第六話 秘密の保持者

 リーブル先生の瞳は光の加減によって、ブルーに見えたり、グレーに見えたり、時には紫色に見えたりする。先生が外套に袖を通している間中、オレはその不思議な色の瞳と、満月のように輝きを放つオレンジ色の髪の毛に魅せられていた。

「なんだいメグ、そんなにジロジロ見つめちゃって。今更になって僕に惚れたとか?」

 先生は茶化すように言ってから、居間でチェスに興じていたルリアに遠くから声をかけた。

「師匠が出掛けるってのに、二番弟子は見送りにも来ないのかい?」

 どうやら無視を決め込んだらしく、ルリアはうんともすんとも返さなかった。相手にしてもらえなかった先生は不服そうに魔法でばあちゃん側のクイーンの駒を動かすと、ルリアのキングをチェックメイトした。ルリアは口をへの字に曲げて憤った表情で立ち上がる。

「ちょっと先生!」

「じゃ、行ってくるよ。今夜は遅くなると思うけど、戸締りはしっかりね」

 先生は玄関に立て掛けてあった箒を手に取ると、外套の裾を靡かせて外に出た。満天の星空の中を星降る森に向かって流れ星がひとつ横切る。箒に跨った先生は聖マリア修道院の方角に向かって飛び立った。その行く先がとりあえず星降る森ではないことを確認し、オレは安堵の溜息ついて扉を閉めた。それから、早速ばあちゃんに鎌をかけてみることにした。

「ねえ、ばあちゃん。今夜はリーブル先生と一緒に修道院に行かないの? ワイン大好きでしょ?」

 ばあちゃんは魔法で駒を動かしながら、取り澄ました表情で言う。

「誘われてないのに行けるわけがないだろう?」

 絶対におかしい。レーンホルムで暮らしていた頃、酒豪のばあちゃんは誘われていようが誘われていまいが、勝手に酒の席に乗り込んで迷惑なほど大騒ぎして帰ってくるのが常だった。それなのに、今夜はまるでオレたちを見張るかのようにしてここにいる。

 二番弟子に相談しようと思い立ち、オレは台所からルリアを呼んだ。

「ルリア、ちょっとこっちに来て手伝ってくれないかな」

 自分の駒が優勢なものだから、彼女は返事をしたもののその場を立ち上がる気配は一向に見せなかった。痺れを切らし、オレは駒を手にしたままのルリアを無理矢理引っ張って台所へと連れ込んだ。

「あともう少しであたしが勝ちそうだったのに!」

「ねえルリア、リーブル先生がオレたちに嘘をついたことに気がついた?」

 ルリアの言葉を遮ると、彼女はきょとんとして無言で首を横に振った。

「先生、修道院でおいしいワインをご馳走になるって言ったんだよ。アルコールが苦手なのに、そんなはずないじゃないか」

「確かに言われてみれば……」

「もしかすると、リーブル先生は本当に星降る森の警備を任されたのかもしれない。オレたちが禁断の森に興味を抱くことを懸念して嘘をついたんじゃないかな? ばあちゃんはオレたちのお目付け役として先生から留守番を頼まれたに違いないよ。ねえルリア、先生の後をつけて確かめよう。やっぱりオレたちは森に入ったことを正直に先生に打ち明けるべきだよ。洞窟の異常を知っておきながら、みすみす先生を危険にさらすなんてオレには出来ない」

「でも――」

 ルリアが口を開きかけたが、オレはそれを遮って話を続けた。

「ルリア、先生にもしものことがあったらどうするの? 取り返しがつかないよ。オレたちはきっと一生後悔する!」

 オレが熱を帯びた口調で説得を試みると、ルリアはしばらく迷っていたが、やがてあきらめて意を決したように頷いた。

「でも、おばあちゃんに正直に告白して出掛けるのは、仮に先生が本当にワインを飲みに行ってるだけだったとしたら自殺行為じゃない? どうにかしてこっそりと家を抜け出せる方法ないかなあ」

「それなんだけど――」

 オレは両手でワインボトルを持ち上げた。先生がお酒を飲まなくても、オレが料理に使うので我が家にはワインが揃っている。

「これでばあちゃんをぐでんぐでんに酔わすんだ」

 そのとき、ちょうどばあちゃんが探るように台所を覗きに来た。

「さっきから二人でこそこそと、一体何を話してるんだい?」

 ルリアは慌ててダイニングテーブルの椅子を引き、ばあちゃんにそこへ座るよう促した。

「おばあちゃんに美味しいワインをご馳走しようと思って、二人でこっそり準備してたの」

「おやまあ、なんて可愛い子たちだろうね!」

 感激した様子のばあちゃんは、疑いもせずオレから杯を受け取ると、まるで水でも飲むみたいにぐいぐいとワインを喉の奥に流し込んだ。

「おばあちゃんすごい! いい飲みっぷり!」

 ルリアはばあちゃんの隣に座ってお酌を始めた。

「レーンホルムの水で作ったやつには劣るけど、こいつはなかなかおいしいね」

 なんと、ばあちゃんはわずか数分でフルボトルをひとりで三本も開けてしまった。しかし、酔って眠くなるどころか、ますますハイ・テンションになってきているのは気のせいだろうか。

「ルリアちゃんは本当に可愛いねえ!」

 ばあちゃんは真っ赤な顔をしてドレスを太ももの辺りまで捲り上げた。まさか酔った勢いで脱ぎ始めるのではと冷や冷やさせられたが、どうやらそれは取り越し苦労のようだった。彼女はガーター脇にぶら下げていた魔法の杖を取り出すと、それを一振りしてルリアの頭にリボンをつけた。それから、ニタニタしながらこちらにも杖を振りかざしてきた。すると、オレの服装は瞬く間に愛くるしい魔女っ子ドレスに姿を変えた。

「あはははは! 似合う似合う!」

 ばあちゃんとルリアは一緒になって笑い転げている。

 鏡に写った自分の姿を見て言葉を失った。三百六十度どこからどう見ても女の子にしか見えなかった。オレは拳をぐっと握り締め、逃げるようにして二階の自室に駆け込んだ。部屋の片隅でいじけていると、後を追いかけてきたルリアがオレの肩にそっと手を置いて慰めの言葉をかけてきた。

「落ち込んじゃだめだよ、メグ」

 しかし、その声は笑いを堪えているので微かに震えている。

「あそこまで酒豪とは知らなかった……。恐るべしレーンホルムの魔女」

「どうするの? これが最後の一本だよ」

 そう言って、ルリアは最後のワインボトルを差し出してきた。こうなったらもうやけくそだ。オレは本棚から古びた魔法の書籍を一冊を取り出すと、階下のアトリエへ走った。『世界の魔法薬マジカル・ハーブ』というこの本は、数年前の誕生日にリーブル先生から贈られたものだった。ここには世界中のあらゆる薬草ハーブについての知識と、それを使った料理のレシピや魔法との調合の仕方が記されている。

「確か眠り薬の作り方が載ってたはず……あ、あったあった!」

 裏庭から眠り薬に必要なさまざまな薬草ハーブをかき集め、本に記されてある分量を確認しながら鍋の中に放り込み、魔法で慌しく掻き混ぜた。

「ルリア、そこにあるラベンダー取って!」

 アトリエのそばで様子を眺めていたルリアは、オレの勢いに圧倒され慌ててラベンダーを探し始めた。

「乾燥させたバレリアンの根に、キャットニップとレモンバームと、クローブと……ジュニパーを入れて、よし、出来上がり!」

 最後に呪文を唱えると、出来上がった薬から爆発したような煙が立ち上った。その怪しげなどす黒い液体は、透き通った赤紫色のワインとはえらい違いようだった。ぶくぶくと空気の泡が生まれてははじけ飛び、ルリアが顔を近づけて香りを嗅ぐと、飲んでもいないのに物凄い勢いでむせ込んだ。

「いくらなんでも、これじゃ怪しまれるんじゃない?」

「大丈夫だよ。ああ見えてもばあちゃんは相当酔っ払ってるんだから、気がつきもしないはず」

 オレは魔法薬マジカル・ハーブを杯に注ぐと、ほとんどやけっぱちの笑顔でばあちゃんの元へと運んで行った。

「なんだい、こりゃあ。変わった色のお酒だねえ!」

 ばあちゃんはケラケラと笑いながら杯を手に取り、大袈裟にそれを燻らせた。オレとルリアが固唾を呑んで見守る中、彼女は勢いよくその見るからに怪しげな液体を喉の奥に流し込み、にっこりと微笑んだ。

「……効かなかったのかな?」

 ルリアがこそっと耳元で囁いたのとほぼ同時に、ばあちゃんの手からすり抜けた杯が鈍い音をたてて床の上に転がった。どうやら椅子に反り返った状態で眠ってしまったようで、笑顔のまま高いびきをかいている。

 オレは膝掛けを手に取ると、それをそっとばあちゃんにかけてやった。

「急ごう、時間が無い」

 台所を忍び足で立ち去り、玄関口へ走った。ルリアの箒は沼の中に落としてしまったので、オレの箒に二人乗りして、オレたちは猛スピードで聖マリア修道院へと向かった。



 夜の修道院は森閑としていた。オレは洞窟で耳にした得体の知れない何かの叫び声と、不気味に光る二つの眼を思い出し、微かに身震いした。回廊を曲がりかけたところで前方の通路を歩くカウリー聖父とあわや鉢合わせしそうになり、オレたちは慌てて身を引っ込めた。聖父が通り過ぎてから、安全を確かめるべくルリアが曲がり角から顔を覗かせる。彼女の上からオレも回廊の様子を伺っていたのだが、なんだか妙な気配を感じたので頭上を見上げると、オレたちと一緒になって年老いた修道女が廊下を覗き込んでいた。

「ぎゃああああ!?」

 驚きのあまり悲鳴をあげて後ず去った。幸いにもルリアがオレの口を塞いでくれていたおかげで、どうにか聖父には見つからずにすんだ。骸骨みたいな老女――もとい修道院長のマザー・アンジェリンは、「ほほほほほ」と不気味な高笑いを残してそのままふらふらと暗闇に姿を消した。

「ああ、びっくりした。心臓が止まりかけたよ。噂どおりに神出鬼没だね」

「そんなことより、リーブル先生はどこにいるんだろう? もう星降る森に行っちゃったのかな?」

「もしかしたら、先生は聖エセルバートの棺が星降る森の洞窟に繋がっていることを知ってるんじゃない?」

 オレとルリアは誰もいない回廊を走り抜け、聖エセルバートの棺がある地下聖堂へと向かった。階段を下りてゆくと、薄気味悪い風の流れに乗って人の話し声が聞こえてきた。リーブル先生とシスター・クレーネの声だ。明かりの揺らめく部屋の中央で、先生は棺の蓋を押し開けて今まさにそこに足を踏み入れようとしているところだった。その光景を見たオレとルリアは、我を忘れて二人の前に飛び出した。

「行っちゃ駄目だ、先生!」

「行かないでリーブル先生!」

 先生はオレたちの姿を見ると目を丸くした。

「メグ? ルリア? 君たち、どうしてここに……?」

「洞窟に行っちゃ駄目だ先生! あそこには得体の知れない者が潜んでるんだ!」

 その言葉を聞くや否や、先生は血相を変えてオレの肩を強く掴んだ。

「どうしてこの棺が星降る森の洞窟に繋がっていることを知ってるんだ? まさか君たち、僕との約束を破って森の中に入ったのか? 洞窟で『彼ら』に会ったのか?」

 オレが言葉に詰って口ごもると、先生の視線は素早くオレからルリアに移った。

「メグが僕との約束を破るはずがない! 原因は君だな、ルリア」

 ルリアはわずかに後ずさりしたが、先生は素早く彼女の腕を掴み強引に自分の方に引き寄せた。そして、もう片方の手を大きく振り上げたので、ルリアは叩かれると思ったのか目をぎゅっと閉じて体を強張らせた。しかし、当然ながら先生はルリアを叩こうとしたのではなかった。その片方の手で二番弟子の肩を抱くと、彼は力を込めて彼女の体を抱きしめた。

「よかった……無事で……」

 先生は心底ほっとしたように溜息を漏らした。ルリアは何が起こっているのか把握できぬ様子で、師匠の顔色を伺いながら黙って抱きしめられていた。だが、やがていつもの調子を取り戻した先生が、ルリアの頬を両手でぐいぐい引っ張った。

「どうして君がここにいるんだ! ハリエットにお守りを頼んでおいたのに一体どうなってるんだ?」

「お、おばあひゃんは寝へるひょ」

「寝てる?」

 リーブル先生は額に手を当ててから大きな溜め息をついた。

「……とにかく、今すぐ家に帰りなさい。君たちには関係のないことなんだから」

「関係なくなんかない!」

 オレが声を荒げたので、先生は驚いたようにこちらを見た。

「関係なかったら、先生が洞窟に行くのをわざわざ止めに来たりしない!」

「……どうやら言い方が悪かったようだ。関係ないだなんて言ってごめん。でも、ここには君たちが思っているような危険なんて何ひとつとしてないんだよ。僕のことは心配しなくても大丈夫だから、早くうちに帰りなさい」

「先生、さっき『彼らに会ったのか』って言ったよね? 『彼ら』って誰?」

 鋭い口調で尋ねると、先生はバツが悪そうに黙り込んでしまった。このとき、オレは果てしなく自分の感情を抑える事が出来なかった。

「先生は、そうやってオレたちに隠すんだ。何もかも隠すんだ。悲しい思い出って一体何のこと? 同じ事の繰り返しになったって、オレにはすべてを知る権利があるよ!」

「メグ、まさか君、昨夜の僕とハリエットの話を聞いていたのかい?」

 オレが無言で頷くと、先生はなんとも形容しがたい顔をした。オレも先生もそれから一言も発することなく黙り込んでしまったので、部屋はしんと静まり返った。時折聞こえる風の作り出す奇妙な高音が、なんだか妙に心細く不安な気持ちにさせる。

 一部始終を見守っていたシスター・クレーネが、おもむろに口を開き辺りの静寂を破った。

「リーブルさん、これも神の思し召しかもしれません。お二人を洞窟にお連れしてみてはいかがです?」

「しかし、シスター」

「運命とは真に不思議なものですわね」

 シスターが感慨深げにオレたちに目をやると、先生はうんざりしたような顔をした。

「僕はルリアを連れて行くことは出来ません」

 師匠のその言葉に、二番弟子は物凄い勢いで反発した。

「なんで? どうしてあたしは駄目なの? そんなのってない!」

「駄目なものは駄目なんだ」

「やだ! あたしも一緒に行く!」

 ルリアはそう言って先生の腕にしがみついた。先生は彼女に触れようとしたが、躊躇してその手を引っ込めた。

「ルリア、わからないのかい? 僕は君の身を案じているんだよ」

「どうしてそんな嘘を言うの?」

「嘘じゃないさ」

「先生さっきここには何も危険なことなんかないって言ったじゃない!」

 先生が困ったように口ごもったのを見て、ルリアはショックを受けたようだった。

「やっぱり洞窟は危険なんだ。じゃあ、あたしたちが見たのは、本当に悪魔だったの?」

 それを聞いた先生は、皮肉な笑みを浮かべた。

「『彼ら』は悪魔なんかじゃない」

「じゃあ、一体何者なの?」

 オレが横から口を挟むと、先生はやれやれ、といった風に大きく溜息をついた。そして、シスター・クレーネを一瞥してから、あきらめたようにオレとルリアを交互に見つめた。

「……わかったよ。そんなに知りたきゃ教えてやるよ。そのかわり、誰にも言わないって誓えるかい?」

 オレたちは何度も深く頷いた。先生はそれを確認すると、一瞬だけ微笑を見せた。だが、またすぐに表情を引き締めると、一呼吸置いてから神妙な面持ちで言った。

「彼らは魔法教徒なのさ」

 まさかここでその言葉を耳にするなんて、オレもルリアも夢にも思っていなかった。

 衝撃を受けているオレたちの反応をよそに、先生は棺の中をカンテラで照らすと、ゆっくりとそこに足を踏み入れた。

「ついてきな」

 ぶっきらぼうにそう言うと、リーブル先生は棺の中に姿を消した。

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