第五話 奇妙な手紙

 科学なんてものは、所詮魔法を補うための付け加えの学問でしかなかった。科学はたいした進歩を見せることなく退廃の一途を辿っていたが、稀に科学者になる人間もいた。魔法使いになりたくても生まれながらに魔力を持たない人間は、科学の力を持ってして魔法の力を手に入れようと躍起になった。その典型的な例が、オレとリーブル先生の幼馴染のラルフ君だ。

 ラルフ君とはレーンホルムの屋敷で何年か一緒に暮らしていたことがあった。確かうちのじいちゃんが彼の両親と知り合いで、離婚問題の最中にひとり息子のラルフ君を預かっていたのだとか。

 ばあちゃんの元に弟子入りしたラルフ君は同じ年頃のリーブル先生と魔法の修行に励んでいたが、羽根を浮かばせることすら出来なかったそうだ。それに対して、リーブル先生は非の打ち所の無い優等生魔法使い。幼心に覚えているが、二人の仲は最悪だった。先生は知ってのとおりのあの性格で、ことあるごとにラルフ君をからかったし、ラルフ君はというと、物凄く短気ですぐに熱くなる性質たちだから、真正面から先生のちょっかいに挑んでは魔法でボロボロにされていた。

「おまえは俺の永遠のライバルだ!」

 これはラルフ君の口癖。リーブル先生はいつもこのセリフを次のように嘲笑う。

「ライバルだなんて冗談じゃない。君はいつか僕に勝てるとでも思ってるのかい?」

 魔法勝負にかかわらず、ラルフ君が勝利を収めたことは結局一度もなかったように記憶する。そうして、彼は科学者になる道を選び、いつしか屋敷を出て行った。現在はエデンの大学にある研究室に所属している。

 不思議なことに、幼い頃ラルフ君はオレに対してはいつだって優しく接してくれた。その理由は、彼が屋敷を立ち去る際の最後のセリフで判明した。

「立派な科学者になって、必ずおまえを迎えに来るからな」

 幼いオレは意味も分からず、ただにっこりと微笑んだ。だが、それから何年か後、ふとしたことから彼の言葉を思い出し、その意味を理解した。ラルフ君はオレを女の子だと思い込んでいたのではないだろうか――と。

 リーブル先生にこの話をしたら、先生はしばらくのあいだオレを見るたびに大笑いしたので、当時話さなければよかったと随分後悔したものだ。

 ところで、なぜ突然ラルフ君のことを思い出したのかといえば、今朝郵便受けに差出人不明の手紙が入っていて、そこに書かれていた一文があまりにも彼を髣髴とさせるような内容だったからだ。


『君を迎えに来た』


 黄ばんだ羊皮紙に、たった一言そう書かれていた。文面を見てオレはラルフ君からだと確信した。この手紙の存在を先生に知られれば、また大笑いされるに決まっている。だから、オレはみんなが起きてくる前に、手紙を自分の机の引き出しの奥にこっそりとしまい込んだ。もしも手紙の文面どおり、ラルフ君がオレの前に現れたならばその時は仕方ない。面と向かって自分が男であるという事実を彼に告げることにしよう。

 手紙を隠して階下に戻ると、ルリアとばあちゃんが起きてきた。

「偉大なる我らが聖女よ。日々の糧に感謝します」

 テーブル席を取り囲んで、オレたち三人は胸元で星十字を切ってマリア様に祈りを捧げた。朝食にはチーズ入りのオムレツを焼いて、裏庭から摘んだ薬草(ハーブ)のサラダと丸型のパンを添えた。

「ああ、おいしい。メグの作ってくれる朝食は世界で一番美味しいよ」

 ばあちゃんは満足そうにオレの作った朝食を残さずきれいに平らげた。オレたちが食事を終えた頃、ようやくリーブル先生が起きてきた。ばあちゃんは先生を見るなり情けないと言わんばかりに眉根を寄せた。

「不摂生な生活だね。毎日こんなに遅くまで寝てるのかい?」

 先生はまだ意識がぼんやりしているようで何の反応も示さない。変わりにルリアが答えた。

「今日なんか早い方だよ」

「まったくいい若いもんが情けないねえ」

 先生は二人の方を見もせずに、不機嫌な様子でオレに向かって呟いた。「年寄りと子供は無駄に早起きだと思わない?」

 ばあちゃんもリーブル先生も特に変わった素振りを見せる事なく、普段と何ひとつ変わらない様子だった。オレは昨夜の話を二人に尋ねたいと思ったが、やはりルリアがいないときの方がいいだろうと思い直し、別の機会をうかがうことにした。

 朝食後、ばあちゃんが聖マリア修道院へシスター・クレーネに挨拶をしに行くというので、オレとルリアも一緒について行くことにした。



 街には色とりどりの屋台が通り沿いに軒を連ねている。まだ骨組み段階のものもいくつか見受けられたが、きっと明日の魔法祭にはたくさんの店が開いていることだろう。もしかしたら、大都市エデンの魔法屋でしか手に入らないような魔術道具や、変わった種類の薬草ハーブなんかが手に入るかもしれない。

 聖マリア修道院はどこもかしこも星をモチーフにした装飾がなされ、普段よりも数段煌びやかだった。聖堂にはいくつもの蝋燭に火が灯り、魔法祭の準備に励むシスターたちの影をゆらゆらと映し出している。

「あらまあ、ハリエット! 数年ぶりだっていうのに、貴方ったら本当にお若いままなのね。羨ましい限りだわ」

 シスター・クレーネは笑顔でばあちゃんにかけられた歳をとらない呪いの魔法を賛美した。ばあちゃんは悪びれた素振りもなく言葉を返す。

「あんたは随分と皺が増えたね、クレーネ」

「きっと脳みそに刻まれたそれと比例してるんですわ。心の皺は貴方の方が随分とお持ちのようですけれど」

 微笑みながら久々の再会を懐かしむ二人の表情は、会話を交わすごとに少しずつ崩れていった。

「あんたのその毒舌も陰険な目つきも相変わらず健在で良かったよ」

「あら、貴方こそ、その高圧的で生意気な態度は昔のままでまったくお変わりがありませんのね」

 まるで見えない火花が散っているかのようだった。この二人は仲が良いのか悪いのか実に判然としなくなってきた。一種独特な空気が二人の周りを取り囲み、オレとルリアはその場からたじろいだ。

 そのとき、カウリー聖父が手紙のようなものを握り締め、少しばかり慌てた様子で聖堂にやって来た。

「大変ですよ、シスター・クレーネ!」

 聖父は見慣れぬ美しい婦人の存在――ばあちゃんのことだ――に気がつくと、彼女の大きな胸の谷間に戸惑いの表情を隠し切れず、破廉恥であると言いたげに、しかしながら食い入るように目を留めた。

「一体何事ですの?」

「あ、そうでした。こんなものが郵便受けに……」

 そう言ってカウリー聖父は持っていた手紙をシスター・クレーネに差し出した。オレたちは背後から一緒になってその文面を覗き込む。


『愚かなるマリア教の魔法使いよ、悪魔の業火にその身を焦がすがよい』


「なんだい、こりゃ。気味が悪いね」

 ばあちゃんが顔をしかめ、シスター・クレーネは何事かを考え込むようにして手紙を見つめた。

「誰かの悪戯じゃないの?」

 オレが横から口を挟むと、歳をとらない魔女は探るように目を細めた。

「悪戯にしては度が過ぎてやしないかい? 文面から察するに、書いたやつはよっぽどマリア教の魔法使いを嫌ってるか恨みがあるか……」

 ルリアが思いついたように声を上げる。

「マリア教に恨みがある人って言ったら、ゴドウィンさんとか?」

 それを聞いたシスター・クレーネが厳しい表情でルリアを叱った。

「憶測だけで人を疑うものではありませんよ」

 ルリアが「ごめんなさい」と首をすくめるのと同時に、手紙を覗き込んでいたオレは急にあっと大きな声をあげてしまった。今朝うちの郵便受けに入っていた手紙も、この手紙と同じ羊皮紙に、赤い蝋で封がされていたことを思い出したのだ。

「ラルフ君だ」

 思わずポツリと呟くと、ばあちゃんが不思議そうに聞き返してきた。

「ラルフって……あのラルフのことかい?」

 オレはこくりと頷いた。ルリアは隣で首を傾げる。

「ラルフって誰?」

「オレとリーブル先生の幼馴染だよ。昔ばあちゃんに弟子入りして、リーブル先生と一緒に魔法の修行をしてたんだけど……」

「魔力が無くて科学の道に転向した憐れな子さ」

 ばあちゃんがオレの言葉を続けた。

「確かにラルフはリーブルみたいな高慢ちきな魔法使いを憎んではいたけれど、大勢の人間を巻き込んでこんな悪戯をするような子だったかねえ。なんだってメグはまた突然ラルフの仕業だなんて思うんだい?」

 オレは口を開きかけてそのまま押し黙ってしまった。ラルフ君がオレのことを女の子だと思い込んでいて、花嫁にするために迎えに来ただなどとこの面子に知られたらどんなに惨めな思いをするだろう。ルリアとばあちゃんはリーブル先生同様きっと大笑いするだろうし、シスター・クレーネはこの先会う度ごとに「花嫁よりも見習いシスターにおなりなさい」と勧めてくるに違いない。

 話を微妙にずらそうとして、オレはふいに思い出した。

「そういえば、修道院からばあちゃんに送られてきた魔法祭の招待状にも同じ封蝋が押されてなかった?」

 それを聞いて、シスター・クレーネが怪訝な表情で眉根を寄せた。

「魔法祭の招待状? そのような物はお送りしていませんわよ」

「なんだって? それじゃあ、一体誰があたしをここに呼んだんだ? 本当にラルフの馬鹿の仕業なのかい?」

 憤った様子のばあちゃんに詰め寄られ、オレは二、三歩たじろいだ。

「と、とにかく、修道院に送られてきた手紙のターゲットは魔法使いなんだから、明日の魔法祭は警戒した方がいいんじゃない? 魔法のお祭りなんだし、近隣諸国からやって来る信徒の中にマリア教の魔法使いも大勢いるんでしょう?」

 オレの意見にシスター・クレーネが賛同した。

「メグさんの仰る通りですわ。わたくしたちはこれから魔法祭について色々と相談し合わなくてはなりません。リーブルさんに今夜のことをお忘れなくとお伝え下さいませ。行きますわよ、カウリー聖父! では皆様、ご機嫌よう」

 ばあちゃんの胸元に未だ目を釘付けにしていたカウリー聖父を引っ張って、シスター・クレーネは慌しく聖堂から出て行った。

「今夜のことって何だろう?」

 ルリアが興味津々な様子で尋ねてきた。オレにも何のことかさっぱり分からなかった。でも、そういえば確か昨日の礼拝の後、リーブル先生はシスター・クレーネから魔法祭のことで話があると言われていたっけ。

「きっと魔法祭に何か関係があるんじゃないかなあ?」

「もしかして、先生星降る森の警備を頼まれたんじゃない? ほら、カウリー聖父が言ってたでしょ。魔法祭が近くなると、森の中に入り込む愚かな巡礼者が出てくるって」

 森の中に入り込んだ愚か者はほかでもないオレたちだ――と言いたかったが、ばあちゃんの手前口をつぐんだ。

 街で唯一の魔法使いである先生は、時折この手の警備やら探索やらを任されることがあった。旅の悪い魔法使いが街の人たちに呪いをかけたときも、幽霊屋敷で次々に起こる難解な事件の解明も、人々はこぞって先生を頼りにした。引っ越してきたばかりの頃は、満月みたいな先生の髪の色について陰口を叩かれたり、余所者扱いされていたが、今となってはすっかり信頼されきっている。

 突然、ルリアが重要なことに気がついたように、はっとしてオレの顔を見た。そのときまさに、オレも頭の中で彼女と同じ考えを抱いていた。

「ねえメグ、もし先生が本当に星降る森の警備を任されたんだったら、それってまずくない?」

「うん。すごくまずい」

 星降る森の洞窟に何かが潜んでいることを、リーブル先生はたぶん知りもしないはずだ。もし本当に先生が森の警備を頼まれたのなら、洞窟に悪魔が潜んでいるかもしれないという事実を、オレたちは彼に警告するべきだろう。だが、それは同時にオレとルリアが先生との約束を破って、禁断の森に入ったことを告白することになってしまう。

「あの洞窟はクマか何かの住処だったんじゃない? あたしたちが見たのは大きな動物だったんだよ。リーブル先生は強いから、そんなの魔法ですぐにやっつけちゃうよ」

 ルリアは洞窟での恐ろしい体験よりも、リーブル先生との約束を破ったことに対して完璧に怯えていた。先生は本気で怒ると物凄く怖いのだ。

「それに、先生はエデンの大学を首席で卒業した魔法使いだよ? きっと心配いらないよ」

「そりゃ、洞窟に潜んでいたのが本当に動物だったら魔法でどうにか出来るだろうけど、もし、悪魔だったら……」

「悪魔なんているはずないじゃない!」

 ルリアは自らに言い聞かせるかのように声を荒げた。

「悪魔がなんだって?」

 ばあちゃんが不思議そうな顔をしてオレたちの間に割って入ってきたので、オレは慌てて話の筋を作り変えた。

「ル、ルリアのことだよ。ルリアってば本当に『悪魔』みたいなんだから!」

 オレがそう言って二番弟子に微笑むと、彼女は半ばムッとしつつも、不自然な笑顔を作ってオレに笑い返してきた。

「うふふふふ」

「えへへへへ」



 修道院から帰宅して食堂に足を踏み入れたとき、リーブル先生はオレがルリアのために焼いたキャラメル味のプディングを今まさに食べ終えたところだった。

「それ、あたしの……」

 ルリアはショックのあまり、道すがら摘んできた野苺を床の上にコロリと落とした。プディングの上に飾るために摘んだはずが、肝心のプディングがなくなってしまったのである。

「ごめん、知らなかったから食べちゃったよ」

「そのプディングは……そのプディングは……あたしがメグに代わって寝起きの悪い先生を起こしにいったご褒美だったのに!」

「なんだいそれ。君たち、たかが僕を起こすために裏でそんなやりとりをしていたの?」

「今日のお茶の時間の楽しみにとっておいたのに! 大好きなやつだったのに!」

「ああ、はいはい。悪かったよ。そんなに好きなら名前でも書いておけばよかっただろ?」

 ルリアはかんかんになって怒っていた。「先生のことなんて心配してあげないんだから!」とオレにしか意味の通じぬ捨て台詞を残して、階段を駆け上がって行ってしまった。ばあちゃんは呆れたような眼差しを先生に向けてから、やれやれと言わんばかりに二番弟子を慰めるため二階へと足を運んだ。

 残されたオレはすぐにシスター・クレーネからの言付けを先生に伝えた。

「シスターが先生に『今夜のことをお忘れなく』って言ってたよ。今夜のことって何?」

 単刀直入に尋ねると、先生は紅茶をすすりながらごく自然な様子で受け答えた。

「今夜は魔法祭の前夜祭だとかで、シスターたちがおいしいワインをご馳走してくれるんだ。残念ながら君たちお子様には縁のない話だね。そんなわけで僕は今夜修道院に出掛けるけど、君たちはお留守番さ」

 本人はうまく話を誤魔化したと思っていたに違いない。だが、このときリーブル先生は確かに嘘を言ったのだ。先生はアルコール類が苦手なはずで、お酒などはまったく口にしない。だから、おいしいワインをご馳走になりに行くだなんてことは絶対に有り得ないのだ。

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