第三話 夕暮れの帰り道

 聖マリア修道院に着いたときにはすでに聖父の話は終わり、信徒たちが立ち上がって賛美歌を歌っている真っ最中だった。今週も例に漏れず間に合わなかったのだ。礼拝後、大聖堂から立ち去ろうとしていたオレたちを呼び止めるシスター・クレーネの眉間には、渓谷のように深い皺が寄せられていた。

「ご機嫌よう、リーブルさん、メグさん。また遅刻とはいい度胸ですこと! 先週あれほど口すっぱく申し上げましたのにどうしてこう毎週毎週同じことが繰り返せるのです? いえ、メグさんに言っているのではありませんよ。リーブルさん、あなたに対して言っているのです。師匠がそのような体たらくで恥ずかしいとはお思いになりませんの? だいたいあなたのその朝起きれないところなんかハリエットにそっくりで――」

 長いお小言を遮るように、リーブル先生は満面の笑顔でルリアちゃんの両肩に手を添えてシスターと向き合わせた。

「シスター・クレーネ、この子は二番弟子のルリアです」

 シスターははっとしたように言葉を失い、目の前にいる少女を見つめた。先生は続けてルリアちゃんにシスターを紹介する。

「ルリア、この方はシスター・クレーネと言ってね、聖マリア修道院のお局様で、怒らせると一番こわ……いっ!」

 シスターがリーブル先生の足を踏みつけたので、語尾は途中で悲鳴に変わった。

「丁寧なご紹介を頂き、大変有難いですわリーブルさん」

「どういたしまして」

 シスター・クレーネはルリアちゃんに視線を戻すと、温かい微笑みを浮かべた。

「私はあなたの育ての親である、マザー・エレオノーラの古き友でした」

 それを聞いた瞬間に、ルリアちゃんの表情が一変した。

「葬儀の日にはあなたの姿をお見かけ出来ませんでしたが、ずっとお会いしたいと思っていましたのよ」

 まるで言葉が苦痛な侵入者であるかのように、二番弟子は顔を歪ませた。心の内奥の動揺を抑えようとしているのか、震える片手を胸にあて、首から下げていた星十字をぎゅっと握り締める。

 シスターが尚も話を続けようとすると、ルリアちゃんは突然両手で耳を塞いで大声で聖歌を歌い始めた。

「ルリア?」

 先生が彼女の両手をつかんで歌うのをやめさせた。

「一体どうしたんだい、ルリア」

「死んでない!」

「え?」

「マザーは死んでないもん! ずっとあたしのそばにいるの!」

 そう大声で叫んでから、ルリアちゃんは聖堂の扉に立てかけてあったリーブル先生の箒に飛び乗ると、危うげな様子で宙に浮かび上がり、北に向かって飛んで行った。

 先生は少しばかり驚いたように片手を翳し、太陽の光に目を眇めながら彼女の消えた方角を見やった。「へえ、まだ何も教えてないのに飛べるなんてすごいじゃないか」

(オレは連日猛特訓しているにも関わらず、宙に浮かび上がることすら出来ずにいたので、ルリアちゃんが先生の見よう見真似で空を飛べたことは衝撃だった)

 オレたちの背後から、シスター・クレーネが心配そうに青空の彼方を仰ぎ見る。

「きっと、彼女はまだエレオノーラの死を受け入れることが出来ていないのですね」



 オレとリーブル先生は手分けしてルリアちゃんを探すことにした。

 街の通りという通りを駆け回ったが、彼女の姿はどこにも見当たらない。家にも修道院にも戻った様子はなさそうだった。すれ違ってしまったのか、それとも、もしかしたらすでに街の外に出て行ってしまったのだろうか?

 夢中で捜索しているうちに、いつの間にか街外れにある星降る森のそばまで来てしまっていた。星降る森は禁断の森であり、決して近づいてはならないと先生から厳しく言われていたので、オレは街へ戻ろうとすぐに踵を返した。

 そのとき、ふいに視線をやると森の入り口付近に建つ掘っ立て小屋のそばにルリアちゃんの姿が見えた。小屋の隣にある井戸の淵に寄りかかり、ひどく思いつめた表情で中を覗き込んでいる。その光景は瞬く間に最悪の想像をオレの脳裏によぎらせた。

「死んじゃだめだ!」

 勢いあまって飛びつくと、バランスを崩したルリアちゃんは井戸に落ちそうになってしまった。持っていた箒が円形の淵に引っかかって一命を取り留めたが、彼女の身代わりとなった木樽が物凄い勢いで落下し、小さな水音を底の方から響かせた。

「何するの! 危ないじゃない!」

 ルリアちゃんは真っ赤な顔でいきりたった。

「ご、ごめん。自殺しちゃうんじゃないかと思ったんだ」

 すると、彼女は何を言い出すのかと言わんばかりの表情でオレを見つめた。

「あたしが死んだって、あなたには何の関係もないでしょう?」

「関係あるよ!」

 オレの返事に、ルリアちゃんは驚いたように問い返す。「どうして?」

 そのとき、街の方角から幾人かの少年たちが現れた。彼らはオレを見つけたとたんに、滑稽な仕草で囃し立てながら周りを取り囲んだ。

「ここは禁断の森だぞ! 近づいたらいけないんだぞ! おまえの師匠に言いつけてやる!」

 この街に越して来てからというもの、彼らはオレが男だと知ってからやたらと絡んでくるようになった。背の高いリーダー格の少年が嘲るように声を上げる。

「おい、コイツふりふりのドレスなんか着ちゃってるぜ!」

 そうだった。言われて改めて思い出したが、オレは今朝のリーブル先生の寝ぼけた魔法で、可愛らしい礼拝用ドレスを着用していたのだった。一瞬恥ずかしさに顔がのぼせたが、何を言っても言い訳になりそうだったので、無視して通り過ぎることにした。しかし、相手にされなかったことが悔しかったのか、少年はオレのスカートの裾をつかみ上げて叫んだ。

「気持ち悪いんだよ! すましやがって、このオトコオンナ!」

 その瞬間、理性の糸がいとも容易くぶちっと切れた。魔法の呪文を唱えようと片方の手を空高く振り上げたのだが、それよりもわずかに早く、オレの目の前を一本の箒がかすめ飛んだ。箒は少年の頭に見事なまでにヒットした。

「って~!」

 少年は頭を押さえて泣き声を上げた。見ると、ルリアちゃんが箒を振り回し、周りにいる男の子たちを一掃しているではないか。

「てめえ、女のくせに生意気だぞ!」

 怒った少年のひとりが彼女に飛びかかってゆく。オレは慌ててそれを止めに入った。「やめろよ!」

 そのとき、森の中から酒瓶を持った猫背の男が現れて大声で叫んだ。

「ここで何してやがる!」

 その迫力と風貌に、その場にいた全員が凍りついたように動きを止めた。

「この森には悪魔が出るんだ。聖エセルバートに呪われて死にたくなかったら、暗くなる前にとっととうちに帰れ!」

 少年たちはひどく慌てた様子ですぐさまその場から退散した。猫背の男はガラス玉みたいな瞳をぎょろりとこちらに向け、オレとルリアちゃんを一瞥してから、ふんと鼻をならして森の奥へと姿を消した。



 夕暮れの帰り道、オレたちは肩を並べて家路についた。薔薇色の陽が時間をかけて輝きを放ちながら、音もなくゆっくりと木々の間に沈んでゆく。

「あの……ごめんね」

 オレがあやまると、ルリアちゃんは怒ったように問い返した。

「なんであやまるの?」

「だって、オレのせいで喧嘩に巻き込まれて……」

「あたしが勝手に巻き込まれたんだから、メグは悪くないでしょ?」

 その言葉にはっとした。今、ルリアちゃんは確かにオレのことを初めて『メグ』と名前で呼んだのだ。オレは嬉しさのあまり、思わず顔が緩んでしまった。

「何笑ってるの? 気持ち悪い」

 相変わらずつっけんどんな言い方だったが、そう言って前を行くルリアちゃんの顔も、確かに笑っていたのだった。

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