第四話 僕の大切な弟子だから

 雨風にさらされて古くなった種箱と大きなガラス瓶の中には、色とりどりの種袋が詰め込まれている。レーンホルムから持ってきたものに加え、修道院にやって来る種屋さんのめずらしい品種をつい買いすぎてしまうので、開封していない袋がどんどん増えてしまうのだ。

 蔓草絡まる裏庭の壁を背に、オレとルリアちゃんは仲良くおしゃべりをしながら、卵のパックを利用した苗箱に種蒔きをしていた。

「ええっ? それじゃ、メグは物心ついた時からあんなヤツに弟子入りしてるの?」

 絵筆の先で土に穴を開けていたルリアちゃんが、作業していた手を止めて顔を上げた。

 ちょうどそのとき、外出先から戻ってきたリーブル先生が空中から姿を現し、「あんなヤツって誰のことだい?」と、持っていた包みで彼女の頭の天辺を小突いた。驚いた二番弟子は握り締めていた絵筆を地面に落としてしまった。

 先生は跨っていた箒から下り、改めてオレたちを交互に見つめた。

「君たち、いつの間にそんなに仲良くなったわけ? さすがにお子様は順応が早いね」

 お子様という言葉にカチンときたのか、ルリアちゃんはむっとしたように言い返す。

「子供扱いしないでよ!」

 その威勢のよい反応に、先生の顔には一瞬嬉々として意地悪そうな表情が浮かんだが、口元にうっすらと微笑を浮かべるに留め、黙って抱えていた包みをガーデンテーブルの上で開いた。中には慈悲深い表情を湛えた一体のマリア像があった。間違いなく、昨日壊れてしまったルリアちゃんの物だった。床に落ちたはずみで欠けていたはずの顔はすっかり修復され元に戻っている。

「大事にしなさい」

 二番弟子に像を手渡した先生は、彼女の頭を軽く撫でると鼻歌交じりで裏口から家の中へと入って行った。

 開きっぱなしになっていた扉の先を見つめながら、ルリアちゃんがおもむろに問う。

「リーブル先生って、どんな師匠なの?」

「素晴らしい師匠だよ。ちょっと変わったところもあるけれど、頭がよくて、かっこよくて、優しくて、魔法が上手で、先生はオレの永遠の憧れなんだ」

 種蒔きを終えた苗箱を持ち上げつつ誇らしげに語ると、二番弟子は「ふうん」と相槌を打ちながらオレの後を追いかけてコンサバトリーに入ってきた。

「メグは先生のことが好きなんだね」

「うん。大好きだよ」

「そのこと、先生は知ってるの?」

「さあ、どうだろう。はっきり口に出して言ったことはないけど、きっと分かってるんじゃないかなあ? 気持ちは自然に伝わるものだし」

「告白しちゃえばいいのに」

「告白?」

 ルリアちゃんのその言葉に、思わず目を点にして立ち止まる。

「愛の告白。メグだったらきっとうまくいくよ。だってすごく可愛いもん」

 オレは持っていた苗箱を落としそうになってしまった。まさか、という思いが頭の中を過ぎった。

「あの……」

「何?」

「もしかして、ルリアちゃん、何か勘違いしてる?」

 二番弟子は不思議そうに首を傾げた。

「……オレ、男なんだけど」

 正直にありのままを告げただけだが、向かい合う相手の顔が見る見るうちに険しくなっていくのが見て取れて、オレはなんだか物凄くまずいことになったのではないかと感じられた。



「ついてこないでよ!」

 ルリアちゃんは小さな肩をいからせ、憤慨した様子で家の中へと入っていく。しどろもどろと弁解しながら、慌しく後を追いかけるオレ。

「だから、さっきから何度も言っているとおり、別に騙してたわけじゃなくて、先生の魔法でずっと女の子のドレスを着せられてただけなんだってば!」

「知らない! せっかく友達になってあげようと思ってたのに!」

 二番弟子は二階の自分の部屋へ駆け込むと、ドタンバタンという豪快な物音とともに、すぐに荷物をまとめて階下に下りて来た。このとき、オレの顔は蒼白だったに違いない。

「どこに行くの?」

「マザーのところに帰るの!」

 どうやら、ルリアちゃんは本気でマザー・エレオノーラの元へと帰るつもりでいるらしかった。すっかり萎縮しきっていたオレは、真っ向から二番弟子の言葉に立ち向かう勇気はなく、しかしながらそれでもどうにかして引き止めようと、ああだこうだと言いながら彼女の周りに纏わりついていた。

 やがて、食堂のテーブルで古文書を訳していた先生が、オレたちの騒ぎに気がついて玄関先に姿を現した。背後から宙に浮かんだ羊皮紙と羽根ペンが魔法で忙しなく文字を綴りながら追いかけてくる。

「せっかく仲良くなったと思ったのに、もう喧嘩かい?」

 オレはリーブル先生に泣いてすがった。「お願い先生、なんとかして!」

 二番弟子の荷物を目の端でとらえた先生は、わずかながらに表情を曇らせた。同時に、流れるような書体を綴っていた羽根ペンがぴたりと動きを止めた。

「家出だなんて、まるでお決まりのパターンじゃないか」

 そう言って目の前に立ちふさがった師匠の姿を、二番弟子は鋭い目つきで睨みつける。

「どいてよ」

「そんな荷物を持って、一体どこへ行く気だい?」

「あんたに関係ないでしょう!」

 叫んでから、ルリアちゃんは自分の言葉が乱暴なことに気がついてはっとしたようだった。しかし、もはや後には引けない様子で、呟くように同じ言葉を繰り返した。「あんたになんか……関係ない……」

 リーブル先生は彼女の口調を咎めることなく、ただ優しい笑みを携えた。そして、包み込むような穏やかな声でこう言った。

「関係あるよ。君は僕の大切な弟子だからね」

 このとき、ルリアちゃんは一瞬言葉を失った。動揺しているのか、深い瑠璃色の瞳と長い睫毛が微かに震えている。彼女はしばらく先生のことを見つめていたが、やがて、再び荷物を抱えて歩き出した。

 先生は横を通り過ぎようとしていたルリアちゃんの腕をつかんで引き止めた。魔力を失した羽根ペンが床の上に転がり落ち、羊皮紙が二人の間を流れるように舞い飛んだ。二番弟子は師匠の手から逃れようと、激しくもがいて身をよじる。

「離してよ! あたしはマザーのところに帰るんだから!」

 リーブル先生はルリアちゃんの両腕を掴んで向き合わせると、視線を合わせるように体をかがめ、真剣な表情で向き合った。

「ルリア、マザーは亡くなったんだ」

「知らない! そんなの信じない!」

「君はそのことをちゃんとわかっているはずだ。だから初めて会ったとき、棺の中で眠ってたんだ。違うかい?」

「違う! マザーは絶対に死んだりなんかしない! ずっとあたしのそばにいるの!」

 ルリアちゃんは勢いよく先生の手を振り解くと、そのまま荷物を置き去りにして玄関先の箒をつかんで外に出た。

「ルリア!」

 傾き始めた午後の陽が開かれた扉から溢れ出す。


 オレと先生が外に出ると、二番弟子の姿はすでにどこにも見当たらなかった。

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