第17話 ヒナと
長時間眠り続け、ようやく起きたところだったが、いくらでも眠れそうだった。それだけ、体が疲れているのだと感じた。
『生命魔法』は通常では考えられないほどの回復速度を与えてくれるが、結局回復するのは自分の体であり、体内組織の活動を活発にさせているだけなのだ。早く回復すれば、それだけ疲れるということだろう。
どこまでが可能は、試す機会に恵まれない方がありがたい。
いい天気だったので、このまま眠ってしまいたい気持ちはあったが、やはりヒナに良く思われたいので、少しでも役に立てるところを見せることにした。
といっても、俺ができるのはヤギの乳しぼりと薪割りぐらいだ。
洗濯もできないことはないが、やったことがないため力の加減が解らない上、ヒナの下着を勝手に洗ったら怒られそうな気もする。
俺が選んだのは薪割りだった。ヤギの乳を勝手に絞って、ヒナが戻る前に不味くなっては意味がない。
ひょっとしたら、ヤギの乳を搾っておいてチーズにするということもあるのかもしれないが、俺には知識もなければ道具の場所も解らない。
大人しく薪割りの道具をしまった小屋に向かう。
扉を開けると、長柄のノミが倒れるように俺の手に収まった。
これを使うのが無難だろうが、俺は長柄のノミを小屋の奥にしまい、少し小ぶりの斧を手に取った。
何日か前には、重くてまともに使うことはできなかった。あれから何日立ったのか、寝ていた時間が正確にわからないので断言できないが、3日ぐらいだろう。
俺の予想通り、軽く感じた。
2度目だからということもあるかもしれないが、俺の力が増しているのだ。
満足な食事をしているとは言えない。だが、『生命魔法』を使用して、常人にはあり得ない筋力を引き出し、限界に達して痛んだ筋肉をまた魔法で修復するということを繰り返している。
魔法という別の力が関与していても、筋力が強化されるシステムそのものは変わらない。『生命魔法』を使って普段より多くの力をつかうことは、普段の筋力の増強にも役立つのだろう。
力が飛躍的に増強されたことに少しだけ興奮して、俺は斧を振るった。
まあ、力が増したから、簡単に薪割りが上手くなると思っていたわけではない。
だが、以前はただの木くずの寄せ集めしかできなかったのが、少しは薪に見えなくもない程度のものにはできた。
一度にぶつける力が大きくなり、木の破片が大きめにはがれたのだ。
手のひらも痛くない。
一度皮が剥け、強引に再生して、強くなったようだ。
俺は暇を持て余していたので、薪を割り続けた。
次第に暗くなってきた。
薪を割るペースは上がらないし、時々休んで体を修復しているので、半分以上は遊んでいるようなものだ。
だが、筋肉痛を魔法で解消できるということは、驚異的な速度で筋力を上げられることを意味している。
ヒナに止められなければ、ずっと薪を割り続けたかもしれない。
自分の筋力が上がり、筋肉が着いていくというのは、とても楽しいことなのだと、感じ始めたところだ。
もちろん、必要な栄養を取らなければ、そのうち筋肉の修復もできなくなるかもしれない。必要な栄養は、いまのところ溜まった皮下脂肪にある。
俺は太っているわけではないが、この世界の人たちより、かなり余分に脂肪がついている自覚はある。この世界で俺が知っている人間は、ヒナとパークと名乗った少年だけではあるが。
ヒナは、俺の背中を黙って抱きしめるという方法で俺を驚かせた。
山小屋に向かって薪割をしていたので、ヒナが帰ってきたのに気づかなかったのだ。
斧を振り上げた俺の体を、ヒナは黙って抱いた。
俺の腹に腕をまわし、顔を背中に張り付けた。
「ヒナかい?」
「うん……ただいま」
「汗を掻いたから、汚れるよ」
「平気」
俺は斧を降ろし、俺の腹に回されたヒナの手を取った。すべすべとした、皮と骨ばかりに見える手だった。
手をほどき、ヒナの体を正面にまわす。斧を捨て、向かい合うと、ヒナは意外なほど小柄だった。
もっと大きな少女だと思っていたが、実際には俺の胸元ぐらいまでしかなかった。
俺自身がヒナを頼りにしてきたので、大きく思い描いていたのかもしれない。
「大分、薪割りも上手くなっただろう?」
「うん。でも、お風呂を沸かすには少し足りないかな」
「風呂って、どこにあるの?」
「外だよ」
ヒナは水源を指さした。いつもヒナが洗濯をしている少し先に、ドラム缶のような金属の器が置いてある。あの中に水を張り、温めるのだ。
「そっか」
ドラム缶風呂には入ったことがなかったが、気持ちよさそうだ。
「入りたい?」
「いや。今度でいい。もっと、薪割りが上手くなったらな」
「そうだね」
ヒナはほほ笑んだ。どうして寂しそうに見えるのか、俺には解らなかった。
里に帰ったヒナは、帰りに土産をもらってきた。
蛇の黒焼きを嬉しそうに見せてくれたが、俺にはごちそうには見えなかった。
ヒナが嬉しそうだったので、とりあえず一緒に喜んでおく。
俺は好例になった『火炎魔法』で暖炉に火を入れ、ヒナと食事をし、水で体を拭き、洗ってくれてあった俺の服に着替えた。
辺りはすでに暗くなり、すぐにやることはなくなった。
俺は寝室に入り、眠れなかった。
ヒナも自分の寝室に入っているはずだ。
これで朝まで眠ってしまったら、俺は2度とヒナに好かれなくなるだろう。
すぐにでも、ヒナの部屋に行くべきだとはわかっていた。
その前に、試したいことがあった。
俺は魔法の石版を取り出し、『生命魔法』をタップした。
魔法が発動するのがわかる。
俺は、意識を自分の股間に集中させた。
……結果は良好だ。
魔法をこんなことに使用していいのかどうかはわからない。
だが、できることはするべきだ。
俺は下腹部の収まりを待って、寝室の扉をそっと開けた。
ヒナの寝室は、俺の部屋より少しだけ生活の感じがした。余計なものはほとんどなかったが、長い間人が使っている臭いがした。
心地よい臭いだ。
俺が扉を少しだけ開けると、俺のとは違ってちゃんとしたベッドがあることがわかった。だが、ベッドの中はやはり干し草らしく、ヒナの部屋も干し草の臭いがした。
ヒナはベッドに腰かけ、明り取りの小さな窓から、外を見ていた。
「ヒナ、少し、いいかい?」
多分に下心しかなかった俺だが、それを前面に出すような真似はしなかった。
ヒナのことは好きだし、尊敬もしている。あくまで、ヒナが拒否しなければだと、俺は自分に言い聞かせた。
「うん……もし……今日もこなかったら、わたしのほうから行こうと思っていたから」
暗いので表情はわからない。窓を見上げていたヒナが、うつむいたのはわかった。
「この間は、ごめん」
「どのこと?」
謝られる心当たりが、そんなにあるのだろうか。俺には一つしか思い浮かばなかった。だが、いまさらそれを言うのもためらわれた。
少し考え、部屋の中をゆっくりと移動し、俺はヒナのそばに立った。
「俺がヒナを怒らせなければ、ヒナが一人で草地に行くことはなかったし、あんな目にも合わなかったんだ」
「ソウジが悪いんじゃない。だって、ソウジがいなかったら、私は普通にヤギの丘に行って、『ゴブリン』に捕まって……今頃、死んでいたかもしれない」
ヒナは俺を許した。
俺を許し、ベッドに横になった。
ベッドの上から、俺を見上げていた。
「……来て」
呟くように、ヒナが言った。
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