第15話 スズメバチ

 俺は地面を蹴った。

 ヒナが続くのが解った。作戦を変えても、柔軟に対応してくれる。

 『ゴブリン』の一体が俺の接近に気づいた。

 石斧を振り上げる。

『生命魔法』をタップする。

 一気に加速した。

 振り下ろされる石斧より早く、『ゴブリン』の懐に入る。

 足に振り向けた意識を、腕に移す。

 片手に持っていた尖った石を、『ゴブリン』の側頭部に叩きつけた。

 鈍い手ごたえがあった。

 頭部を陥没させた手ごたえがある。

「ヒナ、とどめを!」

「うん!」

 ぐらついた『ゴブリン』を投げるように引き倒し、ヒナに任せると、俺はすぐに奥に向かった。


 もう一体の『ゴブリン』が、石斧を捨てた。

 俺の速度に対応できないと判断したのだろう。

 それは正しく、間違った判断だ。正しく認識し、判断を誤ったのだ。俺は、魔法に頼らないと何もできない。武器は持っていないほうがありがたい。

 『ゴブリン』の拳が俺を捕えた。

 俺は避けようとして、失敗した。吹き飛ばされて、ヒナを巻き添えにした。

「ソウジ、大丈夫?」

「ああ」

 ヒナがとどめを刺したはずの『ゴブリン』も、起き上ろうとしていた。殺すには至っていないのだ。その『ゴブリン』は、俺が尻に敷いている。

 一回分の『生命魔法』は使いきっていた。俺は、俺の下敷きになり起き上ろうとしていた『ゴブリン』の頭に、手のひらを叩きつけた。手の中に握っていた石は落としていた。

 『ゴブリン』の後頭部を地面に叩きつけている間に、もう一体が両腕を振り上げていた。

 後ろに下がれば、ヒナがいる。ヒナを巻き添えにする。

 結局、俺はこのざまだ。

 ヒナだけは守りたい。

 俺は前に出た。

 結果的に、この行動が吉と出た。

 『ゴブリン』の振り下ろされた両腕が、俺の背中を打った。

 背骨が折られたかもしれないと感じた。それほどの衝撃だった。

 緑の肌が目の前にある。俺は、石版を持つ腕を『ゴブリン』の体に巻き付けた。

 

 指はずっと『生命魔法』の位置から動かしていない。

 ずれていないことを祈った。

 タップする。

 全身が疲労を襲う。

 抱き付いた『ゴブリン』の体に、石版を持っていないほうの手を押し当てた。体を覆う獣の革の内側に手を差し入れ、指を立てた。

拳ではなく指を当てたのは、細い方が圧力が高いと思ったからだ。

 指に意識を集める。

 意識が飛びそうだ。

 指がきしむ。

 分厚い皮膚に、緑の肌に、めり込んだ。

 俺の指が、皮を破り、裂き、潜り込んだ。

 『ゴブリン』の血が吹きでる。

 さらに力を込めた。

 魔法が切れるまで、続けるのだ。

 指先が硬い筋肉に当たる。

 握りしめた。

 引き抜く。

 『ゴブリン』の心臓だ。

 目の前のゴブリンは絶命した。

 背後で、重い音がした。

 俺の背後で、ヒナが『ゴブリン』の頭蓋骨を叩きつぶすのがわかった。

 だが、その直後、『ゴブリン』ではない何かが地面に倒れる音がした。

「ヒナ?」

 俺が振り向くと、二体の『ゴブリン』の血に染まった地面の上で、ヒナが倒れていた。


 二体目の『ゴブリン』は俺が心臓を抉り出し、一体目の『ゴブリン』は頭蓋骨を石で砕かれていた。原型が無くなるほど頭部が潰れ、骨があるとは思えない形になっていた。血が広がり、頭部があったことすら疑われた。

 全く動かない『ゴブリン』の上で、ヒナが倒れていた。

 凶暴なハチが、『ゴブリン』とヒナの上で騒いでいる。

 俺は『精神魔法』をタップし、ハチを退けた。幸いにも、群れを散らすだけの簡単な魔法なら負担は小さかった。

 倒れたままのヒナは、口から泡を噴きだし、体を痙攣させていた。

 ハチに刺されている。

 だが、人間を簡単に死に追いやるような猛烈な毒ではないはずだ。

 ――アナフィラキシーショック。

 嫌な単語が俺の頭に浮かんだ。過去にハチの毒などに犯された人間の体内で、毒に対して耐性が作られる。二度目に同じ毒が入ることで、体内の耐性物質が過剰に反応し、死に追いやることもあるらしい。

 ハチは苛立った羽音を立てていた。ハチの気持ちまではわからないが、苛立っているように感じた。

 これ以上の魔法は使えない。

 俺はヒナを抱き上げ、全身に力を込めた。


 ハチを振り切るために、俺は洞窟から離れた。

 昆虫は従順で単純だと信じたい。

 一度命令すれば、意識して別の命令を与えない限り、『ゴブリン』を標的にしていると信じたい。

 魔法の結果かどうかはわからなかった。

 だが、俺はハチの群れを振り切った。

 周囲に、少なくともハチがいないことを確認し、俺はヒナを地面に下ろした。

「ヒナ! ヒナ!」

 呼びかけても、ただ体を震わせるだけだった。

 ヒナが死ぬ。

 俺は腹の中に、冷たい重しを乗せられた感じがした。

 魔法の石版を取り出す。これに頼るほかはない。

 だが、俺自身も限界だ。俺のことはいい。だが、ヒナのように深刻な状態の体を戻せるだろうか。

 考えても。事態は悪化するだけだ。

 俺は『生命魔法』をタップした。

 突然視界が暗くなる。

 意識が失われようとしている。

 まだ、駄目だ。

 俺はぎりぎりで踏みとどまった。

 手のひらをヒナにかざした。

 思えば、他人の体に使ったのは初めてだ。いままでは俺の体を強化することしかしたことがない。

 果たして、上手く行くだろうか。

 俺は祈った。祈ると同時に、ヒナの体内からすべての毒が抜け、ヒナが健康になることをイメージした。


 ヒナの容態が安定し、目を覚まし、起き上る。

 それが現実なのか、あるいは、幻覚なのか、もはや解らなかった。

 ヒナに手を当てたまま、俺は意識を失っていた。


 俺は、体の痛みで目を覚ました。

 薄暗い小屋の中だった。

 自分の記憶を探る。

 ヒナを蘇生させようとして、魔法を使い、意識を失った。

 あれは外だったはずだ。

 ここはどこなのか、少しだけ考えたあげく、俺が知っている室内はヒナの山小屋しかないことを思いだした。

 起きようとして、声が漏れた。俺自身の声だ。

 痛い。

 全身が悲鳴を上げたような気がする。

「ソウジ?」

 聴き知った声だ。俺がこの世界で聞き知った声はかなり少ない。

 ヒナだ。

「……ヒナか?」

「うん……大丈夫?」

「体が痛い以外はね。どこにいる? ここはどこだ?」

 俺の目の前に、ヒナの顔が現れた。やはり美しい。ブロンドの髪が、小屋に漏れ要る外からの光に輝いていた。青い瞳が透き通るようだ。

「ここは、わたしの小屋。ソウジは、2日も寝ていたんだよ」

「ヒナ、体は大丈夫か? ヒナだって、死にそうだったんだぞ。ハチにさされて、危険な状態だったんだ」

「そうなの? 突然気持ちが悪くなって、倒れたのはわかったけど。わたしが起きたら……ソウジが怪我だらけで倒れていたんだよ。『ゴブリン』は死んでいたから、里に戻って助けを呼んだの」

「……そうか」

 相変わらず体が痛い。首を動かすこともできない。

「ごめん。運んだだけで、怪我の治療はなにもしていないの。里の人が、ソウジが『ゴブリン』を倒した魔法士だって言ったら、下手に他の人間が治療するのは危険だっていうから。魔法士なら、自分で直すのにまかせてほうがいいって」

 ヒナの言う『里の人』が何を意図したのかは、よくわかる。俺は、この世界で言うところの魔法士であることに間違いはないようだ。

 確かに、折れた骨を不自然につながれるより、『生命魔法』を使って自分で治療したほうが確実な気がする。

「俺が持っていた石版はどこにあるのかな」

「これ?」

 ヒナが持っていてくれたようだ。持ちあげて見せた。

「それ、ヒナは使えないのかい?」

「どうやって使うの? わたしには、ただの板にしか見えないよ」

 俺に見えているアイコンすら、ヒナには見えていないのだ。その現象が、俺が魔法士だからか、石版がそもそも俺にしか使えないようにできているのかはわからない。

「俺の指を、その上に乗せてもらえるかい?」

「うん」

 指を動かす。それだけでも、俺の体には一苦労だ。ヒナもそれがわかっているから、何も聞かずに従ってくれる。

「俺の体、どうなっていた?」

「首の骨と鼻が折れていたのと……内臓が傷ついているみたい。ハチにも刺されていたし、もし魔法士でなかったら、二度とまともな生活はできないかもって……」

「まるで、俺が普通の人間じゃないみたいだな」

 首の骨が折れているのか。

俺はぞっとしながら、体が動かない理由がわかった。ヒナに石版を持ち上げもらい、指を乗せた。位置としては『生命魔法』にあたるはずだと思いながら、俺はヒナに指を動かしてもらうように頼んだ。アイコンをタップすることさえ、できなかったのだ。

 魔法が発動するのがわかる。

 俺は意識を全身、特に首に向け、体が治るイメージを浮かべた。

 体が癒される。

 何度か繰り返し、精神的な疲労と引き換えに、俺はまあまあ健康な体を取り戻した。

「ソウジ、大丈夫?」

「ああ。なんとかね」

 俺の体が戻ったことを確認してから、あらためてヒナが俺に抱き付いてきた。

 魔法がなければ、一生寝たきりだったのだろう。

 ヒナは俺のために泣いてくれた。

 俺が唇を重ねても、優しく返してくれた。

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