第7話 無能:007「ユトハシルの水」

あの清貧小屋に来る時も思ったが、原生林とも言うべき森の獣道を歩くと言うのは、重労働だ。

間違いない。

しかし、現状バカな俺は、それを苦にしない。そう決めている。

人間、それなりの覚悟で決めてしまったら、そうそう折れない。心が折れるヤツは、大概覚悟が出来てないだけだ。

そう思い込む。

そう信じ込む。

なぁに、ビジネスじゃご法度だが、こいつは自分自身に振り出す手形だ。全く問題ない。

そろそろ、1時間ほど歩いただろうか。

森は原生林で、獣道は大小様々で、一直線でもなくて、分岐まで大量にあった。

問題ない。

問題ないと自分で信じれば、それは本当に問題ないのだ。

さっきも言ったように、これは自分自身に対して振り出す手形なんだから。


***


幸運とはご都合で、同時に不運である。

俺はつい数時間前に、その境地に達した。

悟りと言ったら怒られそうなので、『気づき』と言う便利ワードで代替しておく。

意味が分からないけど、大丈夫だぜ。

俺はいたって順調に、ユトハシルの森を抜けようとしている。

信じる者は森を抜けるのだ。

うむ、青木ヶ原とかアマゾンとか思い出さないように。

俺は進む。

なぜ進むのだ?

明日へと進むためだ。

友情とかないんで、明日で代替しておく。

歩けラルフなのだ。

誰も待ってないだろうけど……いや、待ってるかもしれないけどさ、会いたくない連中が。

考えないと決めても、雑念は常にぐるぐると定期的に舞い降りてくる。

雑念・イズ・ランデッド。ものすごく要らないです。


そんな調子で、俺は歩いたさ。

疲れるわ、足裏は痛いわ、筋肉痛どころの騒ぎじゃない骨の芯からの痛みに耐えて。

そこに、神がいた。

そう、飲めそうな水場だ。なんかこう、清浄な気配が充満している感じだ。広さは家庭用トイレくらいだけどな。

しかし、生水はやばい。こっちの世界では特にまずい。美味しいの反対じゃなく、健康の反対の意味でまずい。

基本的に、前世の日本が特別だっただけで、生水は毒と変わらないってのが両世界共通の認識だ。

だが、こっちの世界には例外もある。

精霊の園にある水場は、この世界で最も清浄な水を産出するらしい。

なんかこう、オイルみたいな表現だが、まぁそういうことだ。

精霊水は最も清浄な上に、高額取引される。

ただし、こいつを売ったやつは精霊の好意を裏切った者として、100%ろくな最期にならないらしい。


***


さておき、これはおそらく、どう見ても精霊水。いや、現物知らないけど、なんかこう魂的にそんな気がする。

俺の中の小宇宙がそう言っている。○デの導きかもしれない。

ちょうど何も考えないバカ状態を受け入れている現状、俺がコレを飲むことを止めるいかなるハードルがあるだろうか? いやない。

俺は、汚れた手のまま水を掬い、一気に飲み干した。バカは最強だ。後先考えないからな。

で、味がしない。水って感じじゃない。なんだこれ?

いや、水なんだぜ? 間違いなくな。だが、なんかこう、違う。

ビールと発泡酒以上に、明確な違いがある。なんだろう?

こんなことなら、もっとそっち関係の書物も読んでおくべきだった。

スミス一族はそれなりに蔵書も豊富だった。一族共有、門外不出の図書館みたいなのもあった。一時期、俺はそこにこもりっぱなしだった。

冒険者になるために、な……。

いやいや、バカなんだから回想はいらないのだ。


***


俺は、さらにこの水を飲みまくる。

なんというか、この水は味がしない。そこが不気味だが、疲労がするすると抜けていく気がする。

気のせいかと思ったが、体のあちこちの痛みも何度か飲み干すうちに消えていった。

普通のヤツは、ここで欲張って革水筒とかに汲むのだろう。

そして、そこで精霊様がご登場って寸法だ。

「おいてめぇ、うちんところの水を飲むだけじゃなく、盗むとは何事だぁ! ケジメとらせんぞゴルァ!」みたいなことを仰る精霊だ。

俺は、なんとなくそういう展開になるだろうと考え……るんじゃなく、感じて、水筒には一切手を触れない。

ただ水を掬って飲んで、それで終わりだ。

万物は流転する。人間もほとんど水分で構成されている。だから、飲むだけなら精霊様も文句つけようがないだろう。

よし、出番を待っている精霊様の登場前に、安全にフェードアウトできそうだ。

俺はすっくと立って、水場に向かって頭を下げる。

「ありがとうございましたっ!」

そして、軽くなった体で再び歩き出す。

東北東に針路を取れ、だ。


***


思い過ごしだとは思うが、背後から水場の精霊様の舌打ちが聞こえたような気がした。

魂的に感じ、小宇宙的に直感した。

だが、思い過ごしだ。

そう。

バカは『そういうこと』を気にしてはいけない。

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