第五話 星に願いを
オレと先生は箒に二人乗りして二番弟子を捜していた。
「ルリアには魔法使いの素質がある。すごい魔力の持ち主だ。……やはり血は争えないな」
先生の呟いた独り言は、風の音に紛れて語尾がよく聞き取れなかったが、『血は争えない』と聞こえたような気がした。ルリアちゃんは孤児だと聞いていたので、単なる聞き間違いだろうと思い、オレはそのまま何も言わずに地上に視線を落とした。
迫りくる夕闇が心を焦らせる。このままルリアちゃんが見つからなかったらと思うと恐くて仕方なかった。
「すぐに暗くなることはわかっているだろうし、そう遠くへは行っていないはずだ。手分けして探そう。僕は聖マリア修道院の方へ行ってみる。メグ、君はこの辺りを探してみてくれないか」
先生は街の一角でオレを下ろすと、夕陽に照らされた修道院の黒いシルエットに向かって飛んで行った。
街灯にはすでに明かりが灯っており、建ち並ぶ家々からは夕餉の香りが漂っている。遊び疲れた子供たちがそろそろ家に帰る時間だ。
「ルリアちゃーん! どこにいるの?」
オレは二番弟子の名を呼びながら、息を切らせて走り続けた。あらゆる路地を必死で探したが、幼い少女の姿は街のどこにも見当たらない。やがて、空には星が瞬き始め、流れ星が星降る森へと堕ちていく。
星の流れを目で追っているうちに、ふと森のそばにあった古井戸の存在を思い出した。もしや、という思いを抱きながら、オレは森の方角へと駆けて行った。
『マザーのところに帰るの』
森までの道すがら、頭の中ではルリアちゃんのセリフが幾度となく巡っていた。ひょっとしたら、彼女はマザーの後を追って死ぬ気なのではないだろうか? 古井戸から身を投げる二番弟子の姿を想像してしまい、オレはそれを掻き消すようにがむしゃらに頭を振った。
聖女マリアを裏切った大魔法使いが眠る禁断の森。月の光さえ届かない真っ暗なこの森は、無数の星が流れ落ちるように見えることから、星降る森と呼ばれている。闇に覆われた森に光を灯すため、神が天から星を送り続けているのだと、以前聖父が礼拝で話していた。
森の入り口にある古井戸にルリアちゃんの姿は見当たらなかった。オレはごくりと唾を飲み込むと、恐る恐る深い井戸の底を覗きこ込んだ。暗闇の先を見ようと身を乗り出したとき、手をかけていた石造りの淵が崩れて井戸の中へと落ちかけた。だが、すんでのところで第三者によって引っ張り上げられ、その反動でオレの体は草むらに転がった。
「何してやがる、死にてえのか!」
驚いて顔を上げると、昨日の猫背の男が真っ赤な顔で怒っていた。
「死ぬのは構わんが俺の目の届かないところにしろ! まったくあのガキといい、どいつもこいつも簡単に飛び込もうとしやがって」
男のセリフに思わず飛び起きた。「ルリアがここに来たの?」
彼はオレの言葉を無視するように酔っ払った足取りで踵を返した。
「待ってください! ルリアが……女の子がここに来たんですか? 箒を持った、黒髪のマリア教の子です!」
すると、猫背の男はオレの顔を見ようともせずに、罵るように言い放った。
「おまえらマリア教の魔法使いだったのか。与えられた命を粗末にするような宗教なんざ、やめちまえばいいんだ!」
そして、闇に紛れて見えなくなる頃、聞こえよがしに声が響いた。「奥の茂みで泣いてる声が耳障りだ! 早く連れて帰りやがれ!」
ひとりで森に入るべきか少しの間迷っていると、リーブル先生が箒の先にカンテラをぶらさげて街の方角から飛んできた。二番弟子が奥の茂みにいることを伝えるや否や、箒から下りた先生は森の小道を歩き始めた。オレは慌ててその後に続く。
深い暗闇が不安を助長させ、気味の悪い動物の鳴き声に恐怖で思わず体が竦んだ。
「大丈夫。恐くないよ」
先生は怯えるオレの手を握って森の中へと歩みを進めた。
茂みをひとつ抜け、オレンジ色のカンテラの明かりが四方を照らす。ふと、先生は何かに気がついたかのように、迷うことなく一方向に向かって歩いて行った。
「探したよ」
カンテラの柔らかな光の波に、ルリアちゃんの姿が照らし出された。大きなブナの木の根元にうずくまるようにして、彼女は膝を立ててそこに顔をうずめていた。冷たく渇いた夜の風が、黒髪を静かに揺らめかす。
一体どれだけの時間、ルリアちゃんはここでこうしていたのだろう。寒さのせいか、不安のせいか、小さな体は暗闇の中で小刻みに震えているように見えた。
「ルリア」
先生が声をかけると、唐突に二番弟子が口を開いた。
「ずっと……一緒にいるって約束したの」
オレと先生は黙って彼女の言葉に耳を傾けた。
「マザーはずっとあたしのそばにいてくれるって……大好きだよって言ってくれたの」
かすれた声が、森の夜風に溶け込むように紡がれる。「……なのに、死んじゃった。あたしをおいて……逝っちゃった」
ルリアちゃんはぎゅっと膝を抱え込んだ。孤独が引き連れて来た闇の中へ沈むように、彼女の姿は今にも消えてしまいそうだった。
愛する人の死――。
命在る限り、死は必ず訪れる。永遠に続くと思っていた今が、ある日突然失われる。オレは目の前に立つリーブル先生の背中に目をやった。もしも先生が死んでしまったら、オレは一体どうなってしまうだろう――?
自分で考え始めておきながら、すぐに恐くなって考えるのをやめた。結局のところ、身近な人間をなくしたことのないオレは、その悲しみや痛みは想像でしかわからない。だから、目の前で泣いているルリアちゃんに対しても、果たしてどんな言葉をかけてあげればいいのかわからなかった。
だが、リーブル先生は知っていた。いや、もしかしたら知らなかったのかもしれないし、それは単に衝動的に紡がれたものだったのかもしれないが、とにかく、彼の言葉が二番弟子を救ったことは間違いなかった。切ないくらいに優しい声が、暗闇に小さな光を灯す。
「僕がずっとそばにいるよ」
ルリアちゃんは顔を上げて先生のことを見つめた。黒曜石みたいな瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。
「
リーブル先生がそっと片手を差し出した。その手を見つめ、ルリアちゃんは声にならないほどにしゃくり上げた。
棺の中で眠る少女――。最愛の人の死を受け入れられず、彼女は孤独に苛まれていた。しかし、ある日ひとりの魔法使いがやってきて、優しい口付けで再び彼女を目覚めさせた。魔法使いは少女を導く。その深い愛情を持ってして。
ルリアちゃんはゆっくりと、先生の手をとった。
月光に照らされた三つの影が、地面に長く伸びている。星降る森を後にしたオレたちは、先生を真ん中にして仲良く手を繋いで家路についた。
濃紺の夜空には、いくつもの星が森に向かって流れていた。
「綺麗だね」
「うん」
オレとルリアちゃんが星空を仰ぎ見ていると、ふいにリーブル先生が言った。
「知ってるかい? 流れ星が流れている間に三回願い事をすると、その願いは叶うんだ」
「三回も言えないうちに、星が流れちゃわない?」
オレの言葉に先生が苦笑した。
「メグはリアリストだね。もっとロマンチストになりなさい」
箒を肩に背負いなおしたとき、ふと横を見ると、ルリアちゃんは星空に向かって祈るように瞳を閉じていた。
「何をお願いしたの?」
オレが尋ねると、彼女はほんの少しだけはにかむように、「内緒」と言って微笑んだ。
マリア教の魔法使いと星に願いを・完
(執筆期間:二〇〇四年六月~八月)
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