マリア教の魔法使いと星に願いを

第一話 棺の中で眠る少女

 オレと先生がルリアを迎えに行ったのは、今から五年前だった。


 イトコのリーブル先生がエデンの大学を卒業したのをきっかけに、オレは立派な魔法の使い手になるべく、正式な形で彼の元に弟子入りした。

 ばあちゃんの実家がある聖エセルバートの街でオレたち二人が暮らし始めてまもなくのことだった。ばあちゃんの友人のマザー・エレオノーラが亡くなって、マザーが修道院で育てていた女の子を先生が引き取ることになったのだ。

「天使みたいに可愛い女の子なんだって」

 糊のきいたシャツに袖を通しながら、眠たそうに先生が言った。まだ起きたばかりで寝ぼけているのか、見事にボタンを一段ずつかけ間違えている。首元にリボンを結ぼうとしている師匠の手をよけ、オレはてきぱきと最初の段から正しくボタンをかけ直した。

「君はいいお嫁さんになれるよ、メグ」

「冗談言ってないで髪の毛梳かしなよ先生。ひどい寝癖がついてるよ」

 低血圧な先生を起こすのに相当な時間がかかってしまった。『聖なる星と薔薇修道院』には六時課までに行くとあらかじめ手紙で伝えてあるそうだが、このままではどんなに猛スピードで箒を飛ばしたって間に合いそうにない。

 ブラシで髪を梳かす今朝の先生は、寝起きにもかかわらず普段からは考えられぬほど機嫌が良かった。

「一番弟子と二番弟子。二人の女の子と一緒に暮らせるなんて、僕は本当に果報者だな」

 鼻歌交じりで呟く師匠の言葉――二人の女の子――という部分に、オレは思わず憤りから手にしていたボタンを千切りそうになってしまった。リーブル先生はいつもふざけてオレのことを女扱いする。そりゃあ、確かに色白で手足だってほっそりとしているし、魔力が強まるという理由から金髪も肩まで伸ばしている。だが、オレはれっきとした男なのだ。

「そうだメグ、修道院へ行くんだから、清楚に三つ編みがいいんじゃない?」

 言うが早いか先生は魔法の呪文を唱えると、持っていたブラシを杖のかわりに一振りした。次の瞬間、オレの髪の毛はみるみるうちにおさげに編み込まれていき、洋服も上品な礼拝用のドレスに早変わりしてしまった。

「ちょっと、先生!」

 真っ赤な顔で怒りに打ち震えるオレを見つめ、先生は満足げに頷いた。

「うん、可愛い」



『聖なる星と薔薇修道院』は、カストリア辺境の寂れた町の外れに建つ、ル・マリア教会の修道院だった。聖エセルバートの街からだと、箒で半日ほど北東に飛んだ場所にある。(とは言っても、リーブル先生の箒での概算だから、普通の魔法使いともなると丸一日はかかるだろう)

 大聖堂の最前列に腰を下ろし、オレは静かに辺りを見回した。先生は南側廊のステンドグラスの前で、老年の修道女と何やら難しそうな話をしている。

 信徒席では所々で若い修道女たちが黙想に耽っていたが、先生の姿を視界に焼き付けようと目だけをこっそり泳がせているのが伺えた。我が師匠のオレンジ色の髪の毛がめずらしいからに違いないが、同時に容姿端麗なせいでもあった。先生は微笑まずしても聖職者の頬ですら赤くさせることが出来るのだ。

 そのとき、側廊奥の扉から眼鏡をかけた修道女が慌てた様子で姿を現した。

「申し訳ありません。ちょっと目を離していた隙に、どこかに隠れてしまったようです。今手分けして探していますので、もうしばらくお待ち下さい」

 ステンドグラスから差し込む陽射しに目を細め、先生が尋ねた。

「今日僕らが来ることを、ルリアさんは知っているんですか?」

「もちろんですとも。リーブル様がお迎えにいらっしゃることは以前から伝えてあります。ルリアはもともと気難しい子なのですが、マザーが亡くなったことによってどうも精神的にすっかり塞ぎこんでしまっているみたいで……」

 荘厳な鐘の音が鳴り響く中、先生は老年の修道女に建物の中を歩き回る許可を求めた。どうやら自分の足で行方不明の見習い修道女を探す気のようだ。

「行くよ、メグ」

 承諾を得た先生が手招きしてオレを呼ぶと、辺りから若い修道女たちの嫉妬の眼差しが聖堂中から向けられた。たぶん彼女たちはオレのことを女の子だと思い込んでいるのだろう。まあ、無理もない。

 ひらひらとしたドレスの裾をつまみ上げ、オレは小さな溜息をついて小走りに先生の後を追った。



 堅牢な城館は貴族の館を改築したものだそうで、乏しい町の現状にそぐわぬ格式高い印象を受けた。修道女たちは清貧と労働を重んじた戒律に則しており、庭で野菜を作ったり、パンを焼くなどして、慎ましやかに暮らしているそうだ。

 祈りの刻限が訪れると、移動してきた修道女たちが聖堂で厳かに列をなした。隔絶された僧院の中で、『聖女の薔薇』は世間との繋がりを一切断ち、誰にも知られないように内側の世界だけでひっそりと生きているみたいだった。

 リーブル先生いわく、『聖なる星と薔薇修道会』は、ル・マリアの中でも由緒ある家柄に生まれた者だけが門を叩くことが許されている、富裕聖職者によるいわゆる権力機構であった。

 腐敗した組織が異端の扱いを受けて弾劾に晒された話は兼ねてからよく聞くが、この修道院に限っては安逸をむさぼるどころか、まるで抑圧されているような、厳格すぎるほどに重々しい空気が感じられた。見習い修道女のルリアちゃんはここでマザー・エレオノーラに育てられたそうだが、こんなところで暮らすなんて、考えただけで息が詰まって死にそうだ。

 半円形のアーチをくぐり抜けたところで、ふいに肝心なことに気がついた。

「あれ? ねえ先生、そういえば探すって言ったって、オレたちルリアちゃんに会ったこともないじゃないか。顔もわからない見習い修道女を一体どうやって探すの?」

 すると、なんの根拠があるのだか、意外にも先生は自信たっぷりに微笑んだ。

「大丈夫。僕にはわかるから」

 リーブル先生という人は、時々謎めいた発言をすることがあった。オレはあまり占いだとか預言なんかは信用していないのだが、先生の言うことは不思議と外れたためしがなかったのでなんとなく信じられる。しかし、だからと言っていつも間に受けてばかりはいられない。忘れた頃にからかわれたりもするからだ。

 それにしても、ルリアちゃんは一体どんな女の子なのだろう? 先生の二番弟子ということは、彼女はオレの妹弟子になるわけだ。つまり、オレは兄弟子……。兄……。なんて男らしい響きだろう……!

「何にやにやしてるんだい?」

 先生が不思議そうに顔を覗き込んできた。

「な、なんでもないよ」

 慌てて表情を引き締めると、オレは彼を追い越して先を急いだ。

 星が散りばめられた回廊を歩いている途中、風の流れに乗って修道女たちの歌う清らかな賛美歌が聞こえてきた。その歌声に紛れて、かすかに女の子のすすり泣くような声が耳に届いた気がしたのだが、たぶん空耳ではないと思う。先生も気がついていたようで、歩みを止めて青白い光を受けた礼拝堂の前で立ち止まり、黙って耳をすましていた。

 地下へ繋がる階段の先にあるのは、薄暗い聖堂だ。直射光が四角い通路の形に切り取られ、部屋の中央にある棺の上に伸びている。

 先生は階段を下りて棺に歩み寄り、蓋の上からそっと耳を当てた。それから、次の瞬間、ガコッという低い音が聖堂内に響き渡った。先生が棺の蓋を開けたのだ。

「リ、リーブル先生っ?」

 恐れを知らぬ師匠の行為に後ずさり、オレは祭壇近くに立てられていた燭台を倒しそうになってしまった。

 燭台の脚を両手で握りしめながら、少し離れたところから棺の中を覗き見ると、実に驚くべきことに、そこにはひとりの少女が横たわっていた。

 透き通るほどの白い肌に、薔薇色の頬。まるで天使みたいに可愛らしい女の子だった。泣いていたのか、頬には涙の痕がうっすらと残っており、一筋の外光を受けてきらきらと輝いている。少女は棺が開けられたことに気がつかず、瞳を閉じたまま眠り続けていた。

 彼女を見つめる先生の眼差しは、長い間探していたものが見つかったときのような、親しみと喜びで溢れていた。それはまるで、目に見えぬ紗幕が取り払われ、ぼんやりとしていた世界が動き始めた瞬間のようだった。

 先生は棺の側面に手をかけると、緩やかに体を傾けて少女の額にキスをした。その瞬間、眠り姫の長い睫が音もなく持ち上がる。

 視線の先に見知らぬ人間の姿を捉えた驚きから、少女は短い悲鳴をあげて勢いよく先生の体を突き飛ばした。

「あなた誰っ?」

 大きな瑠璃色の瞳に浮かぶ、はっきりとした警戒の色。

 先生は悪戯気に口端を上げると、服についた埃を払いながらゆっくりと立ち上がった。

「やあ、僕の名前はリーブル」

 彼は少女に向かってにっこりと微笑んだ。

「君を迎えに来たんだ」

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