第18話 里への道程

 ベッドに横になるヒナのそばに、俺は腰かけた。

「ヒナは、里に戻るために子供が欲しかっただけで、男ならだれでも良かったのかい?」

 少しだけ、意地悪な質問をした。

 ヒナは答えない。戸惑っているようだった。

 答えを間違えば、俺が怒りだすと思っているのかもしれない。

 俺はヒナが可哀想になり、添い寝するようにベッドに横になった。

「俺は……ヒナ以外とはしたくない」

「……ソウジ、ご免ね」

 どうしてヒナが謝ったのか、俺には理解できなかった。

「どうした?」

「私、誰でもよかったの。3日前、ソウジが来た時、とても頼りなさそうだって思ったけど、男だったから……誰でもいいと思ったの。ソウジのこと、軽蔑していたの」

「……仕方ないさ。俺はいまでも、役立たずだ」

 横になった俺に、ヒナは長い腕を伸ばした。俺の体に腕を巻きつけ、俺の胸に顔を埋めた。

「でも……いまは、ソウジじゃないと嫌。他の誰にも、触られたくない。それに、ソウジは役立たずじゃない。『ゴブリン』を一人で倒せる男なんて、里には誰もいない」

 俺はヒナの顔を上げさせた。

 唇を触れさせる。少し、潮からかった。

 ヒナが泣いていたのだと知った。

「まだ……『ゴブリン』にされたこと、思い出すのかい?」

「……うん。たぶん一生、忘れないと思う」

 『ゴブリン』のことを思いだして泣いていたのだろうか。俺にはわからない。「俺に、何かできるかな?」

「……私の中を、ソウジでいっぱいにして」

 それが、精神的なことなのか、物理的なことなのか、おそらく両方だろう。

「いいのかい?」

「……うん……いいよ。ソウジの、好きなだけ……」

 ヒナの心が耐えきれなくなっている。だから、こんなことを言うのだ。俺はそう思った。

『生命魔法』を試しておいて良かった。今なら、ヒナがどれだけ求めようと、俺は応えられる。たとえ朝まででも、ヒナが求めるならば……。

 俺は、ヒナの中に沈んだ。


 翌朝まで、俺は眠らなかった。

 ヒナがいつまでも求め続けたからだ。

 『ゴブリン』に犯された事実を忘れたいのだと思い、俺も応え続けた。

 ヒナは少しだけ眠った。

 朝になる直前に、ついに意識を失ったのだ。

 俺はヒナの寝室を出て、暖炉に火を入れた。

 朝は少しだけ寒い。

 食料は地下だと言っていた。だが、小屋の中には地下に入る場所がない。

 外からでないと入れないのだろう。

 雪が積もったりすれば、食料が手に入らなくなるが、そもそもこのあたりは雪が降るのだろうか。

 食料を探しに行く気にもならず、俺が椅子に座ったまま暖炉の火で温まっていると、寝室からヒナが出てきた。明らかに、寝不足の顔をしていた。

 黙って俺の前に立つ。

 何か言いたそうだった。

 言う時間はいくらでもあった。

 一晩中、愛し合っていたのだ。

 言葉は途中からなくなっていた。

 俺がヒナを見つめ返すと、ヒナは俺の唇を奪い、俺の足をまたぐように腰かけ、俺の体を抱きしめた。

「嫌なこと、忘れられた?」

「ソウジ……好き……」

 ヒナも満足したようだ。俺はヒナの体を抱きしめ返した。

「もし……『ゴブリン』の子供ができていたら……どうしよう」

 ヒナが俺の体を抱いたまま言った。ヒナが心配していたのはそれだったのかと、俺は納得した。

 人間と動物の子供ができることはあり得ないと、現代人の俺は知っている。だが、この世界の人たちは知らないかもしれない。そもそも、『ゴブリン』は動物ではないかもしれない。ゴリラよりも人間に近く見えた。子供ができないとは断言できない。

 ヒナが俺の反応を待っているのは解っていた。何と言えばいいだろう。何を言っても、気休めにしかならない。

「もし、産れてきたのが『ゴブリン』の子供だったら、もう一人、産んでくれるか?」

 ヒナは俺の顔を見た。目に涙がたまってきた。涙があふれ、頬を伝った。ヒナの顔が崩れる。笑っていた。

「……うん」

 俺にとっては、何よりのご褒美だった。


 朝食を済ませ、俺は昨日の約束通り、『孤児の集落』に出かけることになった。

 ヒナも一緒に行くという。

 昨日もヒナは往復しているはずなので、一回で済ませられなかったのか尋ねようと思ったが、嫌味になるので控えた。

 忘れ物が無いかとヒナに聞かれたが、そもそも俺は持ち物が『魔法の石版』以外にはない。服は着られればいいので、元の世界のものに拘る理由もない。ただの部屋着だ。

 ヒナの小屋で難を逃れたヤギの世話をしてから、ヒナとともになだらかな山道を下る。

 道中は何もない。

 俺は道々『ゴブリン』のように知恵が回り、独自の言語を持つ生物を魔物と呼ぶのだと教わった。

 この世界のかなりの部分に渡って人間の住む領域は広がっているが、特別に人の多い地域を除いては拠点と街道、いわば点と線で張り巡らされた領域が大半を占めるのだという。

 魔物は知恵を持ち、人間の領域をかいくぐって分布しているが、人間との争いを避けるために、めったに人里には近寄ってこないらしい。

 世界でもっとも厄介な生物が人間というのは、この世界でも変わらないようだ。

 ヒナの話では、俺がいた元の世界には存在していない生物もいるらしい。複数の首を持つ大蛇や、翼を持つ巨大なトカゲ、複数の猛獣の頭部を持つライオンなどだ。俺でも知っている神話上の生き物と酷似しているが、知恵を持って言葉を話す段階で魔物と呼ばれるようだ。

 つまり、ヒドラやドラゴンといった存在は、普通に動物の一種とみなされているらしい。日常的に存在しているなら、そういうものだろう。

 魔族という言い方をされる者たちもいるが、魔族は闇に落ちた人間のことだと教えてくれた。『闇に落ちた』というのが何を意味するのか俺にはわからなかったが、ヒナも正確には理解していないようだった。

 ヒナの知識のほとんどは、里で小さなころから教えられる常識であり、実際には魔物を見たのも数回しかないという。

 しかも、野生の魔物ではなく見世物小屋で見たと言うので、見世物になるぐらい、珍しい存在だということだろう。


 俺が勝手に想像を膨らませていると、ヒナが立ち止まった。俺は道を知らないから当然ヒナが先導していたが、道に迷うことを心配する必要はなかったのだと理解した。途中、分岐している場所が一か所もなかったのだ。

 森の中に分け入るような獣道は何本かあったが、街道として人の手が入った道は一本しかなかった。

 ヒナが立ち止まり、指さした先に、直立する丸太を並べた壁があった。空を指す丸太の先端は、鋭く削られている。

 壁の上に、物見やぐらが顔を出し、人がいるのが解った。

 やぐらの上に向かってヒナが手を振る。その人物が反応した。

「すごい壁だね。集落を全部この壁で囲っているのかい?」

「もちろん。魔物は賢いから、油断できないもの」

 こうまでして、魔物や動物たちから支配領域を奪おうとする必要があるのかどうかは、俺には何とも言えない。

 この世界のことは、何も知らないのだ。この世界の人間たちが拠点と街道で居住区域を拡大しようとしているのが、切実な理由があってのことなのか、人間自身の本質的な欲のためなのか、俺には判断がつかない。

 解らないことについて、批判しても仕方がないので、俺は黙ってヒナの後に従っていた。

 丸太の壁に穴が開き、人の顔が出る。

 その扉のような部分は、外側からは開かないため、内側から開けてもらわないといけないのだとヒナは教えてくれた。

 魔物に対して厳重な警戒をしているのがわかる。

 そんな危ない世界で、ヒナに一人暮らしをさせているのかと、俺は少しだけ腹が立った。

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