第七章 兵馬俑坑


「戦神白起将軍には地下宮殿の守り神として、地下軍団をひきいてもらおう」

 趙統の発案に、趙勇と趙矛が乗った。

「大勢の兵や軍馬を、等身大の陶俑にして地下にならべて大軍団を作るんだ」

「一体ごとに粘土をこねて形を作り、乾燥させてから大きな窯で焼く。焼成温度は約千度、この温度でじっくり焼くと丈夫な陶俑―兵馬俑ができる」

 前述したように、兵馬俑というのは陪葬する陶製人形のことで、それが収まっている地中の空間を兵馬俑坑という。これはべつにかれら三方士の独創ではない。秦代以前にもあったし、漢代にも引継がれている。

 ちなみに始皇帝陵園の兵馬俑坑が著名なのは、八千体といわれる規模の壮大さにくわえ、一体一体があたかも生けるモデルを写したかのように顔かたちが異なっていたからだ。おまけに二メートル近い等身大の兵士ときている。それらが馬俑ばよういて整然と居並ぶさまは誠に圧巻である。これ以外にも立て膝をついて矢を射る跪射俑きしゃようや力士俑、カラフルな彩色俑などバラエティに富んでいる。

「軍団は墓陵の東側一・五キロ先の、魚池水を越えたあたりの地下に東に向かってならべ、韓・魏・趙・斉・燕・楚六カ国軍の侵入に備える布陣で、戦神白起が指揮するにふさわしい大軍団にしよう」

 政もまた賛同し、お彩にも同意を求めた。

 お彩は地下宮殿の部屋割りに忙しい。

寝殿しんでん便殿べんでん飤官しかんなど、日常生活が営める建物は墳墓の中ではなく、墳墓のそばに置くのね。そうすると朝廷の会議や謁見など公務用のお部屋は墳墓の真下の地下宮殿の中になるのかしら。いずれにしても白起将軍には公私まとめて丸ごと守ってもらわなければならないから、そうね、どうせなら天下統一後の墓陵全体を警備する、守護神にふさわしい近衛大軍団を結集することにしましょう」

 生返事を返したが、結果は八千の将兵と軍馬のみごとな陣列を地下に潜め、二千二百年後の現代に、蘇らすことになるのだ。

          ∵

 そもそも戦神武安君白起が、戦国の七雄といわれた他の六ヶ国を尻目に、秦が急速に台頭するために果たした功績は著しい。

 白起は政の曽祖父 昭襄王しょうじょうおうに仕えて各地を転戦、楚・燕・趙などを攻め、攻め取った城の数は七十余、それでいて、力任せの豪腕将軍ではない。

「白起料敵合変、出奇無窮、声震天下」(白起は敵の力をはかり、事変と適応して奇計を出すこと極まりがなく、名声は天下に鳴りひびいた)

 知将としても評価されている。いや、戦神-神とまで称えられていたのだ。

「さすが戦神の名に恥じない、まさに神業かみわざよ」

 と囃す世上にたいし、「なんの神業などであるものか。すべてこれ理詰めの戦勝よ」とうそぶ気位きぐらいの高さがあった。白起の場合、この気位の高さが、ゆくゆく命取りになる。

 自尊心といいかえても良いが、ものごとには程度ということがある。少なくとも臣下であれば、国王の自尊心を越えてはならないのだ。当然の原則だろう。

 ところが白起は、これを無視した。あたるを幸い、手当たり次第になぎ倒し、向かうところ敵なしの常勝将軍だ。勝ちに慣れ、己が有能さを誇り、謙虚さを欠いた。自尊心の赴くままに勝手に行動し、あまつさえ国王の戦略を批判がましく反論したから堪らない。昭襄王のかんに触れた。いや、あえて昭襄王の神経を逆なでする行為に出たといって過言でない。

 四十万人 坑殺あなうめのあと、勝利まちがいなしの邯鄲攻めをめられ、本国に召還された。いわば戦を取り上げられたのだ。怒るまいことか。根に持った。帰国するや邸宅に引きこもった。あてつけである。その後も、対趙国戦への再出馬を要請する王命を無視し、病と称して腰を上げようとしなかった。

 長平の戦のあと、一気に邯鄲を攻めておれば衰弱しきった趙国そのものを滅亡できたろうに、秦王はよりによって戦をめて講和を結び、息の根が止まる寸前の趙を助けてしまった。

 戦には勢いというものがある。兵の多寡、武器の優劣だけでは決められない。 臥薪がしん嘗胆しょうたんの結果、国力を回復し秦への復讐に燃える趙は、もはや長平で惨敗した負け犬ではない。

 再起の勢いに乗るいまの趙に、秦は勝てるのか。

「だれが指揮しようと負ける」

 白起は断言する。

 現に、白起にかわって指揮をとる将軍は、負けつづけている。

「負けると分った戦に、常勝将軍のわがはいを出馬させてどうする。講和すべきはいまであって、戦などすべきときではない。なんと戦を知らない秦王よ」

 と公然、昭襄王の戦略をなじったのだ。

 王は怒り、白起に死を賜った。白起は従容しょうようとして死に就いた。 昭襄王五十年(前二五七)十一月、政がまだ三歳のときである。

          ∵

 趙との講和は国王の戦略といったが、これには伏線がある。昭襄王の覚えめでたい秦の宰相 応侯おうこう范雎はんしょの思惑が働いている。

 長平の戦の大敗北で、危機存亡の崖っぷちに立たされた趙国は、説客 蘇代そだいつかわして范雎に講和を説かせたのだ。

 ちなみに蘇代は、合従がっしょう策で聞こえた蘇秦の弟だ。ひと口に合従 連衡れんこうというが、戦国七雄のうち一国だけ突出した強国秦に対抗して他の六ヶ国がたて(=従)に合わさるのを合従といい、秦がこの六ヶ国のいずれかと組んでよこに連なって合従策を破ろうというのが連衡策だ。

「いまもし趙が亡べば、韓・魏も危うい。昭襄王はそれらを併せて帝王となり、勲功第一等の武安君白起は三公に叙せられましょう。そのときあなたは武安君の風下に立つことになりますが、それに耐えられますか」

 蘇代は范雎の危機意識に訴え、嫉妬心をあおった。三公とは臣下で最高位の三官位、太師・太傅たいふ・太保のことで、とうぜん范雎の宰相を超える。

 そもそも、蘇代が范雎に近づいたのには理由がある。

          ∵

 長平の戦ではじめ趙軍は、名将として天下に聞こえた廉頗れんぱが指揮していた。攻める秦軍は強く、侵攻しては出先の城砦を奪ってゆく。そして「いざ来たれ」と、しきりに決戦をほのめかすのだ。しかし廉頗は秦軍の挑発に乗らず、長平の城塁にもって、塁壁を堅くして守りを固めた。

 応戦不利と見て防戦に徹し、機をうかがっていたのである。しかし勝ちをあせる趙王には戦場の機微が分らない。

「守るだけでは勝てないだろう。武器を取って出陣し、攻める敵を蹴散らせ」

 事あるごとに廉頗を誹謗ひぼうし、その消極策をなじった。

 この趙側の内部事情が、秦の宰相である范雎の耳に届いた。

「好戦派の指揮官に替えれば、この戦は勝てる」

 にんまりとほくそえんで、謀略戦に打って出た。反間はんかんの計だ。秦の国内にデマを流し、趙のスパイを使って偽の情報を趙王に伝えさせたのだ。

「秦がおそれるのは趙括ちょうかつだ。馬服君ばふくくん趙奢ちょうしゃの子 趙括が将軍となれば、積極的に攻撃してくるから、秦軍は危うい」

 聞いた趙王は、趙括を将軍に抜擢しようとした。

 病の床にあった上卿じょうけい(大臣)の蔺相如りんしょうじょは反対した。廉頗とは「刎頚の交わり」で知られる畏友いゆうである。

 趙括の父趙奢は税制改革によって国を富ませた能吏だが、軍事にも秀で、かつて閼与あつよの戦で秦を撃破した将軍だった。子の括が実戦経験に乏しいにもかかわらず、兵法理論に詳しいことを鼻にかけ「われこそ天下一」と自惚うぬぼれていることを、死ぬまで気遣っていた。

「理屈ではわしも括にはかなわない。しかし戦は、勝ち負けだけを争う遊戯ゲームとは違う。人の生き死にがかかっている。なめてかかってはいけない。なまじ将軍などになって、手駒を気楽に動かすことがないように祈る」

 母もまた王に上書して、子の任官に反対した。

「わがせがれなれど、心構えにおいて括は亡き夫の足元にも及びません。どうか倅の将軍位をお取下げください。お聞き届けなければ、もし戦に敗れ、王の意思に反しても、わたしを連座させないでいただきたい」

 とまで願い出た。しかし王は、「よしよし、あい分った」と返事こそしたが、子を戦場に行かせたくない母の親心と見て、決定はひるがえさなかった。。

          ∵

 范雎の思惑が当たった。着任した趙括は、廉頗の策をことごとく変え、籠城から一転、城門を開き、積極果敢に出撃した。

 対する秦の将軍は武安君白起である。奇兵を放ち敗走すると見せかけ、二手の伏兵を張って潜ませた。逃げる敵を追って秦の塁壁に迫った趙軍は、勢いに乗って敵の塁壁を落とそうとしたが、とつぜん背後を秦の伏兵の一手二万五千に襲われ進撃が止まった。混乱するなか、趙の城門前に秦の別の一手五千騎が湧いて出て、趙の援軍の追撃を遮断した。先に出撃した趙軍はこの二手によって挟み撃ちにされた。城からの援軍を絶たれ、同時に糧道を失ったのだ。

 援軍のないまま孤立した趙軍は、絶食四十六日間におよび、ひそかに殺し合い食い合って、かろうじて飢えをしのぎ、生き延びた。

 飢餓にあえぐ趙軍は、たびたび反撃を試みたが、十重とえ二十重はたえにかこむ秦軍の囲みは解けず、ついに血路は開かれなかった。

 万策尽きた趙括は、五百名の精兵を選び、みずから白兵戦に打って出た。

「戦場に携えた竹簡ちっかんの書物は、煮て食うた。父にさとされ、母に嘆かれたわしの頭でっかちの兵法知識の源泉は、文字どおり、いまこそわが体内の血となり肉となって実戦に生かされる。このうえは、死してなお魂魄こんぱくとなりて、国にお報いせん」

 もはや戦術などいらぬ。待ち受ける秦軍の弓箭きゅうせん隊に向かって突撃し、雨あられと矢を射掛けられた趙活は、針鼠となって戦場にしかばねさらした。

          ∵

 将軍の死で、残された四十万の趙兵は秦に降伏した。

 統率者が率先して死に急ぎ、混乱した飢餓集団である。投降直後の緊張感が解ければ、てんで勝手に脱走を考えるだろうし、いつなんどき叛旗をひるがえすか知れたものではない。なにより、まず粥を食わせることからはじめなければ、移動もままならない。四十万人のまかないなど、気の遠くなる話しだ。

 ――そんなめし、どこにある。

 さすがの白起も、頭を抱えた。秦の総兵力は百万といわれる。その大半は全土の南と北に集結させている。自軍にさえ充分に行き渡らない兵糧を割いて分ける余裕などどこにもない。そのくせ、天下一統に踏み込んだ今、まとまった兵力は、喉から手が出るほどにほしい。

 ――さあ、どうする。

 生かすか、殺すか、二者択一の決断を迫られた白起は、しばし黙考した。

 やがて双眼を屹度きっと見据えた白起は、刑吏を集め静かに処罰を宣告した。

「殺せ。ひとり残らず、殺してしまえ!」

 刑吏らは思わず互いに顔を見合わせた。前代未聞の処刑数になる。

「四十万人ですぞ。一日一万人を斬ったとして、四十日かかりもうす」

 しかし、白起は譲らない。

「なんで四十日もかけられるか。わしらはこれから趙のみやこ邯鄲を攻める。邯鄲攻めに趙兵は使えぬ。ここへ残してゆけば挟み撃ちされる。置いてゆく兵糧も馬鹿にならぬ。ならば一気に始末するまでだ。崖下に穴を掘っておき、崖の上から突き落として埋めるのだ。けっして気取られるな。坑殺と知れば、騒ぐは必定。断固たる態度で事に当たれ」 

 白起の白起たるゆえんである。常勝将軍の尊称は、あだやおろそかに付かぬ。

 ことを起こすにあたっては、あらゆる可能性を探り、時間のあるかぎり熟考する。そして、決めたことは躊躇せず、断行する。

 崖の上に集められた四十万人もの投降兵が、突進する軍馬に押し込められて、崖下に掘った大きな穴に突き落とされた。人の上に人が積み重なる。クッションが効いているから怪我はしても、落下だけで即死はしない。まだ息のある人がほとんどだ。なにが起こっているのか、理解できないうちに、上から土をかけられた。あとはもう、圧迫と窒息で息絶えるのを待つだけだ。死に切れない人たちが、土の中でうごめき、断末魔の呻き声を洩らしている。

 坑殺作業を終えた秦軍は、邯鄲に向かって移動した。

 四十万人の投降兵を皆殺しにしたのだ。だれもみな無言で、逃げるようにその場を去った。無駄口をたたくものさえいない。言い知れぬ慙愧の悔恨が、秦軍将士の口を硬く閉ざしていた。なにより死者の祟りを恐れた。心のうちでひたすら鎮魂した。死者の魂を慰め、静かに黄泉路にわたるよう祈った。

 人馬の去った戦場に、折り重なって埋められた四十万体の死体が残された。やがて日が暮れ、あたり一面、漆黒の闇に包まれた。

 数日たっても、呻き声が大地の底から湧いて出る。さながら地鳴りのように、風に乗って、重苦しく大地を揺り動かしている。 

 ぽつりぽつり、暗闇に点々と明かりが灯る。死体を抜けでた人魂ひとだまが火の玉となって、行き場を求めて彷徨さまよいはじめるのだ。 

 ――白起はいずこにありや。白起よ、われらの魂を鎮めてくれ。

 趙括が魂の群れをひきいて、幽明界を行き来する白起を追い求めている。

          ∵

「――(なら、どうする)」

 応侯 范雎は趙王の特使 蘇代に、無言で問うた。

 長平の戦は、敗れた趙だけでなく、大勝した秦にも問題を投げかけている。

 合従策を説かれても、秦の宰相には乗れぬ話だ。

 ここぞと蘇代の三寸不爛の舌尖が弁じたてる。

「武安君にこれ以上の手柄を立てさせないこと、戦をさせないことです」

「ほう」

「趙都邯鄲の攻略を進めている白起将軍の裏をかいて、和睦に持っていけばよい。手土産代わりに、趙の六城をつけましょう。趙のつぎには韓が応ずる」

「和睦か」

 案に相違して蘇代の策は、連衡だった。白起を戦場から追い出す方便である。

「武安君はもとより、戦勝に沸いている秦の国内が承知すまい。和議など、大勝した秦から持ちかける話でない」

「四十万ともいわれる坑殺(穴埋め)を逆手に取るのです。戦は人狩です。戦で土地を占領するのは、そこに人がいるからで、無人の土地を取ったところで、いったいだれが耕すのですか。それとこのたびの大量殺人、はじめ命だけは助けるといって投降させておきながら、結局だまし討ちの皆殺しにした。桀紂けっちゅうでさえも顔をそむける暴虐非道、歴史の汚点として永久に語り継がれることでしょう。これを昭襄王に申し上げるのです。王はきっと武安君を叱責し、更迭なさり、すすんで和議に応じられることでしょう」

 はなしはしてみるものだ。だめもとで范雎は、蘇代の提案を昭襄王に打診した。はたして昭襄王は白起を召還し、和議の交渉に応じたのだ。

 天下を狙う昭襄王にして、覇者あるいは王者としての体面は重要だ。何より後世の歴史でマイナス評価されてはならない。穴埋めの大虐殺は白起の独断でしたことと、知らぬ顔を決め込んだ。そのうえで趙に六城を割かせて帳尻を合わせ、講和に応じたのだ。

 戦いは休止した。秦は邯鄲の包囲を解いた。趙人ちょうひとの非難は白起に集中した。怨霊は白起にたたった。「戦神」に祟りきれないひ弱な怨霊が幼い政にとりき、政の寿命を縮めたことは、すでに冒頭で述べた。

 咸陽に呼び戻され昭襄王の叱責を受けた白起は、裏に范雎の讒言ざんげんがあることを知り、范雎を筆頭とする王の取り巻き連中を「戦の実態を知らぬ、口先だけの、無能で卑怯な奴ばらよ」とさげすんだ。

 病と称して出仕に応じず、再出陣せよという王命さえも無視して抗ったのだ。

 これが昭襄王の疑惑と怒りを買い、死を賜る結果となるが、とうに命は捨てている。自尊心プライドを優先したのだ。

「長平の戦で降伏した趙兵四十万人を穴埋めにして殺したわしの罪は、万死に値する。もとより生きながらえようとは思わぬ。秦を強くし、秦による天下統一を実現し、一日も早く天下に和平をもたらすことこそ、わしの究極の願いだった。この思いにうそ偽りはない。ならばこの願い、たとえ魂魄こんぱくとなりても、叶えてみたいものよ」

 自害せよと昭襄王から賜った剣で、まさに己がくびを刎ねんとする一刹那、無名道人の誘いに応じ、病弱な三歳児 政の私的守護神となった白起である。

 その後、無名道人と呂不韋の思惑通りか、あるいは運命のいたずらか、十三歳で秦王となり、三十九歳で皇帝となった政の秦帝国の護国大明神を務めることになる。

 だったら五十歳の託された政の天命までといわず、兵馬俑軍団をひきいて、死後の地下帝国の永遠の守り神であって不思議はない。

 いや、そのためにこそ、戦神白起は守護神となったのではないか。

          ∵

 始皇帝陵と兵馬俑坑そしてその周辺一帯を始皇帝陵園という。秦王になった翌年から政は陵墓の建設に着手する。

 はじめは漠然とした思いつきからスタートする。この場合、構想は無責任な夢であっていい。

          ∵

 咸陽の都と宮殿は、地下の直道を通じて始皇帝陵園につなぐ。移動には銅車馬を用いる。青銅で作った馬車で、霊魂を乗せて地上と地下を行き来する。ほんらい浮遊すれば移動できる霊魂に、乗り物は要らない。だが霊魂は荷物を持てないから,銅車馬は荷物の運搬用に必要なのだ。車輪の金属音を響かせ、銅車馬は大地の上下を問わず、疾駆する。

          ∵

 始皇帝陵は内城と外城の二重の城壁に囲まれており、寝殿しんでん便殿べんでん飤官しかんという、生前と同じ生活を保障する日常生活用の建築群を通って、墳丘部の真下にある地下宮殿へと下りる。

 宮女や宦官など身の回りの世話をする人々は、その建物の近くに住まわせる。庭先に祠があり、朝夕手を合わせる。その並びに厩舎きゅうしゃがあり、馬の出動に備えている。石片を張り合わせた鎧兜よろいかぶとに身を包んだいかめしい姿の護衛兵が守っている。珍しい鳥獣を飼っているので、鳥のさえずり、動物のうなり声が、身近に聞こえる。

          ∵

 六国を滅ぼしたあと、各国の都は破壊するが、各国の代表的な宮殿は秦の都咸陽に移す。離宮はその地に残して祖先の御霊みたまを祭祀する。

 しかし、地上の宮殿は寿命が限られている。永遠不滅の大秦帝国といえど、地上にあるかぎり宮殿は、いずれ消失する。それで地下にも宮殿を置く。地上よりは長く保つ。入口を塞ぎ、記録を破棄し、人の記憶から消えれば、盗掘を免れる。百年経てば伝説になる。伝説の世界で、地下宮殿は永遠に存続する。

「そうさ。伝説にしてしまえば、いいんだ。盗掘を恐れることはない」

 政はひとりで納得する。

 地下宮殿は墳丘部の真下、「三泉を穿うがつ」、つまり地下水の三層を越えて三十メートル掘り下げた地中に置く。こうすると地下の木造建築は腐らず、半永久的に保存できる。兵馬俑坑の例に倣い、版築はんちく隔壁かくへき数十本で細分し、この隔壁の上に棚木たなぎをならべて天井にし、地下空間を作って、宮殿の殿舎や居室にあてる。

          ∵

 侵入者にたいしては、入口に機械仕掛けの弓を安置する。いしゆみという。西欧のクロスボウに似ている。弓身を侵入者に向けて立てる。矢の装着部分を直角に付けて、弦を目いっぱいに張り、発射装置にひっかけて置く。侵入者が照準の位置に立ったとき、自動的に発射するよう工夫する。

 落とし穴も効果がある。水を張っておけばいい。吊り天井も面白い。侵入者を閉じ込めて、天井を落下させるのだ。もっとも修復する人がいないから、一過性で終わる。ただ通路を塞ぐから、発掘されない限り、それ以後は盗掘を免れる。

          ∵

「ぼくの寿命は五十だと決まっているそうだ。もともと十歳までの命だったが、四十年延命できる。でも地下帝国では不老不死で、永遠に生きられるのだ」


「地上と同じように地下帝国にも河川を流す。水の代わりに水銀を流す。水銀は固まらず、蒸発しにくいから、循環させれば永遠に流れる。さらに『不老不死の気』を発する仙薬でもあるので、地下帝国を『不老不死の気』で包み込むのだ」


「地下宮殿には山川さんせんの神々たる『八神』を祭祀する。『八神』とは『天地日月陰陽、そして四時しいじと兵神』だ。四時は春夏秋冬と朝昼夕夜のこと、兵神は万物の自然が循環し、滞って戦が起こらぬよう見張る戦の神だ」

          ∵

 少年王の政は文字どおり夢中で、地下宮殿の構想に取り組む。

 そして、少しずつ地下に構築した宮殿内に、現実の世界を移してゆく。

 地下に一歩、足を踏み入れたとたん、夢とうつつの垣根は取り払われ、意識の有無さえ覚束おぼつかなくなる。


 地下に明かりはまだ灯されていない。漆黒の闇である。風もなく、音もない。

 政は手探りで地下まで降りてくる。なおも降りようとして、突然転倒する。地面から手が伸びて、政の脚をつかんだからだ。政はその手を跳ね除けて、立ち上がる。すると今度は壁から腕が突き出し、政を羽交い絞めにする。天井からも脚が落ちてきて頭に触れる。

「キャッ、助けて白起」

 政は思わず、守護神白起に助けを求める。

 兵馬俑坑で軍事演習中の白起が、押っとり刀で飛んでくる。

「やあやあ怨霊ばら、いざ、ごさんなれ」

 さあ、やってこいとばかりに、怨霊を打擲ちょうちゃくする。

「ダメよ、そんなにいじめちゃ。怨霊さんたちも行き場がなくて、政ちゃんに助けを求めているのよ」

 お彩が現われ、たしなめる。

「怨霊の行き場か」

ようやく政は思い当たる。

「忘れていた。怨霊たちがいつでも戻れる安らぎの場、いつまでいても心地よく、まったく気兼ねの要らないつい棲家すみか、一日も早く霊廟をつくってあげなきゃ怨霊の魂は休まらない」

「場所は墳墓の真下、一番下に置くといいわ。そうすれば白起さんともお隣同士、互いに助け助けられ、互助互恵のいい関係で、一緒に暮らせるじゃない」

「そうすりゃわしも、内輪もめに煩わされることなく、専守防衛に専念できるというものじゃ」

 白起もいたく満足げだ。

「よかったね、政ちゃん。白起さんもお歳だから、少しいたわってあげましょ」

「うん、そうだね。内も外も、守りは大事だが、それ以上に大切なのは、争わないことだろう。この兵馬俑坑の守護軍団、あくまで守り神に徹して、実際の軍事行動に出ることなく、過ぎていってもらいたいが、そうもいかないね」

「だめよ政ちゃん。そんな弱気じゃ。戦をなくし、戦国の世を平和な社会にかえるのは、政ちゃんのお仕事でしょう」

 あいかわらず、お彩のことばは辛らつだ。でもそのことばの中に、政にたいする期待と信頼が宿っている。

 やがて、姉が弟を思う感情をこえて、そこはかとない情愛に変わってくる。

 芽生え、といっていい。

 それは少しずつ、お彩に、そして少年王の政にも、伝わりはじめていた。




    


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