第八話 魔法祭
《《》》 今朝は外で朝食をとることにしようと思い立ち、裏庭にテーブルを出して花の刺繍の入ったテーブルクロスを広げた。テーブルの中央には今しがた摘んだばかりの房咲きの薔薇を飾りつけ、その周りにグラスや皿を等間隔で並べてゆく。全体的な配置を確認するために少し離れたところからテーブルを眺めてみたが、文句のつけようがない完璧な仕上がりだった。オレは満足気に晴れ渡る空を仰ぎ見た。
「わ……!」
驚きのあまり、思わず叫んでしまった。鮮やかなローブを身に纏った魔法使いたちが、一様に箒に跨り空を飛んでいた。それもそのはず。今日は百年に一度の魔法祭なのだ。
いつの間にやらオレの隣りにはルリアが立っていた。
「すっごーい! わくわくしちゃうね!」
確かに、こんな光景を見てしまったら興奮せずにはいられない。
ルリアに続いてばあちゃんとリーブル先生が裏庭にやって来た。二人とも爽やかな朝に似つかわしくないげんなりとした表情をしている。
「なんだか頭がガンガンするんだよ」
ばあちゃんはそう言って不思議そうにこめかみを押さえた。昨夜あれだけ飲んだのだから、当然の結果だろう。リーブル先生は眠たそうに大きな欠伸をしながら、手前の椅子に腰をかけた。オレはグラスに水を入れようとピッチャーを手にとったが、今この瞬間がとてつもなく異様なことに気がついて、動揺のあまり危うく先生に水を引っ掛けそうになった。
「ちょっと先生、一体何があったの? どうしてこんなに早く起きてるの!?」
リーブル先生が朝食前に起きてくるなんて何年ぶりのことだろう。
「起こされたからに決まってるだろ」
先生は陽の光に顔を顰めながら、視線の先をルリアの方に傾けた。それに気が付いたルリアは満面の笑みを携えて、先生の首筋に背後から腕を回して抱きついた。
「ねえ先生、早く朝ご飯食べて一緒に魔法祭に行こう?」
その仕草があまりにも可愛くて、寝起きで不機嫌な顔をしていた先生の表情がほんのちょっぴり和らいだ。しかし、二番弟子が猫なで声を出すときは、絶対に何か企んでいるときだった。
「魔法祭で僕に何か買わせる気だろう?」
どうやら、師匠はすべてお見通しのようである。
「あ、あたしはただ、先生と一緒に魔法祭を楽しもうと思ってるだけで……」
ルリアはあっという間にうろたえはじめた。
「お子様の考えることは本当に短絡的だね」
「お子様じゃないもん!」
ルリアは即座に反論すると、頬を膨らませたまま黙り込んでしまった。ばあちゃんが機嫌を損ねたルリアをあやすように優しい口調で尋ねた。
「何か欲しいものでもあるのかい? あたしが何だって買ってあげるよ」
ルリアは瞬く間に顔を輝かせてばあちゃんの隣へ行こうとしたが、先生がそれを遮るように彼女の腕を捕らえた。
「ハリエット、あまりルリアを甘やかさないでくれないかな」
「おやおや、大抵の年寄りは子供には甘いもんさ」
「ルリアは僕と魔法祭を楽しみたいそうだから、邪魔しないで欲しいんだよね」
先生のその言葉に、ばあちゃんは呆れたように肩を竦め、ルリアは慌てて前言撤回し始める。
「あたし、先生となんか魔法祭に行かないからね! 絶対行ってやらないんだから!」
しかし、先生は彼女の言葉を無視して素早く魔法の杖を振り回す。すると、ルリアの服装は瞬く間に魔女風のドレスに早変わりした。鍔つきの三角帽子はリボンによって顎の下で結ばれ、大きな襞の可愛らしいドレスの裾からは白いレースのドロワーズが覗いている。
先生は満足そうに微笑むと、今度はオレに視線を移し意味あり気に微笑んだ。それを見て、なんだかとてつもなく嫌な予感がした。先生が先程と同じように杖を一振りしたとたんに、オレの服はルリアとお揃いのドレスに姿を変えた。
「ちょっと、先生! 一体何のつもり?」
オレは憤慨して先生に詰め寄った。
「僕との約束を破って禁断の森に入った罰さ。今日一日その格好で魔法祭に参加しなさい。ルリアの罰は一日中僕の隣で大人しく可愛くしてること。いいね?」
魔法祭で賑わう聖エセルバートの街は、近隣諸国から訪れた三角帽子を被った魔女やら、ローブを纏う魔法使いやらで溢れかえっていた。通りには見たこともないような不思議な店が延々と軒を連ねている。
「先生見て! 虹色の砂時計があるよ! あ、こっちは宝石店だ! アンナおばさんのパンプディングも売ってるよ!」
先程の仏頂面はどこへやら。ルリアは満面の笑顔でここそこをはしゃぎ回っている。
「少し落ち着きなさい。店は逃げたりしないから」
オレたちはまず手近な宝石店へ足を踏み入れた。店内は表通りの賑わいと比べて随分とすいていた。その理由は飾られている宝石の値段を見て納得だった。桁が丸三つくらい違うのだ。こんな宝石はよっぽどの金持ちでなければ買えないだろう。
先生とばあちゃんは陳列された水晶玉や杖の先端につける石などを眺めて、何やら難しい魔法の話をし始めた。ルリアはうっとりとした顔をして、端の方に特別に飾りつけられた指輪を眺めている。プラチナのリングに紺碧の石がついた、見るからに高価そうな指輪だった。
「きれい……」
ルリアは溜息混じりに呟いた。女の子というものは、どうしてこうきらきらと光る物が好きなのだろう。
オレには昨晩魔法教徒の子供たちからもらった星の欠片のような石の方が、ここにあるどの石よりも特別な輝きを帯びているように感じられた。ドレスのポケットを弄り、持ってきた石がちゃんとそこにあるかどうか確認した。この石は大切な出会いの記念として、こうして肌身離さず持ち歩くことにしたのだ。
指輪の前から一歩も動きそうにないルリアを残し、オレは店の奥をひとりで見て回ることにした。店内の照明の輝きとは無縁に、真紅のカーテンの奥にこじんまりとした部屋があった。入り口にぶら下げられている板に『宝石鑑定』と記されてあったので、興味本位でカーテンの奥を覗き込んだ。中には髪の長い男性がいて、レンズがひとつだけの眼鏡みたいな物で小さな宝石を真剣に眺めている。
彼はふとオレの存在に気がつくと、顔をあげてこちらを見た。
「やあ。こんにちは」
男性は繊細そうな表情で優しく微笑んだ。
「宝石を見せにお越し下さったんですか?」
「あ、いえ……その……」
オレが戸惑ってその場から立ち去ろうとすると、彼は一層優しい目をして「おかけなさい」と向かいの椅子を引いてくれた。
「石にはね、そのひとつひとつに意思があるのです」
一言だけ言い放つと、彼は席に着いたオレを真っ直ぐに見つめた。
「今、駄洒落を言ったつもりだったんだけど、気がつきませんでしたか?」
「え?」
オレは慌てて今しがたの彼の言葉を頭の中に蘇らせた。『
「この石は『星の欠片』と呼ばれるランズ・エンドの海域でしか採れない魔法教徒の石ですよ? 君、一体どこでこれを手に入れたんですか?」
どうしよう。やはり軽々しく石を見せたりしてはならなかったのだ。魔法教徒の隠れ家が露呈してしまうことは、絶対にあってはならないことだ。その存在が街の人々に知られれば、彼らは洞窟から追い出されてしまうに違いない。
黙って俯いてしまうと、男はそれ以上何も尋ねてこなかった。
「どうやら大切な物のようですね。肌身離さず持ち歩くなら、数珠に繋げてはどうですか? お望みであれば、すぐにでも仕上げましょう」
オレは勧められるがままに首にかけていた数珠を取り外すと、『星の欠片』を男の手に委ねた。
「『星の欠片』はかつて魔法教徒たちが礼拝の際に用いていたそうです。この石にも誰かの神への祈りや思いが詰まっているのかもしれませんね」
宝石店の男は穏やかに話しながら、器用な手つきで瞬く間に数珠に繋げてくれた。出来上がった数珠を再び首にかけたとき、ちょうどルリアがオレを呼ぶ声がした。どきどきしながら男に礼を言い、オレはカーテンの外に出て宝石店を後にした。
修道院へと続く露店の人混みの中を、ルリアは無邪気に先生の手を引っ張って突き進んで行く。オレとばあちゃんは先生のオレンジ色の頭を目印にして二人の後を追いかけたが、あまりの人の多さにそれすら見失ってしまった。
「二人ともどこに行っちゃったんだろう」
「あの子たちのことはほっといても大丈夫さ。ちょっとここいらで休憩にしないかい? 二日酔いの人間にはこの人混みは耐え難いよ」
ちょうどよく目の前のカフェのテラス席が空いて、ばあちゃんはそこにどっかりと腰を下ろした。オレたちは冷たいハーブジュースを二つ頼んだ。薔薇や香りの良いハーブの花びらが詰まったアイス・キューブ入りのジュースは、氷が解けると爽やかな香りが口中に広がった。
「ああ、冷たくておいしい。生き返るねえ」
どうやら気のせいではないらしい。道行く男たちの視線が妙に熱いのだ。オレとばあちゃんがこうして休んでいる様は、若い女性が二人で仲良くお茶をしているようにしか見えないようだった。
「昨日彼らに会ったんだって?」
ばあちゃんの突然の問いかけに、飲んでいたジュースを思わず吹き出してしまった。びっしょりと濡れたばあちゃんはやるせない表情でオレを睨みつける。
「なんてことするんだい」
「ご、ごめんなさい」
ばあちゃんが言った彼らとは、あきらかに魔法教徒の存在を示唆するものに違いなかった。リーブル先生は昨夜の出来事をばあちゃんに話したのだろうか。オレは探るような目つきで彼女を見つめた。
「そんなに警戒しなくたって大丈夫だよ。あたしはすべてを知ってるんだ」
「えっ! そうだったの?」
隠れ魔法教徒の存在を知っているのは極限られた人間だけだと先生は言っていたが、ばあちゃんも秘密の保持者だったなんて驚きだ。レーンホルムに住んでいるばあちゃんが、一体どういった経緯でこの件に関わりを持つようになったのだろう? 色々尋ねてみたかったが、これ以上むやみに首を突っ込むべきではないという気持ちがそれを制した。
ばあちゃんの方も、何やらオレに尋ねたそうな顔をしていた。彼女は口を開きかけ、少し間を置いてから言いにくそうに言葉を紡いだ。
「リーブルから聞いたよ。……その、本当にまだ話さなくてもいいのかい? あの子が何と言おうと、おまえが望むならあたしはすべてを打ち明けるつもりだよ」
どうやら『悲しい思い出』のことを言っているようだった。オレは暫しの間迷ったが、左右に頭をふった。
「今はいいや。だって、知らない方が幸せなことってやっぱりあるのかもしれないから。……オレ、今すごく幸せなんだ」
オレがそう答えると、彼女はほっとしたように微笑んだ。
「そうかい。おまえはリーブルやルリアちゃんとの暮らしが幸せなのかい。それを聞いて安心したよ」
「うん、すごく幸せだよ。でもね、ときどき不幸だと思うこともあった。どうしてオレは人よりうまく空を飛ぶことが出来ないんだろう? どうしてこんな女の子みたいな顔をして生まれてきたんだろう? って――。でも、そんなのはちっぽけでどうでもいい悩みだったんだ。洞窟で暮らす魔法教徒たちに比べたら、オレはあらゆる意味で自由だし、とても恵まれているってことを改めて思い知らされた」
もちろん、彼らは彼らなりに幸せなのかもしれないけど、と一言付け加えてから話を続けた。
「洞窟にはオレやルリアより小さな子供たちもいたんだよ。彼らの子供たちには何の非もないはずなのに、生まれながらに蔑まされて生きなければならないなんて、あまりにも残酷だよ。たとえ宗派が違っても、彼らはオレたちと同じように神に祈りを捧げて生きている。この世に神がいるのなら、どうして世の中はこうも不平等なんだろう」
「より良い世界を築いていくのは、あたしたちひとりひとりの力なのさ」
諭すようなばあちゃんの口調に反発して、つい言うべきことじゃない言葉まで口をついて出てしまった。
「だったら、みんな自分自身を信じればいいんだ。神様なんか、いらないじゃないか」
ばあちゃんは「そうだねえ」と呟いて、少しの間を置いてからこう言った。
「それでも神は人々の心の拠り所なんだ。今も昔もね」
そのとき、突然通りから歓声が沸き起こったので、オレとばあちゃんは声のした方を振り返った。星十字の紋章が施された白いマントを靡かせる騎士たちが、真っ白な馬に跨って人々の空けた道を雄雄しく闊歩している。彼らのマントの留め金は燃えるような緋色で紋章と同じく星十字の形をしていた。
「聖ユーフェミア騎士団だ」
人々は敬意を払って彼らに向かって星十字を切る。
聖ユーフェミア騎士団とは、マリア教の聖地に本拠地を構える若き魔法剣士の集まりだ。聖女マリアの弟子のひとり、聖ユーフェミアの遺志を継ぎ、マリア教における正義と秩序を守るために存在する。
「たかだか魔法祭ごときで、聖ユーフェミア騎士団がこんな辺鄙な片田舎にお出ましとはね」
ばあちゃんは胡散臭そうに彼らを眺めた。オレは即座に聖マリア修道院に送られてきた、あの奇妙な手紙のことを思い出した。
「もしかすると、手紙のことを危惧した聖父とシスター・クレーネが、騎士団の応援を要請したんじゃない?」
「手紙? ああ、マリア教の魔法使いに宛てられた、悪魔の業火がなんとかっていう薄気味悪い手紙のことかい? たかだか手紙が送られてきたくらいのことで
ばあちゃんは聖ユーフェミア騎士団の後姿を見送りながら、祈るように呟いた。
「何事もなきゃいいんだがねえ」
オレとばあちゃんは先生たちと落ち合うために、聖マリア修道院へ向かうことにした。はぐれた時は聖堂の正面扉で待ち合わせようとあらかじめ決めておいたのだ。
広場の先にある街路に差しかかったとき、目の前を黒いローブに身を包んだ男が通り過ぎた。オレは驚きのあまりはっとしてその場に立ち竦んだ。忘れもしない懐かしいその顔は、オレとリーブル先生の幼馴染のラルフ君に間違いなかった。
慌てて振り返ったが、人の数が多すぎてすぐに姿を見失ってしまった。
『君を迎えに来た』
星降る丘の家に届けられた奇妙な手紙の文面が、再び脳裏をよぎった。
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