第40話 もう一人の魔法士
集落の真ん中に向かって歩くので、迷うことを心配する必要もない。
前から、少し大きめの建物が見えてきた。
二棟のうちの一棟が、その貴族が解放しているという建物だろう。
二棟とも大きかったが、敷地としては一つのように見える。
里の長とこのあたりの貴族というのが、どちらが偉いのか俺にはわからない。
敷地は生垣で、通行用の道とは隔たれているが、生垣は高いものではない。俺の膝ぐらいまでしかないので、中の様子はよくわかる。
中に入って、とりあえず落ち着きたいという気持ちもあるが、入った方が里の長の家だったら、勝手に入ると怒られるのではないかと心配になる。
「どうした? 入らないのか?」
シルフが尋ねた。こちらは声を殺す必要はない。話しているのを見られても、耳を隠しているので怪しまれることもないだろう。むしろ、ずっと俺にしがみ付いていることの方が怪しいと思われるかもしれない。
その場合、怪しまれるのは俺の方だろうが。
「勝手に入っていいものかと思ってな」
「……わからないな。どうして、入っては駄目だと思うんだ?」
エルフ族、といっていいかどうかわからないが、シルフのような単独で生活する魔物には、人間の感覚というものがわからないらしい。
生垣が区切ってあるから、そこから内側は他人の土地だという感覚がないのだろう。
「まあ、怒られてもいいか。入ってみよう」
「そうですね」
言ったのはシルフではなくアリスだった。
人間の姿が見えてから、ずっと怯えているようだ。ウサギに知恵をつけるとこうなるのかと、俺は少し気の毒になった。
門と思われる門柱の間から、俺は敷地の中に入ってみる。門と断言できないのは、二本の柱だけがあって、扉らしきものがないからだ。
もちろん、生垣が低いため、扉をつけても意味がないのだろうとはわかる。
あまり閉鎖的に見えないようにとの配慮かもしれない。後者であれば、なかなか開放的な人たちだと思えるのだが。
庭先には畑があり、見たことのある作物が植わっている。せっかくの異世界だが、植物や動物はあまり個性的ではないようだ。
もっとも、人間がまったく変わらないのだから、他の生物がそれほど変わっているということはないのだろう。
現在のところだれも働いている様子はなく、屋敷の中に入っているのだろう。
中々に立派な屋敷に見えるが、意匠などは施されておらず、ただの宿屋だと言われても信じてしまいそうだった。
この里に宿はないことを事前に知らなければ、金がないから泊まれないと思うところだ。
俺が庭先から建物に近づいたところで、目の前の大きな建物の、二階の扉が開いた。二階建てなのも驚いたが、二階の出入り口の方が立派なのも俺には不思議だった。
二階の出入り口のほうが、まさしく玄関といった風情である。一階はいわば俺の目の前にあるわけだが、確かに出入り口はあるものの、ただ扉をつけただけの通用口に見える。
俺は、ごく自然に二階に姿を見せた人影を目で追った。
すらりとした、長身で長い黒髪をした女だった。整った顔立ちをしているが、東洋系に見える。孤児の集落にいれば嫌でも目立っただろう。
この大きな建物から出てきたということは、里の長の身内かもしれない。俺がそう思ったのは、あまりにも栄養状態が行き届いているように見えたからだ。
玄関から出て、女は高く両腕を上げた。単純に伸びをしているようだ。
「誰ですか?」
アリスに尋ねられるが、俺が知るはずがない。
「初対面だ」
「そうなのか? ずいぶん熱心に見ていたから、知り合いに会ったのかと思った」
シルフが言うと、アリスは俺の頭の上で、振動でわかるほどうなずいた。
「そんなことないだろう」
「ちょっと、そこのおかしな人、私に何か用?」
高いところから尋ねられると、さすがに認めないわけにはいかない。俺は、二階に姿を見せた美女を熱心に見ていたらしい。
相手が誰であれ、特に誤魔化す必要はないだろう。
「泊まるところを探していまして、このあたりに、貴族様が解放しているお屋敷があると聞いたもので、休ませていただこうかと思ったので」
「そう。それなら、この建物の一階よ。その帽子も面白いわね」
俺はひとまず安心した。どうやらただで泊まることは問題なさそうだ。俺の『帽子』とは、白ウサギのアリスのことで間違いない。
そう言えば、第一声で俺のことを『おかしな人』と呼んだ。しばらく人に会っていなかったから感覚が鈍くなっていたが、確かに頭に帽子の代わりにウサギを乗せていれば、ちょっとおかしな人に見られても仕方がない。
「帽子じゃありませんよ……あっ!」
帽子扱いされたのが嫌だったのか、アリスが抗議の声を上げ、慌てて口を塞いだ。しゃべらないつもりだったのだ。
宿を見つけた油断もあったのかもしれない。
聴かれたとしても、一人だけだと断言できる。
俺は一階に備えられた簡易な扉に向けていた視線を、二階へ戻した。
長身の美女が、さも面白そうに俺を見降ろしていた。
「その帽子、しゃべったわね?」
アリスは口を両手で塞いでいたため、再び反論するような愚は犯さなかった。だが、普通のウサギは自分の口を前足で押さえるといった所作は行わない。
俺は誤魔化せないことを承知で言った。
「俺は独り言がおおい。気にしないでくれ。それより、あんたはこの屋敷の持ち主か?」
「魔物を平気で連れて歩くのは、平民の感覚ではあり得ないわね。貴族には見えない。ひょっとして、魔法士かしら?」
どうやら、アリスのことを知られても、致命的な失敗というわけではなさそうだ。だが、またしても俺の知らない常識が顔をだす。
一般の人間は、それがウサギの姿をした害のない存在でも、魔物を連れて歩くということはないのだ。それをするのは貴族か魔法士で、俺は貴族には見えない。当たり前だ。この世界に来てから、ろくに服も変えていない。身だしなみとは無縁の生活で生きてきた。
「……ということは、あんたもか?」
俺の発言に根拠はない。ただの当てずっぽうだ。なんとか、会話の逃げ道を探さなくてはならない。無難に切り抜けたいという思いが、俺の口を動かしている。
「まあね」
図星だったようだ。女は見たような長方形の平たい箱を取り出し、タップしてから跳んだ。
スカートはめくれたものの、見事に着地する。二階から飛び降りた衝撃を、ほとんど感じていないかのようである。
顔を歪め、もう一度タップした。
たぶん、かなり無理をしたのだと、俺は推測する。
「魔物と妹を連れた魔法士というのは珍しいわね。そっちの子は、どこかで拾ったの?」
エルフ族を名乗るシルフが、俺のズボンをぎゅっと握った。緊張しているのだ。女はシルフに顔を近づけた。魔法士であれば、俺と同じ世界から来た人間である可能性は高い。シルフの隠した耳に注目するかもしれない。
俺はすぐにことばを探した。
「孤児の集落から来たんだ。俺の世話をしてくれた子だが、集落からはのけ者にされていた。そのまま残してくるのも気の毒だから、一緒に連れてきた。あんたは、一人か? この世界に来て、一人では大変じゃないか?」
女は不審に思った素振りもなく、シルフの帽子を誉め、シルフの帽子に咲いた朝顔の花を誉めてから体を起こした。
「私が一人のはずがないでしょ。この建物が貴族様のもので、一階を宿泊に提供しているっていう段階で、二階から出てきた私が、貴族様に雇われているって気づきなさいよ。それより……孤児の集落ねえ。噂には来ていたけど、本当にあるのね。とっとと閉鎖してしまえばいいのに。あんな山奥から来たということは、あなたはこっちに来たばかりかしら?」
「ああ。それでも、二週間ぐらい前だろうか」
「ふぅん。二週間という言い方も懐かしいわ。レベルは?」
「生命魔法と精神魔法、両方とも2だ」
「きて二週間なら、まずまずでしょうね。私は精神魔法が4、生命魔法は1よ。ちょっと、訳ありでね。精神魔法を大分使ったから。
ちょうど、私が仕える貴族様がこの里に来ているのよ。私は現在その護衛というわけ。魔法士なら。貴族様も喜ぶわよ。あわせてあげてもいいけど、もう少し、身だしなみを整えなさいよ」
女が俺に、呆れたように言った。俺は、シルフが魔物だと気づかれなかっただけでまずは安心した。魔物だとわかっても、この女が態度を変えるとは思わない。だが、俺が知らない常識が、まだどれほどあるか知れないのだ。
同郷で、話が通じる相手に会えたことに対する喜びより、俺は漠然とした不安の方が大きくなっていることに気づいていた。
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