第2話 縁結び神社 ~ひび割れ~

 三年目の浮気とは何処かで耳にした。 


 浮気とかそんな明確なものだったらまだ良い。だが、それとは違って何か気が晴れないというか、満足感の微塵も感じないこの生活が無駄にさえ思えてならない環境に私は苦慮していたのだ。 


「ただいま」 


 玄関のドアが開くと気が重くなる。この声の次はあの顔を見なければならない仕打ちに「お帰り」の言葉さえ出て来ようとはしないのだ。 


 近藤久美子は、三年目に入って今、この結婚は失敗だったのだと悟った。 


「晩飯は何?」


 義也は、蒸れた匂いの足のままキッチンの中を歩き回る。そしていつも最後は冷蔵庫を開いてマヨネーズを取り出すのだ。 

 とにかく、どんな料理を作っても必ずやその上にマヨネーズをかける。それがカレーだろうが照り焼きの魚だろうが、そんな事には一切お構い無しだ。


 それが原因なのかどうかは判らないが、最近特に酸っぱい匂いが強くなった。そう、義也の体自体が酸っぱいのだ。そのくせ、夜となったらイノシシかブタのように私の身体を貪る。お蔭で私の食欲は日に日に減退する一方・・・・


 私は義也の問い掛けに、テ―ブルに並べたロールキャベツを視線で指した。  義也は、着替えもせずにロールキャベツにマヨネーズをぶっかけた。その量の余りの多さに吐き気を覚える。だが、義也は、イノシシかブタのように貪りついた。 


 その夜、私は友達から聞いた噂を思い出した。確か、縁結び神社とか何とか言ってたが、詳しくは自分で調べてと言ってこの話は終わっていたのだ。  

 未婚ならともかく、今更縁結びでもあるまい。その時はそう思って聞き流してはいたが、何だか不思議な力がある神様って言っていたようなことをチラッとだけ思い出した。


 私は、義也との不愉快な営みを終えると、義也が寝静まったのを確認してパソコンを立ち上げた。

 縁結び神社と検索するといくつもの神社がヒットした。 


「うわっ、こんなに多いのか」


 この中から友達から聞いた神社を選りだすのは容易な事では無いだろう。下手すれば今夜は徹夜に成りかねない。私は、県内の神社に的を絞ってみた。ヒットは四件だった。 

 これで当たれば儲け物。外れたら運が無かったと思って今夜は諦めることにしよう。 


 私は、一件ずつ丁寧に見た。隅から隅までしつこいほど読んだ。

 最後の一件になった時、私は「あれっ?」と思った。 

 この神社だけ簡素過ぎる内容なのだ。


 住所も無く、書いてあるのは電話番号だけだ。それ以外は、PRとして「ここを訪れた信者には必ずや御利益がある」と記されている。 

 私は、一行だけのこの短い文章に何かを惹かれた。

 翌朝、義也が出勤した後に電話を掛けてみた。出来れば、住所を聞きたい。そんな理由からだった。しかし、呼び出しはするがなかなか受話器が上がらない。既に呼び出し音は二十回を越えているだろう。私は、それから後十回程鳴らしたが、その辺りで根負けした。 


「こんな朝っぱらから出掛けたのだろうか」


 それから二時間後、やっぱり受話器が上がることは一度たりとも無かった。



 久美子は電話を諦め、カ―ナビに電話番号を入力した。

 一時間半ほど東へ走ったところでナビの画面に目的地が表示された。 


「よし、もうすぐだ」


 着いたら何をお願いするのか、家を出た時からずっと考えてきた。  

 ともかく、この不満だらけの生活を変えたい。その為には、それに見合った相手が必要だ。私の中での結論は、こう決まっていたのだ。 


 ナビの「目的地に到着しました」の声に、私は緊張してきた。土の地面のままの小さな駐車場の一番奥に車を停める。 


「客は私一人なのかな・・・」


 辺りを見回しながらそう思った。しかし、それなら逆に好都合だ。余り他人に聞かれたくは無いお願いをするのだから。 


 玄関を開けると湿っぽい空気を感じた。二度目の「ごめんください」の途中で廊下の軋み音が聞こえた。 現れた女性はここの神主なのだろうか。老婆にはまだ少しばかり早い背の低い女性に導かれると、縁側のある和室に通された。そして一度部屋を出た老婆には少し早い女性は、その後私の目前にお茶を出してきた。 

 私の喉はさっきから渇ききっていた。少し温めのお茶は心地好い温度で体内を潤した。 


「で、ご用とは?」


 私は、結婚当初から今に至るまでの経緯を事細かに説明し、最後に浮気相手が欲しいと切々に願った。

 その間、老婆にはまだ少しばかり早い女性は、無言でじっと聞いていた。 

 私は、話終えるとまた喉が渇いた。湯飲みに残った半分ばかりのお茶は既に冷めていた。 


「残念だが・・・・」


「はっ?」


 その残念の意味が分からず私は聞き返した。 


「実は・・・・」


「えっ?」


 私は再度聞き返した。


 私は、明日また来る旨を伝え神社を後にした。


 予想外の話だった。 


 お願いは当てが外れ、新たな思いがハンドルを握る私の脳裏にうっすらと浮かんできた。 


「そうか。そのてがあったか」


 私の右足は、更にアクセルを強く踏んだ。


 自宅付近に着いたのは、やがて四時になろうかという時間であった。国道沿いのス―パーの駐車場にはまだ空きスペースが目立った。 

 私は迷わず惣菜のコ―ナ―を目指し、歩を進めた。 


「どうせ何でもかんでもマヨネーズだ。コロッケでも買って帰れば、揚げ物が好きなあいつは涙ながらに喜ぶだろう」


 私は、コロッケをまとめ買いした。これで明日の買い物は無くなると思った。



 義也はいつも午後7時に帰宅してくる。出来れば早目に結論まで至りたいが、自分自身の事が駄目なら、あいつに誰かをぶつけるしか手はないだろう。


 いったいどんな奴が適切なのだろうか。男なのか女なのか、先ずはそれから決めてしまわなければならない。


 私は色々とイメージしてみた。相手が男なら、そいつから殺される。いや、いくら何でもそれは残酷過ぎるだろう。では、女ならどうか。浮気の果てに離婚を言い渡される・・・・うん、これが良いだろう。この際、私のプライドなどどうでも良い。少ないが、貯金も全部頂いてあいつとオサラバだ。 


 余りにも名案過ぎるアイデアに、私の気分は一気に上昇した。 


 予測通り、義也はコロッケに食らい付いた。残ったコロッケに「明日もよ」と言うと、バンザイまでして大喜びした。



 馬鹿な奴・・・・


 義也には体調が悪いと伝え、今夜の営みは辞退した。 

 さすがに昨夜の徹夜が響き、強い睡魔に襲われている。 

 別室で早目に寝て、明日は夜中の二時に起きよう。 

 私は携帯のアラームをセットした途端、深い眠りの底に沈んでいった。


 深夜二時、昔で言えば丑の刻か。


 予定通り、義也が起きた気配は全く感じない。 


 私はしずかにパソコンを立ち上げ、インターネットを検索し始めた。     

 誰が良いのか検討はつかないが、とにかく県内の女性で検索してみることにしよう。


 最初にヒットしたのは女性医師のいる病院であった。次にキャリアセンターの求人で、名前など出てくる素振りは全く無い。 

 まさか、女性医師などと再婚だなんてそんな天国は許さない。 

 では、その逆だ。


 県内、ゴミ屋敷、女性で検索した。すると、掲示板みたいなスレがヒットし、何人かの投稿を過ぎた辺りで、一人の女性のフルネームが顕になった。


 道路にゴミを積み上げ、逮捕されたと書いてあるが、どうやら彼女は釈放されているみたいだ。住所を見ると隣のもう一つ隣の市内である。この程度の距離なら近過ぎることも無くちょうど良いだろう。ゴミ屋敷の中でこの女とイチャイチャするが良い。私は携帯に名前と年齢と住所を記録した。


 翌朝、義也の出勤に手を振った。それが余程嬉しかったのか、顔をしわくちゃにしながら手を振り返していた。 

 私は、義也の姿が見えなくなるとすぐに車に飛び乗った。

 二度目の経路にはナビは必要なかった。時間も幾分か短縮されたようだ。 

 昨日と同じ場所に車を停めると小走りで玄関の引き戸を開いた。 


「おはようございます」


 昨日の今日なのに、やっぱり二度目の挨拶の途中で彼女の姿は軋み音を連れて現れた。


「決心がついたと見えるが」 


 彼女の言葉に強く頷いた。 


「二人の名前です」


 そう言って携帯の画面を見せた。 


「では、これに書いて貰おうか」


 目の前に一枚の紙が差し出された。


「くれぐれも希望する日にちを書き忘れないように」

 

 私は、これにも深い頷きで返事をした。



神社を後にした途端、私の心は晴れ晴れとした気分になった。


 縁結びの日にちは四日後の土曜日だ。恐らく、義也は朝から外出するであろう。その時に、ゴミ屋敷の彼女と出逢うのだ。そしてすぐに離婚を申し込んでくるはず。私はこれ以上は無いという程の条件を突き付け、二つ返事で承諾する。 

 久美子は、途中銀行に立ち寄り、預金の残高を全てチェックした。


「ちょっと出掛けてくるよ」


 土曜日の朝、義也は外出する意志を久美子に伝えた。久美子は、出掛ける先も理由も聞かずに義也を送り出した。玄関で手を振ったが、義也は返して来なかった。それどころか、いつもなら私の車を使うはずが、今日に限っては徒歩で駅方向に歩いて行ったのだ。 

 義也は、駅に着いた。 


「さて、これから何処に行こうか」


 早朝から家を出たのは良いが、ここに来て行く当てが無いことに初めて気付き、電車の路線図を見上げては溜め息をついた。


「仕方がない。散歩するつもりで隣の市内でも行ってみるか」


 義也は券売機に千円札を入れ、ボタンを押した。 

「あれ?」


 出てきた切符を手に取り首を傾げた。 


「押し間違えたか?」


 券売機のボタンを見たが、押し間違えたかどうかの記憶は無かった。 


 まあ、何れにせよ隣もその隣も同じようなものだ。義也はさほど後悔もせずにホームへと降りていった。


 土曜日の朝だというのに電車は混んでいた。座れる席も無さそうだし、ドア付近の吊り革を確保すると、揺れる電車に合わせて体重移動を繰り返した。四つ目の駅が隣の隣の市だ。義也はドアが開くと一番に下車した。 


 駅の前はロータリ―になっていた。義也は、何処もかしこも同じなんだと思った。ロータリ―の先に交差点が見えた。その角にはショッピングセンターらしきものが建っている。その先は遠くに格好の悪い山が見えるだけで何も無さそうだ。 

 義也は、交差点で左右を眺めて、右に行くことを決めた。まだ開いてない古ぼけた数軒の店先を過ぎると住宅街になった。家と家が微妙に隣接した昔ながらの小さな家ばかりだ。少しだけ歩いてこの先なにも無ければ引き返そう。 

 義也は、板を張り巡らせた塀の脇をのんびりと歩いた。 


「もう来るな」


 朝っぱらから怒鳴り声だ。義也は何事かと思い、辺りを見回した。すると、一軒先の民家の塀から一人の男が飛び出して来て義也の目前で派手に転んだのだ。


「えっ?あっ、大丈夫ですか?」


 義也は派手に転んだあと大の字になった男の腕を掴み引き上げた。男は、「どうもスミマセン」と言って素直に立ち上がった。 


「いったいどうしたんですか?」


 男は悔しそうな、それでいて恥ずかしそうな何とも言えない顔で答えた。 


「ここ、ゴミ屋敷なんですよね・・・」


「ゴミ屋敷?」


 ゴミ屋敷なんてテレビでは見た事があるが、実際にあるなんて思ってもいなかった。 


「ええ、そう。ゴミ屋敷なんですよ。それで、道路にまでゴミを積み上げていると苦情が入って仕方がないので、こうやって撤去のお願いに来たのですが、後はご覧の通りで・・・・」


 男は恨めしそうな表情で塀の入り口を睨み付けた。 

「それは大変でしたね。でも、こんな朝早くからどうしてまた?それに今日は土曜日ですけど、そちらは市役所の方なんでしょ?」


「はい、市役所の係の者ですけど、ここの人って平日は昼も夜もいつも留守なんですよね。だから、土曜日の朝なら居ると思ったんですが、まさかこんなにキレられるとは・・・・」


 男はそう言い残すと、道路脇に停めていた車に乗り込み去って行った。


 義也は、車が見えなくなると塀の入り口から中を覗いて見た。 


「うわっ、凄いゴミ。テレビで見たのと同じだ」


 義也は、マスコミにでもなったかのような気分で庭を見渡した。 


「また来たのか?もう来るなと言っただろう」


 また怒鳴り声が飛んできた。 


「いや、僕は違います」


 気が動転したのか、変な返事をしたことに顔がゆでダコのように火照った。 

「あら、違うの?」


 玄関らしきところから人影が現れた。 


「で、どちら様?」


 さっきの怒鳴り声とはまるで別人のような軟らかな声の女性だった。歳の頃は四十くらいか。白いブラウスと淡いピンクのロングスカートが似合う綺麗な顔立ちをしている。 

 

 隣人なのか?義也はそう思った。


「あのう、こちらの方は?」


「えっ、私ですけど」


 綺麗な女性は不思議そうに答えた。 


「あ、そうなんですか。余りにもお綺麗なので、隣の方かと思いました」


 女性は笑みを浮かべたが、声を出して笑うことはしなかった。 



「それにしても・・・・」

 義也は庭の中を見渡す振りをした。 


「あ―、これでしょ?私も困っているんですよね」


「困ってるって?」


 義也は意味が分からなかった。 


「時間がおありなら中へどうぞ。ここでは何かと目立ちますので」


 義也は綺麗な女性の後に続いて家の中に入った。 

「えっ?」


 家の中も庭同然にゴミだらけだと思っていた。それが、こんなに綺麗に片付けられているなんて、こんな落差を目撃したら誰だって間抜けな声を出してしまうに違いない。 


「驚きましたか?」


「ええ、予想外なことでビックリしてしまいました」 

「予想外ですか?まあ、確かにそうなんでしょうね」

 綺麗な女性は、今度は少しだけ声を出し、ウフフと笑った。 


 義也は真っ白なリビングに通されたが、照明を点けられた部屋は夜のような雰囲気であった。窓からの景色と言えば、やはりゴミの山だ。それさえ見なければ、こんなに片付けられた室内は珍しい。綺麗な女性は、成瀬真奈美と名乗り、義也に白いソファーに座ることを勧めた。


「それにしても、中はこんなに綺麗なのに外はゴミだらけなんですね」


 義也は最初に感じた疑問を投げ掛けてみた。 


「ですから、困っていると申したでしょ?」


 真奈美は、義也の目を真っすぐに見つめた。 


「実は、このゴミは私の家のものでは無くて、勝手に外から投げ入れられたものなの。何度片付けてもすぐに次のゴミを捨てられてしまって。そしたら、いきなり父が倒れて入院。病院で付きっきりで看病している間にこんなゴミ山になってしまって」


 義也は、そんな事があるもんかと思ったが、口には出さなかった。


「警察には?」


「勿論、相談させて頂きましたわ。だけど、警察の方は私の話を信じなかった。それどころか、周辺の方々の意見を尊重し、すぐに撤去するように言ってきたの。それで私もカチンときましてね。以前、テレビで見た時の事を思い出して、これは私の資産ですって宣言しちゃった」 


 真奈美はペロッと舌を出した。 


 義也は、その愛くるしい仕草に胸をわし掴みにされた。こんな想い、生まれて初めてのことで、このまま真奈美と一緒に居られたらどんなに幸せか。心の底からそう思った。 


 その夜、義也は自宅へは戻らなかった。




「お泊まりなのかなあ・・・・」

 

 久美子は、食欲の回復にまかせて上等な寿司を一人摘んではニヤリとしていた。 

 翌日も帰宅しなかった義也は、月曜日の早朝になって慌ただしく帰ってくると、大きなバッグに何やら詰め込み始めたと思うと、いつもの安物のスーツに着替えバッグと一緒に出社して行った。

 久美子は、その一部始終の間、一言も声を掛けることは無かった。 

 次の金曜日の夜、久しぶりに帰宅して来た義也は、改まった顔をして「話がある」と言った。 


 久美子は、「待ってました」とばかりに心を踊らせた。 


「大事な話があるんだ。面と向かっては言いにくいから、ちょっとドライブでもしようか?」


 久美子は、「分かった」と即答した。 


 車は街中を抜け、街灯も無い真っ暗な田園地帯へと出た。 


「この辺りでいいかな」


 義也は独り言のように言った。それを聞いて、久美子は「いよいよか」とソワソワする気持ちを押さえ切れずにいた。 


「で、何の話。早く言ってしまいなさいよ」


 久美子は急かした。 


 義也は、茶畑の間の小道に車を停めるとヘッドライトを消した。 



「話とは・・・・これだ」



真奈美の家の庭には、一週間掛けて二人で掘った細長く深い穴が一つあった。 


 その夜、その穴は元通りに埋められ、いつもの汚いゴミ山の姿となった。


 空には夜明けの白い月が二人を妖艶に照らす。 


 義也と真奈美は、手に手を取ると綺麗に片付けられた真っ白なリビングへと姿を消していった。

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