第5話 最高の信頼

 闘技場のすぐ横には専用の病院がある。そこには最新の設備、有能な医者がおり怪我人の受け入れ体制は万全だ。

 私はどうやらそこの病室にいるらしかった。

 起き上がってみると包帯でぐるぐる巻きにされている。しかし、その割にはさほど痛くない。これなら歩くことくらいはもうできそうだ。

 闘技が行われたのは昼だったのに、いつの間にか日は落ちて夕日の赤が部屋全体を照らしていた。

「お見舞いの方がいらしましたよ」

 白衣の女性がそう一言だけ告げると扉をあけて、一人の男が病室にずかずかと入ってくる。その音と匂いからどうやら花束を抱えているらしい。

 私のためにわざわざ花束をもってお見舞いに来てくれる人がいるとは…。

 負けて傷だらけの私の心にその優しさは染み渡る。感激だ。一体どんな紳士だろう?

「はっはっは、初陣を敗北で飾るとはさすがは最弱級、さすがはド貧乳」

「貧乳は関係ないっていうか貧乳じゃ…はぁ、冷やかしなら帰ってくださいよ」

 私は竜也に突っ込む気力すらなくして、ぐったりとベッドに横たわる。

 さっきの私の期待を返して欲しい。

「負けてくやしいか?」

「悔しいに決まってるじゃないですか」

「お前たち最弱級の人間は常に敗者だ、人生の敗者であり決闘の敗者」

 今の竜也の顔には普段ある私を馬鹿にしたような表情は欠片もなかった。

「そうですね」

 あなたも最弱級じゃないのかという突っ込みは控えておく。

「ファファファ、あまりにも愚かな考え方だ」

 竜也は夕日が差し込む窓の方向へ移動するとベッドの横の机の上に花束をおく。

「負けたままでいいのか?馬鹿にされたままで」

「いいわけないです…」

 私だって好きで負けたわけじゃない。

 頑張っても結局ステータスの壁には届かなかったのだ。

「ならばどんな卑怯な手段を用いても勝利する他にすべはあるまい。お前にその気があるか?」

「ないです」

 私はきっぱり言い放った。

 いかに勝ちにこだわろうとも、卑怯な手段は使いたくない。

 これは私の戦士としての意地だ。

「おいっ!!そこは”勝ちたいですっ!!”っていうところだろうがっ!!やる気あるのかぁ?クソ貧乳!」

「ないです。どうぞ帰ってください」

 私はやはりもう一度きっぱり言い放った。

「お願いだから言ってください」

 竜也は私の目の前で土下座する。

 土下座したよこの人、何これ怖い。

 なんだか言うまで帰ってくれそうにないので私は仕方なくいうことにした。

「カチタイデスッ!」

「カチカチじゃないか、もっとナチュラルにっ!」

「カチタイデス」

「前より悪くなってるじゃないかっ!」

「勝ちたいですっ!!」

 竜也は満足した表情で私に背を向ける。

「お前が望むなら、俺がお前を勝利の高みへと連れて行ってやろう。ついてこいっ!」

 竜也はそう言うとテクテクと病室を出ていく。

「…他に行く宛てもないし…ね」

 なんとなく、なんとなくだ。決して若干の冷やかしが混じっていたとはいえお見舞いに来てくれたことが嬉しくてついて行くとかそういうわけではない。

 私は竜也が置いていった花束を抱えると看病してくれたと思われる白衣の女性に頭を下げて病室を出ていく。

 竜也が案内した先はついこの間の豪勢な邸宅ではなく、なんだかこじんまりとした事務所のようなところだった。

「なんだか、こじんまりとしてますね」

「うるさい。黙れ」

 多分収入が激減し、あの邸宅の維持が難しくなってこちらに引っ越してきたのだろう。

「お帰りなさい栖鳳先生、あら映子さんもご一緒でしたか」

「ミリアさん、お久しぶりです」

「一週間ぶりくらいでしょうか?」

「おい待て、お前。俺とミリアで反応が違い過ぎないか?俺が病室にいった時なんか”ゲッうざい奴来ちゃった”みたいな顔してたのにミリアには満面の笑みじゃないか」

「当然の差です」

 普段の行いから考えて差がないと思う方がおかしい。 

「なにぃ?お前自分の立場をわかってるのかぁ?そうだ。これからは俺のことをちゃんと先生または師匠と呼ぶように、わかったな?」

 別に弟子になるわけでもないが、とりあえず少しは付き合ってあげよう。

「わかりました、センセイマタハシショウ」

「今すぐその口も包帯でぐるぐる巻きにしてやろうか、栖鳳先生と呼べ愚か者」

 竜也は手をぐるぐるやりながら私に命令してくるが、私はそれを無視する。

「先生、彼女にお話があるのではないのですか?」

 ミリアさんが竜也を諭すように尋ねると竜也は落ち着きを取り戻して話を始める。

「さて本題だが、この後の闘技のことだが…全て俺に任せろ、お前は見学だ」

 竜也と私は、ミリアさんに案内されて事務所っぽい一階にある場違いに豪華な食卓の椅子に腰掛ける。

「なにいってるんですか?代表者は私だけですよ。いくらあなたでも闘技場の書類に名前もないのに闘技に出るなんて…」

「案ずるな、ド貧乳よ。あと先生だ先生、ん?」

 そう言って竜也は私にドヤ顔で閲覧マークのついた闘技場の書類の写しを見せてくる。

「補欠代表者…栖鳳竜也っていつの間にっ!?でも事前会議にはいなかったはずじゃ」

「あれの出席義務があるのは代表だけだ補欠は行かなくても良いことになっている」

 最初からやるつもりだったのか、この男は。しかしコネクションを失った今この男に一体何ができるというんだろうか。

「闘技に出られるとしても、今のあなたに何ができるっていうんですか?どうせ私のように負けるのが関の山ですよ?」

「ぬぁにを言っているのかねぇチミは、俺なら初戦すでに余裕で勝利できたし、今の状態から逆転する方法もすでに三つ程考えついている。ついでに闘技場にこびりつく古臭いジンクスとやらもぶっ壊してやろうと考えているさー、はっはっはー」

 ミリアさんが運んできたのはまたカレーだった。

「またカレーですか?」

「はい、カレーは煮込むとより美味しくなるんですよ、ね?栖鳳先生」

 ミリアさんは竜也にそう言って優しく微笑みかける。

「そうだ、日持ちがいい、いつ食べても美味い、なんと言っても今の我々にとってコスパが大変よろしい」

「そ、そうですか…」

 まぁ、美味しいからいいですけどね。

 私はカレーを口に入れる。

 さすがに二回目ともなればいくらカレーでも意識を持っていかれることはない。

 あっ、妖精さんだ。カレーの妖精さんがいるよ。

 んほぉぉぉぉぉ!カレーしゅごいのぉぉぉぉぉぉぉ!!

 カレーが終わると竜也は何やらせわしなく書類やら何やらを処理していたので、暇をもてあました私はミリアさんに話しかける。

「ミリアさんカレー美味しかったです。あれミリアさんが作ったんですよね?」

「ええ、そうです。先生から作り方を教わって料理させていただきました」

「へーすごいなぁ、私も料理作れるようになりたいです」

「いえ、褒められるほどのものではありませんよ」

 ミリアさんは少し頬を赤くして照れている。かわいいなぁ。私が男だったら間違いなく今の表情で結婚を申し込んでいる。

「栖鳳さんとはお付き合い長いんですか?」

「はい、かれこれもう三年くらいでしょうか」

 ミリアさんは小首をかしげながら答える。かわいい。

「あの人に任せて本当に大丈夫なんですか?なんだか自分が引き受けた仕事の手前とても…とっても不安なんですけど」

 私の言葉を待っていましたとばかりに、ミリアさんは懐から一枚の紙を取り出す。

 それは竜也のステータスが記されたものだった。

「最弱級…?」

 私は目を疑う。

 ”最弱級”紙には間違いなくそう記載されていた。

 最弱級というのは下位村人級の通称であり、実際にそんな等級はないはずだ。

 しかし、目の前のステータスには間違いなく最弱級とあり、すべてのステータスが私さえも遥かに下回る低い数値を示していた。

「先生は…栖鳳竜也はこの世界で唯一本当の最弱級。この世界では何よりも尊ばれるはずのステータスが誰よりも低い彼が、闘技場で最強の男になる」

「え?」

 窓からのぞく月がミリアさんを照らして、なんとなく幻惑的な印象を感じる。不思議と彼女のまるで整合性のない話が全て本当の話だとさえ思える。

「映子さんがお聞きになった彼の英雄譚は全て本当です。最近は遊んでばかりでしたが、彼が本気になれば勝てない相手などいない…と私は思っております」

 初めて見るミリアさんの自然な笑顔、その表情からは最弱最強の男への…竜也への絶大な信頼が見て取れる。

 ミリアさんをここまで信用させる何かが竜也にはあるのだろうか。

 私にはまだわからなかった。

「おい、お前の新しい名前を考えてやったぞ」

 急に後ろから声がかかったかと思えば、意味不明なことを言い出す竜也。

「えっ?新しい名前ですか?」

「そうだ。村人映子なんていうマケイヌ丸出しの名前など俺の弟子になるからには捨ててもらねば困る」

「な、なんですか、マケイヌ丸出しの名前って!!」

 なんて失礼な男なんだ。確かに負けたけれどまだたかだか一敗だ。

 そもそも誰がいつ彼の弟子になるなんていっただろうか。

満子まんこだ。どうだ気に入ったか?」

「………ウガ」

 私は横にあった長椅子を持ち上げた。

「ゴリラかお前!?嘘だ、嘘。冗談に決まってるだろ。だから椅子を下ろせっ」

 私は竜也を睨みながら椅子を元の場所に下ろした。

 竜也は紙を取り出すとそこに筆で名前を書き始める。書き終わると私の方にそれを見せ

てくる。

「んんっ、五道恵理ごどうえり今日からこれを名乗るように」

「五道恵理」

 私はポツリとつぶやく。

 悪くないかもしれない。

 いやいや、そういえばなんで私が彼の弟子になることになってるんだ。

「ちょっと別に私、弟子になるなんて言ってませんよ。それにあなたは弟子をとらないとかなんとか言ってたじゃないですか」

 初めてこの男にあった日、彼は弟子をとる事をあれだけ嫌がっていた。

 この心変わりの裏には一体何があるのか。私にはそれが気になった。

「お前が地べたを這いずるだけの蛆虫ではなかった。ただそれだけのことだ」

「え?どういうことですか?」

 私が不思議そうに尋ねるも竜也はまともに答える気はないようで、また書類の整理に戻ってしまう。

 一体になんだというのか。

 するとそこにミリアさんがやってくる。

「きっと先生はあなたの闘技をみて認めてくださったんですよ。とりあえず形だけでも、先生の弟子になってみてはどうですか…恵理さん」

 なんだかミリアさんに可愛く名前を呼ばれると自分が本当にその名前であったかのように錯覚してしまいそうだ。

 まぁ、形だけでもやってみるというのはありかもしれない…しばらくはこれを名乗ってみようかな。

「五道恵理…栖鳳先生…」

 私はもう一度呟く。

 村人というのはスミダむらやその周辺の人間は誰も名乗っている共通の苗字だったし、映子というのも母親の名前をそのままもらったものだ。

 五道恵理。別に気に入ったわけではないし、元の名前を捨てるつもりもないけれど自分だけの名前というのは悪い気分がしなかった。

 栖鳳先生というのはなんだか気持ちが悪かったが、これも修行だと思えばなんとかなりそうだ。

 前の邸宅に比べたら小さい家だが、私の個室を用意してくれたらしくミリアさんが私を二階の一室に案内してくれた。

 やはり部屋の中にはベッドと机と椅子のセット、本がたくさん入った本棚があった。きちんと清掃されているようで清潔感がある。前との違いといえば、こちらのほうが狭い事くらいだろう。

 明日一日で、最悪私一人でもあの大男を倒す手段を見つけなければならない。

 今日は早めに寝て明日頑張ろう。闘技場で疲れたのか、やっぱりベッドで目を瞑るとすぐに意識がなくなった。

 ………。

 ………。

 ハッ!!

 私が大急ぎで階下に下ると愕然とする。

「もうお昼…」

 一階ではミリアさんがすでに起きていて床を掃除していた。

「栖鳳先生は?」

「栖鳳先生ならまだ二階で寝ていらっしゃいますよ」

「え?やる気あるんですかあの人、もうっ」

 たたき起こしてやろうかとも思ったがなんで私があんな男を起こさねばならないのかと考えたらバカバカしくなってやめていた。

 朝はとりあえず外の新鮮な空気でも吸いながら鍛錬に限る、朝じゃないけど。

 外にでると、この家の目の前にも以前と同様に公園があった。

「あれ?」

 公園を眺めていたら、なんと見覚えのある男の人が目に入る。趣味が三日に一度の鳩の餌やりでホームレスの明さんだ。

「明さーん」

「ん?あ、おーい」

 明さんは私に気が付くと手を振ってくれた。

「明さんもこっちに引越してたんですか、公園を」

「まあね、前のところ結構長かったし、しばらくはこの公園に腰を据えるよ」

 明さんはそう言って微笑むと、パラっと鳩に餌をまく。

「いやーまた会えるなんて感激ですよっ!!なんだか嬉しいなぁ」

 私は感激のあまり大声が出てしまう。

「えーっとそういえば君の名前ってなんだかっけ?聞いたような気もするんだけど…」

「えーっと…む…」

 じゃなかった。私は意を決してあの名を口にしてみる。

「恵理、五道恵理です」

「あっ、恵里ちゃんか、よしっ今度は忘れないよ」

「おい誰だ誰だ、朝っぱらから迷惑な大声たてて騒いでる馬鹿は?」

 剣幕を立てながら出てきたのは、寝巻き姿で頭がボサボサの栖鳳先生だった。

「ん?なんだまたお前らか、ってなんでお前がいるっ!?」

 先生は明さんを指差す。

「僕も引越しまして、はい」

「はい、じゃないよはいじゃ、また鳩の餌やりかっ。鳩が住み着くからやめろと言っているだろうがっ!だいたい…」

 先生は先ほどまで私たちがいた場所に向かって虚しく一人で説教をしている。

「さぁ、明さん入って入って」

 その間に私は明さんを家の中に入れていた。

「おいぃぃ!!何、勝手に連れて入ってるんだ。クソ貧乳っ!いい加減にしろよ」

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