第九話 召喚対決
オレとばあちゃんがルリアを見つけたのは、陽も傾き始めた頃だった。彼女は聖堂の正面扉付近でカウリー聖父を相手に色とりどりのお菓子や不思議なカードを広げていたが、オレたちに気がつくと階段から立ち上がり手を振った。隣りに座っていた聖父はオレの姿を上から下まで眺めると、若干不可解そうな笑顔を浮かべた。
「やあ、メグさん。……素敵なドレスですね。よく似合っていますよ」
恥ずかしさのあまり顔から火が出そうだった。ドレスが似合うと言われたってちっとも嬉しくなんかない。
ばあちゃんが辺りをきょろきょろと見回してからルリアに尋ねた。
「リーブルはどこに行ったんだい?」
「たぶん院長室の方じゃないかな。シスター・クレーネと大切なお話があるんだって。騎士がどうとかって言ってたよ」
「そうかい。それじゃあ、あたしもそっちに行って来ようかね。お前たちは仲良く魔法祭を楽しむんだよ」
ばあちゃんはオレたちにいくばくかの銀貨を手渡すと、聖堂の中へと入って行った。その後ろ姿を見送ったところで、辺りに奇妙な笛の音が鳴り響いた。広場の前にいつのまにやら人だかりが出来ている。二股に別れた帽子を被った道化師のような魔法使いが、大勢の人たちに向かって呼びかけていた。
「魔法陣で召喚対決したいっていう勇気のある者はいないかい!」
それに応えるかのようにして、ひとりの魔法使いが進んで前に出た。
「我輩が出てやろう!」
「よしきた、名前は?」
「セルジオーネだ」
「さあ、相手は誰だ? 百年に一度の魔法祭だ! 聖エセルバートにすんげえ魔法陣を見せてやろうっていう勇敢な魔法使いはほかにいないのかい?」
人々は興味津々でその場に留まったが、自ずから対決しようと名乗り出る者はいなかった。
「あたしがやる!」
ルリアが無邪気に手を挙げて人垣の中に飛び込んだ。その小さく愛らしい姿を見て、野次馬たちはどっと笑い声を上げた。しかし、道化師は余興を楽しむように快く彼女を迎え入れた。
「名前は?」
「ルリア」
「ようし、誰かこのお嬢ちゃんに杖を貸してやんな!」
「杖じゃなくてあれでいい」
そう言って、ルリアは壁に立て掛けられていた箒を指さした。彼女は先日初めて魔法陣を描いただけで、実際に何かを呼び出したことなど一度だってない。それなのに、いきなり召喚対決だなんていくらなんでも無謀すぎだ。
オレの隣に立っていたカウリー聖父が、堪りかねた様子で言った。
「マリア様の御前で魔法陣を描くだなんて、冒涜に値しますよ!」
すると、セルジオーネとかいう魔法使いの唇から痛烈な嘲笑が迸る。
「まあまあ、聖父殿。今日は魔法祭だから無礼講ということで、きっとマリア様も目を瞑ってくださるだろう」
聖父は奥歯を噛み締めるような表情で強く拳を握り締めたが、何も言わずに引き下がった。集まった人々が召喚対決を楽しみにしていたので、場の雰囲気を重んじたのかもしれない。
ルリアは逆さにした箒の柄を両手で握り締め、目を瞑って精神を統一させた。対戦相手のセルジオーネは、長柄のローブに身を包んだ見るからに傲慢そうな中年の魔法使いだった。鼻の下には冗談みたいにカールされた黒髭が左右対象に伸びている。彼は血色の悪い口元に再び嘲るような笑みを浮かべた。
「我輩がこんな子供に負けるわけがない。お嬢さん、やめるなら今のうちだよ」
ルリアはゆっくりと目を開くと、思いっきり自分の顔を変な形に歪ませて舌を出した。
「負けるのはおじさんだよ!」
セルジオーネはおじさんと呼ばれたことに腹を立て、紫の宝石がついた杖をルリアに向かって威嚇するように突きつけた。
「怪我をしても知らないからな!」
道化師のような魔法使いが、彼らの真ん中に立って片手を上げて叫んだ。「はじめ!」
すると、ルリアとセルジオーネはぶつぶつと呪文を口ずさみながら、物凄い速さで地面に魔法陣を描き始めた。
紫色の煙とともにセルジオーネの魔法陣から現れたのは、真っ黒な体に赤い眼をした毒々しい蜘蛛だった。人間の掌よりもはるかに大きなその蜘蛛は、全身がふさふさとした体毛で覆われ、口元からは鋭い牙が覗いている。所々で女性の悲鳴が上がり、誰もが緊張で体を強張らせた。
一方、ルリアの魔法陣から現れたのは、図体のでかい醜いいぼいぼのひき蛙だった。どうやら彼女は、先日オレが精霊を召喚しようとして何度も唱えた呪文を覚えていたらしい。(結局あれは蛙を喚起する呪文だったのだ)蛙であろうと何であろうと、一発で魔法を成功させるなんて、やはりルリアは魔力と才能に恵まれている。
その不細工さもさることながら、こんなに大きな蛙を見たのは生まれて初めてだった。ルリアの蛙は地面を揺さぶるような声で嘶くと、その長い舌に大きな蜘蛛を巻きつけて一瞬のうちに呑みこんでしまった。
人々の歓声の後、セルジオーネが我に返ったように呟いた。
「ガキが相手だと思って油断したようだ」
そして、彼は再び魔法の呪文を唱え始めた。一陣の煙とともに新たにそこに現れたのは、紫と緑の斑点模様がある大きな蛇だった。蛇が苦手なルリアはぎくりとその場からたじろいだ。これと同じ蛇を確かにどこかで見たことがあると思った。そうだ。星降る森でオレとルリアに襲いかかり、煙のように消えてしまったあの蛇だ!
蛇は物凄い勢いでルリアの蛙に襲い掛かると、必至で逃げようともがく蛙の体を大きな口で丸呑みした。その慄然とした様子を人々は一様に静まり返って見つめていたが、蛇の腹の辺りからルリアの蛙が相変わらずの調子でゲコゲコと鳴く声が聞こえてきて、辺りは笑いに包まれた。
蛙しか呼び出せないルリアには、もはやほかになす術もなかった。彼女は悔しさに頬を膨らませ、肩をいからせてオレたちのいる方へと戻ってきた。道化師がセルジオーネの腕を掲げて叫んだ。
「勝者、セルジオーネ!」
野次馬たちからわっと歓声が上がった。ルリアはふむくれた表情で人だかりを見つめながら言った。
「メグ、あの蛇……」
「うん。星降る森でオレたちに襲い掛かろうとした蛇に間違いないよ」
勝負が終わるとあっという間に野次馬たちの姿は消えて、セルジオーネは鼻持ちならない様子で聖堂の中へと入って行った。
「あの魔法使いも、あのとき星降る森にいたのかな?」
翼廊で何人かの人々がセルジオーネが戻るのを待っていた。どの人たちもとても陰気な表情をしている。
「なんだか薄気味悪い集団だね」
「うん」
挙動不審とはまさにこのような行動を言うのだろう。彼らは辺りをキョロキョロと見回しながら、人気のない場所へと移動して行った。
「あの人たち絶対あやしいよ!」
ルリアが彼らの行動を監視しながら言った。確かに、見れば見るほど胡散臭い連中だった。
「カウリー聖父、取り越し苦労かもしれないけど、念のため彼らのことを聖ユーフェミア騎士団に報告した方が良いのでは?」
聖父は渋い顔で頷くと、オレとルリアに大役を命じた。
「私があの連中を尾行するから、君たちで騎士団を探し出して伝えて来ておくれ!」
「でも、聖父はこれから夕べの祈りがあるでしょう? ルリアに騎士団を探してもらって、オレが彼らを見張ります」
「いや、君たちが危険な目にあっては大変だ。ここは私が引き受けよう。さあ、お願いだ。出来るだけ早く騎士団を見つけて来るのだよ」
オレたちはやむなくカウリー聖父を残し、聖堂正面の広場へと走った。
「手分けして探そう! あたし空から街を眺めてくる。メグは修道院の中を周ってみて」
引き止めようとする間もなく、ルリアは召喚対決したときに借りたままの箒に跨り、大空へ舞い上がった。オレは騎士団の姿を探しながら、聖堂横から回廊へと躍り出た。空はいつの間にか葡萄色に染まっており、細い三日月が地上を見下ろしている。通りすぎる人々は皆揃って蝋燭を手に持っていた。幻想的な光景につい余所見をしながら走っていると、前方からやって来た人物に正面からぶつかってしまった。
「ご、ごめんなさい」
薄暗い通路で相手の顔は見えなかった。その人物は闇そのものを纏っているみたいな長柄のローブに身を包んでいた。相手は無言のままにしばらく立ち止まってオレを見つめていたのだが、やがてくるりと踵を返した。
オレは咄嗟に昼間通りですれ違ったラルフ君の姿を思い出してはっとした。彼は確かこんな感じのローブを纏っていたのだ。
「ラルフ君!」
声を上げて後を追ったが、聖堂の人込みに紛れてたちまち姿を見失ってしまった。通り行く蝋燭の明かりを見つめながら、オレは星降る丘に宛てられた手紙の内容を思い返してみる。ラルフ君がオレを迎えに来たのなら、どうして声をかけずに逃げるようにして去ってしまったのだろう?
ふと、奇妙な風の流れに気がつき我にかえると、地下聖堂に続く階段のすぐそばを通りかかっていた。オレは風の流れに誘われるようにして、聖エセルバートの棺に続く階段を下りてみた。
蝋燭の明かりが一本の長い影を石造りの壁に映し出している。驚くべきことに、そこにはマザー・アンジェリンが立っていた。こんなところで一体何をしているのだろう? 彼女は石のようにじっと動かず、聖エセルバートの空の棺を見つめていたが、オレの気配を察したのか急にくるりと首を回転させてこちらを見た。
「裏切り者には罰を。マリア教の魔法使いが殺される」
マザーの言葉に背筋が凍りついた。彼女はぶつぶつと同じ言葉を繰り返しながら、横を通り過ぎ階段を上って行く。棺の蓋がわずかに開いていることに気がついて、慌てて彼女の後を追いかけた。「待ってください、マザー!」
振り返ったマザーの意識はめずらしくはっきりとしていて、従来のマザーが戻ってきているようだった。
「おやまあ、メグさん。お久しぶりですこと。ちょっと見ない間に随分可愛い女の子に成長されて」
「マザー、誰かが聖エセルバートの棺の中に入ったんですか? あなたはそれを目撃したのでは?」
「棺? 一体何の話をしているの?」
そのとき、荘厳な鐘の音が修道院中に鳴り響いた。夕べの祈りが始まる合図だ。聖堂内には未だかつてないほど大勢の人々が集まっていた。聖歌隊が慎ましやかに聖歌を捧げる中、遠く離れた前方を見回すと、シスター・クレーネやほかの修道女たちが慌しく動き回っている様子が伺える。きっと、聖父の姿が見当たらないので、てんやわんやしているのだろう。
中央の信徒席にオレンジ色の頭が見える。リーブル先生とばあちゃんが並んで座っていた。どうにかして彼らの元へ行こうと試みたが、祈りを捧げる人々にはばかられ、それはまったく不可能だった。そのとき、溢れんばかりの人込みをすり抜けるようにして、すぐそばから黒いローブを纏った人物が聖堂を出て行くのが見えた。神々しいまでに灯された蝋燭の明かりに照らされて、今度ははっきりと顔を見ることが出来た。間違いない、ラルフ君だ! オレは慌てて踵を返し、彼の姿を追いかけた。
「ラルフ君!」
図書室へと続く薄暗い塔の階段で、ラルフ君はぎくりとしたように歩みを止めた。オレは階段を駆け上って、彼を逃がさないようにしっかりと腕を捕らえた。戸惑った様子でオレの姿を見つめていたラルフ君は、やがて、懐かしい気持ちを抑えきれないように呟いた。
「メグ、大きくなったな……」
ラルフ君は昔とあまり変わっていないようだった。身長は相変わらずオレよりちょっと高いくらいだったし、フードから見え隠れする鳶色の髪の毛も、大きな丸い瞳も、レーンホルムで一緒に暮らしていた頃の面影のままだった。
「ラルフ君、立派な科学者になったからオレのことを迎えに来たの?」
率直に尋ねると、ラルフ君はますますぎくりとしたようだった。
「メグ、お前……昔のことを憶えてるのか?」
「うん」
ラルフ君は複雑な表情のまま口をつぐんでしまった。やはり手紙の差出人はラルフ君だったのだ。どうにかして彼に自分が男であるという事実を伝えなければ。しかし、くしくも今日の格好はひときわ愛くるしい魔女っ子ドレス。オレは涙をのんで手っ取り早く胸元のボタンをはずし始めた。
「な、何してるんだ!」
ラルフ君は慌ててオレの胸元を隠そうとした。
「実はオレ、男なんだ」
沈痛な面持ちで告白すると、彼は焦ったように辺りを見回しながら叫んだ。「それが何だっていうんだ!?」
その言葉を聞いて、オレは愕然とした。ラルフ君はオレが男だと知っていながらも迎えに来たのだ。
「ラルフ君って、同性愛者だったの?」
「は?」
「だって、オレのことを迎えに来たんでしょう?」
ラルフ君は真剣な表情で言葉を返す。
「お前が望むなら、俺はいつでもお前を迎えに行くつもりだ。その気持ちは幼い頃から変わっていない」
はっきりとそう断言されて、返す言葉が見つからなかった。これ以上この話題に踏み込むことが出来なくて、オレはおもむろに別の手紙に関して気になっていた点について尋ねた。
「聖マリア修道院にまであんな手紙を出したのはなぜ?」
「手紙?」
「『愚かなるマリア教の魔法使いよ、悪魔の業火にその身を焦がすがよい』。魔法使いが嫌いなのはわかるけど、罪もない人々を巻き込むのはよくないことだよ」
「一体何の話をしてるんだ?」
ラルフ君はあくまでも知らないふりを装うつもりらしい。
「じゃあ、ばあちゃんを魔法祭に呼び出した理由は?」
オレがこれまた別の手紙の話を持ち出すと、ラルフ君は一気に顔を歪めた。
「あのくそばばあが来てるのか?」
いきり立って叫ぶ様子は、演技のようには見えなかった。
「ラルフ君が手紙を出して呼んだんじゃなかったの?」
「俺がわざわざあいつを呼び出すわけがないだろう? あんなくそばばあに誰が好きこのんで会おうとなんかするもんか!」
「オレ、手紙の差出人はラルフ君だとばかり思ってた。じゃあ、一体誰が……」
そのとき、偶然にもルリアが走って階段を降りて来た。
「大変だよ、メグ!」
彼女は鎧戸の向こうに広がる北の空を指差して、息も絶え絶えに叫んだ。
「星降る森が燃えてるの!」
ほんのりと赤く染まった北の空。その下にある星降る森の一角から、黒い煙が昇っている。ラルフ君が森に視線を走らせながら呟いた。「煙が立っていることに気がついたんで、ここから様子を見てみようと思って上ってきたんだが……森林火災か?」
「まさかとは思うけど、魔法教徒の隠れ家があった場所って、あの辺りじゃない?」
ルリアのその言葉を聞いて、オレは全身に鳥肌が立つのを感じた。
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