第十話 悪魔の業火
地上では蝋燭を手にしたマリア教徒たちがそれぞれに魔法祭を楽しんでいる。星降る森から立ち上る白い煙の存在には、まだ誰も気がついていないようだった。
ルリアが颯爽と塔の小窓から身を投げたので、オレとラルフ君は慌てて小窓に駆け寄った。二番弟子は召喚対決のときに使っていた箒に跨り、ふわりと宙に浮いていた。
「おまえ、魔法使いなのか?」
目を白黒させて驚くラルフ君の横をすり抜け、オレは素早くルリアの箒に飛び乗った。とにかく森へ行かなければという思いしか頭になかった。ルリアが「行くよ」と言って星降る森に向かって空中で大きく箒を旋回させたまさにそのとき、突然大きな衝撃に襲われた。
一瞬自分たちの身に何が起こったのかわからなかった。箒はルリアが握り締めている柄の部分から真っ直ぐに縦に伸びている。二人ともいつそこから振り落とされてもおかしくないような状況だった。怖々と下を見下ろすと、なんと箒の先にラルフ君が両手でしがみついていた。
ルリアはなんとか体制を立て直し、辛そうに叫んだ。
「定員オーバーだよ!」
「いいからこのまま行け! 早く!」
ラルフ君は彼女よりも一層辛そうな表情で叫び返す。見ず知らずの人間から偉そうに指図され、ルリアはひどく不愉快に感じたことだろう。しかし、箒を持ちこたえるので精一杯らしく、彼女は精神を集中させるように押し黙ってそのまま森へと飛び立った。
「ラルフ君、一体何のつもり?」
不安定な飛行に恐々としながら尋ねると、ラルフ君は箒にぶら下がったままの状態で苦しそうに返答した。
「これから森へ行くんだろ? おまえを危険な目にあわせるわけにはいかないだろうが!」
自分のせいで今この現状がかなり危うい事実に、彼は気がついていないのだろうか。箒は突然下降したり上昇したりを繰り返している。ルリアは並外れた飛行力を持っているが、さすがに三人乗りともなるとうまくコントロールが効かないようだった。
「おい、おまえ!」
ラルフ君がルリアに向かって叫んだ。「おまえ、前にどこかで会ったことなかったか?」
ルリアは必死に首をぶんぶんと横に振った。なんて奇妙な質問だろう。オレが知りうる限り二人は初対面のはずだった。オレはルリアにラルフ君を紹介した。
「ルリア、この人はオレとリーブル先生の幼馴染のラルフ君だよ」
「ああ、魔法使いになれなかった科学者の?」
ルリアが嫌味を込めて吐き捨てると、ラルフ君の表情が一層険しくなった。彼は口を開いて反論しようとしたのだが、オレはそれを遮るようにして今度はラルフ君にルリアを紹介した。
「彼女はリーブル先生の二番弟子で、ルリアっていうんだ」
すると、ラルフ君は小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「ああ、なるほどね。おまえリーブルの玩具なのか」
「玩具じゃない!」
怒ったルリアが後ろを振り向いた瞬間に、箒がバランスを崩してオレたちは危うく地上に落下しそうになった。
「何してんだ、気をつけろ!」
ラルフ君に物凄い剣幕で怒鳴られ、ルリアも負けじと怒鳴り返す。「あんたなんか落っこちちゃえ!」
どうもこの二人は相性が悪いようだ。
「おい、ガキ!」
ラルフ君がルリアに向かって呼びかけると、彼女はほとんど悲鳴に近い叫び声をあげた。「ガキじゃない!」
「おまえ、さっき魔法教徒の隠れ家がどうとかって言ってたな」
突然話題が思いも寄らぬ方向に向けられて、ルリアは掌を返したように口をつぐんでしまった。それで、ラルフ君は今度は尋問するような口調でオレに尋ねてきた。
「メグ、この森に魔法教徒が隠れてるのか?」
「し、知らないよ」
不自然な声色のせいか、ラルフ君は訝しげにオレの顔を見上げた。彼は両手で箒を握り締めていたが、痺れてきたのか片方の手を空中でぶらぶら動かしながら言った。
「エデンの大学から、引火性の高い魔法薬が大量に盗まれたんだ」
その言葉を受けて、オレは咄嗟に赤々と燃える森の一角へと視線を落とした。
ラルフ君の話によれば、魔法薬学科の研究室に忍び込んだ盗人たちは去り際に神がかり的な発言を喚いていたそうだ。この件に関して大学から報告を受けた元老院は、エデンの北にある聖エセルバートの街で百年に一度の魔法祭があることに気がついた。魔法薬が宗教紛争に用いられることを危惧し、彼らは聖ユーフェミア騎士団をこの街に向かわせたということだった。
「それで、俺はおまえが心配になってこの街に駆けつけたんだ」
ラルフ君はそう言うと、忌々しげに呟いた。
「犯人は容易に想像がつく。隠れ魔法教徒が現れることは必然的だったんだ。奴らはランズ・エンドの悲劇以来、俺たちル・マリアの人間を憎んでいるからな。近隣諸国から大勢のマリア教徒が集まる魔法祭は、奴らが俺たちに復讐する恰好の機会ってわけさ」
見当違いなその発言に、オレは一瞬のうちに憤って声を荒げた。「憎んでいるのはル・マリアの方じゃないか!」
首からさげていた数珠を手にとって、オレはジンとフィズからもらった『星の欠片』を握り締めた。どうか、どうか彼らが無事でありますように……!
そのとき、突風によって運ばれた煙がオレたちを直撃し、ルリアがゴホゴホと咳き込んだ。すると、箒はあっという間にバランスを崩して、星降る森に向かって真っ逆さまに堕ちて行く。
「わああああ!」
箒は木の枝に引っかかりながら少しずつ減速し、体が地上に着くか着かないかというすれすれの状態でなんとか宙に持ちこたえた。
「へたくそ! なんて粗末な運転だ!」
息もつかぬ間にラルフ君から罵倒され、地上に降り立ったルリアは物凄い形相で彼を睨みつけた。だが、すぐさま彼の背後に視線を走らせ、表情を一変させて叫んだ。
「大変! 洞窟が燃えてるよ!」
パチパチと炎の跳ねる音が聞こえ、洞窟の中も外も、周辺の茂みも飛び火したかのように燃えていた。その炎の勢いと色味から、自然発火でないことは明らかだった。
聖エセルバートに手を差し伸べるマリア様の彫像が熱気でゆらゆらと蜃気楼のように歪んで見える。それとは別に何者かの影が映ったように見えたので、オレは目を凝らして今一度前方を見つめ直した。赤い火の粉が舞い上がる洞窟の入り口に、酒瓶を手にした猫背の男が立っていた。
『マリア教に恨みがある人って言ったら、ゴドウィンさんの仕業じゃないかな』
修道院でのルリアのセリフがあっという間に頭の中に蘇った。
「そんな……ゴドウィンさんが火をつけたの?」
ゴドウィンさんは無言のままただそこに突っ立っていた。ルリアが震える声で言う。
「『愚かなるマリア教の魔法使いよ、悪魔の業火にその身を焦がすがよい』……手紙に書かれてたマリア教の魔法使いって、マリア教エセルバート派。つまり、魔法教徒のことだったんだ……」
衝撃が津波のように襲い掛かった。
「どうして……どうして火をつけたりしたの? こんなことをして、一体何になるって言うの?」
オレは両手でゴドウィンさんの胸倉を掴み上げ、その体を大きく揺さぶった。虚ろな目をしたゴドウィンさんは、もごもごと何かを呟いていた。
「ジン……フィズ……」
思いがけない言葉を耳にして、オレは彼を掴んでいた手の力を緩めた。
ゴドウィンさんの手から酒瓶がすり抜けて、大きな音をたてて割れた。彼はよろよろと、まるで吸い込まれるかのように炎の中へ入ろうとしたので、オレは慌てて背後から両腕を押さえつけてそれを阻止した。
「駄目だよ! こんな炎の中に入るなんて危険すぎる!」
「俺の命なんか、どうなろうと構わないんだ! 頼むから行かせてくれ! ジンとフィズが……俺の大事な息子たちが死んでしまう!!」
ゴドウィンさんは半狂乱で叫び声を上げた。今彼を行かせることは、確実に死にに行かせるようなものだということは誰の目にも明らかだった。
息子たちの名を叫びながら、ゴドウィンさんは力なくオレの腕をすり抜けて地面に這いつくばって呻き泣いた。間違いない。彼は白だ。洞窟に火をつけたのはゴドウィンさんではない、別の誰かだ。
「ジンもフィズも、きっと無事だよ! 今頃は長い通路を抜けて聖マリア修道院に辿りついているかもしれないよ!」
一縷の望みを託して言い聞かせると、背後からそれを否定する声がした。
「残念ながらそれはない。あの通路は我々が通って来たのだからな」
振り返ると、威嚇するように魔法の杖を向ける魔法使いセルジオーネと気味の悪い集団が、少し離れた茂みから姿を現した。
「また会いましたな、お嬢さん」
セルジオーネが微笑むと、ルリアは慌ててオレの後ろに隠れた。彼はゴドウィンさんを見て蔑むような口調で言った。
「洞窟の中にいたやつらで全部だと思ったが、まだ魔法教徒がいたとはな。遅かれ早かれ、お前もやつら同様に地獄に堕ちる運命だ」
セルジオーネの杖の先が、ゆっくりとゴドウィンさんの姿を捕らえた。二人の間に割って入るようにして、ラルフ君が叫んだ。
「エデンから魔法薬を盗んだのはおまえらか!?」
「その通り」
「おまえら、一体何者なんだ?」
セルジオーネの背後にいたうちのひとりがそれに答えた。
「我々は敬虔なるル・マリアの信者です。マリア教の愚かなる魔法使い――魔法教徒たちに、その赦されざる大罪を贖わせるためマリア様より使わされた平和の使者である!」
それに続くかのようにして、別の信者が高らかに宣言した。
「彼らが崇拝する聖エセルバートは、マリア様を裏切り恥辱せしめた悪魔そのものなのです!」
「我々は悪魔の手先から世界の平和を守らなければなりません!」
青い顔をした信者たちは、自分たちの使命がどれだけ崇高な物なのかをオレたちに知らしめようと口々に力説し始めた。
ラルフ君はいかにもうんざりとした様子で、「
セルジオーネが杖の先をラルフ君に向ける。
「口の利き方に気をつけたまえ。我々は聖女マリアの御使いであるのだぞ」
それを聞いて、ルリアが叫んだ。
「あなたたち、狂ってる!」
「狂っているのは魔法教徒だ。彼らは聖エセルバートの意思を継ぎ、世界を支配しようと企んだのだ。お嬢さんたちはまだ生まれていなかったから、ランズ・エンドの悲劇がどういった物なのかをよく知らないのだよ」
今度はオレが声を荒げる番だった。
「だからって、無関係の子供たちまで殺すことないじゃないか!」
すると、セルジオーネは呆れた表情を浮かべて首を横に振った。そして、聖エセルバートの彫像に向かって失望したように叫んだ。
「おい、聖父殿! あんたはこの子たちにきちんと教えを説いたのかね?」
彫像の影から姿を現したのは、なんとカウリー聖父だった。オレもルリアも、驚きのあまり愕然とその場に立ち尽くした。セルジオーネはさも可笑しそうに笑い声を上げて言った。
「聖父殿が我らをここに導いてくださったのだ」
「カウリー聖父……どうして?」
オレの声は震えていた。
聖父はオレたちの顔を見ることなく淡々と答えた。
「悪魔の子は、悪魔になり得るのだよ。悪い芽は早くに摘んでしまわなければならない。さもないと、彼らはいつしか闇の帝王に君臨すべく、再びランズ・エンドの悲劇が起こるだろう」
「そんな……」
そのとき、辺りに微かな声がし始めて、その場にいた誰もが耳をそばだてた。声の主はゴドウィンさんだった。彼は顔を下に向けたまま、何やら呪文のような言葉を唱えている。
セルジオーネが一瞬にして怯んだ様子でその場からあとずさった。「貴様、悪魔をここへ呼ぶ気か!?」
次の瞬間、ゴドウィンさんは素早くルリアの手から箒を奪うと、ぶつぶつ呪文を唱えながら魔法陣を描き始めた。
「よせ……! やめろ!」
セルジオーネは怯えた口調で叫んだ。魔法使いではない信者たちは、互いに顔を見合わせておろおろとしている。
複雑に組み合わされた魔法陣の紋様は、中央に五角形の星が逆さに描かれ、ゴドウィンさんはその中心をつこうと箒を宙に振り上げた。
「駄目だ! 悪魔なんか呼んじゃいけない!」
オレはゴドウィンさんを止めようと、彼に向かって手を伸ばした。しかし、それよりもわずかに早く、目も眩むような閃光があっという間に森中を駆け抜けた。
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