おてすきばなし

@marchrabbit

そのひ

 炎天下のアスファルトから透明な湯気があがっている。

 厚底のシューズでなければ、足裏がやけどしてしまいそうだった。

 

 わたしが小さい頃は、こんな暑い日でも朝方はまだ涼しい風が吹いていた。

 大人になるにつれて、教育番組だけでしか叫ばれていなかった温暖化が徐々に猛威を振るうようになり、ここ最近はどのTV局でも温暖化に関するニュースを扱う。


「暑い」


 言わずにはおれない。


 建物の中はまだ空調が効いていて、底冷えするほどに寒い。

 ただ、窓の外を見やると全部蜃気楼なんじゃないかと思えるほど景色はゆらゆらしていて、目からも熱波を感じる。

 時計は15時30分を指してした。

 空港では人がごったがえしている。


 上京してすぐの頃、会社の先輩が言っていた。


 ―東京って街は、地方出身者でできてるんだよ


 上京して10年になる。

 確かに東京生まれ東京育ちの人間にはほとんどあったことがない。

 みんな遠く離れた故郷というものを持っていた。

 今日は、そういった人たちのほとんどが故郷に帰ろうとするだろう。

 混雑も仕方ない。


 福岡発の便が到着した。

 ハンカチをぱたぱたしながら、母が階段を下りてきた。






 大なり小なり、総じて人間は愚かだと思う。

 遠くのアラーム音が聞こえてきても、自分には関係ないと思える。

 数十年前から叫ばれ、誰も本気で取り合おうとしなかった地球温暖化は、ここへきてようやく全ての人間が危機感を抱くに至った。

 結局のところ、地球を温かくしていたのは勝手気ままに進化した人間たちではなかった。

 ただ単に、太陽が近づいていたのである。

 残念ながら、頑張って進化をしてみた人間にも、マグマが波打つ太陽を避けたり、他へ逃げ延びるほどの進化はできなかった。


”本日0時をもって、地球は太陽にジュッとされることになりました。”


 平たく言うとそういう話だった。

 なんでもズリズリと接近していた太陽の表面でぐつぐつしたマグマの高波が発生し、どんなに良い方向に見積もっても飲み込まれてしまうそうだ。


 わたしは少しばかり呆としていたが、頭は妙に冷静だった。


「さて、何しようか」



 母一人子一人の家庭で、たった一人上京して10年。

 気づくとわたしは家庭を持っていた。

 子供はまだない。

 彼にそっくりな子を抱いて、ママ友との関係に頭を抱えたり、進路を一緒に悩んであげたり、反抗期に傷ついたり、そんな道を踏むのも悪くはないかと考えていた。

 残念ながら、社会に迷惑をかけない程度の会社人として終えることになったようだ。


 最後に何をするかと考え、田舎の母に電話をし、夫に頼んで航空券を手配してもらい、空港へやってきた。半端な時間にオフィスを抜け出しても、怒る人は誰もいなかった。


 母は大きなトランクを持ってきていた。

 明日はないというのに、何なんだあの荷物は。


「都心は暑かねえ」

「母さん、いま暑いのは都心だけじゃないよ。ニュース見てないの?」

「なんだか映画みたいな話やねえ」


 たしかに、ハリウッド映画でありそうな話だ。

 昔、地球に隕石が落ちてアメリカが一瞬で凍土になる映画を見た。

 生き残った若者が図書館で本を燃やして暖をとっていた。

 暖を取らなければ死んでしまうような地球に戻してほしいもんである。


「暑い」

「暑い暑い言うてもどうもならんやろ。」


正論だ。

母はいつも正しい。

ただ、腹が立つタイプの正論だ。


「そーですね」


 5年前の私なら「言ったって誰もなんにもしてくれないけど言わずにおれないもんでしょうが」と苛立ちながら返したところだ。でも今はぐっと抑える。わたしも三十路を過ぎた。大人になったのだ。


「荷物貸して」


 母からひったくるようにトランクを奪う。

 前回会ったのは1年前になる。この人は会うたびに老けていくような気がする。最後くらいできる限りの親孝行してやりたい、と思った。



 家に帰りつくと17時を回っていた。

 冬至を過ぎたばかりだから日が沈むのは早いはずだが、今日に限っては太陽は燦々と明るい。

 夫はすでに帰宅していて、義父と義母も家に来ていた。

 母と義理の両親が「このたびは…」などと要領を得ない挨拶を交わしているのを尻目に、わたしは夕食の支度にとりかかった。

 スーパーには寄ったが軽い暴動が起きていてロクなものは残っていなかった。

 買い置きをして、何の役に立つというんだろう。


 夫がTVをつけるとほとんどのチャンネルが砂嵐になっていた。

 文字通り”明日のない社会”だ。働く意味はまるでない。

 それでも…働くことに信念や誇りを持っている人がいる。私の会社にも多くの社員が仕事を放りだす中で、淡々と仕事をしている人がぽつりぽつりといた。

 砂嵐の中、真っ黒な画面にテロップが流れている局もあった。カメラやアナウンサーはいなくても情報を発信し続けているTVマンがいるのかもしれない。

 根性をみせているのは公共放送だけだった。定点カメラのおかげで各地の状況がよくわかる。ニュースを読むアナウンサーは常と変らず淡々としている。

 祈りを空に捧げている人の姿が映し出された。かと思えば、ビル群の一角から火の手があがっている。

 一通りチャンネンルを変えてから、夫はダビングしていたアニメを流し始めた。

 ここしばらく夫がハマっているアニメで、内容は子供向けだがマスコットキャラクターのあざらしが大人気で、子供からお年寄りまで幅広い年代層に支持されている。

 可愛いものが好きな夫も、このあざらしの信奉者だ。

 何も40歳手前になって親と観ることはないと思うが。冷たい視線に囲まれた夫は平然と言い放った。


「なに?ニュース見てたかった?」


 誰も答えなかった。


 あざらしがキュイキュイ鳴いているアニメを見ながらみんなで素麺を食べた。

 エアコンが効いているうちにと、布団を敷いてみんなが川の字になった。

 横になった途端、義理の両親と母はすやすやと寝息を立てはじめた。

 私は夫と手をつなぎ、ありがとうと言った。

 夫も重そうな瞼を必死に開き、ありがとうと言った。そしてやすらかな寝息を立てはじめた。


 連日の猛暑で都心のドラックストアには睡眠薬の類はなくなっていた。

 しかし、母の住む田舎にはまだまだ在庫がある。

 今日持ってきてくれた睡眠薬はよく効くようだ。義理の両親も母も夫もよく眠っている。


 残った薬を飲み干し、目を閉じた。


 まどろみの中で、わたしはとても満たされた心持ちだった。

 ニュースには多少驚いたが、これで皆が平等に終われる。

 愛する人を看取ったり、看取られて心配を残すような最期を迎えずに済む。

 とても心が安らかだ。


「おやすみなさい」


 最後の呟きは誰にむけたものだったのか、それだけ言って、わたしは意識を手放した。

 




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