第31話 エルフの家
魔法で強化されたことにより、元の筋力からどれほど力が強くなったのかを検証する時間はなかったが、一流のアスリート以上であると考えていいだろう。
腕一本でぶら下がっただけでは何もできないので、俺はまずアリスを抑えていた手を枝の上に伸ばした。
当然手の先にはアリスを掴んでおり、アリスは枝にしがみ付いてばたばたと暴れながらよじ登る。
俺は空いた手で枝を掴み、足も使って体を木の枝に引き上げた。
地面がかなり下に見える。地上から、アパートの三階までジャンプしたというところだろう。なかなかの超人ぶりだと自分でも思ったが、足に激痛が走って俺はうめいた。
足の筋肉が無理をしたために、一度で筋肉の繊維が限界を超えたのだ。
同じように魔法を使って、直すことは簡単だろう。ただし、回復には栄養と疲労が伴うのであり、やせたいまの体では、寿命を削るようなものだ。
見上げれば、エルフは俺が目標としている穴から顔を出し、こちらに手を振っていた。
目指す場所がはっきりとわかったのはいいが、かなりの無理をしなければ、のぼることはできないだろう。
だが、一番下の枝には登れたのだ。ここから上には、たくさんの枝が茂っている。
「ここから、一人で登れるか?」
「無理ですよ」
アリスはこわごわと下を覗いていた。ウサギの体は、木登りができるようにはできていないのだ。
「じゃあ、行くか」
「ああよかった。ここから自分で登れと言うつもりなのかと思いました」
本当はそう言いたかったのだ。それほど、体に限界を感じていた。
かろうじて、ここから先は魔法を使わなくても登れそうな感じに、枝が茂っている。
俺は再びアリスを帽子代わりに頭にのせ、エルフが家と呼ぶ大木に挑んだ。
木の幹に体を預け、枝を手がかり足がかりにして昇る。
下を見れば、足が震えて落ちたかもしれない。
体は痛んだし、足も悲鳴を上げた。
それでも、なんとか上り続けられたのは、アリスのおかげかもしれない。
アリスは俺の頭に張り付きながら、ずっとぶるぶると震えていたのだ。
落ちることの恐怖と戦いながら、俺の頭に張り付いていた。
自分より明らかに弱いものを連れているという自覚が、俺を鼓舞していた。
ようやく一つ目の穴にたどり着く。
大木の幹の中ほどに、洞が空いていた。その洞は狭く、小動物の巣になっているようだ。
俺は上りつづけ、二目の洞にたどり着いた。
二つ目の洞は少し広かった。乾燥させた果物がしまわれていた。狭いとはいえ、かなりの量だ。
俺はさらに上り、ようやく3つ目の洞にたどり着いた。
俺が洞に手をかけると、上からエルフがつかんでくれた。
だが、エルフはあまりにも体が細く、細い体で大木を登ることはできても、やせたとはいえ男の俺を引き上げるのは無理な試みだった。
俺は、帽子のようにかぶったアリスをエルフに渡し、自力で登り切った。
3つ目の洞は確かに広い。高さも、俺が座ったままなら十分にくつろげるほど高く、奥行きもあった。
このような巨大な洞があって、この部分から木が倒れるのではないかと思うほどだ。
俺は結局、一番下の枝に飛びついて以降は、魔法を使わずに昇ってきた。
おかげで体中が悲鳴を上げたが、傷ついたままだろう内臓の修復に専念できそうだ。腹や背中の傷を塞ぎ、内臓を後回しにするというのは、通常の医療では順番が逆だろう。
俺の腹の中には、行き場を失った血液がたまっているかもしれない。
洞に入り、端に腰かけ、俺は外の景色を見た。
高い場所のはずだが、この世界の木々は元気だ。
まだまだ視界は緑の海で埋め尽くされているが、射し入る陽光は地面よりずっと鮮やかだった。
「いい景色ですね。ここまで昇ってきたのははじめてです」
「お前は、一番目の穴までも上ったことはないだろう」
「仕方ないでしょう。親切な魔法士に会わなかったんですから」
俺が横を見ると、白ウサギのアリスは俺に体を預けて寄り添っていた。俺になついてくれたのだろうか。
「あたしにも頼まなかったくせに」
エルフは、アリスの向こう側に座って、同じように外を眺めた。
この大木を家と呼んでいるのだ。景色が気に入らないはずがない。
「頼んだら、ここまで連れてきてくれましたか?」
「それはないな。あたしは動物の肉は食わない」
エルフは真顔で言った。
「ほらっ! わたしを食べ物としか見ない人に、頼むはずがないでしょう」
「なら、誰にも頼めないな」
エルフは笑った。アリスはむくれて、ますます俺にすり寄った。
ウサギの体はきもち良かった。
エルフとウサギのやりとりを聞いているうちに、俺は可笑しくなった。
少し笑った。
笑うと同時に咳き込み、咳が止まらなくなった。
喉の奥からこみ上げてきたものは、血の臭いだった。
俺は大量に吐血した。
せっかくのエルフの家を、俺が休むように貸してくれた部屋を、俺は自分の血で真っ赤に染め上げた。
それほど、俺は大量に血を吐いた。
これ以上吐いたら死ぬのではないかと思ったとき、ようやく俺は魔法の石版を思いだした。
『生命魔法』をタップし、意識を腹に向ける。
集中するために手を腹に当てると、筋肉でも脂肪でもない感触が、ぶよりと指に伝わった。
腹の中で、行き場の無い血がたまっているのだとわかった。
この血を、すべて吐き出さないと終わらないのだろうか。
それでは、どれほどの体力を失うかわからない。
俺の目的は、人買いに自らを売ったヒナを追うことだ。
意識を腹部に集中させ、俺は内臓が正常に修復され、行き場を失って俺の体内にたまった血が、俺の体内に取り込まれるようイメージした。
『生命魔法』が切れると感じた度にタップを繰り返し、魔法を使い続けた。
俺の手が伝える感触が、次第に不気味な柔らかを失う。
腹が凹み、筋肉に触れる。
元の世界ではあまり筋肉を鍛えようともしなかったが、いつの間にか腹筋は筋肉が浮き出るようになっていた。
度重なる『生命魔法』に、脂肪を失ったのかもしれない。
とにかく、ようやく俺は血を吐かなくなり、内臓を修復することができた。
地上でも同じことができたのかもしれない。
目覚める前にも、血を吐いたまま意識を失っていたのだ。
だが、今度は吐いた血の量が尋常ではない。
これだけの血を吐けば、臭いに惹かれて凶暴な獣や、魔物も姿を現すかもしれない。
そう言えば、魔物とは魔法生物の略で、魔法を使って生みだされた生物は、本来すべて魔物なのだとウサギのアリスは言った。
ヒナの言ったこととは違うが、ヒナは魔物のことはよく知らないと自分でも言っていた。
人間から見た場合の解釈と、魔物側からの区分では、差があっても不思議ではない。
ゆっくりと聞いてみよう。
俺は、仰向けに倒れた俺を覗き込む、アリスとエルフの顔を見上げながら、意識をゆっくりと失っていった。
怪我によるものでも、血を吐き過ぎたことによるものでもない。
魔法を使い過ぎたことによるものだとわかっていた。
内臓の治療は終わった。
俺は、むしろ心地よく、眠りに誘われるままに、落ちていった。
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