04 修練の日々

 月は変わって、三月の第一月曜日。

 期末考査の最後の試験を無事にやりとげたレオナは、答案用紙を回収されると同時に、力なく机につっぷすことになった。


「いやー、ようやく終わったね! テストなんて苦しいばっかりだけど、この解放感だけはたまらないなー!」


 いっぽう柚子は、隣の席ではしゃいでいる。担任の島津教員は学期ごとの席替えというものに意味や理由を見出していないため、相変わらずレオナたちは隣同士の席順なのだった。


「九条さん、大丈夫ですか? お加減が悪いのでしたら、保健室までお連れしますが……」


 と、前のほうから呼びかけてくるのは、もちろん亜森だ。レオナは残存していた気力をかき集めて机に肘をつき、ようようそちらに顔を向けてみせた。


「大丈夫です。ただ、数式と英単語が頭の中でおかしな化学反応を起こしているようで……何だか悪酔いしてしまったみたいです」


「ちっとも大丈夫ではありません。保健室から担架を運ばせましょうか?」


「いえ、本当に大丈夫です」


 レオナは自分のこめかみに拳を押し当てて、ぐりぐりともみほぐした。

 頭が一回りも大きく膨張しているような感覚であるが、もちろんそのようなものは錯覚にすぎない。

 亜森は本当に担架でも呼びつけてしまいそうな様子で、心配げに眉を下げていた。


「試験期間は本当に大変なご様子でしたね。今日ぐらいはゆっくり静養されてはいかがでしょうか……?」


「いえ、試合が近いので、そういうわけにもいかないのです。体調自体は悪くないのですから問題ありません」


 ただし、脳味噌だけは休息を求めて沸騰寸前である。レオナの場合、練習においても思考を休める機会が少ないので、一番くたびれきっているのは頭蓋の中身なのだった。


「いよいよ今日から追い込み練習だもんねー。あたしもお役に立てるように頑張るから、九条さんも頑張ってね?」


 柚子はにこにこと笑いながら、すでに通学鞄を手に立っている。

 その姿を見返してから、レオナは亜森に視線を戻した。


「今日はジムに直行するので、食堂で昼食を済ませる予定なのです。よかったら、亜森さんもご一緒にいかがですか?」


「え? ですが、部外者のわたしなどが同席しては、ご迷惑なのでは……?」


「昼食をとるのに部外者も何もありません。試験期間中は気を張っていましたし、明日からは試験休みなので、できれば今日は亜森さんとご一緒したかったのですが」


「ちょ、ちょっとお待ちくださいね!」


 亜森は鞄から携帯端末機器を取り出すと、恐ろしい手早さで文字を入力し始めた。昼食は学校で済ませるという旨を家族にでも報告しているのだろうか。

 それを見守っている間に、柚子がこっそり耳を寄せてきた。


「亜森さん、すっごく嬉しそー。九条さんって、ジゴロの才能があるよね」


「人聞きが悪いにもほどがあります。友人を昼食に誘うのにジゴロの才能など不要でしょう?」


「だって九条さんって、ときどき無意識みたいに心臓を撃ち抜いてくるんだもん。クールビューティーのくせに甘え上手って、かなり卑怯だよねー」


「そうですか。では、遊佐さんには甘えないように今後は気を引き締めておつきあいをさせていただきます」


「わー、うそうそ! そんなすぐにすねないでよー!」


 座ったままのレオナの頭を、柚子がひしと抱きすくめてくる。

 その頃に、家族とのやりとりを終えたらしい亜森がこちらを振り返った。


「連絡がつきましたので、昼食をご一緒させていただきます。……遊佐さんは何をしてらっしゃるのですか?」


「んー? ただのスキンシップ。助命嘆願も兼ねてるけどね」


「言葉の意味はわかりませんが、校内の風紀を乱すような行動はつつしむべきだと思われます」


 黒縁眼鏡の向こう側で、亜森の瞳はこれ以上ないぐらい冷たく燃えている。

 その眼光を思うぞんぶん満喫したのち、レオナたちは学園の食堂へと移動した。


 本日から練習を再開する部活動も存在するらしく、食堂は三割ていどの席が埋まっている。レオナたちはそれぞれの昼食をカウンターで受け取ってから、無人のテーブルに陣取った。


「いよいよ試合まで三週間ですか。進捗具合はいかがなものなのでしょう?」


 席につくなり、亜森がそのように問うてくる。

 Aランチの和風ハンバーグにナイフを入れながら、レオナは「ええと」と言葉を探した。


「順調といえば順調です。今日から二週間が追い込み練習のピークとなって、最後の一週間が調整期間となりますね」


「……このランチのメニューも調整の一環なのでしょうか?」


「ああ、はい。私は少しずつ体重を落としていかなくてはならないので、炭水化物を控えめにしているのです」


 とはいえ、景虎ほど過酷な減量ではないし、昼食でそこまで気は使わなくてよいともコーチ陣に言われている。ライスを半ライスにする代わりに、ツナサラダや青菜のおひたしや冷奴という副菜を増やして、バランスを取っているばかりである。糖質や脂質を控えてタンパク質を摂取するべしと言われても、学食のメニューではおのずと限りがあるのだ。


「遊佐さんのほうは、相変わらずのようですね。今さらのお話ですが、その旺盛な食欲には驚かされてしまいます」


「んー? あたしは試合があるわけでもないし、そもそも規定体重に届いてないからね! MMAでも柔術でもだいたいリミットは四十八キロぐらいだからさ。平常体重で五十キロを目指すのが今の目標かな」


「今でも四十七キロ以上はあるのでしょう? 失礼ですが、とうていそのようには見えないお姿ですね」


「うん、よく言われるー。横幅も厚みも足りてないよねー。たぶん骨からして細いんだよ。……そういう亜森さんは何キロぐらいなの?」


 亜森の瞳が、再びレンズの向こう側できらめいた。


「……遊佐さん、それはあまりにぶしつけなご質問ではないでしょうか?」


「えー? だって、あたしも九条さんも隠してないんだから、亜森さんのも聞いておかないと不公平じゃない?」


「そこで公平を期す理由はないように思われます。身体を鍛えているわけでもないわたしの体重など、誰にとっても無意味な情報でしょう?」


 ちょっとすねたような口調で言い、亜森はエビフライを口に運んだ。

 それから、いくぶん伏せ気味の視線をレオナに向けてくる。


「ところで、あの……話はまったく変わってしまうのですが……わたしの分の観戦チケットをご用意していただくことは、まだ可能なのでしょうか?」


「あ、観戦に来ていただけるのですか?」


「はい……悩みましたが、やはり自分の目で見届けないと、のちのち後悔しそうですし……またあのように凄惨な光景を目にするのかと思うと、少なからず気後れもしてしまうのですが……」


「ありがとうございます。亜森さんに観ていただけたら、とても嬉しいです」


 レオナが頭を下げてみせると、亜森はちょっと複雑そうな面持ちで微笑んだ。

 レオナの身を案ずる気持ちと、殺伐とした格闘技の試合など観たくはないという気持ちにはさまれて、ぞんぶんに葛藤してくれたのだろう。それで前者を選んでくれたのだから、レオナとしては心からありがたかった。


「やったね、九条さん! チケットのバックマージンっていくらもらえるんだろうねー?」


「遊佐さん、私はそのようなものを期待して亜森さんをお誘いしたわけではないのですよ?」


「冗談だよー。そんなのわかってますってば」


 そのように述べてから、柚子はふっと不安そうな面持ちになった。


「でもその場合、亜森さんはどんなカッコで試合会場に来るのかな?」


「え? 何がでしょう?」


「いや、だって、前回はこの学校の制服姿だったじゃん? 公共の場におもむく際は学校の制服が一番ふさわしいとか何とか言っちゃって」


 とたんに亜森は平常心を失い、慌ただしくレオナと柚子の顔を見比べてきた。


「あ、あれはですから、決して嫌がらせの意味だけであのような格好をしたわけではなく……」


「うん、だから余計に心配になっちゃったんだけど」


「……今後、九条さんや遊佐さんのご迷惑になるような行為はつつしみたいと考えています」


 小さな声で言いながら、亜森がまた上目づかいにレオナを見つめてくる。

 亜森がこれほどまでに不安そうな様子を見せるのは、きっと初めてのことだっただろう。

 レオナは何とかその心をほぐしてあげたくて、微笑みかけてみせた。


「そんな申し訳なさそうな顔をなさらないでください。あの頃はおたがいに反省すべき点があったのでしょうから、亜森さんだけが気に病む必要はないはずです。それに、亜森さんの主張のほうが、世間的には正しいのだろうと思いますし」


「ですが、わたしは……」


「亜森さんは、今でもこうして私たちの秘密を守ってくださっているではないですか? 亜森さんと真情を打ち明けられる関係になれたことを、私も遊佐さんもとても嬉しく思っています」


「うんうん。亜森さんを疑うようなことを言っちゃってごめんね? あたしだって、そんなつもりで言ったんじゃないんだよ? ただ、亜森さんってちょっぴり天然入ってるから、うっかり制服姿で来ちゃったらこわいなーって思っただけなの」


「て、天然とはどういう意味ですか? 遊佐さんにそのように言われるのは、はなはだしく心外なのですが」


「えー? あたしは天然じゃなく、何もかもが計算ずくだよ?」


「それはそれで、何だか嫌です!」


 亜森は泣き笑いのような顔で言い、柚子のほうは「あはは」と笑う。

 それでようやく、その場にたちこめかけた重苦しい空気は払拭できたようであった。


                ◇◆◇


 そうして亜森と別れた後は、また『シングダム』における過酷な稽古の時間である。

 本来のオープン時間は午後の二時であったが、その三十分前に到着しても、すでにトレーニングルームでは景虎と伊達が自主練習に励んでいた。


 さらにはコーチのトンチャイと、何故か竹千代の姿も見える。現在は景虎と竹千代がリングで打撃のスパーをしており、伊達はマットでトンチャイに寝技の手ほどきを受けていた。


 とりあえず挨拶を交わしてから練習着に着替えて舞い戻ると、景虎たちも汗をふきながらリングを降りてきた。


「やあ、今日は早いね。試験も無事に終了かい?」


「はい。これでようやく練習に集中できます」


「これまでだって、十分集中しているように見えたけどね。試験中にぶっ倒れやしないかと、あたしはそっちのほうが心配だったぐらいだよ」


 ルーカス・ジルベルト杯のあたりを起点と考えれば、ちょうど今日ぐらいが稽古の折り返し地点となる。そして、追い込み練習期間の初日とあって、景虎はいよいよ昂揚してきているようだった。


 景虎は平常体重から五キロも落とさなくてはならないため、すでにタイトな減量期間にも突入している。頬の肉が薄くなり、その厳つい骨格があらわになると、景虎はいっそう勇ましげな面がまえになるのだった。


「押忍! 姐さんに柚子さん、お疲れさまです! 今日は自分も夜までたっぷりおつきあいさせていただきます!」


 と、横から竹千代が割り込んでくる。

 レオナは二ミリほど目を細めて、その姿を見返した。


「……竹千代くん、お仕事のほうは大丈夫なのですか?」


「はい! 今日は店が休みなんです! みなさんのお力になれれば幸いです!」


 ラーメン屋に下宿をして週六の頻度で働いている竹千代は、いつも夕方から練習に参加している。そういえば、最近は景虎や伊達とスパーをする時間が増えているような気がしなくもなかった。


「タケくんは体格的に、あたしらのスパー相手に向いてるんだよ。あんまりでかい男ばかりを相手にしてても、感覚が狂っちまうしさ」


「ああ、どこかのでかぶつよりも背はちっこいぐらいだしな」


 景虎の言葉に、伊達までもが便乗してくる。竹千代は身長が百七十センチジャストなので、レオナよりも四センチ以上は小さいのである。


「それじゃあ、練習を始めようか。レオナとユズコはアップを済ませてネ。その間、アキラたちは寝技のドリルだヨ」


 トンチャイの指示で、おのおのの作業に取りかかる。

 柚子は先週に右肘の靭帯も完治して、そのリハビリをこなしつつ、レオナたちの合同練習にも少しずつ参加していた。本格的な参加は、本日からだ。忌まわしい期末考査も無事に終えたので、レオナも柚子も心置きなく練習に励むことができた。


 三十分ばかりもかけて入念にウォーミングアップした後は、いよいよ景虎たちに合流する。本日も、自由練習時間はスパーを中心に執り行われるようだった。


 これまでは夜間の四時間が練習時間のすべてであったが、これから二週間は日中の二時間が追加される予定になっていた。

 オーバーワークにならないよう気をつけながら、二週間は身体をいじめぬく。それで最後の一週間は、身体を休めながら調整していくのだ。


「レオナはタケシと打撃のスパーをしてもらおうかナ。マス・スパーだから、力を抜いてネ?」


「了解しました」


 ヘッドガード、シンガード、ニーパッドの三点セットを身につけて、バンデージ代わりのサポーターを巻き、ボクシンググローブをはめる。同じ羽柴塾の出身である竹千代とこうしてキックルールのスパーに励むのも、この半年ぐらいですっかりお馴染みになっていた。


「一ラウンド三分で、インターバルは一分、ラウンドごとに相手を交代ネ。それじゃあ、始め」


 レオナは半身の構え、乱戦の型を取った。

 竹千代も、同じスタイルである。

 竹千代がサウスポーであったので、レオナもサウスポーに切り替える。が、どうせおたがいにスイッチを繰り返すので、左右のどちらでも大きな差はなかった。


 レオナは間合いをはかりつつ、まずは前足の前蹴りで牽制する。

 バックステップでそれをかわした竹千代は、右のジャブを繰り出してきた。

 竹千代も腕を下げているので、フリッカーのような格好だ。

 こちらもバックステップでかわし、お返しのフリッカーを放つ。

 レオナのほうがリーチが長いので、右の拳は竹千代のヘッドガードをかすめた。


 竹千代は、レオナのアウトサイドへとステップを踏む。

 レオナはすかさず軸足を切り替えて、右のミドルキックを放った。

 年が明けて、石狩エマとの対戦を終えてから、積極的に修練を重ねてきたMMA流のミドルキックである。


 キックボクシングほど足は大きく回さずに、前蹴りに近い軌道で相手の肩口を狙う。

 こういう高い軌道は、ミドルハイと呼ぶべきだろうか。MMAにおいては蹴り足をつかまれにくいため、こうした高い蹴りも有効であるという話であった。


 ともあれ、左手側に逃げようとする竹千代の進路をふさぐことはできた。

 また軸足をスイッチして、フリッカージャブを連発する。


 それを両腕でガードしながら、竹千代が踏み込んできた。

 蹴り技だと見て取り、レオナはバックステップする。

 予想にたがわず、前足のサイドキック、龍牙が飛んできた。

 その足がそのままマットを踏んだので、レオナは足払い気味のローキックを放つ。奥足からの、左アウトローだ。


 バランスを崩した竹千代の鼻っ柱に、右拳を跳ね上げる。

 竹千代はのけぞったがタイミングの面でレオナがまさっており、グローブに包まれた右拳がしたたかに下顎を打った。

 竹千代はマットに尻餅をつき、レオナは「ふう」と息をつく。


「うん、だいぶローやミドルのフォームも固まってきたみたいだネ。とても二ヶ月間で覚えたものとは思えないヨ」


 まだ三分は経っていないはずだが、トンチャイがそのように口をはさんできた。


「でも、やっぱりレオナのリズムは独特だネ。そんなにスピードがあるわけじゃないのに、にゅるっと手足が動くと的確に当たるのが、何だか不思議な感じだヨ。タイミングがつかみずらいから、対戦相手は嫌がるはずネ」


「はい、恐縮です」


「相手はどんなタイプだろうネ? インファイターかアウトボクサーかもわからないから、厄介ヨ」


 それは確かに厄介であるが、データが足りないのは相手も同じだ。この数ヶ月でレオナはようやく自分のスタイルらしきものが固まってきたので、十一月の試合映像だけを頼りに研究を進めたところで、ほとんど役には立たないはずであった。


「それに、タケシも上達が早いネ。キックやムエタイだったら、すぐに試合ができると思うヨ?」


「ありがとうございます! ……でも、自分はMMAで身を立てようと思っていますので、まだまだ試行錯誤中です」


 竹千代が立ち上がり、リング下のトンチャイに一礼する。

 その柴犬めいた笑顔を横から眺めながら、レオナはふっと疑念にとらわれることになった。


「でも、竹千代くんは素性を隠す必要もないのですから、MMAにこだわる理由もないのではないですか? 覆面なんてかぶらなければ、キックの試合には出場できるはずですよ?」


「いえ! キックボクシングは、一部の団体を除いて羽柴塾が出入り禁止と聞きました。自分は『シングダム』の一員となりましたが、羽柴塾の名を捨てる気もないので、ちょっとややこしい制限がかかってしまうみたいなんです」


「ああ……そういうことですか」


「はい! それに、MMAで身を立てるとしても、やっぱり羽柴塾の門下生であったことを隠す気はありませんので、姐さんとは違うスタイルを身につける必要があるんですよね」


 意味がわからず、レオナは眉をひそめてみせる。

 竹千代は、腹が立つぐらい無邪気な顔で笑っていた。


「だって、自分が姐さんと同じようなファイトスタイルで世に出たら、姐さんまで羽柴塾の出身だってことが露見しちゃうかもしれないじゃないですか? せっかく覆面までかぶってるのに、それじゃあ意味がないでしょう?」


「それは……ある意味、一番さけたい事態かもしれません」


「でしょう? だから自分は、姐さんとは似ても似つかないスタイルを模索します!」


 竹千代は声も高らかに宣言し、それを聞いていたトンチャイが「ふーん?」と首を傾げた。


「そこまで練りあげたスタイルを捨てちゃうんだネ? それじゃあ何のためにそのスタイルを磨きあげてきたのかな?」


「それはもちろん、姐さんのためですよ! 二人がかりで取り組めば、倍のスピードで完成させることができるでしょう? それで姐さんのほうの目処がついたら、俺はあらためて自分のスタイルを模索しようかと思います!」


 レオナは音もなく竹千代の背後に忍び寄り、その臀部へとミドルキックをお見舞いした。

 ほどほどに手加減はしていたが、竹千代は「痛い!」と跳び上がる。


「な、何ですか? 俺はまた姐さんのご機嫌を損ねてしまいましたか?」


「いえ。今のは感謝の気持ちです」


「感謝の気持ち!」


「不覚にもちょっと感動してしまいました。照れ隠しと受け取っていただいてもかまいません」


「照れ隠し!」


「そういえば、あなたはいずれ東京に羽柴塾の支部道場を設立したいのだと言っていましたね。そんな馬鹿げた真似には断じて力を貸すわけにはいきませんが……あなた個人が一人の選手として私の協力を必要としたときは、いつでも遠慮なく声をかけてください」


「……姐さんにそんな言葉をかけてもらえるなんて、こっちのほうこそ感動しちゃいます」


 尻尾を振る柴犬のように、竹千代がまた微笑む。


「でも、今は姐さんの稽古に集中しましょう! 俺のことなんて、二の次でかまいませんよ!」


「わかりました。そうします」


 レオナは半身の体勢になり、間合いの外へとステップを踏んだ。


「お望み通り、練習を再開いたしましょう。まだまだあなたのことを蹴り足りません」


「俺のことが蹴りたくてスパーをしてたんですか!?」


 わめきながら、竹千代も乱戦の型を取る。

 トンチャイは停止させていたストップウォッチを再開させ、「始め」の声をあげた。


 アリースィ・ジルベルト選手との試合まで、残るは三週間───一番の気がかりであった期末考査を終えたことで、レオナは身体の奥底から新たな活力がわきだしてくるのをはっきりと感じていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る