第30話 エルフの憧れ

 俺の周りをうろうろと歩き、エルフはただ心配していた。

「大丈夫だ。たまたま怪我をしていたから血を吐いたが、あんたの責任じゃない」

「そ……そうか? ならいいが……」

 口調は強がっていたが、俺が顔を上げ、口から血を吐いている様を見ると、細面の顔に刻まれた細い目を、心配そうに開いているのがわかる。

 顔の部位が全体として細い印象があり、まるで線だけで顔を作っているようだ。俺は、はじめて見るエルフという種族をまじまじと見る機会に恵まれた。

 むこうから覗き込んでくるのだから、これは避けようもないのだ。

「あんたは……エルフなのか?」

「あ、ああ、そうだ。そうだが……どうしてわかる? 見た目は、人間だろう?」

 明らかに動揺しながら、エルフは自分の胸を抑えた。動作や声から女性だと思っていたが、胸は平たい。とても平たい。

「人間は、木の上から蔦を使って降りてきたりしないよ」

「まあ……そうかもしれないな。でも、見た目は人間だろう?」

 どうして『見た目は人間』にこだわるのかは解らなかった。エルフは人間より高貴な種族だと自認している印象があったが、この世界ではそうでもないのだろうか。

「そうだなあ。だいたい人間だ。でも、人間の耳はこういう形はしていないな」

 俺は手を伸ばして、エルフの耳に触れた。顔の横、人間と同じ位置にあるが、上方向に長い。柔らかく、思ったより冷たかった。軟骨が入っているのか、感触は柔らかいが芯が入っているように感じた。

「そ、そうか。気づかなかった……本当だ。でも……お前は本物の人間か?」

 エルフは手を伸ばして、俺の耳を摘まんだ。俺が先にエルフの耳をつまんでいるので、嫌とも言えない。しかし、指摘されるまで気づかないものだろうか。

「俺が人間なのは間違いない。人間は珍しいか?」

「う……うむ。ここは人間の里とは離れているからな。狩場でもないし、めったに人間はこない」

「だから、俺が珍しいのか?」

「あ……め、珍しいからといって、特に興味があるわけではないぞ。人間の街に行ってみたいとか、話を聴きたいとか、思っていないぞ」

「構わないよ。話ぐらいなら、いくらでも」

「本当か?」

 エルフが人間に憧れているとは思わなかった。孤高の種族というのは、俺の思い込みらしい。もっとも、目の前のエルフが標準的だとは断定できない。

「もちろん。その代わり、安全な場所がないかな? 怪我をしているので、治療がしたい」

「怪我……ああ、この血の臭いはお前のものか。それにしても、よくわたしの住処がわかったな。人間でこの場所を知っている者は、いないはずだ」

「……住処だったのか。案内してもらったが、人間じゃない。話をするウサギを知っているか?」

「あいつか。どこにいる?」

「何かを探しに行ってしまったよ。どこに行ったのか、帰ってこない」

「なら、気にするな。賢く見えても、やはりウサギだ。時々目的を忘れて、居眠りを始めることも珍しくない。競争をすれば、亀にさえ負けるほどだ。この木はわたしの家だ。お前の体の大きさなら、下から3つ目の部屋がいいだろう」

 エルフは、俺が背を預けていた巨木を見上げていた。

 『この木』が家とは、どういう意味だろう。

 木の上に小屋でもあるのかと、俺も首を上に向けた。

 立派な枝と木の葉で覆われ、空は見えない。小屋らしきものもない。

 『下から3つ目』と言った。

 俺が目を凝らすと、木の幹に穴が空いていることがわかった。見上げれば、小さな洞のようだが、立派な大木である。中は広いのかもしれない。

「わかった。昇ってみる」

 立ち上がる。腹が痛んだ。

「ふらついているぞ。大丈夫か?」

「ああ。昇ってしまえば、安心して体を直せそうだ。少しぐらいの無理はするさ」

 森の中の大木である。低い位置の枝は少なく、登るためには、最低五メートルは頭上の枝に飛びつくか、大木の幹を抱えて登るしかないだろう。

 普通の人間には、いずれにしても不可能なことだ。

「ちょっと待ってください。ここに居たんですか」

 立ち上がった俺の足元を、掴むかのような声が聞こえた。

 背が低いので、立ち上がった俺からは足元で言われたようにしか感じなかった。

 アリスだった。

「なかなか帰ってこないから……どこかで昼寝をしているとエルフに言われんだ。どこにいたんだ?」

「どこって、エルフを探しに……ああ、ここに居たんですね」

 エルフは、俺に比べるととても小さい。ヒナよりも小さいだろう。その小さいエルフも、アリスから見たら巨大な生物だ。

「この木の中で休ませてくれることになった。一緒行くか?」

「もちろんです。でも、わたしは登れません」

 俺は屈んだ。手を差し伸べると、ウサギのアリスは嬉しそうに駆け寄ってきた。

 話をするウサギもいいが、黙っているほうが可愛いかもしれない。

 もっとも、それでは役に立たない。

 俺は魔法の石版を取り出した。身体能力を引き上げ、木を登ろうとしたのだ。


 白ウサギのアリスは、俺の頭につかまらせた。もっとも動きの邪魔にならない場所だと思ったのだ。

「しっかり捕まっていろよ」

 とは言っても、話ができる以外は普通のウサギである。俺の頭に置いた前足に長い指があるわけではなく、俺の首にかけた後ろ足に、特別挟む力が宿っているわけでもない。

「解りました」

 おそらく解っていないだろうが、話して聞かせる時間もなかった。

 エルフは先導して、降りてくるのに使った蔓を使ってするすると木を登っていった。

 細い体だからできる芸当だろう。エルフの動きを見ていると、エルフが家と呼ぶ大木の幹が、地面から垂直に生えているわけではないことがわかる。

 枝は5メートル上までいかなければないが、途中で瘤もあり、傾斜もある。

 木登りは小さなころからしたことがなかったが、あまり関係ないだろう。

 俺は『生命魔法』をタップした。

 足を中心に、全身に意識をさせる。

 地面を蹴った。

 頭に乗せていたアリスが後方に落ちるのを感じ、急いで頭を抑えた。

 小動物特有の、柔らかいて温かい感触を捕まえたので、そのまま俺の頭に押さえつける。

 目の前に木の枝が迫り、激突するかと思った瞬間に、失速した。

 俺はアリスを抑えたのとは別の手を上に伸ばした。

 手でつかめば枝がつかめる位置にいたが、その手には魔法の石版を握っていた。

 枝を掴むには、石版を放りださないとならない。

 放り出した石版は、拾いに戻らなければならないため、それでは意味がない。

 俺は思いきり腕を伸ばし、肘を枝にからめ、腕一本でぶら下がった。

 『生命魔法』の効果は、地面を思い切り蹴った段階で切れてしまったようだ。それにしても、俺の身長を考えても、垂直飛びで3メートル以上飛び上がったことになる。

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