第39話 里の生活
さらに歩くこと30分ほどで、『限界の里』が見えてきた。おそらく、人が住んでいられる限界だという意味だろう。酷い名前の付け方だとは思うが、『孤児の集落』のさらに向こうから来た俺には、気にもならなかった。
里の周囲は、『孤児の集落』同様に丸太で作った柵が並んでいたが、あれほど巨大ではなかった。使われている丸太も細く、一本一本が高さ3メートルほど、といえばかなり高いが、『孤児の集落』は実に10メートルもの柵を作っていたのだ。それから考えれば、このあたりの危険がいかに少ないか想像できるというものだ。
緩やかに傾斜している山道を下ってきたので、途中で柵の内側も見ることができたが、近づくにつれて柵しかみることができなくなった。乱雑に舗装された道が、里の入口と思われる柵の切れた場所に伸びているため、基本的にこの里を避けて移動するのはできないということらしい。
見たことはないが大きな荷物を引いている竜兵であれば、なおさら道からはずれることはないだろう。
竜兵がこの里にはいないことも、どこに向かったのかも聞いてある。俺は途中で出会った二人に感謝した。情報収取の必要がないということは、精神的にはとても楽になった。
里の入口には、当然のように見張り役の人間がいた。柵の広がりかたから想像しても、『孤児の集落』とは比較にならない大きな集落であることが想像できる。
おそらく、数十人から百人近い人が住んでいるのではないだろうか。
俺が生活していた現代日本では十分過疎地になるが、おそらく高齢化は進んでいない。その分だけ、活気があるのに違いない。
「どこから来た? 見ない顔だね」
見張りにたっていたのは、たくましい体つきをした中年の女だった。武装しているというわけではなく、一応身を守るための道具なのか、手にフライパンと思われる調理器具を持っていた。
「見ないだろうな。初めてこの里に来た。孤児の集落から来た」
白ウサギのアリスを頭に乗せ、エルフのシルフは俺に、心配そうにしがみ付いている。同情を買う要素はしっかり入っているし、『孤児の集落』は偏見を持たれているとはいえ、決定的に嫌われているわけではないことは事前に確認済みだ。
俺は女の反応を待った。
手の中に、魔法の石版を握っていた。
『精神魔法』の位置に指を当てている。
万が一の時は、女の意識を飛ばすつもりでいた。
「買い出しには見えないね。まだその時期でもないだろう。集落を捨てて出てきたのかい?」
あまり、孤児の集落にいい印象を持っていないのは間違いない。俺は少し考えてから、言葉をひねりだした。
「……男達に追われた。女たちは引き留めたが。そう言えば、だいたい察しは着くだろう?」
相手は女である。だからこそ、選んだ言葉だ。女はにやりと笑った。
「まあ、いいさ。どこの集落から来たって、問題はない。魔物はお断りだけどね」
女の言葉に、俺にしがみ付いていたシルフと、頭に覆いかぶさっているアリスが緊張した。俺は二人の頭に手を乗せなればならなかった。ちなみに、アリスがしゃべる以上、一羽ではなく一人と数えることにした。
「この里で、休めるところはないかな? 金は見たこともないから、ただで泊めさせてくれるところがいいんだが」
「そんな都合のいい場所があるもんかいって言いたいけど、この里でも、客商売の宿屋なんてものはないよ。ただし、このあたりの貴族様が解放している家があるから、行ってみるといい。この辺りで集落の間を移動するなんて、渡りの猟師か人買いの竜兵ぐらいだから、普段はほとんど人はいないんだ。まあ、家を追いだされた飲んだくれが、奥さんに許してもらえるまで泊まっているってことはあるけどね。そんなことはめったにない。酒は貴重品だ」
「……酒……か……」
「んっ? 孤児の集落じゃ、酒もないのかい?」
俺には、この世界に酒があること自体が初耳だった。孤児の集落には本当にないのかもしれない。他にも、女の言葉に出てきた単語について聞きたいことは山のようにあったが、基本的なことを聞いて、せっかく打ち解けた空気を淀ませることもない。
俺は、女に聞いたことを頭の中で整理しながら礼を言った。
貴族が解放しているという屋敷は、里の長の住居に並んでおり、集落の真ん中を目指せばわかると言われた。
限界の里と呼ばれる集落も、あまり活気があるとは言えなかった。
もっとも、俺は孤児の集落の普段の様子をほとんど見たことがないため、比較する対象はない。
孤児の集落との一番の違いは、建物の様子だろう。孤児の集落では小さな丸太小屋が密集して建てられていたが、限界の里の建物は、俺が知っている木造建築にかなり近いものだった。
丸太を板にする技術も道具もあるらしい。
ただ、日本家屋のような洗練された技術には見えず、全体的に武骨な印象を受けたが、孤児の集落とは明らかに違う。
また、建築そのものに加えて、建物の配置も全く違う。
狭いバリケード内に、とにかく建物だけを密集して立てていた孤児の集落とは違い、限界の里にはそれぞれの敷地としての概念が確立していた。
一つの家に、庭があり、畑がある。
自給自足が可能なほどの生産力があるかどうかはわからないが、農作物を育てて収穫するというのは、日本人の俺にはとても文化的な生活に感じられた。
もっとも、畑で働いているのは女や年寄りばかりだ。男達は外に出て、獣や魔物を狩っているのかもしれない。
孤児の集落より広いとはいえ、やはり農作物の育成や収穫は、バリケード内でおこなわなければならないらしく、それほど大規模に生産できるわけではないだろう。
俺が貴族の解放する屋敷まで行く間に見た限りでは、里の中にいる男達は木材を加工する仕事や大きな荷物を運ぶ者たちがほとんどで、全体としては少ない。やはり、この里でも昼間は女たちが取り仕切っているのだろう。
「魔物がお断りって、ひどくないですか?」
俺の頭の上で、アリスがぼやいた。
周囲には誰もいない。聞かれる心配はないと判断したのだろう。俺よりもはるからに耳のいいウサギである。人間のことを恐れているし、俺が心配する理由はない。
「……うん。酷い。でも……これが人間の暮らしか……どうして、あんなに木を虐めるんだろう」
シルフは、木の成長を利用して、巨木を家に変えて生活している。それに比べれば、まっすぐに成長した木を切り倒し、板にして住まいを作るという行為そのものが理解しがたいのだろう。
「人間は不器用だからね。こうするしかないのさ」
実際には、どんなものでも使いやすいように加工するのが人間だ。それによって、俺がいた元の世界では、人間の数は爆発的に増えた。
この世界の人間も同じだろう。
説明しても理解してもらえるとは思えない。
俺は、どことなく居心地が悪そうにしているシルフの頭を、帽子の上から撫でた。
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