第5話 若妻の悪癖
暫し経て、フランソワが復活してくれた。
どうやら『フラン』と愛称で呼ぶことが嬉しすぎて、気を失ってしまうらしい。嬉しすぎて気を失うというのも理解しがたい感情ではあるが、ひとまずバルトロメイが『フラン』と呼ぶことはやめておく、という形で落ち着いた。
そして、フランソワと共に現在は私室である。
夕刻までバルトロメイは仕事を行い、そんな仕事をするバルトロメイを近くでフランソワが見る、という謎の時間を過ごす。
別段書類仕事ばかりで、見ていて面白いものではない。だというのに、随分と熱心にフランソワは見ていた。正直に言うと、じっと見られているとやり辛い、というのが本音である。
だが、かといってどこかへ行け、と命令するわけにもいかない。
「あー……フランソワ」
「はいっ! バルトロメイ様っ! お茶になされますか!? それとも少し休まれますか! ……そ、それとも、わたっ、わたたたっ!」
「いや……まだ続けるつもりなのだが」
声をかけるたびに、このように言ってくるのだ。
まだ書類は多く、このままの調子でいけば夕食までには終わるだろう、と思える。さすがに、夕食の後には軽く酒でも飲みたいものだ。だからこそ、休まず仕事を終わらせなければならない。
だが、そんなバルトロメイの答えに、落胆するフランソワを見ると、なんだか申し訳なく思えてくる。
「フランソワ、見ていて楽しいものでもあるまい。何か他のことをしてはどうだろうか?」
「いえっ! 夫の仕事を知るのも妻の務めです! そう! わたしは妻です! きゃーっ!」
「そうか……」
じっと書類仕事を見たところで、何も分からないと思うのだが。
まぁ、持ち帰って仕事をしている書類であるし、部外秘の書類は持ってきていないはずだ。内容を見られても問題はないだろう。
ひとまずフランソワがじっと見ていることは意識から外し、書類と向き合う。
物品の支給申請は終わり、色々な申請関連の書類だ。
こちらも、既に直属の部隊長が確認し、サインをしているものだ。だが、さすがに物品支給申請と異なり、一通りは目を通しておかねばならない。
特に部隊同士での模擬戦などの申請の場合、それが他の部隊と重ならないか、などを確認する必要があるのだ。
問題がありそうな数点を抜き出し、残りはひとまずサインをしておく。
あとは部隊長同士で、調整を任せるとしよう。
次に、報告書。
先に確認した模擬戦など、申請をして行ったものは必ず報告書を書かなければならないのだ。特にそれが模擬戦など、実戦の参考になるものであれば尚更だ。
一つ一つ読みながら減らしてゆき、最後に程近い、三枚綴られた報告書へ目をやる。
先月は大規模な、大隊同士の模擬戦を行ったのだ。普段は中隊同士の模擬戦であり、大隊同士というのは久しぶりでもある。その日は残念ながら模擬戦を見てやることができなかったため、報告書を楽しみにしていたのだ。
「……ふむ」
大抵、バルトロメイの予想通り、と言っていい内容だ。
精強を誇る青熊騎士団だが、全ての部隊が均等、というわけではない。五千人からなる騎士団を、第一大隊から第五大隊と分け、その下に中隊を五、中隊の下に小隊を二十配備している。そして数が若ければ若いほど、老練の精兵が集まっているのだ。
報告書の内容は、第一大隊と第四大隊での、模擬戦の結果が出ている。
内容としては第一大隊の勝利。
第一大隊は状況により、バルトロメイが率いることすらある精兵の塊である。そんな第一大隊に、新兵も混じる第四大隊ではそう簡単に勝利することはできないだろう。
問題なさそうな内容だ。特に不備があったわけでもなく、奇策があったわけでもなく、ただ練度の違いで勝利した、と言っていいだろう。
予想通りか、と第四大隊に施すべき訓練を考えながら、書類にサインを記す。
そして引き続き、新たな書類――申請書へと目を通し。
「ほほう……」
「どうされたのですか!」
「いや……面白い書類があってな」
くくっ、と僅かに笑う。
ここにいるのがフランソワでなければ、泣き出して逃げ出すのではないか、とさえ思える凶悪な笑みだ。
だが、ぴらり、とそんな書類を、嬉しそうにフランソワへと見せる。
「騎士団戦、というものがあるのだ」
「そうなのですか!」
「ああ。定期的に、騎士団同士で模擬戦を行うのだが……来月、青熊騎士団と赤虎騎士団で行うことになった」
赤虎騎士団――知略にも武勇にも優れる男、『赤虎将』ヴィクトル・クリークの率いる騎士団だ。
そして同じ八大将軍の中でも、バルトロメイとは最も親しい仲であり、よく酒を飲みに行く関係でもある。
そんなヴィクトルと戦うことができる、というのは嬉しい。
知略に関してはヴィクトルの方が上だが、しかしバルトロメイを先頭とした突破力こそが、青熊騎士団の本領だ。
騎士団戦の内容にもよるが、いい勝負ができるだろう。
「それは! わたしが見学をしてもいいのでしょうか!」
「む、それは……」
フランソワの提案に、僅かに悩む。
騎士団戦は大々的に行われ、皇帝が見学に来ることもあるのだ。練度の高い騎士団を皇帝に見せる、という目的もそこに含まれている。
そして一般見学者も、少なからずいるのだ。フランソワが見に来ることは、可能だろう。
だが、見たところで面白くなどないと思ってしまう。
「別段、見て面白いものではないぞ」
「わたしは! バルトロメイ様のお仕事を理解したいのです!」
「ふむ……」
ヴィクトルにからかわれる未来が想像できてしまい、乗り気にはなれない。
だが、それほど熱意を持っているのならば断るのも可哀想に思える。フランソワは、あくまでバルトロメイを慕ってくれているのだから。
現場で、バルトロメイとの関係について何も言わないよう言い含めておけば大丈夫だろう。
「まぁ、いいだろう。手配しておこう」
「ありがとうございます!」
「失礼いたします、バルトロメイ様。夕食の準備が整いました」
「おお、そうか」
あとは、この報告書にサインをすれば終わりだ。
既に確認した内容であるため、手早くサインを施す。
「では、奥様も食堂へどうぞ」
「はいっ! 奥様ですっ! わたしですっ!」
「存じております」
ダンの言葉に頬を緩ませるフランソワは、素直に可愛らしい。
これほどにバルトロメイを慕ってくれる相手が、存在するなど思ってもいなかった。
その事実に、どことなくバルトロメイの頬も緩んでゆくのが分かる。
「ではフランソワ、食事としよう」
「はいっ!」
「そうだな……ダン、今夜はフランソワが来て、初めての夕食だ。少しばかり高い酒を開けてくれ」
「承知いたしました。では見繕っておきます」
「うむ、任せた」
そして、連れ立ってフランソワと夕食へ向かう。
昼はひどいものを食べさせられたため、まだ胃がむかむかするのは事実だ。だが、少しでも味の良いものが食べたい、と感じるのも事実である。
「フランソワ」
「はいっ!」
「おぬしは、酒は飲めるのか?」
「はいっ! 後宮で何度かいただいたことがあります!」
「そうか。ならば、フランソワも飲むといい」
「はいっ!」
まだ十四歳とのことだったが、大抵は成人の儀――十五歳のときには既に飲まされる。一年ほど早いが、既に何度か嗜んでいる、というのであれば問題はあるまい。
バルトロメイにしても、色々と予想外なことばかりではあるが、素直に嬉しいと感じてしまう。
まだ、フランソワを自分の妻だ、と素直に思えないのは事実だが、それも時間が解決してくれるだろう。
このように並び、歩いているうちに、次第に慣れてくるものなのだ。
自分には縁遠いとばかり思っていた、結婚という事実。
それを、このように嬉しそうに笑うフランソワと共に受け止めて。
今夜は、美味い酒が飲めそうだ――そう、バルトロメイは笑った。
「あははははははははははははっ!」
「……」
「あはははははははははっ! 端っこです! 隅っこです! あははははははははははっ!」
「……ダン、これは一体どういうことだ」
「いえ……ただ純粋に、お酒に弱いのかと……」
「あははははははははははははっ!」
まだ瓶の中身が半分にも至らない時点で、何故かフランソワは食堂の端ーー隅を見ながら、そう笑っていた。
延々と、ただ笑い続けていた。
そして。
「フランソワには、もう酒は出すな」
「承知いたしました」
「あははははははははっ!」
本人の笑い続ける横で、フランソワの禁酒が決まった瞬間だった。
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