第4話 喜びゆえに
文字通り必死で、食べ物とは思えない三皿を、全て食べ尽くす。
これなら、ゲリラ戦の末に全く食料を手に入れることができず、仕方なくそのあたりに生えていた雑草を煮て食べたときの方が、まだましだった。あちらはただ緑くさいだけで、死ぬほど不味い、というわけではないのだから。
「ち、馳走に、なった……」
「はいっ! それほど綺麗に食べていただけるなんて、フランは感激の極みです!」
とても食えたものではなかったが、しかし本人に言ったら傷つくだろう。だからこそ、吐き気を堪えながら、鼻での呼吸を耐えながら、痺れるような感覚を許容しながらどうにか完食した。
食事に、これほど気合を入れたことはかつてない。
ちなみに、そんなフランソワも自分で食べる分は全て食べきっている。
それも、バルトロメイのように無理をして食べている、という様子ではなく、ただ自然と口に運んでいた。もしかすると、味覚そのものがおかしいのかもしれない。
不思議に思いながら、そうフランソワを見ると。
ぽっ、と顔を赤らめて、目を逸らされた。
「ああっ! バルトロメイ様がわたしを見てくださっています!」
「……」
どうしてそのような反応をされるのか、全く分からない。
そもそもバルトロメイは、歓楽街を歩いていても、歴戦の娼婦ですら声をかけない強面だ。子供に会えば泣かれるか、泣いている子供ならば黙るほどに、その顔は凶相である。
だというのに、これほど可憐な少女がそのように反応する、というその意味が全く分からないのだ。
「げふっ……あー、その、フランソワ」
「はうっ! わ、わたしの名前を呼んでくださるなんてっ!」
「いや、話が進まないのだが……」
何故目が合い、名前を呼ぶだけでそれほど感激しているのか。
だが、ひとまずバルトロメイは言いにくいことを言わねばならない。これからフランソワに食事を任せた場合、そう遠くないうちに自分は死ぬと思ってしまうのだ。原因は食中毒より、恐らくストレスである。
少なくとも今夜からは食事をダンに任せるように、誘導しなければ。
「ふ、フランソワは……自分の作った昼食は、どうだった?」
まずはそう、味覚を確かめてみる。
これで非常に美味しかったです!と言われたら、根本的に味覚がおかしい。そのときにはもう仕方がないので、厨房に立ち入り禁止令を出そう。
だが、そんなバルトロメイの質問に、フランソワは顔を真っ赤にして。
「そ、それが……!」
「ふむ?」
「ば、バルトロメイ様の前で食事をするという! 大事件に! 味が全く分かりませんでした!」
「………………そうか」
味が分からない、程度で済ませられる不味さではなかったのだが、本人がそう言うのならそうなのだろう。
味覚が正常かどうかはさて置き、この料理(?)を美味い、と思うわけではない、ということにひとまず安堵する。
いや、安堵する方向が違う、とすぐに我に帰るが。
「ダンよ」
「はい、バルトロメイ様」
後ろに控えていたダンに、そう声をかける。食事中、時折見ると、可哀想なものを見るかのような視線を送っていた。さすがのダンも、あれほどの料理を出されたら同情したのだろう。
そして、それを食べ尽くしたバルトロメイの気合に、目じりに涙すら浮かべている。
「昼はフランソワの料理を食べさせてもらった。今夜はお前が腕を振るえ」
「承知いたしました」
「そ、そんなっ、バルトロメイ様!」
「いや、フランソワには腕をふるってもらったからな。今宵は、我が家の味を知るのもいいかと思ったのだ」
言い訳としては苦しいかもしれないが、かといって「不味いからもう作るな」とは言えない。言ったらきっと傷つくだろうし、泣いてしまうかもしれないのだ。
女性の涙は、苦手である。
そのために、傷つかないように念入りに言葉を選んだつもりなのだが――。
「今夜はお任せくださいませ、奥様」
「奥様っ! はいっ! わたしです!」
「存じております。何かお好きなメニューがございましたら、お作りいたしますが」
「はいっ、お肉の鍋が好きです!」
「では、そちらをお作りいたします。このダン、奥様に召し上がっていただく、というのは嬉しく思います」
「まぁ! それでは! よろしくお願いします!」
よしっ、と心の中だけで叫ぶ。
ダンの料理は、腕がいい。それが、これほどまでありがたく思える日が来ると思えなかった。
ごほん、と軽く咳払いをする。
「ではフランソワ」
「あ、あのっ! よろしければっ! なのですがっ!」
「む……どうした?」
「ど、どうかっ!」
そう、突然懇願してくるフランソワ。
それほど覚悟を決める何かがあるのか――そう、一瞬心を決める。
だが。
「どうかっ! フランのことは、フランとそうお呼びになってくださいませっ!」
「…………あ、ああ」
「ああっ! ありがとうございますっ!」
何をそこまで感激する要素があるのだろう。
本当にフランソワは実在する人物なのだろうか。もしかすると、女性経験がほとんどないバルトロメイが、妄想の中で作り出した非現実なのではないか、とさえ思える。
もっとも、これほど困惑させられる妄想などしたことないが。
「ええと……では、フラン」
「はうっ!」
「フラン……?」
「ひうっ! ああっ! バルトロメイ様に、はぁぁ……きゅう」
「……え?」
ただ、名前を呼んだだけである。
だというのにフランソワは、まるで天にも昇るような恍惚の表情を浮かべ、謎の叫び声を上げて。
そして、倒れた。
「……ダン」
「じいは嬉しゅうございます。バルトロメイ様をこれほど愛してくださる奥様がいらっしゃったこと、感激に耐えませぬ」
「いや、それより」
「奥様はお部屋で横になっていただきましょう。バルトロメイ様は午後から執務を行われるのでしょうか」
「ああ」
「では後ほど、お部屋の方に胃薬をお持ちいたします」
「……頼んだ」
何度となく思うが、ダンはできる使用人である。
胃薬を飲んでから、簡単な青熊騎士団の書類にサインをしてゆく。
基本的に騎士団の中では、武具は配布される。自分の腕により馴染むものを使いたい、という者は自分で購入したりもするが、大抵は支給されるものを使っているのだ。
だが、この支給も面倒なもので、武具の支給を行う際には破損した武具と申請書類を同時に提出しなければならないのである。要求に応えて際限なく支給をしてしまうと、そんな武具を壊れてもいないのに申請して横流しする者が現れるからだ。
だからこそ、兵士がそれぞれ上官に提出し、許可を得た書類に最終的にバルトロメイがサインをすることで、武具の支給が行われる、という面倒な手続きを踏まねばならない。
そして日々、後からまとめてやればいいや、と放っておいてしまっているため、このように休日にまとめてやっているのだ。
そもそも、既に直属の上官が確認してサインをした代物であるため、バルトロメイは何も確認をする必要などないのだ。ただただペンを走らせてサインをする、という思考を放棄する仕事である。
面倒だ、とは思うが、これもバルトロメイの仕事である以上仕方ない。
「バルトロメイ様」
「ん」
「休憩なさってはいかがでしょうか? お茶を淹れましょう」
「……そうだな」
昼から、割と長い時間書類と向き合っていたらしい。
やや凝りの感じる肩を回して、軽く伸びをする。
「フランはどうだ?」
「お部屋で休まれております。お付きの侍女に、バルトロメイ様は私室で執務を行っている、と伝えております」
「そうか。では茶を」
「失礼いたしますっ! バルトロメイ様っ!」
む、と突然開いた、扉の向こうに目を向ける。
当然ながら、そこにいたのは噂をしていたばかりのフランソワであり、その後ろには呆れた顔をした侍女、クレアも伴っていた。
「フランソワ様ぁ、ノックもしないのは失礼ですよぉ!」
「ご、ごめんなさいっ! で、でもっ! バルトロメイ様の前で倒れるなんてっ! そんな恥ずかしい真似をっ!」
はぁぁっ、とフランソワが、思い切り滑りながら両膝をつき、頭を下げる。
バルトロメイに向けて。
「ど、どうしたのだ?」
「バルトロメイ様っ! バルトロメイ様がわたしの名を呼んでくださったというのにっ! 気を失ってしまった弱いわたしをお許しくださいっ!」
「い、いや、それは……」
「決してっ! バルトロメイ様のお顔を恐れたわけではっ! ないのですっ! わたしはただっ! 名前を呼んでいただけたことが嬉しくてっ! 決して、決してそのようなつもりはっ!」
「いや……」
ああ、そうか、と気付く。
バルトロメイは強面だ。それは当然ながら、自分でも分かっている。この顔が周囲を恐れさせる、ということも自覚している。
だが、全く気にしていない、というわけではない。慣れこそしたが、怖がる者を相手にすると、やはり萎縮してしまうのだ。
そのような僅かな、心の機微を読まれたのかもしれない。
バルトロメイが考えていた以上に、心配りにも優れた少女のようだ。
「そのようには、思っておらんよ」
「で、ですがっ!」
「だが、そのように言ってくれること、嬉しく思う」
バルトロメイは屈み、フランソワの頭を撫でる。
さらさらとした赤毛を撫で、少しだけいい香りが漂った。
「ありがとう、フラン」
「はうっ! ば、バルトロメイ様っ! あああっ……きゅう」
そして。
何故かまた、笑顔で気を失った。
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