第七話 魔法教徒の隠れ家

 聖女マリアには三人の弟子がいました。勤勉で本をこよなく愛する頭脳明晰な聖ノエル。剣術に長け、正義と秩序を守る勇敢な聖ユーフェミア。そして、後に裏切り者としてその名を馳せる事になる、偉大なる魔法使い聖エセルバート。

 聖エセルバートには愚かな野望がありました。大いなる魔法の力でこの世を支配しようと考えたのです。彼は悪魔の力を借りて、愛する聖女マリアをその偉大な力ごと手に入れようとしましたが、それに気付いたほかの二人の弟子たちが、悪魔と契約を交わした聖エセルバートを永遠に魔法陣の中に閉じ込めたのです……。



「じゃあ、聖エセルバートは今も悪魔の姿のままで、魔法陣の中にいるの?」

 幼いオレが泣きそうな声でリーブル先生に尋ねると、まだ少年の面持ちを残した先生は、読んでいた本から顔をあげてオレを見た。

「なんだい、メグは泣き虫だね。悪魔が恐くなったのかい?」

 オレは大きく頭を振り、舌ったらずな口調で言った。

「違うよ。聖エセルバートがかわいそうだと思ったんだ」

 すると、先生は驚いた表情で尋ねてきた。

「メグはいつから魔法教徒になったんだ? どうしてエセルバートがかわいそうだなんて思うんだい? 魔法陣に永遠に閉じ込められてしまったからかい?」

 その声に合わせるようにして、暖炉の前の揺り椅子に腰をかけていたばあちゃんが立ち上がって叫んだ。

「悪いのは誰だ? 世界を支配しようとしたエセルバートが悪いんだ!」

 先生も椅子から立ち上がり、オレに向かって人差し指をつきつけた。

「悪魔に魂を売ったんだ!」

 オレは驚いて飛び上がり、隣りの部屋のじいちゃんの元に駆け込んだ。じいちゃんは冷たい目をして、蔑むようにオレを見た。

「おまえは魔法教の子だね?」

 リーブル先生とばあちゃんが魔法の杖を振りかざす。

「やめてえぇぇぇ!」

 目も眩むような閃光がほとばしり、オレは出口のない魔法陣に捕らわれた。



「メグ?」

 ルリアの声がオレを呼んだ。

「聞いてなかったの? あたしの話」

「あ、ごめん」

 彼女はちょっぴり怒ったような顔をしたが、心配そうに尋ねてきた。

「なんだか顔色が悪いみたいだけど、大丈夫?」

 オレとルリアは聖マリア修道院から星降る森へと続く、長い洞窟の中を歩いているところだった。リーブル先生はカンテラを手に持って、オレたちの少し前を歩いていた。

 深い陰影を落とす先生の背中を見つめながら、今しがたの妙な感覚に恐怖を感じた。幼い頃の思い出が途中から身に覚えのない出来事へと摩り替わり、それが自分の想像していることなのか、夢を見ているのか、現実なのかが分からなくなったのだ。

 こんなに恐い思いをしたのは生まれて初めてだった。一体、オレはどうしたというのだろう? 未知なる物に対する恐怖心が、更なる恐怖を呼んだのか。はたまた永遠に閉ざされた魔法陣から訴えかける、聖エセルバートの悪夢なのか……。

「メグ?」

 ルリアが探るような目つきで覗き込んできた。たぶんオレの顔は蒼白で、今にも泣き出しそうだったに違いない。前を行くリーブル先生が、それに気がつき歩みを止めた。

「なんだい、メグは泣き虫だね。悪魔が恐くなったのかい?」

 振り返った先生は冗談混じりに微笑んだが、オレは本当に涙が出そうになってしまい、彼の胸に抱きついて顔をうずめた。先生は少しばかり驚いていたようだった。しかし、先程のように叫んでオレを責めたりはしなかった。魔法陣の中に閉じ込めたりはしなかった。

「大丈夫。この洞窟に悪魔はいないよ」

 先生はオレを安心させるように言った。大きな手が優しく頭を撫でてくれる。

「……恐い夢を見たんだ」

 オレの言葉に、ルリアが不思議そうな顔をした。

「立って歩いてたのに夢を見たの?」

 きっとルリアのことだから、女々しいとかなんとか言って茶化すだろうと思ったのだが、彼女はその小さな暖かい手でオレの手をぎゅっと握った。「こうしていれば、もう恐くないでしょう?」

 すると、リーブル先生がすかさず言った。

「本当はルリアが恐いんだろう?」

 ルリアは真っ赤な顔でそれを否定する。

「あたしは全然恐くないもん!」

「無理しなくたっていいんだよ。僕がこうして君たちのそばにいてあげるから」

 先生はまるで花束でも抱えるようにして、オレたちの肩を抱いた。

 暗い洞窟に伸びる三人の影。その影のでこぼこさに、なんだか微笑ましさで胸がいっぱいになった。


『おまえは魔法教の子だね』


 地面に姿を現し始めた光苔が、きらきらと足元を照らし出す。その美しい輝きを見つめながら、オレは魔法教徒について自分が知っている事柄を思い出してみることにした。

 魔法教とは、偉大なる魔法使いエセルバートと魔法を崇めるマリア教エセルバート派の別名だ。レーンホルムの西にある最果ての地ランズ・エンドには、かつて魔法教の王国があった。オレが生まれるちょっと前にマリア教の他宗派から弾圧を受け、王国では激しい戦いが繰り広げられたそうだ。世に言う『ランズ・エンドの悲劇』と呼ばれる時代のことだ。

 ランズ・エンドは最終的に国ごと海に飲まれて滅んでしまったが、噂ではこのとき暁の魔法使いが出現し、神のいかづちを落としたのだと言われている。

 魔法教徒というだけで大変な差別と迫害を受けるので、生き残った者たちは俗世間との繋がりを絶ち、人知れず暮らしている。その彼らが聖エセルバートの街の近くにある森の洞窟に潜んでいるなんて、オレもルリアも、いや、街中の誰もが知る由もない事実に違いない。オレだってこの目できちんと確かめるまでは、なんとなく信じがたい。

「先生、やっぱり引き返した方がいいんじゃない?」

 ルリアの声で我にかえって辺りを見回すと、いつの間にやらオレたちは悪魔のような姿を見かけた洞窟の入り口付近までやって来ていた。

「なんだい、やっぱり恐いのかい? ルリアはお子様なんだから、恐いなら最初からおとなしくうちに帰って寝てればよかったのに」

 先生の言葉にルリアは頬を膨らませて反論した。

「別に恐くなんかない! でも、あたしたち確かにこの目で見たんだもん。二つの鋭い眼が暗闇の中でギラギラ光って、狼よりも鹿よりも気味の悪い叫び声を聞いたの」

「悪魔はいないって言っただろう?」

 先生は軽く溜め息をつくと、オレたちにここで待っているように言い残し、洞窟の入り口から星降る森に出て行った。昼間も相当薄暗かったが、生い茂る木々が月明りを遮る夜の森はそれ以上に不気味だった。

 先生が前方にカンテラを掲げると、先日と同じように聖エセルバートに手を差し伸べるマリア様の彫像が洞窟の近くに立っていた。オレは彫像が片手を突き出し、自分を捕まえようとしたことを思い出して身震いした。不安に駆られて先生を呼び止めようとしたまさにそのとき、マリア様の右手がゆっくりと動いたので、はっとして息をのんだ。やっぱり夢ではなかったのだ!

 差し伸ばされた彫像の手は、リーブル先生の目の前でぴたりと止まった。その手をとった先生が呪文のような言葉を口にすると、一瞬ふわりとした光が彼らを包んだ。それに合わせるようにして、突然背後から岩が動くような低い音が空気を震わせた。オレとルリアは驚きのあまり縮み上がるようにして互いに抱き合った。

 こちらに戻ってきた先生が、カンテラでオレたちの姿を照らして微笑んだ。

「あの彫像には魔法がかけられているんだよ。ある決められた言葉に反応して、洞窟の中の秘密の扉を開くんだ」

「ある決められた言葉って、さっき先生が唱えていた呪文のこと?」

「『我はマリア教の魔法使いなり』。魔法教徒が使ういにしえの言語――古代語さ。この失われし魔法使いの言葉は、僕らが唱える魔法の呪文の原形とされている。もし別の言葉を告げていたら、僕の手は粉々に砕かれてしまっていただろうね。合言葉を知っている者以外、秘密の扉は開かない」

 大抵の人間なら恐れて洞窟にすら近寄らないだろうに、合言葉で開く隠し扉を用意するなんて厳重だ。そんなことを考えていると、いつの間にか先生とルリアの姿が見えなくなっていた。真っ暗な洞窟に取り残されたオレは急激に心細くなり、慌てて辺りを見回した。

「リーブル先生? ルリア?」

 森の茂みの奥に誰かがいるような気配がしたので、声を出して呼びかけてみた。すると、背後の洞窟から先生の声がした。

「こっちだよメグ。早くおいで」

 曲がり角からカンテラをぶらぶらと揺らす先生の手が見えた。オレは森の暗闇を振り返りながらも、洞窟の奥へと走って行った。

 光苔に照らされた道を更に進んだ古びた扉の前で、先生とルリアが待っていた。合言葉によって岩戸が動き、この秘密の扉が出現したらしかった。先生が扉をノックすると、中から男の声がした。それに応えるかのように、先生はオレたちの知らない異国の言葉を叫んだ。それから少しの沈黙の後、鈍く軋んだ音を立てゆっくりと扉が開いた。

 中から現れたのは、背の高い顎鬚のある男だった。彼はリーブル先生を見ると親しげに笑いかけ、オレたちに中に入るよう促した。古びたローブを身に纏った男は、たぶん魔法教徒なのだろう。しきりに古代語で先生に何かを話しかけている。

「あ!」

 オレは思わず声を上げた。男の背後の暗闇に、例の二つの光る眼が浮かんでいたのだ。耳を劈くような奇声を発しながら、悪魔の眼は妙な動きでオレたちの方に近寄ってくる。ルリアは悲鳴を上げてリーブル先生に抱きついた。オレはと言えば、驚きのあまりそのまま後ろに尻餅をついてしまった。

 相変わらず落ち着き払った様子の先生が、手に持っていたカンテラで前方を大きく照らした。

「いいかい? よくごらん」

 そこにはつぎはぎだらけの毛布の塊がいた。中央に不器用な穴が二つばかり開いていて、中からランプの光が漏れている。鬚の男が何やら怒ったような口調で毛布を勢いよく引き剥がすと、中から出てきたのは悪戯が見つかってばつの悪そうな顔をしている幼い二人の男の子だった。彼らは流暢な古代語を操り、カンテラを揺らしながら鬚の男から逃げ回っていた。

「あれが悪魔の正体さ」

 先生はおどけたように口端を上げて微笑んだ。あんなものを恐がっていただなんて――オレとルリアは互いに顔を見合わせて、気が抜けたように笑い合った。

 扉の奥には吹き抜けの空洞があって、驚くべきことにそこにはひとつのコミュニティが存在していた。見たこともないような異国の服を身に纏い、聞きなれぬ言葉を発する人々が、小さな祭壇に祀られているマリア様と聖エセルバートの像に熱心に祈りを捧げていた。

 彼らはオレたちに気がつくと、星十字を切りながらわらわらと集まってきた。全部で二十人ぐらいだろうか。大人たちは親しげにリーブル先生に話しかけ、子供たちはめずらしいものでも眺めるみたいにオレとルリアを見つめた。

 先生の話を聞いていた若い男がオレとルリアを目の端で捉え、二言三言何かを呟いた。すると、先生は笑いながらオレに向かってこう言った。

「今、君たちのことを僕の弟子だと紹介したら、『二人とも素敵なお嬢さんですね』だってさ」

 それに対して、オレは不満気に頬を膨らませる。

「ちょっと先生、オレのことちゃんと男だって紹介してよ!」

「しない方がいいんじゃない? だって、きっと変態だと思われる」

 そう言って、先生はカンテラでオレの姿を照らし出した。すっかり忘れていたのだが、オレの服装は酔ったばあちゃんにかけられた魔法のせいで、リボンとレースがふんだんにあしらわれた魔女っ子ドレスのままだったのだ。

 先生はオレの動揺ぶりを見て、腹を抱えて大笑いした。

「実は僕も最初からずっと気になってたんだけど、君はなんだってそんな格好してるんだい?」

「こ、これには理由が! ばあちゃんが……!」

 弁解する間もなく、大人たちに囲まれた先生は奥の部屋へと姿を消し、残されたオレとルリアは先程悪戯をしてきた魔法教の子供たちに取り囲まれた。言葉が通じないので意志の疎通は難しいが、彼らが親しみを持って接してくれていることは感じ取れる。

 宝物だろうか、少年たちは大切そうに小さな石を見せてきた。きらきらといびつに輝くそれは、まるで空から落ちてきた星の欠片のようだった。二人はにこにこしながらオレの掌に石を収め、とっておくようにとでも言っているかのような仕草をした。

「もしかして、くれるの?」

 少年らは言葉がわからないはずなのに、笑顔で何度も頷いた。悪戯のお詫びのつもりだろうか。ルリアが羨ましそうにオレの掌に収まっている石を横目で見る。

「いいなあ、どうしてメグだけ? あたしにはくれないの?」

 ルリアが騒ぎ始めると、なんとなく理由を悟ったのか少年たちがオレの髪の毛を手で摘み上げ、ルリアに対して申し訳なさそうに微笑んだ。

「メグが金髪だから? それってなんだか不公平じゃない!」

 ルリアはいじけるように自分の黒髪に手で触れた。

 多くのマリア教徒にとって、聖女や暁の魔法使いと同じ金髪は憧れであり、迷信深い人々からは崇拝すらされていた。しかし、噂ではランズ・エンドは神の意思によって暁の魔法使いに滅ぼされたのではなかったろうか? であれば、金髪は彼らにとって忌まわしい髪の色ではないのだろうか……?

 オレはジェスチャーを交えながら、「ありがとう」と言ってみた。すると、彼らは喜んで顔を見合わせた。たとえ言葉が通じなくとも、思いは伝わるものなのかもしれない。オレは自分を指差して「メグ」と言った。そして、ルリアを指差して「ルリア」と言ってみた。これを何度か繰り返すと、少年たちは名前を言っているのだと理解して、自分たちの名前を教えてくれた。

「ジン」

「フィズ」

 彼らは何度も繰り返してそう言った。二人の顔立ちはとてもよく似ていた。もしかすると兄弟なのかもしれない。

「ジンとフィズか。お酒の名前をつけるなんて、親はよっぽど酒好きみたいだね――あれ? でも、いにしえの言語でもお酒の名前は一緒なのかな?」

 オレとルリアがようやく場の雰囲気に馴染んできた頃、早々とリーブル先生が戻って来た。用が済んだのでもう修道院に帰ると言う。

 子供たちは残念そうにオレたちの姿を見送ってくれた。言葉は違えど別れの挨拶は共通のようで、手を振ると彼らもまた両手を振って返してくれた。ほんの一瞬の出会いだったけど、とても貴重な体験だった。洞窟の奥で暮らす彼らにとっては、きっとオレたち以上に貴重な体験だったことだろう。

 扉の外に出ると、ひとりでに岩戸が動き出し、あっという間に秘密の扉は隠された。

「結局、先生はあそこへ何をしに行ったの?」

「まあ、簡単に言えば安否の確認かな。今から十五年前の『ランズ・エンドの悲劇』は君たちも知っているだろう? 彼らはあれからずっとこの洞窟に身を隠しているのさ。そのことを知っているのは僕とシスター・クレーネを含めて、極限られた者だけだ。明日は魔法祭で多くの人がやって来るから、くれぐれも気をつけるよう伝えに来たんだ」

 一体いつから、どんなきっかけで先生が秘密の保持者になったのか。日々の食料はどのように調達しているのだろうか。彼らはときどきは外に出ることもあるのだろうか。聞きたいことは山ほどあった。しかし、オレが尋ねる前に、リーブル先生があらかじめそれを制した。

「これ以上、彼らについて話す事は出来ない。それは理解してくれるね?」

 オレたちは頷かざるを得なかった。

 修道院への道すがら、先頭をスキップするルリアを遠巻きに眺めながら、隣で肩を並べて歩いていた先生が慎重に言葉を選びながら言った。

「ねえ、メグ。昨夜の僕とハリエットの話だけど、今はまだ話す時期じゃないような気がするんだ。いずれ、必ず話すよ。約束する。だから、それまで僕のことを信じて待っていてくれないかな」

 先生の表情はいつになく真剣だった。

「わかったよ。先生を信じて待つよ」

 オレの言葉に、リーブル先生はほっとしたように肩を撫で下ろした。でも、実はこのとき先生よりも、むしろ『悲しい思い出』を聞かなくて済んだオレの方がほっとしていたのかもしれない。それに、今は魔法教徒のことで頭がいっぱいだった。

 口で言うのは容易いが、こんな洞窟の中で何年も生活し続けるということは本当に大変なことだと思う。あきらかにオレたちより年下であるジンとフィズは、きっとここで生まれ、ここでの暮らししか知らないのだ。しかし、魔法教徒の子として生まれることを決めたのは彼らではない。それは、あらかじめ生まれてくる前から決まりきっていたことであり、決して彼らが選んだことではないのである。

 神が存在するのなら、なぜこんな不平等な世の中を作ったのだろう? 魔法教徒たちはマリア様と聖エセルバートを熱心に崇拝していたが、なぜ彼らはこのような世界を作った神に――祖国を滅ぼした神に、祈りを捧げているのだろう……?

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