第32話 エルフという種族

 俺は、全身を襲う痛みに目を覚ました。

 あまりの苦痛に、汗をびっしょりと掻きながら、目覚めると同時に上半身を起こした。

 辺りは暗く、どうやら夜になってしまったようだった。

 眠る直前の記憶を呼び戻す。

 エルフの家で、部屋を一つ貸してもらい、自分の体を治療した。

 魔法を使いすぎて意識を失った。

 ようやく目覚めると夜になっていたということは、ここは木の洞の中なのだ。

 確かに、空気が澄んでいるにしては温かい。

 風がわずかに吹き寄せてくる。外とつながっており、星明りがあるためどちらが外かはわかる。

 俺は、片足を洞から外に出したまま眠っていたのだと気づいた。

 うっかり寝返りを打ったりしたら、落ちていたかもしれない。

 俺が昇った高さから考えて、眠ったまま落ちれば、確実に死ぬ自信がある。

 もっとも、俺の体調を考えれば、寝返りをうつような元気があるとはとても思えない。


 俺は、洞の奥に入った。

 少し寒かったし、明るくなるまで、動くことはできないと思ったのだ。

 目が覚める原因となった全身の苦痛は、体が回復しようとしている作用だと気づいた。

内臓は修復したはずだが、完璧にとはいかなかったようだ。

 足の筋肉は、大木を上るためにぼろぼろになっており、足以外のすべての筋肉も、同様に痛んでいる。

 魔法を限界まで使用しても、直り切れなかったのだ。

 俺は少し、魔法に頼り過ぎているのだろう。

 洞は最初の印象通りに広く、俺は這うように奥に進み、とても柔らかく、温かいものに触れた。

 俺は白ウサギのアリスだと思い、抱いて寝ようと手を伸ばした。

 すべすべした感触があり、俺は間違えたのだと悟る。

「目が覚めたか? ……あたしの足をどうする?」

 エルフだった。俺はエルフの足を掴んでいた。

「ああ、済まない。ちょっと寒かったので……」

「そうか。血をあんなに出したのだ。体が弱っているのだろう」

 エルフは言うと、俺の手を取り、這いながら進んだ俺の体に寄り添った。

「あの……」

「寒いなら、このほうがいいだろう」

 つまり、添い寝だ。エルフは寝ぼけているのだろうか。すぐに寝息を立て始めた。

 俺は股間が熱くなるのを感じた。

 エルフの性別はわからないが、このエルフは女性だと思いこんでいた。

 ただ、性欲を剥きだしにできるほど、俺の体調は万全ではない。

 俺はただ、ありがたくエルフを抱き枕がわりにして暖を取らせてもらうことにした。


 再び目覚めると、朝になっていた。

 俺はエルフを抱いて眠ったつもりだったが、目覚めるとウサギを抱いていた。

 全身が痛いのは相変わらずで、ちょっと寝たからといって回復するものではなかった。

「目が覚めましたね。あの人は、ソウジさんに食べさせるものを取ってくると言って出ました」

 アリスも目覚めていたようだ。俺が寒がっているのを知って、一緒に寝てくれたのだろうか。

「エルフは親切だな」

「……エルフって誰です?」

 アリスは首を傾げた。俺は、信じていた現実が突然崩壊するような感覚を味わった。

「この木に住んでいる、小さな人間の姿をした……あれ、エルフじゃないのか?」

「そういえば、あの人の名前は聞いたことがありませんね。エルフっていう名前なんですか?」

「……そういう名前じゃないと思うな」

「じゃあ、どうしてあの人をエルフと呼ぶんですか?」

 アリスに尋ねられ、俺は困ってしまった。

 俺が困っているのを助けに来たのではないだろうか、俺がエルフだと思っていた少女が、蔦を登って洞に入ってきた。脇にかごを抱えている。片腕で昇ってきたのだ。

「起きていたな。食べるものを持ってきた」

「わぁい、美味しい草ですね」

 アリスが躍り上がったが、少女は首を振った。

「草がよかったか? 果物と、これはとっておきだ」

 少女は、俺にかごの中身を見せた。かごには、リンゴやモモとしか見えない果物に、もぞもぞとうごめく芋虫がいた。

『これはとっておき』と言ったのは明らかにこの芋虫の方である。

「わたしは草食なので遠慮します。この木の葉っぱも、十分食べられますしね」

 俺を裏切ったアリスは、洞の中に風で運ばれた葉っぱを食べだした。

「ありがとう」

 俺は礼を言って、とりあえず果物のほうに手を伸ばした。芋虫のことは、後で考えることにする。

 少女も座って、かごの中に手を伸ばす。俺に近い位置に芋虫を移動させたが、これは決して嫌がらせなのではあるまい。

「体はどうだ?」

「かなり痛むな」

 俺は正直に言った。手にしたリンゴをかじる。硬いし酸っぱいが、新鮮でみずみずしい。

「そうか。しばらく、ゆっくりとしたらどうだ?」

「一つ聞いていいか?」

「なんだ?」

「君は、エルフじゃないのか?」

「『エルフ』とはなんだ?」

 どうやら、本格的に俺の思い込みだったらしい。

「俺の住んでいた場所では、こういう風に森に住んでいる、長い耳をもった人たちのことをそういう名で呼ぶんだ」

 意図的ではないが、俺は嘘をついた。実際に俺がいた世界に、一本の木を家として使用する人たちがいるとは知らないし、耳が長い人たちも聞いたことがない。

 耳が長い人たちは確かにいるが、その人たちは耳たぶを長く伸ばしているのであって、産れつき上に長いわけではないのだ。

「へえ……あたしは……何と言う名前だ?」

 驚いたことに、少女はアリスに尋ねた。

「知りませんよ。あなたはあなたです」

「そうだな」

「呼ぶときに不便じゃないか?」

「……そうか?」

「俺はソウジで、こっちのウサギだって、アリスっていう名前がある。まあ、その名前は俺がつけたんだがね」

 俺が言うと、アリスはなぜか誇らしげに小さな胸をそらせた。

「人間はみんな、名前があるのか?」

 どうして人間を基準にしたがるのか俺には解らないが、俺が勝手にエルフだと思いこんでいた少女は、初めて会った時から人間に見えるかどうかを気にしていた。

「俺が知っている人間は全員そうだな。名前がない人間というのは、会ったことがない」

「……そうか」

 なぜか少女は落ち込んだ。アリスが慰める。

「今日からあなたはエルフでいいじゃないですか」

「『エルフ』というのは、どういう意味なんだ?」

「いや……知らない。俺の住んでいた地方の種族の呼び名だから、名前にすると紛らわしいな」

「なら……わたしがつけてあげましょう」

 アリスが胸を張った。俺にも名前をつけたがっていたので、誰かに名前をつけるのが好きなのだろうか。とても、ウサギの娯楽とは思えない。

「エルフが嫌なら、シルフにしよう」

 俺がなんとなく言うと、少女は細い目を輝かせた。

「いい響きだ。どういう意味だ?」

「いや……意味と言われても困るが、妖精っぽいじゃないか」

「『妖精』ってなんだ?」

 またも、難しいことを聞く。だが、この世界に妖精はいないのだろうか。俺も会ったことがあるわけでは当然ないため、雰囲気で答えた。

「可愛い女の子のことだな」

 間違ってはいないだろう。少女はにこにこと笑った。

「では、今日からあたしはシルフだ」

「実は、わたしも同じ名前を考えていたんです」

 またもや名付け親になりそこねたアリスが、ぼそりと言った。

「名前をくれた礼だ。好きなだけ食べていいぞ」

 シルフという名に決まった少女は、俺に緑色の芋虫を勧めた。

 俺はなるべく長く果物を味わい、どうやって芋虫を回避するか考えていた。

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