持つほどのね。私もだし、サックスだってレルフよ。」


 サックスの方をみると、指を立てて、その先から光が放出し、その光が集まり環状の水に変化し、指先に浮かばせている。あれが魔法なのだろう。


「へぇ……だったら、先生も魔法を使えるとか? あ、もしかして、先生も元々はクラシキの外から…。」

「やめて。」


 思いつきの言葉を強い口調で遮られ、細められた緋と蒼のオッドアイで睨まれる。


「余計な詮索はしないで欲しいわ。今は目の前の事実だけを見なさい。」

「………はい。」


 あからさまに叱られ、しゅんとするカナ。その様子を見て、カルチェの口調が優しくなる。


「先生にも、いろいろあったのよ。」


 微笑んでくるカルチェに、カナは少し落ち着いた。だが、その顔がいきなり青ざめた。

 おそるおそる尋ねる。


「あの………帰れ、ますか?」

「そこなのよね。」


 沈黙が通り過ぎる。


「え、そんな……帰れ、ない?」

「大丈夫。私とサックスで何とかするわ。」

「ま、魔法で、ですか?」

「それは………できない。」


 答えたのは、サックスだった。


「レルフの魔法には、遺伝的に『色』が決められているんだ。例えば僕の場合は水とか氷とかを操る青色術士。といっても、かなり薄い『水色』だけどね。」


 水色の髪を左手で掻き、右手で水の輪を玩びながら、言葉を続ける。


「君たちがここへ来たのは、おそらく空間の移動《転位アルージュ》という魔法だろう。そんな魔法が使えるのは、空色術士だけだろうね。」

「空色、術士……?」

「そう。無色透明で空の色を映している空色術士。色に縛られていない、特異な術士だ。」


 水輪が弾けて光となり、消え去った。


「……せ、先生は、どうにかできないのですか? そもそも、先生は何色なんですか?」

「私は………《島》の間の移動なんてことはできないのは確かよ。」

「今更隠すことなんてないだろうに。」

「私は、子ども達の前では、ただの先生でありたいの。」

「…わかったよ。」


 静かで、重い空気が流れる。

 そんな場を打ち砕くように、カルチェは声を上げた。


「とにかく、さっきも言った通り、私とサックスで何とかするから。それまで、キークさんのお世話になりましょう。話すことはこれぐらいね。ほら、一階に行って子どもたちの相手をしてあげて、ね?」


 カナとルナが、静かにうなずく。

 そのまま部屋を出て行こうとした瞬間、ルナがいきなり口を開いた。


「二人は、どんな関係?」


 カルチェとサックスは一瞬驚き、その後微笑んだ先生が答えた。


「そうね。昔の同僚、みたいなところかしら。」


 そんなやり取りの後、ふたりは部屋を出た。


 そして、ふたりが一階に行くまでの、充分な時間が流れた後、二人きりの部屋の中、サックスが口を開く。


「カルチェ、どうしても気になるんだが、その髪の色と瞳………やっぱりお前はまだ」

「そんなことはどうでもいいの。サックス、私はただあの子達と一緒に自分達の《島》に帰りたい、それだけ。手伝ってくれる?」


 蒼い髪をなびかせ、二色の瞳で睨み付ける。

 その凛とした態度に、サックスは根負けした。


「……わかったよ。で、どうするんだ?」

「何かいい方法、ないかしら?」

「迎えに来てもらうために研究所と連絡を取る方法はあるけど…。」

「私がいることがバレたらまずいものね。」

「その通りだ。」

「あ……研究所に私のことは…。」

「黙っておくよ。今の日常、気に入っているんだろ?」

「………ありがとう。」


 先ほどの鋭い態度を一変させ、優しい視線でお礼を述べた。


「それにしても、なんでサックスはこんなところにいるのよ。」

「調査。秘境とも言える精霊の森のね。かれこれ一年ぐらいになるかな。まだまだ森の半分も調べきれていないけど。」

「ふぅん。」


 長い沈黙。窓から差し込むオレンジの光は、森の向こう側に沈み始めていた。


「……やっぱり空色術士を捜すしかないかぁ。」


 カルチェは、ソファーの上で伸びをしながら、間の抜けた声で言葉を吐く。


「だろうね。」

「ねえ、何か心当たりない?私たちと一緒にこの《島》に飛んできたと思うのだけど。」

「実は、ないことはない。」

「え!?」


 サックスは、さっきまでカナが座っていたソファーに、つまり、カルチェと対面する場所に腰を下ろした。


「ただ、いままでの話と僕の情報を合わせた上での仮説なんだけどね。だから、もう少し調査がいると思う。」

「わかった。手伝うわ。」

「残念だが、僕一人の方がいい。一年間森にいた僕の方がね。カルチェは、自分の生徒の側にいて安心させた方がいいんじゃないか?」

「………そっか。それもそうね。何か分かったら教えてちょうだい。」

「ああ、勿論だ。」


 お互いの協力体制が整ったのを確認して、カルチェは立ち上がった。


「そろそろ、私たちも一階に戻りましょう。」

「待ってくれ。あと、一つだけ。」

「………何かしら?」

「さっきの話、例の空色術士が狙っていたの、カルチェじゃなかったのなら、いったい誰を狙っていたんだ?」

「あの子達よ。おそらく、影南だけど。」

「どうして?」

「それは私が聞きたいわよ。」

「そっか……………いや、まてよ……?」

「なによ? 思い当たる節でもあるの?」

「………少し、ね。これもまた仮説なのだけど……。」


 その先の、窓の外の夕闇のように朧気な話は、二人以外に聞かれることはなかった。






 カルチェとの面談が終わり、先に一階に戻ってきたカナとルナ。

 ルナはともかく、カナの方は先ほどの話を完全に受け入れることができず、思考の渦に飲まれていた。


「お話は終わりましたか?」

「わあっ……あ、キークさん。」

「あらあら、驚かせてすみませんね。」

「い、いえいえ、大丈夫です。お話は、先生とサックスさんがまだありそうでしたけど…。」


 そんな会話をしていると、リビングで遊んでいる子どもたちが目に留まった。


「ねえねえ、リノちゃん。」

「なあに、メルク。」

「その頭のお花はなに?」

「これはね、ルナミカがお礼にってボクにくれた、すごく大切なもの。綺麗でしょ?」


 黒い筋が流れる檸檬色の髪に添えられた蒼い花を、リノはそっとなでた。

 その様子に、メルクだけでなくイルクも見とれる。


「ほんとだ…すっごくきれい。」

「あはは、ありがとう。ボクのお気に入りなんだっ。」


 キークは、その様子をカナたちと一緒に眺めながら、語り始めた。


「あの二人は、もともとあなたたちと同じ、迷子だったのですよ。」

「えっ?」

「数年前に、精霊の森で迷子になって、精霊たちとサックスさんに連れられてここまで来たのです。その後は、なんとか自分達の家に帰ることができたのですけどね。」

「へぇ…。」

「でも、この家とあの森が気に入ったらしく、よく遊びに来るのですよ。来る度に色んな精霊と一緒に森を探検したりして、本当に無邪気なことです。」

「……そうですね。」

「精霊に会うことですら、今の世の中では難しい話ですのに。」

「え、そうなんですか?」


 すると、キークは少し疑うような視線で言った。


「あら、ご存知ありませんでした?」

「は、はい……。」

「今現在、精霊の存在はお伽噺の中だけと言われていて、一般的には認められていないのですよ。」

「目の前にいるのに。」


 ルナが素直な感想を漏らす。


「ええ。ですが、信じない人の前には滅多に現れないと聞きますし、仕方がないのかもしれません。」


 「ちなみに、二人が最初に森に入った理由は、精霊を捜すため、だったらしいですよ。」と、キークは最後に付け加えた。

 しばらくして、二階から神妙な顔つきをしたカルチェがサックスと一緒に降りてきた。


「お話は終わりましたか?」

「あ、え、ええ、ありがとうございました。キークさん。」

「いいえ。」

「で、その、キークさん……。」

「帰るあてができるまで、ここに泊めてほしいのでしょう?」

「………はい。」

「僕からも、お願いします。」

「いいですよ。お構い無く、どうぞごゆっくりしてください。」

「感謝します。……ほら、ふたりも。」


 カルチェに促され、一緒にお礼を言うカナとルナ。


「……じゃあ、僕はそろそろ帰ります。」

「あら、そうですか。ゆっくりしていけばいいのに。」

「いえいえ、そこまでは。調べものもありますし、リノを連れて帰らないと。」

「そうですか。気を付けてくださいね。」

「はい。…リノちゃん、そろそろ帰るよ。」


 子どもたちと遊んでいたリノがこちらを向く。


「あ、はーい。」

「えー!?」

「もう帰っちゃうの?」

「ごめんっ。明日、また森を案内してあげるから。」

「ほんと!?」

「ほんとだよ。明日の朝、この家に迎えに来るね。」

「約束だからね!」


 そんな約束が交わされた後、サックスとリノは暗くなってきた夕焼けに照らされながら、森の中へと消えていった。






「明日は、子どもたちと一緒に森の探検かい?」

「うん!」

「僕が一緒にいなくて、大丈夫?」

「大丈夫だよ! …………ボクは、こんなんでも一応、精霊だから。精霊といっしょにいたら、この森の獣には襲われないんでしょ?」

「…獣には、ね。だから、気を付けるんだよ。」

「わかってるって!」


 紅く染まった森の中、サックスとリノの二人は、そんな会話を交わしながら歩いていた。






「わたしたちはね、名前は似てるけど、兄弟でも双子でもないの。」

「おさななじみってやつ!」

「へぇ…そうなんだ。ぼくたちと一緒だね。」

「そうなの!?」


 日が暮れてすっかり暗くなったあと、カナたちはログハウスのリビングでくつろいでいた。


「そうだよ。ルナと仲良くなったのは………いつからだっけ?」


 そう話しかけた相手は、カナたちが座っているソファーから離れ、壁にかけられたライフルに先ほどから目が釘付けである。おそらく狩猟用だろう。


「と、とにかく、昔からずっと一緒だったよ。」

「ふーん。」

「好きになったりとかしないのー?」

「なっ……。」


 女の子であるメルクの直球な攻撃を受け、うろたえながらルナの様子を見る。まだライフルに夢中で、こちらには気づいていない。


「よかった……。」

「え、もしかして?」

「あーあー、なんのことかなー?」

「まあ、女の子どうしだもんね。ふつーはないよね。」

「あ、あれ…?」


 どこか違和感が残る会話だったが、話をそらすチャンスとみて、深く考えずに話題を変える。


「で、さあ、イルクたちはいつからここに遊びに来ているの?」

「おとといからだよ。村でお祭りが終わった後に来たんだ。」

「え、お祭りがあったの?」

「うん。しゅーかくさいってやつ。」

「へぇ…。」


 森の中で、なんか秋っぽいなぁと考えていたのを思い出す。本当に秋らしい。クラシキとは四季のタイミングが異なるのだろう。


「お祭り、かぁ…。」


 森の中で目覚める前のことが思い出される。いまライフルに夢中な女の子に想いを伝えるために夏祭りに誘って……。

 それと同時に、クラシキでの、自分たちの《島》での生活が思い出されていく。そんな中、


 ちゃんと帰れるのか。


 そんな不安が、やはり頭のなかを巡っていく。

 今現在は安心してログハウスの中にいるが、もしあのまま森の中にいたら、とか、こんな場所でも自分たちの居場所からは遠く離れた場所であること、とか、それらの事実が不安を煽り、駆り立てる。


 ライフルの前にいるルナも、少しさみしそうな背中をしている気がした。カナの想像にすぎないかもしれないが。


「―――――――精霊の森の開発計画が、議会で審議入りしました。」


 ふと、カルチェが見ていた、クラシキで言う「テレビ」のような画面から流れているニュースが耳に入ってきた。おそらく、「精霊」という言葉があったからだろう。


「精霊の森、開発計画……?」


 ニュースの概要は、こんな感じだった。

 《島》の中央にある広大な精霊の森。今までは根強い精霊信仰の為、そのままの姿で保護されていた。しかし、信仰の希薄化に伴い、この森を国家計画として切り開こうというものだった。この《島》にも国という制度があるらしい、とカナはぼんやり思った。

 ちなみに、開発した後は、近く行われる大規模なスポーツ大会に向けて巨大な総合競技場を建設しようという計画だった。

 無感情なアナウンサーが言葉を続ける。


「この議題は多くの国民の支持もあり、明日には可決される見通しです。さてお次はお天気です――――」


 ニュース番組も、別の《島》だろうがあまり変わりはないんだな。そうカナが思っていると、いつの間にか画面を見ていったルナが呟いた。


「精霊、だいじょうぶ?」

「あ、確かに……自分たちの宿り場所を荒らされることになるのかな。」


 そんな疑問にイルクとメルクが答える。


「やっぱりこまるらしいよ。」

「ほんとに精霊はいるのにね。」

「でも、学校のみんなはだれも信じてくれないけどね。」


 そんななか、カルチェがぽつりと、


「似たような思考は、似たようなことを起こすものよ。」


 そう、呟いた。


 その流れで、明日の天気が快晴であることなどの情報を収集していると、奥からキークがやってきた。


「お風呂湧きましたよ。入りたい人からどうぞ。」


 すると、さも当然であるように、イルクとメルクが言った。


「お姉ちゃん先にはいりなよ!」

「えっ………ぼ、ぼく、のこと?」

「そうでしょ? なんかお姉ちゃん、疲れてるみたいだもの。」


 イルクとメルクの無垢な瞳が、カナを見つめていた。その向こうには、必死に笑いをこらえているカルチェの姿が。そして、キークにライフルを取ってもらい、きらきらした目でそれを手に取るルナが。


 そのまま、誤解をとくこともなく、カナが一番風呂に入ることになった。






「はぁ……。」


 湯船に浸かり、疲れと汗を流したカナは、脱衣所で身体を拭きながらため息をついた。


「いままで、ずっと、お姉ちゃんだと思われていたの、か………。」


 華奢な自分の身体を見下ろす。巻きついていた包帯は、帰る前にサックスから「傷はふさがっているみたいだし、もう包帯は取ってもいいからね。」と伝えられていたので、入る前に外していた。


「身体は男のはずなのに…。それに、普段から男らしく振る舞おうとしているのに。」


 薄い胸板は、かえって華奢な印象を強め、態度に関しては、むしろ女の子らしい振る舞いが多いことに、本人は気がついていない。


「でも、もっと男の子っぽくなりたかったなぁ。じゃないと、いつまでも仲良し姉妹だって冷やかされるんだ。せめて兄妹になりたい。あ、いや、でもやっぱり、なぁ…。」


 祭り会場で言われたカルチェの言葉が思い出される。

 そのままバスタオルで背中を拭きながら、洗面台の鏡をみる。


「この顔つきだってよく女の子に間違われ……」

「よお。」


 カナの動きが止まった。いや、動けなくなった、というべきか。


「あーっと、大声を出すなよ。いや、その心配はないか。」


 鏡だと思われる場所、いや、お風呂に入る前は確かに鏡だった場所、その向こう側に、明らかに自分とは異なる男が映し出されていた。

 その男は、カナより頭一つ分背が高く、一般的な男子高校生より少し高い程度。髪は一点の曇もない白色で、眼の色は白い瞳を黒色が囲む反転眼で、かなり奇抜にみえる。顔つきはまさしくカナと同年代の男子といったところ。


「え、え…?」


 困惑したカナは、後ろの壁まで一気に後ずさった。


「おーい、いいから落ち着けよ。」

「だ、だれ……?」

「俺か? そうだな…ガクヤ、とでも名乗っておこうか。」


 ガクヤと名乗るその男は、心配そうな顔つきでカナを見る。

 対するカナはしゃがみこんでしまい、バスタオルを身体に巻きつけている。実に女の子らしい。


「おいおい、本当に大丈夫か? ずっと一緒にいたってのに、そんな態度されちゃたまんねぇぜ。」

「ずっと、いっしょ……?」

「ああ、色んな事知ってるぜ?例えば、お前が中学生だった頃、一人で銭湯に行った時に間違えて女湯の方に入ったが、番台のおばちゃんに止められず、そのまま服脱いで浴室まで行ってしま…」

「わああああああああああああああ!」


 思わず、バスタオルを男に押し付けようとする。だがそれは届かなかった。


「安心しろよ。お前以外には俺は見えないから。というか他の人にはただの鏡にしか見えないから。だから誰にもバラせねえって。」

「い、いや、そういう問題じゃない!」


 大きく息をしながら、なんとか目の前の状況を認識できる気がした。

 そんな中、脱衣所の扉がノックされた。


「カナさん、どうかしましたか?」

「あ、いやなんでもないです!」

「そうですか。これ、寝間着です。ここにおいておきますから。子どもたちの予備でごめんなさいね。ゆったりしたものですから、サイズは大丈夫だと思うのですけど。」

「あ、いいえ。貸してくれるだけありがたいです!」

「うふふ、どういたしまして。洗濯物はかごの中に入れておいてくださいね。」

「は、はい…。」


 扉の前にかごが置かれる音がした。


「少しは落ち着いたか?」

「………まあ、ね。で、君は誰なの?」

「ガクヤだって。」

「それはさっき聞いた。そういうことじゃなくって……ああもう、わかんないよ…」

「まあいい。俺が今お前に言いたいことはひとつだけだ。」


 そう前置きし、しっかりとカナを見据えて言った。


「俺はお前だ。会いたいと思えば会える。それを覚えておけ。」

「わかんない。まったくわかんないんだけど。」

「でも、それだけだ。じゃあな。」


 そう言って、目の前の透明な板が一瞬白銀の光を放ち、次の瞬間にはただの鏡に戻っていた。

 その鏡に触れて、自分の姿が寸分狂わず映し出されているのを見て、大きく息を吐く。


「なんだったんだ…幻か、な?」


 静かになった脱衣所。すこし、身体が冷えてきた。

 湯冷めをしないように、素早く体をふき、扉を少し開けて寝間着の入ったかごを取る。

 そして、中身を手に取る。


「こ、これ……」

「俺は似合うと思うぜ。」

「う、うるさい!」


 また出てきたガクヤに悪態をつきつつ、呆然と立ち尽くした。






「お風呂、あがりましたー…。」

「おかえり影南…って、あ、あはは、あははははっ!!」


 カルチェの笑い声がリビングに響く。どうやら堪えきれなかったらしい。カルチェはカナが受けるこういう誤解を楽しんでいるのかもしれない。

 カナが着ていたのは、薄いピンクのやわらかい布地に、デフォルメされたクマさんのイラストがめいっぱいプリントされた、どう考えても女の子用のパジャマ。

 顔を赤らめながらうつむくカナと大声で笑う先生。


「ご、ごめん…つ、つい…あ、あははは!!」


 他の人は、何がおかしいのか理解できないというように、首を傾げている。

 そんな中、ライフルを持ったルナがとてとてと駆け寄ってきた。


「だいじょうぶ。カナ、にあってる。」

「いや、そういうことじゃなくてぇ…。」


 その後、なんとか笑いが収まったカルチェから、その場にいた皆に解説を始めた。誰も最初は信じようとしなかったが、カナのその懸命な態度から、一応信じてもらえることになった。

 だが、キークはカナに対し「ごめんなさいね。でも、本当に似合っているから、それで我慢してくださいな。」と言い放った。もしかしたらわかった上でこのパジャマを用意したのかもしれない。


「うぐぬぅ…。」


 服を貸してもらっている手前、不満も言えず、そのままの服で寝ることになった。

 このログハウスには客室は三つしかなく、一つはイルクとメルクが。もう一つにはカルチェが寝ることになり、必然的にカナとルナが残り一つの部屋で寝ることになった。


「疲れているんでしょうから、早く寝なさいよー?」

「うるさいです。ちゃんとすぐ寝ますから。」

「ふふふ、はいはい。」


 意味深な笑みとともにカルチェにからかわれたが、昼間から歩きまわって疲れているのは事実であり、すぐに寝られそうなのは確かだった。


「それに、そんな勇気なんて、ないよ…。」


 ベッドをルナに譲り、カナはソファーで寝ようとする。

 ルナに一緒のベッドで寝ていいと言われたが、そんなことはカナにはできそうにない。

 電気を消し、少し狭いソファーの上で丸くなる。

 疲れのおかげですぐに眠れると思っていたが、今日知ったこの世界の真実や、自分が置かれている状況などを考えていると、中々寝付けなかった。


「おまつり…。」

「…ルナ?」


 ふと、ルナの声がした。だが、返事がない。ねごとだろう。

 そのねごとを、小声で反芻してみる。


「お祭り…か。」


 ルナも、自分たちの《島》のことを思って、寂しがっているのだろうか。

 ライフルの前にしたあの背中は、やっぱり本当に寂しがっていたのではないか。

 そう思わずにはいられないカナだった。


「………やっぱりねむい。」


 そのまま、カナの意識は、ふかふかなソファーへとうもれるように沈んでいった。



     §     §     ★     §     §



 カナが眠りにつく少し前、だた一つのモニターが唯一の光源である部屋にて、


「もはや、手段を選んでいられるか…ッ!」


 男は怒りに震えながら、モニターに流れている映像を睨み続けていた。

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