第四章 方術修行
無名道人は、政に方術の修行をさせる決意をかためた。
時間をかけるわけにはいかない。一年という限られた期間内に、政の心身を鍛錬しなければならない。もとの余命まで、残りはわずか一年足らずだ。こののち五十歳まで、あと四十年の延寿は、他から与えられるのではなく、自らの意志でかち取ったものでありたい。
道人はお彩に、政の意志を確認させた。
「政ちゃん、方術の修行はちょっときついけど、やってみない? 一年間、山奥に籠って、修行するのよ」
うちひしがれ心身虚脱状態の政は、黙ってうなずいた。いまはただ咸陽の都をはなれ、大自然の中に身をおきたかった。
「方術というのは、医術と占術の実戦技術よ。気の訓練からはじめるので、呼吸法を通じてからだの鍛錬にもなるの。ふつうの生活のなかでも訓練はつづけられるから、基礎を知っておくだけで、一生使える便利な技術なのよ。病気で弱った人を助けることもできるし、自分のからだを養生するにも役に立つわ。占術は、未来を見通す判断能力を育成するので、身にそなわれば大きな自信につながる。だから、がんばりなさい!」
方術の修行をするからといって、方士にするつもりはないし、その必要もない。近い将来、政には国王として秦国を承継する道がひらかれている。
しかし政の心根はもろく、からだもひ弱だ。数百年つづく秦国の伝統を保ち、数百万の国人の生命と財産を託すには、いかにも頼りない。国どころか自分ひとりの身でさえ、守れるかどうか疑わしい。
これでは国王はつとまらない。大国の指導者には、超人的なカリスマ性が求められるのだ。ときに非情の決断を下すゆるぎない精神と、長い緊張に耐えうる強靭な肉体は、必要にして最小の条件だ。
方術の修行を通じ、わずか一年でその精神と肉体を鍛えようというのが、道人の計画だった。やればできる、それが方術だ!
政、お彩、それに統一派の少年らをひきつれ、無名道人は秦嶺の山中に分け入った。
秦嶺山脈の最高峰太白山は海抜三千七百六十七メートル。咸陽の西南八十キロ地点に裾野が広がる。太古いらいの原生林が樹齢を重ね、珍貴な草花が繁茂している。
道人はこの山中に、全員をひとりずつ分散して、放り込んだのだ。サバイバル状況下での生き残り訓練だ。十日後に、最終目的地の山小屋「
それぞれに三日分の水と食糧、それに短刀が一本渡されていた。四日目からは自給自足だ。自分で工夫せよ。途中で仲間の姿を見かけても、声をかけてはならない。黙って離れること。山の中では火事を恐れ、火は使わせない。緊急時には大声で叫ぶこと。いかなる場所であろうと、ただちに道人が心気で感知し、救出にあたってくれる。
これだけのことをいい渡されて、かれらは深山に踏み込んだ。訓練にとくべつ扱いはない。政もまた、たったひとりで未知の山に放り出された。さいごにお彩を送り出したあと、無名道人はその場に座し、しずかに瞑目した。
政の修行期間は一年と年限を切ってある。年限に延長はない。この一年で、多くの約束を実行しなければならない。
子楚の国王即位工作に加担することを、呂不韋に約束してある。後継者の地位に絶対はない。そのときどきの情勢しだいで、どう転ぶか知れたものではない。
――急がねばならぬ。三年か、三月か、いや三日もあればいい。はじめが三日で、つぎは三年。さすれば、十三で政は王位に
無名道人は、すでに国王即位後の子楚のそのさきを見ている。呂不韋でさえまだ思い描かない、政の王位継承を考えているのだ。その場合、成蟜と華陽夫人、そして子楚の存在がネックとなる。
「早いに越したことはない」
道人は手の指で印を結び、天地の神霊に決意を誓った。
∵
はじめ政は急がず、山道に沿ってゆっくり歩いた。山中をたったひとりで歩くなど、まったくはじめての経験だ。途中なんども来た道を振り返って、迷わないよう気をつけた。半日も歩いたろうか、やがて坂道の傾斜が険しくなり、いつのまにか道がなくなっていた。陽があるうちはまだよかった。とにかく上をめざして歩いた。そのうち登っているのか、降っているのか分からなくなった。
繁みに迷い込んでいた。樹木の枝葉が頭上に覆いかぶさり、陽が閉ざされた。薄暗がりの中、途方にくれた。腹がすいているのに気が付いた。下草を踏みつけ、腰を下ろした。携帯したマントウをかじり、煎り豆をほおばった。
いつのまにか寝入っていた。真っ暗闇のなかで目が覚めた。闇に光る獣の目を認めた。驚いて跳ね起きた。食べかけのマントウを手にしていた。思わず手にしたマントウを投げ捨てた。二、三匹の子狐が飛びかかり、取り合いになった。
政は恐怖に襲われ、闇のなかを転げるように駆け出していた。
どこをどう走り回ったものか、夜が白みだしたころ、小さな川の流れに出会った。水をすくって飲んだ。夜明けとともに心が落着き、恐怖が遠のいた。まわりを確認する余裕が出てきた。木の実が目についた。いくつかもいで懐に入れた。川をさかのぼり、山腹をめざした。人の踏み入った跡はまったく見当たらなかった。歩きやすいけものみちを選んで進んだ。
強い陽射しを避けて、日中は休んだ。ときおり獣の咆哮を耳にする。夜の野宿は危険だと考え、昼間に仮眠をとり、夜になってから行動することにした。
月明かりに目が慣れてくると、昼間とかわらず自由に動けるようになった。
はじめのうちはさまざまな思いにとらわれた。母を思い、お彩を思った。道人があらわれ、白起が吼えた。方士仲間の少年たちも出てきた。しかし、子楚と呂不韋の登場だけは拒んでいた。こだわりが残っていた。思い出したくなかった。母を怨んで泣いた。
やがて二、三日するうちに雑念が消えた。疲れがピークに達し、思考力が弱くなっていた。到達地の「無名庵」と、これからはじまる方術修行、そして明日の食糧を確保すること、それだけを考えた。携帯した食糧はすでに食べつくした。野草・木の実・山芋、それに魚もとって食料にあてた。火は禁じられていたので、生でかじった。中毒をおこしやすい茸や虫類は避けた。食用の可否を見分けるには経験が必要だから、注意するようにいわれていた。山中のいたるところに小さな川が流れていたので、水の心配はなかった。
さらに幾日かするうちに、独り言をつぶやくようになり、ときには鳥や花や山の精と対話するようになっていた。無意識のうちに幻聴を聴き、幻覚を視た。脳裏に吹き込まれた暗示だけを頼りに「無名庵」を求め、政はふらふらと山中を徘徊していた。夢と
藪の中から虎が姿をみせた。数匹の狼が行く手を阻んだ。大きな蛇が頭上から舞い降りた。そんなときにはかならず白起があらわれ、助けてくれた。
白起の威光のお陰だろうか、野獣の仲間をしたがえ、白起の天馬にまたがって、山中を闊歩した。野鳥の群れに混じり、龍の背に乗って、天空を駆け回った。
広大な秦嶺山脈は、果てしなく連なっていた。
∵
十日目の朝、目が覚めると山小屋の粗末な
――いったい、くよくよとなにを悩んでいたのだろう。
思い出せないくらい、気分は爽快だった。
思い切り手足を伸ばし、跳ね起きた。はずみで臥床がきしんだ。
「目が覚めた?」
傍らにいたお彩が、政の顔を覗き込んだ。
「ぼく、どうしたんだろう」
夢のつづきを見ているのかと思った。
「小屋の前で倒れていたのよ。覚えていない?」
「自分でここまでたどりついたんだろうか」
半信半疑だった。
「倒れていたあたりに、いくつも動物の足跡が残っていたのよ」
お彩のことばで、ようやくわれに返った。
――動物たちといっしょにたどりついたんだ。あれはぜったいに、夢なんかじゃない!
∵
その日から方術の修行がはじまった。ほかの仲間たちも、きのうまでにすべて庵にたどりついていた。
前からいたものも含め、総勢二十人。修行の初心者は政だけだ。
お彩はすでに十年以上の経験をもつが、このところ限界を見せはじめている。 もういちど一から修行をやり直すか、それとも
趙から同行した少年たちも、五台山では復讐の怨念が先行し、修行がおろそかになっていた。こちらも初心に立ち戻ってやり直しだ。
三十前後になろうか、年かさの男が参加していた。
「無名道士の
いわば兄弟子にあたる。「
庵のすみで薬草をよりわけていた赤雨は、じろっと政をいちべつしたが、なにもいわずまた作業をつづけた。
丹薬は、水銀と硫黄の化合物の
方術の修行は、「調身」「調心」「調息」、つまり、「からだ」と「こころ」と「いき」を「ととのえる」訓練からスタートする。ひとことでいえば、「気」の訓練だ。呼吸法といい換えてもいいが、「
呼吸器には随意筋と不随意筋の両方が関係している。「深呼吸」や「
「深呼吸」と「過呼吸」の違いについては、政にも分かる。
「深呼吸」は、ゆっくりと大きく息を吸うことで、高ぶった気分をしずめる効果がある。その反対が「過呼吸」で、意識して極端に早い呼吸をすることだ。心の昂揚を高め、からだの中にある潜在能力を引き出し、活性化する。
訓練といっても、特別なことをするわけではない。「過呼吸」とふつうの呼吸を一分間に二回くらい、交替でくりかえすだけでいい。この呼吸法は、「皮のふいご」と呼ばれる。
ふつうの呼吸は、早くても一、二秒間に一回くらい。これを一秒間に三回以上呼吸する。慣れないと、頭痛や目まいをともなう。
この呼吸法の訓練により、心身の潜在機能が向上する。自然が人間など生命体にあたえた自然治癒力を活性化する効果をもたらす。
「深呼吸」は、訓練には欠かせない呼吸法だ。息をつめて腹式呼吸をする。早朝から正座してはじめる。目を拭い、からだをこすり、唇を舐め、唾を呑みこみ、数十回、「深呼吸」をくりかえす。それからふだんの動作に移る。疲れたり気分が悪くなったりしたときには、「
導引というのは、屈伸俯仰して筋肉と血行をととのえる一種の体操で、閉気は閉気胎息すなわち行気のことだ。この行気も服気・胎息と呼ばれる深呼吸法で、体内の濁った気を口から吐き、体外の清らかな気を鼻から吸う。
ときに瞑想する。「気」の訓練は瞑想にはじまり瞑想におわるともいわれる。「気」を会得するために、ぜったいに欠かせない所作のひとつだ。瞑想は心の平静さをもたらしてくれる。訓練することにより、心の平静さを自分でコントロールできるようになる。
「気」の指導といっても、無名道人はほとんど説明しない。道人は、庵には不在のときも多く、いたとしても日がな一日、瞑想して過ごす。ただし基本にもとづいて、しずかに呼吸法をくりかえしているだけだ。そんな道人の自然な所作にしたがい、仕事の手の空いたものは、黙ってこれをまねる。
「自分で会得する」、まさにこれが
∵
方術修行の大半は、仙薬づくりとのかかわりにあてられる。
仙薬は長生・健康・養生にも効くが、究極の目的は、不老不死にある。仙人となるためにぜったい欠かせない霊薬だ。
だれも最初から仙薬はつくれない。修行のはじめは、日常のけがや病気に対症できる、ごくふつうの
生薬は、動植物や鉱物をそのままで、あるいはもとの性質をかえないていどのかんたんな加工で調製する「きぐすり」のことだ。
ごくふつうのといっても種類が多いので、名前を覚えるだけでも大変だ。おまけに原材料となる薬物の鑑別や吟味は、それに輪をかけてもっと難しい。時間はかかるが、からだで覚えるしかない。ひとつずつ目でたしかめ、手でさわり、臭いをかぎ、舌で味見しているうちに、やがて見分けがつくようになる。五味といって、薬物には酸・
原材料の入手もひと苦労だ。自家栽培できるものもあるが、ほとんどは大自然の中で自生している。場合によっては、人跡未踏の深山幽谷に踏み入ることになる。採りやすいところにあればよいが、そうもいかない。高木によじ登り、岩壁に取りすがり、川底をさらい、
もっともその困難な作業のひとつひとつが、方術修行の修行たるゆえんでもある。強靭な足腰、軽快な身のこなし、方向感覚、天候の予知、敏捷な危険察知能力と危険回避の機転につながる。一年もしないうちいつのまにか、さまざまな機能が身についていることに気付く。
原材料を入手したあとは、保存し、加工する工程がある。採取の時期や保存状態によって成分が変化し、薬効が異なることもあるから厄介だ。使用するときの剤形には、
その製法や処方を、徹底的に頭に叩き込む。
薬剤は仙薬にかぎらず、一般の病気治療薬も含むから、その種類は繁多で、製法もそれぞれ異なる。かんたんに自得できるものではない。それで赤雨が先生になって、具体的に指導する。
神農氏いらい数千年の伝統にもとづいているから、内容は奥深い。神農氏は、百草をなめて薬草を見分け、医薬の道をひらいたと伝えられる神話伝説中の神だ。医薬だけでなく農業の神とも目されている。
特殊な薬効のある仙薬は別にして、たとえばつぎの薬物は、こんな効能や特長があるから、一般の病気治療に対症できる。
それぞれ効用が違うから、目的に応じサジ加減して、調剤する。
赤雨が厳かに講義におよぶ。
「
みんなは深呼吸をしたり、ほっぺたをつねったりして、眠さをこらえながら、聞き入っている。政は瞑目したまま、眠りこけてしまった。お彩がうしろから政の背中をつつく。
∵
方術修行の究極の目的は、成仙つまり仙人になることだ。ただし、不老にも不死と長生の違いがあるように、仙人にもいくつかの種類がある。修行のていどや、本人の気質によって異なるのだ。
ちなみに仙人の種類をいくつか列記すると、こうなる。
金丹をえてみごとに昇天するのが、
昇天しないまま、地上ですでに不死をえたのは、
死体になったのち、魂が昇天するのは、
罪をえて天上界から俗界に流謫される、
また仙人はめざさず、錬金術や仙薬の研究のみ、武術や秘技の修得のみという修行者もいる。
変身・分身・
いずれも集団催眠術を併用したり、相手に薬物を嗅がせて軽い中毒状態にしたりしておこなう。相当な修行を積まないと熟達しない、難易度のきわめて高い秘術だ。
はじめ政は、この幻術を修行したいといって、お彩をてこずらせた。政の場合は、期間一年とあらかじめ年限をくぎってある。この短期間内にからだの訓練を通じて心の働き方を訓練する心身鍛錬を直接の目的とする。したがって「
七百八十キロの道を四日で往復した
遠当ての術の基本は「気」と「瞑想」の鍛錬にある。基本を学べば、初心者でも自分で修行をつづけられる。政はすっかりやる気になっている。
「撃技」の時間帯は薬剤づくりとはうってかわり、政はおもいきり元気に、のびのびと活発に学んだ。武術や体術は、お彩を先生に幼児のころから修行してきたから、もう十年近い。邯鄲にいたころは、先生のお彩に手も足も出なかった。まったくかなわなかったのだ。それが成長するにつれ、少しずつ対抗できるようになった。
剣の立会い稽古では、三本に一本は取れるようになり、山に籠ってからは、二本取ることも珍しくなくなった。
矢を射っては、たがいに負けず、十にひとつもはずさなかった。
体術のうち拳技にかんしては、お彩は政より数段まさっていたから、立ち技ではとうてい歯がたたなかった。しかし、お彩は政との組打ちをきらい、押さえ込まれるとすぐに「参った」をした。そのくせ他の少年たちとは、くんずほぐれつで押さえ込まれても、かんたんには負けていなかった。
そんなお彩を、兄弟子の赤雨が見とがめた。
赤雨は無名道人から、お彩の鍛えなおしを命じられている。いきおい、きつくいわざるをえない。
「組打ちでかんたんに参ったをしていたら、稽古にならないだろう」
注意しても、お彩はきかなかった。
「だってわたし、もう政ちゃんにはかなわないもの」
悲しげにつぶやくだけだった。
赤雨は複雑な顔をしたが、それいじょうはいわなかった。
お彩の中で、「おんな」が芽生えはじめていたのだ。
姉おとうとのつもりでも、微妙な遠慮が違和感を生んでいる。
∵
政が母の趙姫とともに秦へ送り帰されたのは、政にとっては曽祖父にあたる昭襄王崩御の直後だった。同じ年に、太白山に籠り、方術修行に専念した。
やがて一年の服喪期間が明け、政の祖父安国君
ただ太白山中の庵で、赤雨だけがしきりに首をひねっていた。
――処方に誤りはない。だとすれば、服用に問題があったとみえる。
房事の強壮薬に「
「五石散」は麻薬に近い劇薬だ。多量に服用すると中毒症状をおこし、死にいたることも
∵
孝文王急逝のあとを受け、太子の子楚が王位を継承し、秦の三十代目の国君荘襄王となる。同時に、太子妃の趙姫はついに皇后となる。荘襄王は、養母の華陽皇后を尊んで華陽太后と称する。ことのついでに、実母の夏姫も便乗して夏太后と称した。
最大の功労者である呂不韋にたいしては、秦国ナンバーツーの丞相に抜擢し、約束どおり恩に報いる。さらには文信侯に奉じ、河南洛陽の十万戸を食邑としてあたえる大盤振る舞いだ。
と、ここまでは呂不韋のおもわくどおり、順調にことがはこぶ。
しかし政の立太子をめぐっては、華陽夫人の抵抗にあい、思いがけず、ひと悶着あった。
人質の子楚を咸陽に連れ戻したあと、ほどなく呂不韋の宮廷工作は実を結んだ。子楚は華陽夫人の養子として身近に侍り、死に物狂いでがんばって、「よき息子」を一生懸命に演じた。
夫人の目には、涙ぐましい努力とうつったのだ。
「さぞつらかろうに。よう、がんばっておる」
趙姫の存在は聞いて知っている。知ってはいても自分が認めた嫁ではない。ましてや挨拶にもこない嫁になぞ、かまっておれぬ。
「ひとり身では寂しかろう」
と、気に入りの侍女を子楚に勧めた。
断る勇気も趙姫への義理立ても、子楚にはない。これ幸いと、勧められるまま
華陽夫人にとっては、待望久しい初孫の誕生。「目の中に入れても痛くない」という表現そのままの猫かわいがりようだ。
それが成蟜、数えで六つの年、趙姫と政がとつぜん帰国する。成蟜の母親にとっては寝耳に水の驚きだ。華陽夫人に泣いて訴える。
「お願いでございます。どうか成蟜を子楚さまのご正嗣としてお認めください」
華陽夫人も思いはいっしょだ。夫の安国君柱太子に頼み込む。
子楚との約束で、正妻は趙姫とすることに決めてある。まだ会ってはいないが、政も正嗣として認めている。長幼の序という。順番からいっても政が上だ。 安国君は、あいまいに返事をにごした。
成蟜の母親は、わが子には恨み言を吹き込み、趙姫に対抗心を燃やす。
「いい、子楚さまの太子になるのは、あなたなのよ。政なんて子は子楚さまのお
「趙姫というのは、その昔、呂不韋の侍妾だったというじゃない。趙でも評判の舞姫で、誘えばだれにでもついてゆく尻軽女だったそうよ。ここだけのはなし、政だって、だれの子か分かったものですか」
しかしこの手の話、いくら流布されようと、噂は噂。突っぱねて、知らぬ顔の半兵衛を決め込んでしまえば、それまでだ。
役者としては、趙姫のほうが数段上だ。
「さあ、どうしてくれよう」
と、
「なんでもっと早くに引き取らなかったのか」
悔やむくらいに惚れ込んでしまった。才色兼備で、三国一の健気な嫁に見えたのだ。
政は利発そうだが、成蟜ほどのかわいさは感じない。
子楚はすでに太子に立ててある。ただ昭襄王の服喪期間中とあって、子楚のあとまで決めておくことは、さすがにはばかられた。いずれそのうちタイミングを見計らって、成蟜を次代の太子に決めてもらうことにして、提案は引っ込めた。
青天の
思いもかけない孝文王の突然死。茫然自失のまま迎えた子楚の国王即位の席で、新任の丞相呂不韋が
「恐れながらもうしあげます。新王のご即位を慶祝し、秦国の末永い安泰をはかるため、ご嫡男嬴政さまを太子に立て、お世継ぎと定められますよう、国人こぞってのお願いにございます」
夫の急死で錯乱していた華陽太后は、ハッとわれに返り、口を挟もうとした。 その機先を制し、呂不韋はしっかりと釘をさした。
「華陽太后さまには、さぞお疲れでございましょう。つつがなくお休みいただきますよう伏してお願いいたします。われらもとより太后さまのご恩は、終生忘れませぬゆえ、お心おきなくお任せくださりませ」
婉曲な脅しといっていい。
政権の中枢は、すでに呂不韋の手のうちにある。優柔不断な子楚の首根っ子は勝気な趙姫が押さえてしまった。いまさら成蟜の母親がじたばた騒いだところで、あとの祭りだ。
大事な後ろ盾の孝文王はもういない。子楚はまったく頼りにならない。一方、政を太子に立てること、黙ってしたがえばよし。恩人として終生太后の地位は保全しよう。正妻の子をさておいて、姫妾の子を太子になぞ、できる道理がどこにある。
脅したり
土壇場で太后の背信にあい後継争いに敗れた成蟜は、このときまだ十歳ながら、気位の高さと傲慢さではおとなに負けない。母子ともども、一生、政を怨むことになる。
こうした宮廷内の抗争を、政はまったく知らない。
秦の国王 子楚の太子となった政は、方術修行を早々に切り上げ、太白山をあとにする。
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