第19話 孤児の集落

 ヒナは俺を連れて、丸太のバリケードの内側に入った。

 入った場所から全体が見渡せるような小さな集落だった。

 『孤児の集落』とは孤児が住むという意味ではなく、集落そのものが他の拠点から隔絶された、自嘲を込めての呼び名だろうと想像した。

「みんな待っているよ。ほら、そこが集会場」

 どうして『みんな待っている』のか、『集会場』に行ってどうするのか、ヒナは何も説明せずに俺の手を取った。道中で俺が尋ねなかったのも悪いかもしれないが、この世界の情報を得るための質問に終始していたのだから仕方がない。

「俺を待っているのか? どうして?」

「……うん。行けばわかるよ」

 道中で尋ねても答えてはくれなかっただろうということは理解できた。

 集落の中は、ヒナの山小屋より小ぶりな、木材を組み合わせたログハウスが立ち並んでいた。

 元の世界のキャンプ場やコテージを思いだす。

 集落の中であれば、必要なものは共同で使用できるため、大きな小屋が必要ないのだろう。あるいは、周囲を守るバリケードの大きさに技術的な限界があり、住居も小さく作るのが決まりなのかもしれない。

 20軒ほどの小屋がひしめくように建ち、その中央に一回り大きな集会場がある。

 建物の数がそのまま世帯の数とは限らない。

 人気の感じない、寂しい集落だと俺は思った。ヒナに連れられて、集会場へ向かう。

 途中、物見やぐらに戻る小柄な影以外、俺は誰にも会わなかった。まるで、俺が来るのを知って警戒しているかのようだ。

 

 集会場の前にくみ上げ式の井戸があった。文明的な水準が、それほど低いとも思えない。

 井戸の前で待つように俺に告げると、ヒナは集会場に入っていった。

 俺は石組みで作られた井戸の縁に腰を掛けた。

 井戸を覗くと、それほど深くない位置に水面がある。

 少なくとも、飲み水には困っていないようだ。

 俺が井戸から顔を上げると、見覚えのある白い生物が近づいてきた。

 ヤギだ。

 ヤギの一頭一頭を覚えているはずはないが、ヒナが集落のヤギすべての面倒を見ていたならば、このヤギも一度は俺を見ているはずだ。

 人懐こそうな顔で、ヤギは俺に寄ってきた。

 ヒナが集落のヤギをすべて面倒見ていたことに疑いはない。集落内には草が生えていなかった。外に連れ出さなければ、ヤギの餌がない、どうせ外に出すなら、ヒナに預けてよい草が生えている場所まで連れていってもらおうと考えるのが当たり前だ。

 このヤギだけ放し飼いなのかと思ったが、ヤギの後ろから小さな人影が離れて着いてきていた。

 俺がこの世界に着いた日、ヒナからヤギを受け取って集落に連れてきたパークという少年だった。

 俺はヤギに手を伸ばしたが、ヤギは逃げなかった。頭を掻いても、ヤギは逃げなかった。

「君のヤギかい?」

「……ううん。ヤギがお乳を出さなくなっちゃったから、ヒナに預けても意味がないんだ。だから、外にぼくが連れていくことになったんだ。こいつ、勝手に帰ってきちゃったから、連れ戻しに来たんだよ」

 パーク少年がヤギの背中を捕まえたが、ヤギは動こうともしなかった。抱き上げるには、大人のヤギは大きすぎる。

 しかし、このヤギは俺を追ってきたのだろうか。そこまで、ヤギに好かれる心当たりはなかったが。

「危険じゃないか? 大人たちだけこんな囲いの内側にいて、君だけ外に出すなんて」

「ううん。外にいるのはぼくだけじゃないよ。男はみんな、手分けして魔物から集落を守っているんだ。だから、集落には魔物はめったに近づかない。ヒナのいるヤギの丘にも、本当は魔物が出るはずはなかったんだ。でも、大人たちが、『ゴブリン』を見つけられなかったって言っていた。その時に、ヒナにヤギの世話を中止するよう言えばよかったのに……ヒナが、死んだヤギの責任を取ることなんてないのに……」

 パーク少年は泣いてしまった。本人にとっては恥ずかしいことかもしれないが、俺にとっては事情がわかってありがたかった。

 ヒナは、ヤギ8頭が死んだ責任を取らなければならないようだ。それがどんな方法かはわからない。俺の魔法士としての力で役に立てるのなら、なんとかしなければならない。

「ところで、どうしてヤギの乳が出なくなったんだい?」

「よっぽど怖い思いをしたんだろうって、大人が言っていたよ。ヤギは繊細だから、時々こういうことがあるみたい。そのうち出るようになるって言っているけど、このまま出なかったら、こいつも肉にされちゃうのかなぁ」

 乳が出なくなったヤギは食用に回されるのだろう。家畜の世界も厳しいものだ。

「怖い思いって、『ゴブリン』かい?」

「うん。でも、ヒナは無傷だったんでしょ。お兄さんがやっつけたって聞いたよ。強いんだね」

 初めて会った時は、パーク少年は俺を『おじさん』と呼んだ。ヒナを守ったからか、『ゴブリン』を退治したからか、少しは少年の中でランクが上がったらしい。

 パーク少年は、『ヒナは無傷』と言った。やはり、ヒナは『ゴブリン』にされたことを誰にも言っていないのだろう。あるいは、少年には伏せられているのかもしれない。何があったか、知らなくてもいい年齢だ。

「一人じゃないさ。ヒナが助けてくれた。ヒナがいなかったら、俺にはなにもできなかったよ」

「うん。だと思う。でも、ヒナだけでも勝てないよ。大人だって、『ゴブリン』一体に三人以上いないと怖いっていうぐらいだしね」

「そうか……俺は結構、頑張ったんだな」

「うん」

 少年は笑った。笑顔を見ると、先ほどまで緊張していたことがわかる。たぶん、俺のそばに来るのが怖かったのだ。

 ほとんど知らないよそ者で、ヒナと二人とはいえ、『ゴブリン』二体に双頭の狼を殺したのだ。怖がるのも無理はない。

 俺は思いついたことがあり、魔法の石版を取り出した。

「それ、なに?」

「ひょっとして、上手く行くかもしれない」

 パーク少年は首を傾げた。何も説明していないので、理解できるはずもない。俺は黙って『精神魔法』をタップする。

 魔法の発動を感じながら、俺に頭部を預けている人懐こいヤギの頭を掻いた。

「もう大丈夫。安心していい。怖くないぞ」

 ヤギが鳴いた。

「何をしているの?」

「こいつを落ち着かせているのさ。怖がることはないんだ。いつもどおり、リラックスして……いいな?」

 俺は言いながら、膝を地面についてヤギの目線に合わせた。体を撫でながら、ヤギの首を抱く。

 魔法が切れたのを感じつつ、ヤギの乳に手を伸ばす。

 ヤギは落ち着いていた。

 俺が乳首を引っ張ると、白い乳が地面に落ちた。

「あっ!」

「もう、大丈夫だな」

「すごいや。どうやったの?」

 パーク少年小躍りした。乳が出なかったヤギの乳が出たのだ。躍り上がるほどのことなのだろう。

「怖い思いをしたのなら、安心させてやるべきだと思ってね。上手く行ってよかった」

「すごいよ。他のヤギも、できるかな」

「たぶんね」

「ヤギを連れてくるよ。それとも、お兄さんが来てくれる?」

 パーク少年は期待を込めて俺を見たが、パーク少年の視線が俺の背後に動いた。

 俺の背後で、集会場の扉が開いたのだろう。

 振り返ると、予想通りヒナがこちらを見ていた。

「パーク、どうしたの?」

「ヤギが、お乳を出したんだ。このお兄ちゃんがやったんだよ。どうやったのか知らないけど、他のヤギにも試してもらおうよ」

「へえ……ソウジが? もちろん、それぐらいできるわよ。だって、ソウジは魔法士なんだから」

「本当?」

 パーク少年は目を大きくあける。

 『魔法士』というのは特別な存在なのだろう。存在を認知された、特別な存在ということになる。

 気持ちのいい響きだが、ヒナの言い方が気になった。

 まるで、俺を突き離すような言い方をした。

「行ってきていいかい?」

「駄目。後でね」

 ヒナは俺を手招き、パーク少年はヤギと共に残された。

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