第二話 新しい家族
『聖なる星と薔薇修道院』から出ると、先生は「さてと」と言ってオレの肩に手を置きルリアちゃんと向かい合わせた。
「改めて紹介するよ。この子はメグ。僕のイトコで優秀な一番弟子だ。君よりひとつ年上になるのかな。メグ、ルリアに挨拶しなさい」
先生に促され、緊張でどもりながら挨拶の言葉を述べる。
「は、は、初めまして」
ルリアちゃんの大きな瑠璃色の瞳が真っ直ぐこちらに向けられた。握手をしようと片手を差し出したが、無関心な様子でぷいと顔を背けられてしまった。握手を求めて拒否されたのはこれが生まれて初めてだった。
「それが人の好意に対する態度かい?」
オレを挟んでリーブル先生がルリアちゃんのほっぺたを縦横ななめにつまみ上げた。
「にゃにひゅるの! はにゃひへよ!」
驚いた二番弟子が叫び声を上げると、先生は彼女の頬から手を離し、何事も無かったように箒に跨る。
きっと修道院でこんなことをされたことなど一度もなかったに違いない。先生の後ろ姿を睨みつけるルリアちゃんの表情は、さも信じがたいと言わんばかりだ。
「ほら、突っ立ってないで早く乗って」
「乗るって、どこに?」
「僕の後ろさ。箒で三人乗りして帰るんだよ」
ルリアちゃんは仕方なくといった様子で、渋々と箒に跨った。
「そんなに離れて座ったらメグが乗れないだろ? もっと近くにおいで。僕の体に腕を回して、ぎゅと抱きつくように」
傍から聞くとやや変態じみた師匠の言葉だが、そうでもしないと箒から振り落とされてしまうので、この指示はあながち間違いではなかった。けれども、二番弟子はあからさまに怪訝な顔をして師匠の言葉を無視した。
「落っこちたって知らないよ」
そう言って先生が勢いよく大空に舞い上がるや否や、ルリアちゃんは小さな悲鳴を上げて彼の背中にしがみついた。
生まれて初めて空を飛んだルリアちゃんは、緊張と興奮が綯い混ぜになったような顔をして、興味津々な様子で辺りの景色に目をやった。連なる雲の向こうに望む遥かなる未知の世界――。
ルリアちゃんは傾きかけた陽の中に佇む城館を振り返った。遠ざかる修道院を見つめるその表情は、少し悲しげに見える。オレが見ていることに気がつくと、彼女は慌ててつんとすましたように顔を背けてしまった。
やがて幾度かの休憩を挟み、箒は月明りの下、聖エセルバートの街に入った。流れ星が降り注ぐ星降る丘の赤い屋根の家に降り立つと、リーブル先生が笑顔で言った。
「ようこそ我が家へ。そして、今日からここが君の家だよ」
裏庭で育てたハーブのサラダに、リークのスープやミートパイなど、夕食には心を込めて作った手料理でテーブルの上を飾った。食後のデザートには生クリームがたっぷりのった甘酸っぱいルバーブのタルトを用意しておいた。ちなみに、これはリーブル先生の大好物だ。
「聖女マリアに日々の糧を感謝します」
星十字をきってマリア様に祈りを捧げ、それからオレたちは食事にありついた。だが、ルリアちゃんは一口も手をつけようとはしなかった。
ミートパイを頬張りながらリーブル先生が言う。
「修道院では随分と甘やかされて育ったようだね」
ルリアちゃんは向かい合わせに座る先生の姿を睨みつけた。オレは険悪な空気を避けようと、慌てて横から口を挟む。
「食事くらい仲良くしようよ、家族なんだから」
しかし、その言葉は二番弟子の心の琴線に触れてしまったようだった。
「あたしは……家族なんかいらない!」
憤った表情で食卓から立ち上がり、ルリアちゃんは自分の部屋へ戻るために階段を駆け上った。
玄関先に荷物が置きっぱなしになっていることに気がついて、オレが皮製の古びたトランクに手をかけると、頭上から「勝手に触らないでよ!」と怒鳴り声がふってきた。ルリアちゃんは物凄い勢いで玄関まで駆け下りて来て、強引にオレから旅行鞄を奪い取った。すると、力強く引っ張ったはずみで鞄の留め金が開いてしまい、荷物が雪崩のように床中に散乱した。
リーブル先生がテーブルの足元に転がってきた小さなマリア像を手に取った。床に落ちた弾みで陶器の像は割れ、マリア様の顔が半分欠け落ちている。それを目の当たりにしたルリアちゃんは、かなりのショックを受けたようだった。口をへの字に歪ませて、泣きたいのを我慢しているような表情だ。
彼女は一言も発することなくその場から背を向けると、激しい足音を立てて階段を駆け上って行った。扉の閉まる一段と激しい物音が、空気を伝って残されたオレたちの耳に届いた。
抜けるような青空の下、爽やかな朝の訪れを楽しそうに奏で始める小鳥たち。その歌声に重なるようにして、街の方角から聖マリア修道院の鐘の音が耳に届く。オレは裏庭のハーブに水をやりながら、暗澹たる思いで先生の部屋の窓を見上げ、それから決心したように師匠を起こしに部屋へと向かう。
そう。今日は週に一度の礼拝の日。朝早く起きることが苦手なリーブル先生を起こすのは至難の業だ。寝ぼけて誰かれ構わず危険な魔法の呪文を唱えるし、たとえ起きたところで寝起きの機嫌も最悪だった。先生と一緒に暮らし始めてから、礼拝の日はオレにとっては苦行の日と言っても過言ではなかった。
「リーブル先生、朝だよ。今日は礼拝の日だよ」
クッションを盾代わりにしてベッドに近づくと、先生は寝返りをうってむにゃむにゃと何かを口走った。「やっと……会えた」
てっきり魔法の呪文だと思い身を竦めたが、どうやらただの寝言のようだった。オレは恐る恐る師匠の肩に手を伸ばし、そっと体を揺さぶった。
「起きてよ、先生。夢見てる場合じゃないよ。また礼拝に遅刻しちゃうよ?」
恐るべきことに、寝言はいつの間にやら魔法の呪文に変わっており、オレの服装はまたしても乙女チックな礼拝用ドレスへと早変わりしてしまった。さらに、悪夢はそれだけに留まらず、寝ぼけた先生はベッドの上でオレの体を抱きしめた。
「ぎゃーっ!!」
物凄い勢いでクッションごと押しやると、ようやく目を覚ました先生はぼんやりとした表情でオレの顔を見つめ、あろうことかこう言った。
「夜這いかい? メグ、君の気持ちは嬉しいけど……」
「もう朝だよ!」
どうにか任務を完了し、脱力からよろよろとした足取りで階下へと向かう。その途中、ルリアちゃんの部屋の前で立ち止まった。すっかり忘れていたのだが、彼女のことも起こさなければならないのだ。オレは躊躇いながらも部屋の扉をノックした。
「おはようルリアちゃん。起きてる?」
返事は無かった。散々迷った挙句、静かに扉を開けて中の様子を伺うと、二番弟子は大きなベッドの隅に小さく丸まって眠っていた。
ここは元々ばあちゃんが使っていた部屋であり、ベッドのほかには洋服箪笥や化粧台などが置かれ、オレや先生の部屋に比べると随分と女の子らしかった。しかし、それはオレが部屋のあらゆるところに飾り立てた花々や、先生の趣味で淡いピンク色に塗られた壁のせいでもあった。まだ渇ききっていない塗料の匂いがつんと鼻をつく。
「行かないで!」
突然、ルリアちゃんが叫んだので、オレの心臓は驚きのあまり飛び出しかけた。
「……ひとりにしないで」
どうやら、夢にうなされているようだった。陽に透かされたレースの細かな模様が、二番弟子の白い頬に灰色の影を落としている。そこにつたう一筋の涙。濡れた睫毛に目が離せなくなってじっと見入っていると、次の瞬間、大きな瑠璃色の瞳がぱちりと開いた。
オレも驚いたがルリアちゃんはそれ以上に驚いたらしく、がばりと飛び起き、布団で顔を半分隠しながら身構えた。
「あ、あの……その……れ、礼拝の日だから、起こしにきたんだ」
慌てて弁解するオレの姿を、彼女は暫し警戒の眼差しで睨んでいたが、ふいに扉の前に運ばれてあった旅行鞄に気がついて、そちらに視線を走らせた。昨晩、「勝手に触るな」と言われていたにもかかわらず、オレは散らばった荷物を鞄の中に戻し、彼女の部屋の前に運んだのだ。
「ごめんね、勝手にいじっちゃって」
きっと怒鳴られる――。そう思って首を竦めたが、そうではなかった。
ルリアちゃんは無言のまま、ただ旅行鞄を見つめ続けていた。昨晩の勢いはすっかり失われ、そこにあるのはひどく沈鬱とした面持ちだ。
悲しい夢でも見ていたのだろうか。もしかしたら、その夢が彼女の心に何らかの心境の変化をもたらしたのかもしれない。
オレは部屋の窓を開けると、朝食の準備が整っている旨を伝え、それから、そっとその場を後にするのだった。
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