第三章 少年王 政

     

 趙の都 邯鄲かんたんから秦の都 咸陽かんようまでは、あいだに魏と韓をはさみ、古くから中原ちゅうげんといわれる文化・経済の中心地域だ。交通網が、東西南北にはりめぐらされ、多くの人々が行きかっている。

 邯鄲の邸宅を引き払った趙姫と政の一行は、北方大道を通って、咸陽へ向かった。馬車や荷車を連ね、前後を趙の兵士が護った。方士姿のお彩のあとに、やはり方士姿の少年が十数人ついていた。五台山の修行者グループの中で、趙統らに共鳴する少年が政を盛りたてる仲間に加わったのだ。以後、五台山の統一派と呼ぼう。ほかの少年は、あくまで秦に復讐するといって対立した。こちらは五台山の抗戦派と呼ぼう。

 その場で双方の主張を聞いていた無名道人は、それぞれが思い通りに行動することを許したという。お彩にも「自分の意志で決めるがよい」といって、政に同行して秦に行くことを認めている。

 邯鄲から西に向かって太行山を横切り、いまの河北省から山西省の上党郡に入る。ここは、秦・趙・韓がたびたび争奪戦をおこなった軍事的要衝だ。川の流れる谷間たにあいの盆地をいくつか南へ下ると、長平の戦の戦場跡を通過する。

 敗残兵として命だけは助かったもと年少兵たちは、穴埋めの現場が近づくと、怯えて腰が引けた。

「思い出しただけでも怖くて、とても進めない。英霊が助けてくれと取りすがってくる。遠回りしてでもべつの道から行きましょう」

 そういって政を説得しようとしたが、政は聞かなかった。

「そんな弱気でどうする。どんなに過酷であっても、運命は自分で乗り切らなければならない。行き場がなくて漂っている霊魂には、穏やかに休める場を用意してやることだ」

 憑き物が落ちてからの政は日ごとに逞しくなった。病弱だったころの幼さは一変した。怯えや甘えがなくなった。自分で考え、自分で行動することに自信をもったのだ。とり憑いた亡霊を排除し、日に日に健康体をとり戻してゆく過程で、少しずつ自覚が生まれていた。

 それは、明確なプランはまだないにせよ、いずれ戦乱の世を収束し、天下を統一するのは自分だと邯鄲の霊廟の前で誓った、自己意志の表明に示されている。

 長平の戦場跡地は、荒れ果てたまま放置されていた。かつて無名道人が建てた鎮魂の祠は破壊されていた。

「なんと無残な」

 廃墟の前に立った政のまわりを怨霊がとりまいた。魑魅ちみ魍魎もうりょう(さまざまな物の)が飛びかい、政にとりすがって、ゆく手を阻んだ。お彩が政のうしろをかばい、悪霊退散の呪文を唱える。統一派の少年方士が唱導する。怨霊の群れに混じり、五台山の抗戦派集団が追いつき、抜刀して政の一行に躍りかかろうとする。政も矛を立てて身構える。そのとき、

「待った、待ったあ」

 大音声だいおんじょうとともに白い天馬にまたがった白起があらわれ、諸手をあげて、双方に待ったをかけたのだ。

「怨む相手はわしであって、政君せいぎみではなかろう。怨むなら、わしを怨め。とり憑くなら、わしにとり憑け」

 名だたる戦神の登場に、怨霊はひるんだ。

「惑わされるな。敵はあくまで秦であり、趙政だ。秦に逃げ帰る前にとり殺せ。騙されるな」

 抗戦派グループの一隊は、政に向かって白刃を振りかざす。お彩が政をかばって前に立つ。

 白起は怒った。怒りに火が着き、口から炎を吐いた。

「助けた命を無にするか。小僧ども、死に急ぎするかっ!」

 いまにも飛び掛らんばかりの剣幕に、あわてて政が止めに入った。

「刀を引け。いまここで、長平の戦をくり返してはいけない。ぼくに考える時間をくれないか。この決着はしばらくの間、ぼくにあずけてもらえないだろうか」

「なにを考えるというのだ」

「戦国の世の中を一日も早く終らせるにはどうすればよいか、考えてみよう。戦のない平和な社会を実現し、みんなが温もりのある自分の家に帰れるようにするためには、なにが必要か。みんなで知恵を出し合おう。そして、霊魂にも安住できる場所を提供できるようにするのだ」

「戦国の世を終わらせるとは、趙などほかの六国を滅ぼして、秦が天下を統一するということか」

「表面的には秦が統一したように見えても、中身は違う。みんなに参加してもらう。秦人しんひとだけでなく、ほかの国々の人すべてが参加できる、そんな新しい国をつくりたい」

 思いがけない政の提案に、抗戦派の少年たちは顔を見合わせた。とっさのことで、返事のしようもなかった。ただ出鼻をくじかれた態で、ひとまず矛を収めることにした。

 政は抗戦派の少年たちを説得して、全員で残骸を片付け、祠を建て直した。鎮魂の祀りをおこない、英霊が安らかに眠れるよう祈った。漂った霊魂は、立ちこめる線香の煙に吸い寄せられ、祠の入口から地中にもぐった。

「いつかきっと、みんなの安らげる場所を見つけてあげる」

 政は心に誓った。

「その場所の護りは、守護神たるわしに任せてもらいたい」

 白起が応じた。

 鎮魂の呪文を唱えていたお彩が、政の心を読んで、いっそう声を張り上げる。

 統一派の少年らにとり憑いていた霊魂も地下に帰った。身軽になった少年らは結束を固め、政のもとで平和の実現のために戦うことをあらためて誓い合った。

 結局、抗戦派のグループとは一致団結できなかった。

「いずれ戦場であいまみえようぞ」

 と、袂を分かつことになる。

          ∵

 一行は、さらに南下をつづけ、孟津もうしんの渡し場で黄河を渡り、洛陽に到った。そして、洛陽からふたたび西に向かう。黄河を右に見て、函谷関かんこくかんを抜ければ秦だ。北から流れる黄河が直角に東に折れる潼関とうかんのあたりまでくると、左手に秀峰華山かざんがあらわれ、はるか秦嶺しんれい山脈に連なる。秦嶺山脈の西端は黄河流域と長江流域の分水嶺で、中国中部の気候を南北に分かつ分界線にあたる。

 潼関から渭水いすいに沿って、さらに西に歩を進めると、いまの臨潼りんとうだ。驪山りざんの麓で馬車を止め、一行は秦の使者の出迎えを待つ。

 呂不韋りょふいから伝令があり、ここで一泊し、旅の身なりを整える。

 空気が生暖かい。硫黄いおうの溶けるにおいを感じる。温泉が湧いているのだ。この地は、のちに楊貴妃の華清池かせいちで名を馳せることになるが、秦代以前からも温泉保養の避暑地として伝えられている。

 あすは咸陽に入る。その前夜、政は夢に白起の悲憤の涙を見る。白起は歯ぎしりし、血の涙を流して号泣した。

「若君、わしはくやしゅうてならん。もとはといえばわしのせいで悪霊がたたり、いつまでも若君の心を煩わせている。それにたいし、幽明界を彷徨さまよっているわしはなんのお役にも立てず、おろおろと見守るばかりでいるしかない。それが無性に悔しい」

「いや、そうではない。これはぼくに課せられた試練だ。もともとぼくの寿命は十歳までしかなかったというから、あと何年も残っていなかった。もしかすると、それでぼくの一生は終っていたかも知れないのに、あえて生かされている。はたしてそれだけの価値があるかどうかを試されているのだと思う。このひとつひとつの試練を乗り切らなかったら、ぼくの生きている価値はない。怨霊のこともそのひとつだろう。自分の力で、すべての怨霊の怒りを鎮めてみせる。いずれ時期がきたら、どこか条件のそろった地に大きな霊廟を築き、あらゆる亡霊が安住できる永遠の棲家としたい。白起よ、あなたもまたその棲家の守護神として、ともに安住してもらいたい」

 政の意志をけ、悲憤の涙を収めた白起は、政の熟睡のなかに溶け入った。

 翌朝、大勢の配下をしたがえ、呂不韋が出迎えにきた。堂々たる武将のいでたちだ。揉み手で愛想をいう商人の面影はみじんもない。

「奥方さま、若君、道中つつがなく、ようこそお帰り召された。太子が御殿で、首をなごうしてお待ちでござる」

 趙姫は満面に笑みを浮かべて、鷹揚にうなずく。なんといっても太子夫人なのだ。

「お出迎え、ご苦労でした。わたくしも早くお会いしとう存じますが、まずはお母上華陽夫人にご挨拶申し上げなければなりません」

 優雅な風を装って、趙姫はゆったりと呂不韋にこたえる。

 趙の舞姫だったという噂はとうに届いている。派手で社交上手は地のままでも、じゅうぶん通用する。それに加えて、上品で親思い、夫につくす健気な妻を演じなければならない。最初が肝心だ。田舎育ちで下流の芸人上がりなどと侮られてはならない。まわりを意識した演出は見え見えだが、趙姫は臆せずみごとに演じている。

 出迎え者の多くは、噂をたよりに好奇の目を光らせて見守っている。すでに華陽夫人へは、初対面の印象が注進されていることだろう。残る問題は、あしたのお目見えの席での政君の受け答え方ひとつにかかっている。

 ここまでのお膳立てはとうぜん呂不韋の手になったとしても、あしたの政の即興の受け答えまでは手が回らない。呂不韋の思い描く政は、いまもなお物陰でがたがたふるえるひ弱な未熟児のイメージでしかない。

          ∵

 中原の西方に位置する咸陽の城下は、勃興する秦国首都の活気に満ち溢れていた。広い道路が整然と碁盤目状に区画され、大きな邸宅が立ち並んでいる。中原の国々にとどまらず、西域やさらにその西方からも人が集い、あたかも国際都市の様相を呈している。

 白い皮膚の人もいれば、黒い肌もある。青い瞳もいれば、褐色のまなこもある。各地の物産が山と積まれた市場の雑踏の中では、音曲が流れ、お囃子はやしが鳴りひびく。それにあわせ胡服の幅広の裳裾もすそをひるがえして胡姫こきが舞う。やんやの喝采とともに、四方からおひねりの小銭が飛び交う。政もお彩もはじめて目にする光景だ。

「すげぇや」

 趙統ら方士姿の少年たちも呆気あっけにとられて見入っている。

 やがて一行は、内城の門をくぐり、王宮に進んだ。

 異人改め子楚の養母華陽夫人は、いまや押しも押されもせぬ国王の正妻、秦国皇后なのだ。

 この年(前二五一)秦昭襄王が没し、太子の安国君 ちゅうが位を継ぐことになった。安国君柱は次子だったが、兄の太子の死で太子に立てられていた。 正式の即位は喪が明けた一年後だが、すでに実質的な国王だ。そして新国王の太子には、子楚こと異人が抜擢されたのだ。

 もともと異人は妾腹の子で、二十数名いる兄弟中の十一番目の子にすぎない。趙に人質に送られるくらいだったから、あまり大事にされていない。生母の夏姫かきは、すでに安国君の寵愛を失って久しい。異人が呂不韋に会うまでは、太子になって王位を継ぐことなど夢にも思わなかった。それどころか、秦は人質の存在を無視するかのように、たびたび趙を攻めるので、報復のためいつ殺されるかと、そっちの心配のほうが大きかった。

 華陽夫人は、安国君が妾のうちもっとも寵愛して妃にした女だ。正夫人だったが、あいにく子がなかった。妾腹の子の中からひとりを選んで養子にし、嫡子として太子に抜擢する案が考えられた。問題は、だれに白羽の矢をたてるかだった。二十数名の子はいても、「帯に短し、たすきに長し」だ。いずれも決定打に欠けたから、消去法で候補を絞るほかない。表にしゃしゃり出るタイプの母親や外戚がいせき(母方の親戚)に有力者のいる公子は、候補からねられた。

 異人の実母 夏姫は、とうの昔に安国君の寵愛を失っている。ごく平凡な顔立ちで性格も地味だったし、引きたてる縁戚もなかったから、宮中でもほとんど忘れられかけていた。親子ともども無害無用の存在で、話題に上ることさえなかった。それがここへきて降って湧いたかのように、養子候補として急浮上してきたのだ。華陽夫人の姉と弟の後押しによるところが大きい。すくなくとも最低の必要条件だけは備えている。しかし、われこそはと自負するライバル公子たちには、はなから無視されていた。当初、異人の立場は、そんなところだった。

 だからこそ、呂不韋は「奇貨」としての異人に着目した。ことが成就したときの有難味ありがたみがまるで違うのだ。

「いずれあなたを秦王にして差し上げる」

 呂不韋の申し出を、はじめ異人は悪い冗談としか受け取らなかった。本国から見捨てられ、異国で落魄らくはくした失意の身には、秦王になることなど、まるで想像のつかない夢物語だったからだ。

 しかし呂不韋は本気だった。全財産を投げ出して夢物語に賭けた。

 長平の戦のあと、大金と財宝を手にし、咸陽へ入った呂不韋は、宮廷工作を開始する。異人にも金をわたし、諸侯、重臣と積極的に交際するよういい含めてあった。秦国の内外で異人の良い評判を立て、注目を集めることからスタートしたのだ。

 秦の宮廷で、呂不韋がまず接触した相手は、華陽夫人の姉だった。安国君と華陽夫人ではない。「しょうを射んとほっすればまず馬を射よ」と、ことわざにもある。敵の大将を射止めようとするなら、乗っている馬を射止めることだ。目的達成のためには、その周辺から落としてゆくのが定石じょうせきというものだ。

 異人の趙国での危うい情況を説明し、賢明にして憂国あふれる青年の心情を訴えた。さらには、次代の国君夫妻に寄せる、孝心あつい思慕の念を強調した。

「長平の戦で四十万人の国人を生き埋めにされた趙人ちょうひと秦人しんひと悪鬼あっきのように憎んでいます。その憎悪は、秦の人質異人公子に集中しました。報復のため公子を処刑しなければ暴動が起きるというくらいに反秦運動が高まったのです。そんな趙国の不安な情況の中にあって、異人公子は日夜、ひとり祖国を思い、安国君と華陽夫人を慕って、ときに涙し、悶々として眠れぬ夜を明かすことがたびたびありました」

 殺し文句をいくつか挟んで、華陽夫人の姉の涙を誘う。

「その反面、国を憂う異人公子は、両国の親善関係を正常に保つため、諸侯、重臣と積極的に交わり、親しい友人付き合いの中で善隣の意義を説いて、理解をかち得ています。日ごろから学問を怠らず心身の陶冶につとめ、己が一身を犠牲にしてでも、秦国のためにつくそうと心を砕いているのです」

 さらに姉を通じ挨拶代わりと称して、豪華な礼物を華陽夫人に進呈した。

「美色をもって世に侍るものは、色衰えればしぜんに愛は緩みます。どんな美人でも、その美を永遠に保つことは不可能です。美しいうちが花。美が色あせれば、愛も衰えます。あとあとのことを、よくお考えください。子はかすがいと申します。愛のあるいまのうちにこそ子をもうけておくべきです。子ができなければ、養子をおもらいなさい。安国君柱太子にはお子がたくさんおられますから、その中からひとり、これはと思える心根の優しいお子を、奥方さまのご養子におもらいになると宜しいのではありませんか」

 妹の華陽夫人だけが頼りの姉は、呂不韋の説得を受け入れ、巧みに誘導し、異人の好印象を華陽夫人に刻み付けたのだ。

 呂不韋はさらに夫人の弟にも接触した。楊泉ようせんくんという。

「楊泉君さま、あなたはいま高官につき、高禄をんでおいでですが、これが未来永劫につづくとお思いですか。失礼ながらお姉君華陽夫人あってのお立場ではございませんか。夫君の柱太子にはお子がたくさんおられますが、あいにく華陽夫人にはお子がございません。いずれ柱太子は国王となられるお方です。国王ともなればお世継ぎを決めておかねばなりません。あなた方ご一族と心の通じないお子がお世継ぎとなれば、不安なことにございましょう。できるだけ早い時期に、あなた方の手で次代のお世継ぎとなるお子を、華陽夫人のご養子としてお決めになっておくことです。さすればお心を煩わすこともなく、末ながくお家はご安泰かと、愚考つかまつります」

 その上で異人の人となりを高く評価し、養子に推奨した。また異人の名をあらため楚とした。という尊称をつけ子楚と呼ぶ。華陽夫人は楚国の出身なので、思慕の念を顕示するための改名だ。

 陽泉君は積極的に姉を説得した。子楚はつねに楚服を着用している、という一途な生活態度も伝えてある。楚の国風を忘れないためにだ。華陽夫人は感動し、夫の太子にはたらきかけ、子楚こと異人を養子に決める。ついには昭襄王の同意を得て、子楚の祖国復帰を実現した。もくろみどおり、呂不韋の宮廷工作はことごとく功を奏したのだ。

 やがて昭襄王崩御ののち、一年の服喪期間を経て安国君柱は孝文王こうぶんおうとなる。それにともない子楚は、ついに太子の座を射止める。

 趙姫とまもなく九歳になる趙政は、趙国より秦国へ戻された。

 宮殿の迎賓館で、趙姫と政は王后たる華陽夫人のお目通りを受ける。これが第一関門だ。太子の嫁と嫡子としてふさわしい資質があるかどうか、吟味されるのだ。秦王の御前に拝謁するまでもない。華陽夫人のお眼鏡にかなわなければ、すぐにその場で淘汰される。といって、命まで召されるものではない。候補たる資格を剥奪され趙へ送り返されるか、秦の宮中で一生飼い殺しにされるか、ふたつにひとつだ。

 さすがに趙姫は緊張している。額にじわっと脂汗がにじみ出る。

 呂不韋が進み出て華陽夫人に拝謁し、ふたりを紹介する。

「趙姫さまと政君にござります」

「苦しゅうない。近くへ寄って、ようく顔を見せてくりゃれ」

 趙姫が顔を上げる。目にはいっぱい涙を浮かべている。

「お母さま。お慕わしゅう存じます。お会いできるなど、夢のようでございます。夫ともども、生涯おつくしさせていただきます」

 よよとばかり、その場で泣き崩れた。

 華陽夫人は満足げにうなずき、ついで政に目をやる。

「政ともうすか、この咸陽の都はいかがじゃ」

「はい、政にございます。咸陽の街並のご立派なこと、中国一ではないかと驚きました。また諸国の人々が自由に集うありさまは、この国の発展を象徴するもので、いずれ中原をひとつに束ねるのは秦以外にはないと、心に思いました」

「おうおう、よくぞもうした。それでこそ秦の宗室を継ぐものの気概というものじゃ」

 呂不韋は平伏した横目で、政を見遣った。しばらく見ぬうちに、成長したと感じる。わけ知らず、胸の奥で熱い思いがこみあげる。

 お目見えは大過なくすぎた。

 一同は太子邸に移り、子楚と対面する。子楚は臆面もなく趙姫と抱き合い、再会の涙にくれる。感情にもろいたちは、なん年たってもかわらない。六年も放っておきながら、いい気なものだ。

 ――この人が自分の父親か。

 三歳のときいらいだ。はじめて会うに等しい対面だったが、政にはあまり親しみが感じられなかった。でも母が、喜んでくれるならそれでいい。そそくさと挨拶を済ませると、お彩らのいる室内にもぐりこんだ。父のもとへ戻った母のそばに自分の居場所はない。くつろげるのは、お彩のところだけだった。

 いつもの見なれた方士姿とはちがい、盛装したお彩は美しかった。

 政はまぶしいものでも見るように、目を細めた。

「お彩ねえさん、どこへも行かないでね。ぼくのそばにいてくれるよね。きっとだよ」

 急にお彩が別人になったように思えた。お彩がどこか遠くへ行ってしまうのではないかと、ふと心配になったのだ。

「政ちゃんが大きくなるまでは、どこへも行かないわよ。どうしてそんなこと聞くの。へんな政ちゃん」

 邯鄲のときにくらべこの邸宅は大きすぎ、お彩にも、政にも、あまり居心地がよいものではなかった。ふたりは手持ち無沙汰で、天井を見まわし、窓越しに庭園を見遣った。庭先では、趙統らが体術の稽古をしていた。

「おおい、いっしょにやらないか」

 趙統が手をふって誘った。政は立ち上がり、庭先へ走った。

 翌日、国王の御意を得、ほどなく趙姫は晴れて華燭の典を挙げ、太子夫人となる。政は国姓のえいを賜り、嬴政と名乗る。正嗣せいし(跡継ぎ)のあかしとみていい。

          ∵

 ある日、太子夫人となって順風満帆のはずの趙姫が、目を真っ赤に腫らして、政の居室に転がり込んだ。

「悔しい!」

 昔はよくこうやって、こどもの政を戸惑わせたものだ。久しぶりに酒のにおいすら撒き散らしている。

「ママ、どうしたの」

 政も昔の口調でたずねる。

「あいつにこどもがいた。秦に逃げ帰ったつぎの年、わたしらが一番つらい時期に、あいつはのうのうと別の女にこどもを産ませていた」

 その子は成蟜せいきょうという。政より三つ下になる。ことのほか華陽夫人にかわいがられているという。

 異人が趙を脱出した当時、秦の邯鄲包囲は三年目に入り、食糧事情は最悪だった。補給路は閉ざされ、城内の食糧備蓄が底をついた。そんなさなかに趙姫と三歳の政は、邯鄲城内にとり残されてしまったのだ。趙姫の実家の助けもあり、はじめはなんとかやりくりした。しかし翌年になると、さすがに実家でも手に余った。邯鄲城内にじわじわと飢餓地獄がおし寄せてきたのだ。

 飢餓は人を羅刹らせつ(食人鬼)にかえる。城内のあちこちで、人喰いの噂があがった。その当時、高熱でうなされていた幼い政にとり憑いたのは、怨霊だけではなかった。生きた人もまた獲物を狙う羅刹となって、とり憑いていたのだ。邸宅の塀で護られていたとはいえ、暴動ともなればひとたまりもない。にっくきかたき秦のかたわれとして、政 母子おやこは憎悪の矢面に立たされていた。いつ喰われはせぬかと怯える恐怖の予感が、無意識のうちにも幼い政の被虐の記憶に焼きついている。母の趙姫が泣いて悔しがるのも無理はない。

 その後、政はいちどだけ成蟜と顔をあわせている。九つと六つの異母兄弟だ。 華陽夫人がその場をとりもった。

「お菓子よ。ふたりで分けて仲よくお上がりなさい」

「はーい」

 ふたりは元気よく返事した。

「お兄さんなの?」

 成蟜が菓子をつかんだ手を政にさしだして、たずねた。

「うん、お父さんがいっしょなら、そういうことになる」

 しかし成蟜は無造作に否定した。

「でも、みんながいってるよ。政兄さんのお父さんは、ぼくのお父さんとは違う人だって」

 いつもは冷静な政だったが、このひと言でかっとなった。

「だれがそんなことをいっているんだ」

 思わず成蟜の手をはねのけた。菓子がゆかに散らばった。

 成蟜がわっと泣き出した。泣き声を聞きつけ、侍女が駆け寄ってくる。成蟜を抱きかかえ、政をにらみつける憎々しげな眼は、かつての趙人ちょうひとの憎悪の目にかわらない。

 その背後には、思惑ありげな顔つきで華陽夫人が立っていた。

          ∵

 政はうちひしがれた。あたりかまわず、やみくもに駆け出した。どこをどうやって帰ってきたのか覚えていない。

「政ちゃん、どうしたの」

 お彩の声でわれに返った。政はお彩にむしゃぶりついて泣きじゃくった。

「お彩ねえさん、ぼくのパパはほんとうのパパじゃないんだって。知ってた?」

「政ちゃんのパパは子楚さまに決まっているじゃない。だれがそんなばかなことをいっているの」

「みんながいっている。まだ小さな成蟜でさえ、そういってぼくをあざけった」

 その夜、政は久しぶりに高熱を出した。これまでの怨霊のたたりとは少し様子が違う。祈祷しても霊験はない。

 次の日になっても、政の熱は下がらなかった。白起でさえ天井のすみに浮かび、心配そうに見おろしていた。

 途方にくれたお彩は、無名道人にすがった。

「道人さま、わたしの手には負えません。どうか早く来て、政ちゃんを治してください」

 一心に念呪し、道人に救援の心波を発信したのだ。気のエネルギーを大量に放出するため、体力の消耗が著しい。精根つき果てたお彩は、その場に昏倒した。 やがて無名道人が、お彩の頭上に立った、道人は昏倒したままのお彩を見て、眉根をくもらせた。

 ――やはり女子おなごだ。かように神経がこまこうては、このさき長くはもつまいて。俗界へ還すことも考慮のうちか。

 お彩に気付けの薬をかがせた。お彩は道人の姿を認めると立ち上がり、一歩身を引いて目を伏せた。

「わたしの力では、とてもおよびません。道人さま、お助けください」

 無名道人は高熱でうなされる政を見遣り、うわごとをいくつか聞きとると、的確に診断を下した。

「心の病だ。いらざることを耳にし、意識下に潜在していた過去の恐怖の記憶が甦ったことによる。もうまもなく、はじめの寿命の十年が切れる。新たに加えた延命の四十年との間で拒絶反応を誘発し、心のうちで葛藤しておる。時間は多少かかるが、ゆっくりと心を癒すしかない。まずはことのしだいを明らかにするか、事実を閉じたままふたたび意識下に封印するか。ふたつにひとつの選択だが、はて、どうしたものか」

「恐怖の記憶など、思い出したくもございません。道人さま、ぜひとも封印をお願いいたします」

 室の外から、蒼白な顔をひきつらせ、声をふるわせて趙姫が懇願した。そのうしろには、子楚と呂不韋がひかえ、その場のなりゆきを見守っていた。

 政の病は、いまのことばでPTSD 心的しんてき外傷後がいしょうごストレス障害という。悲惨な恐怖の体験が耐えがたい心理的ストレスとして、のちに夢や記憶にフラッシュバックしてくりかえし再現される症状で、戦争や大災害などのストレス体験者にみられがちな後遺障害だ。かつてアメリカでベトナム帰還兵に戦争後遺症のかたちで発現し、社会問題化したことがある。日本では阪神大震災、地下鉄サリン事件の被害者に耐えがたい苦痛の記憶としてあらわれ、クローズアップされた。

 心機一転、期待して移転した新天地で、いちばん触れてもらいたくなかったことが表に出た。その心理的攻撃を受けて、偶発的に発症したのだ。幼児期の恐怖の記憶が、怨霊の呪詛や人食いの襲撃とともに、ふたたび夢や現実うつつにあらわれた。その苦痛の中に見え隠れするのが、呂不韋の存在だった。呂不韋が来ると、小刻みにからだがふるえたというかつての症状は、なにを象徴したものだったのか。

 幼児期から少年期にかけて、政の心の片すみでわだかまっていた疑問が、思いがけず白日のもとにさらされた。

 ――自分の父親は子楚だ。太子の子楚だ。

 それが成蟜の口から、無造作に否定された。

 ――それでは、いったいだれなのだ。

 自分でもうすうすは感じていた。しかし知りたくなかった。できることなら避けてとおりたかった。

 道人は、すでに見通していた。だから政の寿命を延ばすとき、呂不韋からも十年の余命を分け合ってもらっている。

「よろしい。過去の記憶は封印しよう。そのかわり政君の身柄は、わしが一年あずかる。心身を鍛えなおし、逞しい男となって、秦の王室にお返しする」

 道人は三人にむかい、断固たる口調でいいきった。

          ∵

 ここで、ひとつの秘密を明かさなければならない。政の出生にまつわる秘密だ。

 すでに述べたが、全国を股にかけた大商人呂不韋は、趙の都邯鄲で人質に出されていた秦の公子異人(改名後は子楚)と出会い、国盗りの賭けに出た。狙いたがわず、のちに子楚は秦の荘襄王となる。

 ところがそれ以前、呂不韋が、秦国宮廷で子楚の本国復帰工作を画策中、呂不韋の美妾をみそめた子楚が、こともあろうに趙姫を嫁にほしいと、無心におよんだのだ。

「なんとしても、あのひめがほしい」

 呂不韋は一瞬、むっとしたが、顔には出さなかった。「奇貨」子楚の秦国王位獲得のため、すでに千金を投じている。女ひとりのために、これをすべて無にするわけにはいかなかった。

「お気に召したのであれば、さしあげましょう」

 じつはこのとき、趙姫はすでに呂不韋の子を身籠みごもっていたという。

『史記・秦始皇本紀』には、どうともとれる表現で押さえてある。

「秦の始皇帝は、秦の荘襄王(子楚)の子である。荘襄王が秦のため人質となって趙に行っていたとき、呂不韋のそばめをみそめ、喜んでこれをめとり、始皇を生んだ」

 一方、『十八史略』にはずばり、こう指摘されている。

はらめるありて楚に献ず。政を生む。じつは呂氏なり」(妊娠していた趙姫を子楚に献上した。やがて趙姫は政を生んだ。じつは呂不韋の子だった)

 ご丁寧なことに、『史記・呂不韋列伝』では、補足説明までしている。

「(子楚が嫁にほしいと所望したとき)呂不韋は、趙姫が妊娠していることを知っていた。(中略)趙姫は妊娠していることを隠し、十二ケ月目で子を生んだ。子楚はついに趙姫を夫人に立てた」。

 いずれにせよ呂不韋も趙姫も、その事実を認識していたということになる。

 ご多分に漏れず、このゴシップは、秦の宮廷にも伝わっている。話題性は抜群だったから、半信半疑ながら、みなが陰で噂した。しかし、表向き口にだすものはいない。うっかり口にしようものなら首が飛んだ。

 無頓着なのはただひとり、子楚だけだった。























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